新年を迎えるその時に
新年を迎えるその時に
最悪だ。
私にとっての新年最初のひと言は、それだった。
なんという年明けなのだろうか。
それは遡ること数時間前、大晦日に大学の友人たちの提案で、年が変わる時間に一緒に初詣に行こうと約束した。
友人たちの突然の提案だったが、私はすぐにふたつ返事でオーケーした。
私には彼氏と呼べるような存在はいない。大学三年生の就職活動を目前に控えたこの時期に、そんな色恋沙汰にうつつを抜かしている暇はないと、自分に言い聞かせながらひとり寂しくこの年の暮れを迎えようとしていた。
そのため、この友人たちの提案は私には渡りに船だった。
夕方になり、今年最後のカフェでのアルバイトを終え、いったん帰宅した。
着替えと化粧直しを済ませて、約束の時間までテレビの年末恒例のお笑い番組と紅白歌合戦を交互に見ながら時間を潰した。
ちょうどいい時間になり、私はなんとなく見始めたお笑い番組が名残惜しくなり、続きを録画予約して自宅を出た。
外は冷たい風が吹いていて、大晦日の夜は凛とした雰囲気だった。意外にも外出している人かげは少なく、皆どこかのお店でお酒でも飲んでいるのだろうかと思った。
こんなに寒い夜だ、皆外出など控えるに決まっている。こんな寒い夜更けに初詣に行こうということが、なんだかばからしく思えてきた。
だが、そんな私の考えは間違っていた。
電車を乗り継ぎ浅草駅に到着すると、外は人混みで溢れていた。日本人のみならず、外国籍の人々が英語やどこの言葉ともわからない言葉で賑やかに談笑している。
到着した大学同級生のみーちゃんとゆりちゃんが言うには、皆が初詣に押し寄せた参拝客とのことだった。
「やっぱこの時期、こむねー!」
みーちゃんが言い、
「あったり前じゃん、あんたね、調べもしないで誘ったわけ?」
ゆりちゃんがつっこむ。
「えー、ちゃんと調べたよっ!電車、ひと晩中動いてるって!すごいねー、年越しって!」
みーちゃんの言葉にゆりちゃんは、はああと大袈裟なため息を吐いた。それを私はくすくすと笑いながら見ていた。
ふたりは幼馴染だ。毎度のことながら、ふたりはこういうやり取りを日々繰り返している。そんなふたりを見ているのは、私のちょっとした楽しみだった。
あまり楽しいとは言えなかった大学生活の中で、このふたりが声をかけてくれたことは、私にとって数少ない財産である。
23時50分、間も無く年越しを迎える。
三人で向かった浅草寺は、人がごった返していて、雷門から続く参道には出店が軒を連ね、人びとは買い食いをしながらそこらへんで立ち止まっているので、うまく前に進めなかった。
私はふたりを見失わないように後を追って歩いていた。ゆりちゃんが時々後ろの私を気にして振り返ってくれる。
あと10分、このペースで果たして年越しまでに本堂までたどり着けるのだろうかと思った。
そういえば、5円玉が財布の中にあっただろうかと思い、私は歩きながら鞄から財布を取り出した。
賽銭の際は、ご縁がありますようにと5円玉を投げるといいのだと母に聞いた。逆に、10円玉は遠縁(とおえん)と言われ縁起が良くないと聞いていたので、それ以来お賽銭には5円玉を投げ入れるようにしている。
財布の小銭入れをまさぐり、5円玉が一枚あることを確認した。私はそれでホッとして、顔を上げた。
だが、そこで大変なことに気づいた。
みーちゃんとゆりちゃんがいない。
しまった、5円玉を探すことに夢中でふたりを見失ってしまった。
私は焦った。なにせ、あと5分もすれば年が変わってしまうのだ。年が変わる瞬間にひとりきりなんて、絶対に嫌だと思った。
しかし、ここで焦ってもだめだ。落ち着いて考えれば、ふたりと一緒にお参りにきたのだから、本堂の賽銭箱の前あたりに行けばふたりに会えるだろうと思った。
そうだ、なにも焦ることはない。
私は自分の焦りを抑えながら、浅草寺の本堂まで向かった。だが、思いとは裏腹に私の心は焦っていた。急ごうとすればするほど、目の前の人たちがまるで障害物かのように邪魔に思えてきた。思うように前に進めないことに苛立ち、先を急ごうとして何度か人にぶつかってしまった。その度にごめんなさいと口にしながら、私は本堂を目指した。
そんなやっとの思いで、本堂の前の境内までたどり着いた。
境内は参道よりも開けていて、多少人ごみの密集率は少なくなった。
みーちゃんとゆりちゃんは?
だが、周囲に人が多いことは変わらず、さらに深夜0時前という夜の暗さで、みーちゃんとゆりちゃんの顔が判別できない。
そんな…、ふたりともどこにいるの?
私は周囲を見回し、人から人へと目を走らせた。
いない…。
私は惨憺たる思いに境内で佇んでいた。
その時だった。
周囲の人たちから、カウントダウンの声があがり始めた。
すでに深夜0時を迎えようとしている、つまり新年が明けようとしていた。
ごぉー…、よーん…、さーん…、にぃーい…。
そのカウントダウンの声を、私は呆然と聞いた。
そしてその時がやってきた。
「ハッピーニューイヤー!」
「明けましておめでとー!」
周囲からあがる歓声と新年の挨拶に、私は膝から崩折れそうな気分だった。
結局、ひとりきりのまま新年を迎えてしまった。
もう私はみーちゃんとゆりちゃんを探すことは諦めることにした。どうせこんな人ごみの中だ、慌ててもどうしようもない。それにふたりもここに来るはずだし、参拝でもしていればまた出会えるだろう。
そう思い、私は仕方ない思いのまま、とりあえず参拝を済ませようと鞄の中の財布を取り出そうとした。
そこで気づく。
鞄のチャックが開いていたこと、そしてその中にあるはずの財布がないことに。
私は信じられない思いで鞄の中をかき回した。
そんな…。
やはり財布がない…。
「最悪だ…」
私は自分の口から漏れたそのひと言が、新年を迎え、初めて言った言葉だと気づいた。
それはまるで、私のこの新たな一年が、暗黒の時代の幕開けであるかのように思われた。
こんなにひどい年明けがあるだろうか。
私は今度こそ本当に崩折れるのではないかと思い、今にも泣きだしそうな気持ちになった。
もはやなにも気力が起きない。
参拝などする気はこれっぽっちも消え失せ、今すぐに右へ回れをして帰ろうかと思ったが、財布がないので帰りの電車賃すら持ち合わせていない。
終わった…。
そんな思いに打ちひしがれていた、その時。
「ああー!いたーっ!」
後ろから元気な声が聞こえ、肩を勢いよく叩かれた。
振り返ると、そこにはみーちゃんとゆりちゃんがいた。
「ごめーん!はぐれちゃって!」
みーちゃんが申し訳なさそうに謝る。
「ほんっと、あんたがいきなり饅頭食べたいとか言い出すから、はぐれちゃったじゃん!ごめんね!でもよかったー!」
ゆりちゃんもそう言って謝っていた。
は?饅頭?
つまり、みーちゃんが饅頭を買いに行っていたから、ふたりは私よりも遅れて本堂に到着したということらしかった。
「あっ!そうそう、これっ!」
そう言ってみーちゃんが差し出したのは、私の財布だった。
「えっ…、なんでっ!?」
私はわけがわからず、素っ頓狂な声をあげた。
「さっきそこで外国人の人が拾ってたんだよ!それで、中の学生証の名前読み上げてて、わたしの友達のですって返してもらったの!」
ゆりちゃんがそう言ったので、私はさらに信じられない思いだった。
ほっとしたのか、急に糸が切れたように私は涙を流し始めた。
ふたりが私を慰めてくれて、しばらくしてようやく私はやっと落ち着くことができた。
それから、私はふたりとともに本堂で賽銭とお参りを済ませ、新しい一年を祈った。
素晴らしい友達に出会えたこと、ふたりとともにこの一年も良い一年になりますように。
最悪だと思ったその瞬間は、一瞬だった。
これから先の人生、どれだけそういった思いや辛さや、悲しみに出会うのだろう。
それでも、その最悪の瞬間は、きっとどこかで終わる。
そう思うと、これから先のどんなことでも乗り越えていけるのではないかと思った。
この一年が、良い一年になりますように。
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