留年 3

 由奈さんと出会ってから数日。その間、私は戦い方を教わった。由奈さん曰く基礎はできているらしいから、後は正しい力の使い方を覚えるだけらしい。

 

 ——召喚の一番有効的な使い方は数で押すこと。召喚物を指揮下に置くのには限界があるけど、使い捨ての射出なら限界はない。……何を射出するかって。知ってる? 歯って、鉄よりもずっと固いの。


 私の指から無数の歯が打ち出される。雨のような隙間のない射撃を、ジャージ女は高速で動いて回避する。

 そして、全身を覆う空気が変わる。——結界が展開された。


 ——物量押しを嫌うなら、結界を展開する。空間を遮断できれば、使えるエーテルの量が結界の中のものと自分の体内にあるものに限定される。

 そうなったら、一旦慎重になるしかないね。


 結界が展開された瞬間、校庭の土に無数の剣が突き刺さる。それは、目の前の女が瞬間的に射出したものだ。

 こいつ――。

 打ち出された剣に狙いは付けられていない。目の前の女は結界内のリソースを一瞬にして使い果たした。それが目的。

 残りのリソースは互いの体内にあるものだけ。こうなったら消費の激しい召喚は気軽には使えない。よっぽど強化に自信があるようだ。


「見たことある結界だね。わかるよ。かっこいいもんね」


 互いに地面の剣を引き抜いて、同時に走り出す。私は上段、女は下段から剣を振る。


「さっきから、うるさい――!」


 二つの剣が交差しようとする瞬間、私の剣が消失した。召喚物は召喚者の意志でいつでも消せる。

 ——馬鹿か、私は。使わせてくれるわけないじゃないか。

 身をよじり、振り上げられる剣を躱す。

 女は剣を振った勢いのまま回転し、蹴りの姿勢に移行する。

 防御——否、女が咄嗟に召喚した剣。一番やりやすい召喚物。それすなわち、彼女の特性そのものだ。女の特性は剣。なら、防御じゃだめだ。

 頭の中ではわかっている。だが、体がそれに追いつかない。防御以外の選択肢は直撃、即ち首の切断。それよりは、ましだ――。

 左手で蹴りを受け止める。予想どうりの鋭い痛みと共に、肉が断たれる。骨が割れるのが手に取るようにわかる。

 地面に倒れるより前に地面を蹴って、転がりながら距離を取る。

 肉を召喚して傷を埋める。痛みは消えない。だが、立ち上がる。


「骨だけじゃないんだ、実は」

「……骨も残さない」


 凄まじい気迫。


「そういえば、気になってたんだけど、なんであの人追っかけてるの」

「……おしゃべりするなら、もっとましな話題を考えたら」


 女は言うまでもないといった感じの雰囲気を出している。由奈さん、有名人なんだろうか。


「ええ、ほんとに知らないのに」


 言いながら後ろに下がる。こいつと、いや、剣と戦うにはリーチのある獲物が必要だ。ポケットの中のナイフじゃ頼りない。

 足元の感触が土からコンクリートへと変わる。私は振り向くと同時に扉を蹴破り、体育倉庫の中に飛び込んだ。

 ボールは、当たらない。高跳びの棒、強度不足。金属バット。——これだ。

 バットをもって、体育倉庫の外に出る。

 バットを右手で持ち、その先端を遠くの空へと向ける。


「東京って、あっちだったよね」

「だから何」

「予告ホームランだよ。知らない?」


 なんだか知らないが、由奈さんを殺そうとするなら、ぶっ飛ばしてやる。

 再び向かい合う。だが、第二ラウンドは始まらない。もう決着はついたのだから。

 女が足を動かそうとする。瞬間、地面から生えてきた手に足を掴まれる。


 ——結界は上書きできる。基本的には狭い方が強い。技量にもよるけど。


 戦闘開始地点、初めの衝突があった場所、そして背後の体育倉庫。その三点にナイフを落としておいた。それを触媒に、私の領域が既に作られている。

 そして、目の前の女は一つ勘違いをしていた。校内を歩き回る骨、私の打ち出した歯、再生に使った肉。それらから彼女は私の特性を人体だと推測していたはず。だけど、私の本当の特性は自分自身。

 その二つの差。誰のものか定まっていない。人体からは召喚できないが、自分の体からは召喚物が出せる。

 女は不意を突かれたものの、表情にはまだ余裕がある。なんせ、私の左腕は使い物にならない。右腕だけで振られたバットではどう頑張っても致命傷にはなり得ない。

 ——しかし、これもブラフの一つ。わざと馴染んでいないような再生をすることによって、私の特性を誤解させようとしただけだ。

 私は、自分の体を召喚することで、傷を完全に再生させることができる。

 ここで初めて、女の表情が崩れる。

 さあ、両手はそろった。空に向かって、フルスイングを――。



   ◇



「おまたせっ、由奈さん」

「……おかえり」


 由奈さんと出会ってからたった数日。なんか私、すっごく強くなっちゃった。


「由奈さん、怪我とかは?」

「全然、無傷」


 由奈さんは口元には微笑みを浮かべて、どこか悲しそうな目をする。


「ねえ、由奈さん。由奈さんって……」


 いったい何者なの。

 そうは言葉に出さなかった。多分言いたくないことだし、本人も触れられたくはないだろう。そういう場所は誰にだってある。


「かわいいよね」

「へ……?」


 由奈さんは視線を泳がせながら、素っ頓狂な声を上げる。表情の動きは少ないけど、わかりやすい人。


「まだ女子高生やれるんじゃない?」

「……ここに居る間だけ」


 少し頬を赤らめる由奈さん。ああ、もうずっとここに居よっかな。でも追手が来たってことは、そうもいかないんだろうな。具体的には、明日にはここを立ったほうがいい。

 沈む夕日が見える。なんだか最近は一日が速く感じる。



   ◇



「尋問ターイム。っ……何やってんだ、お前——!」


 教室の扉を開けると、血の匂いが鼻を突き刺した。視界の中心を赤が染める。それは全部、あの女から出たもの。

 四肢を折った上で椅子に縛り付けていたはずのジャージ女は舌を噛みきっていた。倒れた椅子、口元を中心に広がる血だまり。

 ——息は、ある。気絶しているだけのようだ。


「血ぃ吐いてるから、それじゃ死ねないよね」


 入り口からの声。千秋さんだ。

 千秋さんはこの光景を見ても一切の動揺を見せず、にこやかな笑みを浮かべながら教室へと入ってくる。だが、彼女はその表情から僅かに見て取れる影。それを隠そうともしなくなっていた。


「人って、なんで自殺するんだろうね」

「……まともな判断ができなくなったから。肉体的にしろ、精神的にしろ、耐えきれなくなって、死んじゃう」

「真面目だね。桐栄ちゃん。桐栄ちゃんは自殺とかできないタイプだよね」


 その通り。私は死ねない。死ぬわけにはいかない。


「私はね、今よりもっと高いところに行きたいから、死ぬと思う」

「……なに、言って」


 千秋さんは薄目でこちらを見てから、窓ガラスに向かって飛び込んだ。


「このっ、馬鹿——」


 ガラスが砕け、千秋さんの体が宙に浮く。

 それを追いかけるように窓の外に飛び出す。——が、千秋さんは私よりも、ずっと遠くまで跳んでいた。


 千秋さんの体が背中から地面に叩きつけられる。

 地面に着地すると同時に千秋さんに駆け寄る。

 千秋さんは、笑っていた。乾いた笑いを、腹が裂けてしまいそうなほど大きな声で、吐き出す。


「ああ! 忘れてた。私も、みんなと一緒に飛び降りたんだった!」


 その場から一歩も動けなかった。声なんて出せない。私は誰かの人生にそこまでの責任は持てない。


「痛ったぁ……。あーあ、また死ななかったよ。でも、ちょっとすっきりした」


 たぶん、これが心からの笑み。今日見ただけで一番明るい、真夏のような笑顔。


「ありがと、付き合ってくれて」


 人は壊れる。破綻する。それは身をもって理解している。だからこそ、上っ面の言葉が無意味なこともわかっている。だから私は、彼女に声をかけない。


「さて、とっとと寝ちゃおうか」

 

 校舎の中をさまよっていた骨は、既に元々居た場所に戻っている。

 ——数多の死体。腐り果て、見分けのつかない白骨死体。砕けた骨と一緒に、千秋さんは仰向けになって空を見上げていた。

 

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