留年 2

 しばらくその場に立ち尽くしていると、大きな足音を立てながら女の子が建物から飛び出してきた。


「人! まだ居たんだ……」


 髪を高く括った活発そうな女の子。彼女は目を輝かせながら、イメージ通りの声で話した。


「それなりに居ると思うよ、人は」

「そうなの?」

「東京に集まってる」


 へー、と、頷く女の子の視線が私の背後へと向く。


「てっきり、みんな死んじゃったと思ってた」

「探索は、この辺にも来たと思うけど」


 由奈さんが話に合流する。

 確かに、五年もあったなら日本中とまでは行かなくとも、大都市の周辺の探索ぐらいはできていて当然だろう。東京に限らずとも、私たちみたいに当てもなくさまよっている人と出会ってもおかしくはないはずなのに。

 もしや、幽霊? 冗談だけど。


「で、どうしよっか。なんだかお困りのようだけど」

「助けてください」


 できればコップ一杯の水とお腹いっぱいの食料と新車をわけてほしいのです。


「なるほど。ばっちりと助けますとも、お任せを!」


 威勢よく胸を張る女の子。服装はブラウスとスカート。平たく言うと高校の制服だ。おそらく私と同年代だと思われる。


「そうだ、名前。私、三田千秋さんたちあき

「私が園埼桐栄。後ろの綺麗なおねーさんが南枝由奈、由奈ちゃんって呼んであげてね」


 背後から視線を感じる。気にしたら負けだ。


「どんなふうに困ってるかは……まあ、見たらわかるね」

「とりあえず、起こせば走れるとは思うけど……」

「でも、いろいろと怪しそうな雰囲気あるよね」

「そう」


 顎に手を当てながら、千秋さんは車の観察を始める。


「とりあえず起こそっか。後ろ、持ってくれる?」

「おっけ。せーの」


 とても重いが、なんとか持ち上がった。私たちは由奈さんと二人でようやくといった感じだが、向こう側はかなり余裕そうに見える。


「うーん。ぱっと見だけど、ガラスが割れただけって感じかも。動く分にはすぐにできると思うし、窓なら直せるけど、どうする?」


 ぱっと見ただけでそこまで分かるものなのかとは思ったけど、聞こえて来るエンジンの音によってその疑問はかき消された。


「できるなら、窓直してほしいけど……いいの?」

「いいよ。どうせ暇だし」


 快く了承してくれたので、お礼を言おうとしたのだが、背後から聞こえて来る腹の虫がそれを遮った。


「……とりあえず、なんか食べる?」

「うん、ありがとう」


 後ろを向いて、千秋さんは歩き出す。


「いこっ。ほら、由奈ちゃん……さんも!」


 数歩歩いて、振り返る。その顔には活発な笑みが浮かんでいた。


「うん……ありがと」


 由奈さんは俯いて、小さく呟いた。

 

「ここ……学校?」


 連れてこられた建物は近くの高校だった。初めて入ったその場所は私の知っている学校よりもずっと広い。


「そう。近くの食べ物とか、全部集めてるの」


 校舎の中に入る。存在しないはずの喧騒、消えた人間。それらが歪な形で蘇っていた。

 廊下を人が歩いている。制服はおろか、皮も肉も身に纏っていない骨だけの人間が、当たり前のように廊下を闊歩していた。


「千秋さん、これ……」

「ああ、これ? 置いて行かれちゃった」


 表情は変わらず笑顔のまま、そんなことを言う。私もできるだけ自然体を装って千秋さんに付いて行く。由奈さんはわかりやすく警戒している。

 私の持論だが、今の時点で東京に行ってない人間は大なり小なり破綻している。普通そうに見えるこの子も例外じゃなかった。普通そうに振舞えるのは、単に壊れた日常に慣れただけだ。


「千秋さんって、ずっとここに住んでるの?」

「そうだね。生まれた時から」


 廊下ですれ違う骨はこちらを顧みることはない。昔の生活を再生するように、当たり前の動きを繰り返す。


「じゃあ、ここって」

「私の学校。みんなは先に卒業しちゃったけどね」

「いつから、ここに?」

「あの病気がはやる前から」


 あの時に高校に通ってたってことは、由奈さんと同年代になる。とてもそうは見えないけど。


「由奈さん、制服着てみる? 若く見えるかも」

「えっ、なんで……」


 黒のセーラー服とかが似合いそう。というか、着せたい。が、本人が拒むなら……。


「由奈さん」


 近づいて、耳打ちする。


「この異常、わかるでしょ。この子が引き起こしているこれ、なんでかは知らないけど、無意識に出てるように見える」

「学校を外殻にした結界、性質付与が自然に起きて、それで骨が……」


 ここまでは妥当な推測。私の話術が試されるのはここからだ。


「千秋さんの中では、まだ学校生活は続いているんですよ。そこに異物が入り込むと、それに対して排除しようと無意識が働いてしまうかもしれない」

「じゃあ、早めに出る?」

「いいや」


 首を横に振って、由奈さんをまっすぐ指差す。


「私たち……いいや、由奈さんが異物じゃなくなればいいの。具体的には、高校生っぽい服装をする」

「それで制服とか言ってたんだ」


 でも、制服は近くに無い。いや、私のがある。


「車に制服あるから、着替えてきてっ」

「……わかった。——私、トイレ行ってくる」


 言いくるめ成功。適当言ってただけですが、ごね得なのです。


「私たち、この棟の当別教室に居るから、待ってるね」


 そうして、千秋さんと二人きりで廊下を歩く。周りの骨たちはあわただしく教室へと戻っていく。


「もうすぐ授業だね」

「そう、なんだ」

「私はさぼっちゃう。不良ですから」


 私は創作物のイメージでしか高校を知らない。だから、授業をサボるのがどれほどの不良度合かはわからない。漫画の中では当たり前のようにサボってるし、千秋さんの外見も不良とは程遠いし。私は結局、曖昧な笑みを返した。


「やっぱ、屋上とかでサボるの?」

「確かに、青春だねー。そうだ、屋上いこっか」


 突然の進路変更に心の中で由奈さんに謝りつつ、千秋さんの後ろについて歩く。

 階段を上ると、不自然に変形した、明らかに力任せにこじ開けましたというふうなドアが私たちを待ち受けていた。


「昔は通れなかったんだけどね」


 子供のような笑顔を浮かべる千秋さん。

 ドアを開くと、高いフェンスに囲まれた屋上が姿を見せた。当然だが見晴らしは良く、近くの街を一望できる。


「ちょっと、こういう場所憧れたりしちゃうよね」

「わかる」


 平和そうな街並み。ここからじゃ人の姿なんて見えない。だからきっと、私の見ている景色は誰かが見た青春の景色と同じ。


「忍び込んで、昼ごはん食べたり」

「授業さぼって昼寝したり」


 横に立つ千秋さんも、私と同じように街を眺めていた。その焦点のあっていない目は、どこか別の場所を見ているように見えた。

 一か所、フェンスが破れている。


「ああ、あれ? あそこから飛び降りるの」

「えっ……」


 唐突すぎて理解が追い付かなかった。千秋さんは平坦な表情のまま、さらに続ける。


「私一人になっちゃって、いつか私もと思ってたんだけど、決心がつかなくって」


 千秋さんに手を引かれ、破れたフェンスのそばまで歩く。


「背中、押してくれる? ううん、そうじゃなくって、ね」


 私の頭に手が伸ばされる。引き寄せられて、悪戯っぽい笑みを浮かべた千秋さんの顔が近づいてくる。

 まもなくして、唇が重なった。


「私のこと、覚えててくれると嬉しいな」


 一瞬過ぎて、感覚は小さなものだった。暖かさを感じる暇もない。

 

「って、あれ……」


 校庭に人影が二つ。日本刀を持った制服の女と、それに対峙するジャージの女。それが私を、一瞬にして現実へと引き戻した。


「あ、由奈さん!」


 こうしちゃいられない。私は破れたフェンスに飛び込……。手を、握られた。強く、熱いほどの熱を込めて、千秋さんは私を引き留めた。


「まっ……。いや、ごめん」


 慌てて手を引っ込める千秋さん。聞きたいことはあるが、それは目の前の脅威を排除してからだ。


「そこまでだ――!」


 叫びながら、二人の間に着地する。痺れる足に鞭打って立ち上がる。


「なに――、誰よ、あんた」


 ジャージ姿の少女は息を切らしながら、こちらを睨みつける。


「姫を守るナイトってところかな」


 前後から視線を感じる。軽口叩いていいような雰囲気ではなかったらしい。


「そう……庇うって言うの、そいつを」

「物わかりいいじゃん。彼女に手を掛けたいなら、私を倒してから」


 息ひとつで破裂してしまいそうなほど緊迫しきった空気。それを打ち破ったのは、私の指から放たれた弾丸だった。


「姫、似合ってますよ」

「……集中して」


 ——特訓の成果、見せてやりましょう。


 

 

 

 

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