第2話 開幕 其の壱

 かつて、人と魔が混在する島国『ヒノモト』において、隆盛を誇っていた妖魔たちの脅威に晒されながらも、それでもなお、人間同士の諍いが絶えることはなかった。


 両者の天秤が一方に傾きつつあった乱世において、魔力を用いた技によって魔を祓い、人々の安寧を守護する退魔武士たちがそうした家と家、人と人との争いで無為に損耗していくことを、いとう者たちが現れたのは必定である。


 そうした者たちが紆余曲折を経て、互いの威信を掛けつつも、可能な限り人死にを避ける対決方法として考案したものが、今日こんにちまで連綿と受け継がれてきた『尻闘けっとう』の起源である。


 そして不殺ころさずを掲げながらも、相手の心を屈服させることに特化したその競技は、時代の移ろいとともにルールを改定することで、人が魔を押し返して平和を手に入れた現代においては、世界的な紳士のスポーツとして、世に浸透していた。


 これはそのような経緯で生まれ、今では相撲や空手に並ぶヒノモトの国技となった尻闘けっとうに青春を捧げる、少年たちの物語である。


        ⚫︎


『さあさあそれでは今年もやって参りました、第69回、全国尻闘けっとう大会。その大舞台に駒を進めるべく、この会場には現在、地区予選を勝ち抜いた高校と、シード校の選手たちが、限られた出場権をかけて鎬を削っております! そして本日の司会は私こと堀杉ほりすぎススムと、先の世界大会では日本にメダルをもたらしてくれたプロの尻闘者デュエリスト菊乃城きくのじょうタツオさんにお越しいただいております! 今日はよろしくお願いしますね、草猪さん!』


『はい。僭越ながら、ご紹介に預かりました菊乃城です。本日は我が国の未来を担う若人たちの躍進を、楽しませていただこうと思います』


「……おお、マジで解説席に、タツオニキがいるじゃん!」

「うわ、胸毛濃い!」

「ヒゲも濃いな!」

「っていうか世界レベルのプロを実況に呼ぶとか、相変わらず、うちの市は尻闘けっとうに金かけてんなあ……」

「まあ無駄な政策に税金使われるよりは、マシじゃない?」


 つい先日に、四年に一度、開催される世界大会が執り行われたこともあり、最近ではより一層にメディア需要が加熱している尻闘けっとうは、世間からの注目度が高い。


 特にこの地域では市政としても人材育成に力を入れているため、地区予選の次となる地区大会からこうして専用の会場を貸し切り、外部からわざわざ司会や解説を招聘するほどの、力の入れようである。


 無論、これらの試合はのちにインターネットやSNSなどにアップされ、市のイメージアップキャンペーンに用いられる予定だ。


 というわけで。


「ああ、でもマジで楽しみ! プロの試合もいいけど、学生アマの試合にはそこにしかない魅力があるからね!」

「俺なんてこのために無理して有給取りまくったからな! 出勤日が怖すぎるぜ!」

「お、あそこあそこ、俺の母校なんだよ。うわ懐かしー」

「っていうか選手の子たちが若い! やっぱ10代は肌のハリが違いますわ……じゅるっ!」


 本日の会場には、平日にも関わらず、多くの観客たちが集まっていた。


 会場の敷地内に設けられた即席の野営売店にて飲食物を購入した人々は、試合会場を見下ろす二階の観客席に腰を落ち着け、一階にあ円形尻闘場けっとうじょうにて汗水を滴らせる若き才能に、歓声や野次を飛ばしていた。


「おらそこ! 今だいけー!」

「突破あ! まずは落ち着いて射星アスタリスクを狙って、突破を目指すんだよ!」

「あー、ダメダメ! 握りが甘い、そんなんじゃ相手の鋼門ゲートをぶち抜けないって!」

「がんばれー! がんばれー!」

「もっと腰を高く、早く振って、相手の狙いを散らすんだよ!」

「ほらほら脇、開いてきてるよ……って!」

「あああああ! ダメだ、やられたーっ!」


『……いやー、本日も、素晴らしい盛況っぷりですね。観客の声援にも熱が籠っております。こうした光景は、長年に渡って尻闘道けっとうどうの発展に尽力してきた菊乃城さんとしても、感慨深いのでは?』


『ええ、そうですね。でもそれはあくまで、尻闘けっとうという競技が、それだけ魅力的なスポーツであればこそ。そしてその魅力は、奥路トンネルのように奥深いもの……これからもっともっと、尻闘けっとう業界は盛り上がっていきますよ!』


『なるほど、そしてこの会場には、そうした次の世代を担う俊英ホープたちが集まっているわけですが、現役のプロ選手から見て、気になる選手などはいたりするのでしょうか?』


『そうですねえ……ありきたりにはなってしまいますが、やはり海門かいもん学園の選手たちは、外せないでしょうね!』


 私立海門学園。


 それは尻闘けっとう活動が盛んなこの地域においても、抜きん出て有名な、全国屈指の強豪校である。


 いわんや、資金と労力を惜しまず人材を蒐集し続けることで全国大会の常連として名を連ねる名門校の出場選手レギュラーともなれば、精鋭の中の精鋭であることに、疑いの余地はない。


 さらに今現在、試合会場にいる大将、中堅、先鋒の三名は各々の優れたルックスも相まって、黄金世代ゴールデンエイジなどとも呼ばれてる。


 彼らに注目しているのはプロの関係者だけなく、SNSで彼らを知った一般市民も黄色い声をあげており、事実観客の三割ほどは、彼らの勇姿を目当てに会場まで足を運んできた者たちであった。


「きゃー!」

「ローズくうーん、こっち向いてーっ!」

「ぎゃあああああカオルきゅん、っ!」

「やっぱりカイくんは、格が違うよな!」

「とても高校生とは思えない貫禄だぜ!」

「フウー! さすが〈絶門童帝アイアンロード〉、今日も黒光ってるうううっ!」


 そうして、世界から注目と称賛と集める少年たちがいる一方で。


 半径三メートルほどの、相撲の土俵じみた尻闘場けっとうじょうを挟んだ反対側に佇む、三人と一人の少年少女たちがいた。


「……あ、そういや海門学園の、第一試合の相手ってどこだっけ?」

「えっとたしか……結野けつの高校、だっけ? 公立の」

「どこそれ? 強いの?」

「いやー、全然」

「いっつも予選落ちの弱小高校だよ」

「おうオレ、あそこのOBだけど、マジ弱いよあそこ。つーかまだ、廃部してなかったんだ」

「それなのに一回戦で海門と当たるとか、かわいそー」

「今夜はお通夜確定だな」


 喝采を浴びる海門学園の選手たちとは対照的に、結野高校の選手に向けられる観客の視線は昏い。


 同情、憐憫、嘲笑……


 そういった感情を一身に浴びながら。


 結野高校ゼッケンを着た青髪の少年は、口元に笑みを浮かべていた。


「……うん、やっぱり僕たちには誰も、期待なんかしていないよね」


 ただし言葉とは裏腹に。


 爛々と闘志を燃やす青髪少年の名は、『貫地谷かんじやスイ』。


 世間から弱小と評される、公立結野けつの高校の尻闘けっとう部、部長。


 高校三年生である。


「あはは、見てごらんよ、みんな。見事なアウェーだ」


 統計的に黒髪黒目が多いとされる生粋のヒノモト人ではあるが、スイは魔力多寡な人間に見られる一部の体質変異によって、生来からの青髪を、後ろで一束にまとめている。


 澄んだ蒼の瞳は穏やかで、小さく整った顔立ちが、スラリと伸びた長い手足を際立たせていた。


 一見して針金細工じみた細身であるが、それらが贅肉を限界まで削ぎ落とした筋肉であることを、ブレない体幹が物語っている。 

 

「ちょっと、すーくん! 部長がそんな弱気でどうするのよ!?」


 四方から注がれる観客らの圧力を前にして、凪いだ湖面のように微笑む優男を、発破するのは結野高校のマネージャー。


 スイの幼馴染であり、恋人でもある、平良へらアスカだった。


 ショートボブにした亜麻色の髪を揺らしながら、自らを叱りつけてくる幼馴染の少女に、青髪の少年が苦笑する。


「大丈夫だよ、あーちゃん。別にヤケになってるわけじゃない。むしろこれだけ誰も期待していないと、気が楽なくらいさ」


「それでも! 後輩たちの前で、先輩が気弱そうな発言しちゃダメなんだからね!」


「あはは。それこそ心配は無用だよ」


 断言して。


 スイは自分たちの後ろに控える、

 少年たちの姿に目を細める。


「僕らの後輩は、そんなヤワじゃない。あーちゃんだって知ってるだろ?」


「でも!」


「……あのお」


 延々と続きそうな二人の口論に、口を挟んだのは、この場にいる三人の少年たちの中で、もっとも小柄な人物であった。


 身長は百六十センチほどで、金髪碧眼。


 肌質も黄色人種より白色人種に近いので、近親等に異国の血が混じっているのだと推察できる。


 西洋人形じみた美形ではあるのだが、長い睫毛に囲われた碧眼は陰を帯びており、抑揚の乏しい喋り方も相まって、どうにも陰鬱な気配を漂わせる少年であった。


 ゼッケンに記された名前は『盾永たてなが・A・ナルミ』。


 この春に入学したばかりの、

 高校一年生である。


「……いちゃつくのは、それくらいにして……そろそろ、部長は行ったほうがいいんじゃないですか?」


「そうだぜ、先輩! 相手が待っているんだぜ!」


 ナルミに続いて声をあげたのは、結野高校尻闘けっとう部、最後の一人。


 名は『直丹すぐにイク』。


 いかにも純然たるヒノモト人といった、黒髪黒目の少年であるが、その全身と、黒曜石のような瞳にはキラキラと、溢れんばかりの活力が湛えられていた。


「ん、それじゃあ、行ってくるよ」


「すーくん! ここが第一関門だからね! 絶対に負けちゃあダメだよ!」


「あはは、善処します」


 とはいえ、大会の規定によれば、試合における先攻と後攻を決めるのは、試合を担当する審判員ジャッジによるコイントスだ。


 つまりは完全な運任せ。


 確実に先攻をとれる保証はない。


(それでも……僕たちが、奇跡を手に入れるためには、絶対に通さなきゃいけない難関だ)


 所属している部員こそ、マネージャーを除けばこの場にいる三名の少年しかいない結野高校の尻闘けっとう部であるが、各々の実力が他の高校に劣るとは、スイは微塵も考えてはいない。


 しかし相手が相手だ。


 全国有数の強豪校に活路を見出すには、

 最低限の勝ち筋が必要となってくる。


 そのための第一歩が、この試合における、攻守の先攻権をとること。


 ここを仕損じれば、あとの作戦が崩壊する。


(……絶対に、負けられない!)


 微笑みの裏に闘志を燃やして。


 審判員が待機する尻闘場の中央まで足を運べば、そこに待ち受けていたのは……


「……ろーちゃん」


 スイにとっては恋人アスカと同じぐらいに大切な、

 もう一人の幼馴染であった。

 



【作者の呟き】


 長くなってしまったので、分割します。


 導入が助長となってしまうのは、

 作者の悪い癖ですね。


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