留年 1
「桐栄さん、東京は行った?」
窓の外を眺めながら、隣の由奈さんが尋ねる。ハンドルを握る私はどこまでも続くような無人の道路を眺めながらそれに応える。
「一瞬、行ったけど……、すぐ帰っちゃった」
正確には小学校の修学旅行でも行ったのだが、由奈さんが聞いているのはそういう事ではないだろう。
感染症に日本中が感染し、生き残った日本人は自然と首都へと集まった。みんなはそこで細々と暮らしているらしい。人類は滅びないようだ。
「人がいっぱいいるのは、やっぱり苦手で……」
「そう、なんだ」
由奈さんは多少言葉を詰まらせる。あれ、私みたいな人、そこそこいると思うけどな。体感としては半分ぐらい。
「由奈さんは、何やらかしたんですか」
雰囲気からして、絶賛大ヒット逃亡中の由奈さんを追っているのがあの男一人だということはないだろう。そして、この日本に組織と言える組織は東京にしか存在していないはず。
「……」
意味深な沈黙。うーん、聞かぬが花って感じかな。
「脱法寿司屋を東京でやってたら、追い出された」
——これも、深く聞かないほうがいいのかな。それともツッコみ待ち?
「法なんて無いと思うけど」
「ほーう。なるほど」
再び、沈黙。
こういう時どんな顔をすればいいかわからないの。いや、ちょっと面白かったけどさ、笑ったら負けた気がする。
「ちなみに、脱法寿司屋って言うのは……」
「いい、いらない」
ほんと、人と話すのは疲れます。
「お、街だ」
「神戸かぁ、一旦、到着って感じにします」
そういう気分なので、しばらく休憩。補給もしときたいし。
「探検しーましょ」
「じゃあ、あそこのスーパーから」
由奈さんは手際よく必要なものがある場所に歩いていくも、どこにも使えそうなものは残っていなかった。
品薄。買占めか? 冗談だけど。
「先を越されちゃったみたい」
「まあ、おっきい街だからね」
「……この近く、誰か住んでるのかな?」
「あー、確かに、死体が落ちてない」
人が住んでいた場所は基本異臭を漂わせている。そうでないということは誰かが死体を片付けたということ。骨が勝手に歩いたりしたら別だけど。
「どうしよっか」
「私としては、もう少し探索したい感じですけど」
「私は桐栄さんに従うよ」
なんですかそれ。服従しますって、そんなこと言われると、興奮しちゃう。下品なんですが……冗談だけど。
「じゃあ、あっちいこ」
アスファルトのひびから草が生えている。あれから永遠のような数年が過ぎても、そう簡単に街の景色は変わらない。
「桐栄さんって、何歳?」
「レディの年齢を聞くの?」
「いや、制服着てるから」
理由になってないような気がする。もし私が三十歳だったらどうするつもりなんだろう。
「十六ですよ。……由奈さんは?」
「二十一」
「へー」
思ったより若い。何というか大人っぽい感じというか、所作に苦労がにじみ出ているというか、印象としては二十五歳ぐらいのイメージだった。
「じゃあ、高校いったことあるんだ」
「一年だけ、だけど」
由奈さんは俯いて、小さく呟く。
これは、失敗しちゃったかな。昔のことを思い出していい思いをする人なんて、ほとんどいないから。
「私も、ほんとなら今頃スーパーJKなのになあ」
「東京なら、そのうち学校もできると思うよ」
「うーん。それは、べつにいいかな」
だって、私が東京なんかに行っちゃったらモッテモテで困っちゃう。きゃっ♡ 冗談だけど。
「うーん、成果なしっ」
二時間ほど歩いているうちに日が暮れてしまった。食料も水も見つからなかった。とりあえず燃料は確保できたので車は動かせるけど……。
「これ、あと二日ってところかな」
「とっとと移動するべきかもね」
「そーだね」
意見は五秒でまとまったので、日が明け次第に移動することにした。
「じゃあ、寝よっか」
「……うん」
由奈さんが運転席の上にあるバンクベットに上る。私は助手席に座ると椅子を倒し、毛布をかぶった。
瞼を閉じる。瞳は真面目に黒色を写し続ける。こんなことに意味がないことぐらいはわかっている。
暗くて、静かで一人きり。これだと自分以外が見えなくなる。自分なんか見てもどうしようもないから、いつの間にか過去に見たものを思い出す。ああ、最悪だ。
私が生きている理由を確かめ終えたので、瓶から錠剤を取り出し、水で胃に流し込む。これで快眠、科学の力なのです。
足音、ドアが開く。さむーい。
「どこ行くんですか」
あえてドアの方に目線は向けずに尋ねた。
「……薬局」
なんだ、一緒か。
「私の、飲む?」
「……ありがと」
手のひらから瓶が離れていく。そこで私は初めて瞼を開いた。
由奈さんは瓶のラベルをじっと見つめると、納得したようにうなずいて、薬を飲み込んだ。
「何もしてないと、やなこと考えちゃうよね」
「何かしてたら、寝れないのに」
本当、酷い矛盾。
「眠くなるまで、話してよっか」
「……うん」
人と話すのは疲れるから。それだけで精いっぱいで、他のことを考える理由なんてなくなるから。
「好きな……食べ物」
「焼き肉。タンが好き」
「牛、まだ居るのかな」
「探せば居るんじゃない?」
「探せば……日本って、広いよね」
「そーだね。なんだか、ずっと、広くなったような気がする」
あの日より前、私の世界は街の中だけで、小さな学校のことしかものを知らなかった。
ああ、ずいぶん世界が広くなった。独り立ちはあまりに早すぎたけど、そろそろ私も大人になります。
「でも、どこにも行けないね」
由奈さんがこぼすように呟く。
「そーだね」
夢とか、将来とか、そんなものに縛られてた頃は、無邪気に自由を夢見てたのかな。
私はまだ縛られたまま。本当に自由になったら、翼も無しに、私はどこに飛んでいくのだろう。
あーあーあー、結局センチになっちゃった。もっと馬鹿みたいな話しようぜ。
「アクセルとブレーキを踏み間違えたスケート選手の言い訳。——ダブルアクセル」
「え――?」
あー眠たいな。
はい、いつの間にか朝になっていたので、まだ頭はぼおっとしてるけど出発します。
「西へ向かって、おー」
「……大丈夫?」
「由奈さんが運転するよりは」
私も初めは何度も事故を起こし、その度に死にかけたものだ。今は特にものを考えなくても運転できるようになった。成長成長。
「ここで急カーブ。そぉれ! ——わあ」
ぐらりと椅子が傾いて、ものすごい音をたてながら私は横向きになった。
「……重い」
何かに押しつぶされる感覚。首をひねると、目の前に由奈さんの顔があった。
「え、あ、ごめん……」
一瞬目が合ったが、すぐに逸らされる。心地よい温かさが離れていくと同時に、私はようやく自由に動けるようになった。
「さーて、これ、どうしよ」
外に出て、ふて寝しちゃった車を眺める。
この車は数年持ったんだけどな。ベストスコア更新って感じ。いや、もしかしたら動くかもだけど、窓割れちゃったしな……付け替え方なんて知らないし。
「え……。人だ!」
真上から声が飛んでくる。小さなビルの屋上に人影が見えた。
「人だぁ!」
いろいろと問題だらけだが、食糧問題はとりあえず解決! やったね。
彼女が快く物資を分けてくれるかはわからないが、私は人の善性を信じているので。
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