1.0 @直美@LIES


 猿田家の朝食は、本格的なブリティッシュスタイル、フルブレックファーストで始まる。

宮家を思わせるようなアールデコ調のダイニングルームに父の猿田真司、母のあやみを前に直美が居た。

 直美はナイフでベークドベーコンを切り分けている。しかし、口に運んではいない。

ともに食事をするふりをしているだけだ。

つややかに仕上げられたベージュのネイルに生活感が見えない。だから、気にくわないのかもしれない。

 大和は基の手首をつかみながら、その光景を観察し始めた。上司である沖から命ぜられた課題「猿田直美と両親との間の精神的な溝を埋めて、関係を良好にさせる」を

クリアするために。

 直美が大和に自ら持ってきた紅茶は申し分のないものだった。十分にあたためたウェッジウッドのカップに入れらている。この紅茶に敵意は感じない。何とか探っていける。いけるはずだ。ゆっくり口にふくみながら、大和はじっくりと両親を見定めた。

 母は夫である父に素顔を見せたことはない。必ずメイクをしている。しかし、その口紅が取れることも臆せず、肉の塊を口に運んでいる。食欲も旺盛らしい。昨晩、新しく開拓した役者志望の男と遊び、深夜に帰ってきたことはみじんも感じさせない。

 一方、父親の前には紅茶しかない。フレッシュミルクさえ、入れていない。髪をあげ、しなやかで白いうなじが美しい女のイメージが浮かんだ。朝食は銀座の愛人の家のほうですませてきたらしい。この家の食卓を囲む風景は、朝から欺瞞という言葉が浮かぶ。

 どの家庭もボタンのかけかえ違いのような不仲な部分は出てくるものだが、この家は体裁をつくろうことが、まず第一にある。本音を言いあうことがないのだろう。

 なぜ、直美がこの二人の間に生まれたのか。そんな疑問さえ湧いてくる。

ヒトは自分の遺伝子が繁栄するよう行動がプログラミングされている。だから、より強い生存能力のある個体を次世代に生み出せる相手を選ぶ。しかし、まるきり異なる、遺伝子の相同性が低い相手だと受精率が低くなり、次世代を生み出しにくい。自分の遺伝子とやや相同性がある相手を選ぶ。生きとし生けるものは遺伝子の乗り物なのだ。

直美はこの二人の間で自然にできた子供だ。だから、直美は生まれるべくして生まれている。

 いや、直美は自分がなぜ生まれたのか、そんな自己否定に近い檻に閉じ込められているわけではない。

直美と両親の不仲の元は互いを信頼していないということなのか。

自分に致命的な弱みがあるとする。それは、ささいな弱みを見せるのも戸惑う元になる。大きな弱みの発見に結びつき、やがては自分自身の存在が全世界に拒絶される。そんな大きな身の破綻をまねくようで。

一回りも年上の女だが、そんな社会不安は自分と同じだ。そこで、大和は手掛かりをつかんだ気がした。結局俺は自分の好きになれない部分が直美の中にある。それがわかっていた。潜在意識にあった。今、こうやって健在域にのぼってきた。…まずい。あのときの絶望、あの感覚が蘇りそうだ。

 基が袖を引っ張った。「なにやってるの」

そんな目でこちらを見つめている。その澄んだ瞳を見かえし、言葉に詰まっているうち、絶望の荒波にさらわれずにすんだ。たすかった。今は直美と両親との溝を埋める手がかりを得なければ。

 大和は直美に話しかけた。

「おなかすいてないの?」

「ええ」

ちょっと機械的な反応だ。だが拒まれてはいない。父親と母親はこちらに関心を示さない。悪くない状況だ。

「朝食は食べたくないほう?オヤジさんと同じで」

「そうね。どちらかといえば」

娘は父親の真似をしたがるものだと聞いたことがある。けれど、もしかしたら、父親は直美の功績を認めていないのか?もともとはそこなのか?

「仕事のほうはどうだ?」

雑な聞き方だ。大和は軽く苛立ちを覚えた。大和も直美も基も属している研究機関LIESの出資者のひとりだ。無関心なのだろう、この手の父親は娘にこういったことを聞いても純粋に娘の仕事ぶりを聞きたいわけでも、ましてや心配しているのでもないのだろう。

否定している?そう否定している。

直美が選んだ道を。

 直美はその華奢な印象とはうらはらに、両親がコネクションで取ってきた企業への就職を断り、自らLIESの発足へと動いた中心人物だ。30代前半にして賞賛されるべき実績になる。

しかし、両親が思い描いた絵とは違っていた。おそらく経済界の老舗の息子、あるいはIT界の寵児、そんな男と一族の繁栄、コネクション形成のために、縁談を成立させたかったのだろう。

母親のあやみが歩んできた人生とは明らかに異なる。あやみは、豊かで安定に見える生活のために親の望む政略結婚へと着地しているのだ。自ら望む道を切り拓いたわけではない。

時代劇かよ。大和はうんざりとつぶやいた。

母親は娘がどんなに努力して自分のキャリアを築こうが、手放しに喜ぶことはほぼない。みとめられない。家庭に入り、城を作り上げようとした、自ら選択した女の人生を否定されたように感じるからだ。

「いごごち悪いんだあ」

基がつぶやいた。

「なに笑っているの」

基が大和の顔をのぞきこんだ。唇の端がほんの少しだけ上がっていたらしい。

大和にしてみれば、辛辣なことしか言わない上司だ。女性の上司じたいに嫌悪を示すつもりはない。ただ、何かどこか拒んでしまうのだ。どこが悪いのか、自分が悪いのか、直美が悪いのか、いや両方正しくて両方間違っているのだろう。

どんなに生まれが良くても、苦労はついて回るものだな…。

どうやってこの両親との精神的溝を埋める?。両親の言うことなんて気にするな、と言うのもおかしい。自分のやりたいことをやってれば、いつか認めてもらえるさ。これもおかしい。もうLIES創設という功績が評価されないのなら、この先何をしようが…これでは、お互いの溝なんて埋まるわけがない。正解のないパズルを解こうとしているようなもんじゃないか!

基を見ると、あちこちはしゃぎまわりたいのを抑えている。とにかく視野にはいるものをアウトプットしているが、意味のある情報として処理してはいない。記録にただ残るだけだ。

視界のかたすみ、ふっと続きの部屋のドア、ベッドの上に、白くつややかな若い女のふくらはぎがぱたぱた跳ねている。直美の最近の恋人だろうか。女の身体に免疫のない基はぽかんと見とれていた。

別の部屋のベッドに、背を丸めた男の裸身がよぎった。苦渋を受け身で交わした後のようだ。時間と金をかけ鍛錬した筋肉の持ち主だったが、中年だろう。直美は、ビジネスでメリットのある男だけを相手にするのだから。 

「ぼやぼやするなよ」沖が尻を叩いてきた。

「あと5分だぞ」

もう半分過ぎたのか、この潜入のタイムリミットは10分。メモリがパンクしそうになっているのではないか。

両親がとにかく鬼門なのはつかんだ。さて、どちらから崩す?。母親か父親か。

 自分の力をみとめようとせず、その基盤を取り上げようとする父親か。いや、母親も見合いを奨めている。同罪だ。「罪?」

自分で言ったくせに、その「罪」の意味を探る。

 そうか、直美は両親を糾弾したいのではないか。

それは本来あるべきはずの夫婦という良識のもとの定義から、この二人は大きくはずれている。

しかし、直美も両親の血を引き継いでいる。常人には理解しがたい度を超しているであろう色欲にまみれているのは誰もが知るところだ。パンセクシュアルであることをさしひいても。

 そのとたん、視界に亀裂が入った。

しまった!

疑似メディテーション状態の直美の脳波が一気に崩れた。

「DMN上昇」バックヤードに居る圭の声が聞こえた。

「ばかやろ」沖のつぶやきが聞こえた。

目を閉じた瞬間、アラートが鳴り響き、レッドアウトでもいえるようなほどに周囲がはじけとんだ。

 アドレナリン、シナプス、ニューロン、はじけ飛ぶe-、e-、e-、e-、e-、e-…閃光の波に翻弄され、意識にGがかかったような感覚をあじわった。

目を開けると、見慣れた空間、脳内探査機RED PENCILβ版の開発室だった。無意識に自分に胸をあてた。あてた手の感触が自身の脳に伝搬している。神経や体感の違和感はない。正常だ。直美の脳内から無事に戻ってきている。

しかし、隣に横たわっている基(はじめ)は目を閉じたままだ。起き上がる気配がない。まだ戻ってきていないのだ。さっきまで一緒に、直美の脳内にダイヴしていたのに。

このRED PENCILの開発プロジェクトリーダーであり、今は被験者でもあった直美もまだ横たわっていた。こちらも動く気配がない。

 RED PENCILは、脳内探査機と単純に名づけているが、人体の脳内記憶を映像にして描出する機能だけではなかった。

脳内探査の際、潜入者は二人組になっている。探索と画像描出、それぞれ役割をもつ。探索の役を担った者は、被験者の記憶や思考回路を探索するだけではない。RED PENCILという名のとおり、“校正”が主目的だ。

例えば、直美の場合、両親との関係が良好とは言えなかった。思考回路や記憶をたどるうちに、その根本原因を探り(探索)、テーブルの上に広げるように顕在化させる(画像、ビジョンの描出)。多少なりとも直美が両親に抱くわだかまりを解くヒントを取得し、悩みや問題を少しでも快方への道を見つけるのが目的だった。思考の改善システムともいえる。

ただし、これは使い方しだいで、精神療法の医療機器にもなれば、心理操作、洗脳にもなる可能性があった。テロリストを平和主義者にも変えられるだろう。また被験者の記憶をたどれば、その感情や出来事を潜入者が追体験することもできる。どんなVRにも勝る。

 その開発のための出資・協力者は多かった。政府関係筋から、老舗の電気機器製造会社から映像のベンチャーまで。しかし、技術の出向者を受け入れてはいなかった。小規模な組織体制で可変的に研究開発していきたいからだった。

まだ基も直美も横たわったままだった。

 大和は呼吸ができなくなりそうだった。

「基!戻れ!戻ってこい!」沖の声が響き続けている。

 さっき、自分は基の手を放してしまっていた。まずい…

 LIESが開発した脳内校正システムのダイバー選考に落ちただけではすまない。

 基の生命線を絶ってしまったかもしれない。場合によっては、直美の意識内に基が居たままでは、直美の脳内が、精神状態がどうなっていくのかわからなかった。

 モニター室からこちらを見つめるいくつもの不安な目の群れにさらされるうち、大和の思考は停止しかけていった。 

 

 そのころ、基は直美の脳内、いや家の中を冒険していた…

続きの広間で、直美の父と母がゆったりとソファに身を沈めているのが見える。基は二人のつま先から頭の先まで、隙のなさ、金持ちならではの余裕さをもつ雰囲気に圧倒された。

まなざしがとっても冷たい。

 基は思わず目をそらし、目の前の光景をじっくりと見つめることにした。

ポーチドエッグ、ベーコン、ソーセージマッシュルームソテー、スコーン、オーツケーキ、一皿ずつ惜しみなく盛られていた。

フル・ブレックファーストが目の前に広がっている。基は、息をのむ。衝撃だった。毎日、こんな朝食を直美は食べているんだ。直美の家の裕福さにあぜんとする。羨ましいというよりも、自分とはあまりに違った境遇に、精神がふらつく。

 紅茶はあたたかった。カップを両手でくるみ、生活の裕福さをかみしめるように、口へふくむ。

 くせのある香りと渋みが、脳細胞を刺激する。

 あぁずっとこんなふうに過ごしたい。

「戻ってこい」

誰だっけ、この声。思い出そうとするのを、カリカリに焼かれたベーコンが邪魔をする。

こっちが先だとフォークで何枚も突き刺してばくっとほおばる。

じわあああ、じわあああ…肉の脂とうまみで口のなかいっぱいになる。

あー、たまんない。

「戻って来い、基。まだ仕事終わってないぞ」

ああ沖だ。沖が命令してきた。

「いや!」

基は即答した。

「ぼく、ずっとここに居たい!」

朝がごれほど贅沢なら、夕食はどうなるのだろう。夕食まで食べてみたかった。食べられるものならば。

「はじめちゃーん」

 今度は琉夏の声がした。沖に連れて行ってもらうカフェで働くお姉さんだ。いつも、ごはんを美味しそうにやさしく出してくれる。周囲の人間で琉夏だけが、他の人間と違う気がする。あったかい気がする。沖はあったかいときもあれば、冷たいときもあるから。

 「はじめちゃーん、そこに居てもいいけど、もっといいこと、外にあるよ」

もっといいことって?

「ディズニーランド行きたいって言ってなかった?」

「あ!」

「そこに居たら、行けないんじゃないかなあ」

「う…」

「直美さんとこ、おとぎの国嫌いな大人の世界じゃないのかなあ」

そうだ、そのとおりだ。あの直美のお父さん、お母さんの雰囲気を見ればわかる。沖とちょっと似ているところがある。何だか柔らかいものを拒む感じ。きっと行かない。

 基は渋々、フォークをテーブルの上に置いた。

 赤いランプが点滅しているのが見える。そのランプの点滅と呼吸をあわせていく。そして、すーっと基の意識が消えていき…


 基は目を開けた。ふーっといくつもの安堵のため息が、天井のスピーカー越しに聞こえてくる。

 ガラス越しのコントロール室からチームスタッフのメンバーが基たちを見つめていた。基と直美に挟まれた大和は既に起きていた。おろおろと基を見つめていた。

自信家の大和らしくないなと基はきょとんと大和を見つめた。

 隣で横たわっていた直美がじっとこちらをにらんでいた。怖い。基は身をすくめた。ドアを開けて、琉夏と沖が入ってきた。

 「やあだ直美さん、そんな怖い顔しないでよ」

 直美が基から視線をそらした。

「直美さんのあたりまえの日常が、基ちゃんにとってはむちゃくちゃ羨ましかったんだから」

 直美はこめかみを痙攣させながら、うなずいていた。

基が小首をかしげ、不思議そうに大和を見つめていた。どうしたの?そんな瞳が、大和にいつもの調子を取り戻させていった

大和はいつのまにか、忍び笑いをもらした。

「でも負けたね、ディズニーランドに」

「はあ?」

 直美はさすがに即レスできなかった。やがて、モニター室のほうからも、笑いがわきあがった。水野圭が口を開けて笑っているのが特にめだった。君塚大夢(ひろむ)の不服そうな顔も見えた。早く家に帰って仮想空間でシューティングゲームをしたいのだろう。

直美はあからさまにむっとしていた。ディズニーランドと自分の家とを比べられるなんてことは想定外だった。

「いや、負けたから基は戻ってこれた」沖がさっと返した。

「そうそ、笑い飛ばしちゃえば?」

琉夏がぽんと直美の肩を叩いた。肩の位置が下がった。力が入っていたんだな、直美はもう気をはりつめなくていいのだと気づいた。

なんだ、人間くさいところあるんじゃないか。大和はほんの少しだけ、直美を理解できていた。

それもつかのま、直美から檄が飛んだ。

「合格者なし!これじゃ公開デモは延期よ」

 笑っていたスタッフ全員が、口を閉じた。

このRED PENCILプロジェクトがうまくいかなければ、このチームは解体されるとともに、圭たちスタッフは契約解除となり、とたんに行き場を失う。

「あさって再選考!それまでに、自分の課題を克服して、ダイバー選定試験に臨むこと!」

 響き渡った緊張の中でも、沖は琉夏を見つめていた。直美の気を一瞬でも和ませた琉夏を。顎をさすりながら。こんなときの沖って、とんでもないことを思いついているんだよな。大和は漠然と気づいた。わずかにほっとした気持ちが、さっと消し飛んでいった。


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RED PENSIL 音宮 まい @Babel-eleven-nine

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