第6話 巫女①
──翌日。
カーテンのない、開け放した窓から差し込む朝日で目が覚めた。
何気なく額に手を当てると、汗でじっとりと濡れていた。この汗の原因はきっと気温だけではないだろう。
布団に包まったまま、僕は右腕を伸ばしてタオルを探す。たしか、まとめて取り込んだ洗濯物の中に、スポーツタオルがあったはずだ。
「あれ?」
僕の右腕は空を切り、そして壁に衝突した。
右腕の痛みとともに思い出す。ここは名古屋の僕の部屋ではない、逆居村に帰ってきているんだった。
昨夜は坂守巴と名乗る女性ライターから質問攻めに遭い、体力の限界を迎えた僕はふらふらと向かいの部屋に避難して布団に倒れ込んだのだ。
六畳の和室には布団以外の家具はなく、窓が一つと襖が備え付けられているのみで、まさに寝るためだけの部屋、といった印象だ。
まだまどろみの中に浮かぶ意識を無理に覚醒させる必要もない。瞼をこすり、僕は天井を眺めた。
枕元に置いた携帯を見ると、思ったよりもずっと早い時間だった。特に何かする予定があるわけでもない。
もう一眠りするか。
寝返りを打ち、窓から差し込む太陽光から逃れる。
意識が深く沈み込んでいくのが分かる。日差しも、汗ばむ額も、全てを忘れて睡魔に身を委ねる。
もう間もなく寝てしまうだろう、と感じた瞬間──、
「尚兄(なおにぃ)!」
勢いよく襖が開け放たれた。
「……やぁ千代子、久しぶり」
襖を開けて姿を表したのは岩永千代子だった。千太郎の妹であり、今年で高校3年生を迎えたうら若き乙女である。
現れたのが千代子であることは、目を開く必要もなく明白だった。声が変わっていないこともあるが、それ以前に、僕のことを尚兄などと呼ぶのは彼女だけだ。
「いつ帰ってきたの!」
「昨日だよ、昨日の夕方」
「何で私のところに顔出してくれないのよ!」
「もう遅かったから、お前こそ僕が帰ってきてるって誰に聞いたんだ」
言ってから、僕は千代子の口から聞かずとも答えの想像がついた。
お兄ちゃん大好きっ子な千代子のことだ。毎日欠かさず千太郎のところへ挨拶に行っているのだろう。そして、そこで自分以外の痕跡を見つけた、といった感じか。
「だって、朝にお兄ちゃんのお墓に行ったら──」
「あー、分かった。分かったからもういい」
「そっちが聞いたクセに!」
千代子は、いつもこんな調子だった。
高校生になっても、この台風的なやかましさは鳴りを潜めたりはしないらしい。この暴風の中、二度寝を決行することは不可能だと判断した僕は、観念して身体を起こす。
肩まで伸びた少し明るい色の髪に、兄によく似た切れ長の目。白無地の半袖シャツに赤のジャージという装い。薄い唇でへの字型を形作って、千代子は僕を見下ろしていた。
「久々に僕に会う、っていうのに、随分ラフな格好じゃないか」
努めて、真剣なトーンで僕は口を開く。
「え? 尚兄なんて家族みたいなもんじゃん。着飾る必要ある?」
「んー、言われてみればその通りだな」
「もしかして、尚兄は私のことそーゆー目で見てたの……?」
「マジっぽい言い方するな! 見てない!」
他愛のないやり取りを続け、ようやく目が冴えてきた。欠伸混じりに大きく伸びて、僅かに残った眠気を外へと追い出す。
「村を出てってから、お盆も正月も帰ってきたことはなかったのに。突然どうしたの」
「あー……」
返事に困りつつ、僕は寝癖のついた髪を押さえつけるようにして頭を掻く。
逆居村に戻ってきた理由はもちろん、差出人が千太郎となっている謎の手紙が届いたからだ。しかし、そのことを千代子に伝えてよいかどうかは疑問が残る。
お兄ちゃん大好きっ子であった千代子に手紙のことを伝えたら、手紙がどこから出されたものなのかを調査しよう、と言い出すかもしれない。若しくは、誰とも分からん奴がお兄ちゃんの名を語るなんて、と怒り出すかもしれない。
話がどう転ぶにしろ、僕にとって喜ばしい事態になることはなさそうだ。
手紙の内容を伏せ、手紙が届いたことだけを伝えてもいいが、中を見せろとわめき出しても対応に困る。
「受験とかで忙しくしてて、ようやく大学生活にも慣れてきたところだからな。やっと落ち着いた時間が作れたんだ」
「ふーん」
白々しい僕の言い訳に千代子は目を細めていたが、それ以上追求してくることはなかった。
「ま、そんなことはどうでもいいわ。それより、私はこの時期に尚兄が運命的なタイミングで帰ってきたことに喜んでいるの」
「……運命的なタイミング?」
「そう、尚兄は私を助けるためにわざわざこんな辺鄙な村に帰ってきてくれたのよ! まるで、白馬の王子様の如く!」
「話が見えないんだが、結局、何が言いたいんだ」
そんな問いを投げかけると、千代子は真面目な表情で僕の正面に座り込んだ。
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