第5話 帰郷⑤
「こら! こんな時間までどこをぶらぶらしてたの!」
叔母さんから予想通りのお叱りを浴びせられ、思わず笑ってしまう。
「何笑ってんだい! こっちは探しに行こうかどうしようかって悩んでたんだからね?」
「叔母さん……僕もう二十歳ですよ。夜に出歩くなんて普通のことですって」
「あたしの家に寝泊まりする以上は、あたしがルールなんだよ!」
そう言って、叔母さんは僕の尻を思い切り叩いた。夜の闇に、小気味いい音が響き渡る。もしかすると、この村の中で一番変わっていないのは叔母さんかもしれない。
促されるまま家に入ると、独特のスパイスの香りが鼻孔をくすぐる。間違いない、叔母さん特製のカレーの香りだ。
「ご飯用意するから、リビングで待ってなさいな」
「ああ、ありがとう」
玄関を上がり、叔母さんは右手に折れてキッチンへ入っていた。リビングは玄関を上がって真っ直ぐ進んだ先にあるのだが、僕は置かれていたリュックサックを拾い上げ、キッチンとは逆側にある階段を登る。
食事の前に、荷物を整理しておきたい。階段を登ってすぐ左手にある部屋が、僕の使っていた部屋だ。8畳ほどの一人で過ごすには十分な広さの部屋。
「……あれ?」
襖を開けると、右の窓側には学習机が置かれ、部屋の中奥にはテレビとゲーム機が設置されており、左手には布団が畳まれている……というのが僕の部屋だったはずだが、目の前に広がる光景は僕の知らないものだった。
床には大量の古い雑誌と飲み干されたビール缶に占拠され、足の踏み場もない。
学習机の上には真新しいノートパソコンが置かれ、左手の布団の上にはビールの肴にされたであろう菓子の袋が散乱している。テレビとゲーム機に至っては、この部屋から姿を消してしまっているようだ。
そして──、
「あら? 見知らぬ少年、私に何か用事かい?」
部屋の中心に、一人の女性が鎮座している。
「ッ!」
その姿を捉え、僕は思わず俯く。
僕よりも年上。肩にかかる長さの髪は濡れており、やや紅潮した頬は見知らぬ男の姿を見てもなお余裕そうな笑みを浮かべていた。
そして何よりも、僕を俯かせるに至った最大の理由は、その女性が下着姿で、肩にロングタオルを掛けただけの装いだったからに他ならない。
濡れた髪にロングタオルという要素から、目の前の女性が風呂上りであることは予想できた。頬以外にも、すらりと伸びた足や豊満な胸元が赤みを帯びていた……気がする。
「あっはっは、そんな初心な反応を見せてくれるとは嬉しいねぇ」
「いや、えーと、すみません!」
「ああ、もしかして君が比良沢尚人くんかい? 男の子が里帰りしてくる、って話は聞いているよ」
「なんで普通に会話が始まろうとしているんですか! 先に服を着てください!」
僕は俯いたまま、顔の前に手を置いて必死に見ていないことをアピールする。
「仕方ないなぁ、ちょっと外で待っていてくれたまえ」
襖の閉まる音を聞いて、ようやく目を開ける。
一息ついて、額の汗を拭う。変な汗をかいてしまった。深呼吸を重ねるたび、次第に冷静さを取り戻す。
「いやぁ、お待たせして申し訳ないね」
謝罪の言葉とともに襖が開く。
先ほどまで下着姿だった女性の装いは、上は白無地で半袖のシャツ、下は灰色のジャージという装いに変化していた。
シャツの生地を押し上げている胸元は目に毒だったが、それを気にするわけにはいかない。と言うか、気にしてしまっていることを悟られたくない。
「こうも自然が豊かな村に居るんだ、少しくらい解放的な気分になってしまったことを理解してもらえるだろうか」
「気分……の問題なんですかね」
「もちろんそうだとも。気分が解放的になれば、姿や所作も解放的になるものだろう」
との主張は、僕の理解の及ばない範疇であることだけが理解できた。
「おっと、申し遅れたね」
そう言って、目の前の女性は踵を返し、ノートパソコンの置かれた学習机から小さな紙を手に取る。
「坂(さか)守(もり)巴(ともえ)だ。よろしく頼むよ、比良沢尚人くん」
差し出された小さな紙は名刺だった。白地の名刺には、名前とともにフリーライターと書かれている。
「フリー、ライター……」
「そう、世の中にある面白そうなことを記事として書かせてもらっている。頼まれればどんな内容のことでも書くんだが、最近は専ら、オカルト系の記事ばかり書いているね」
得意気な笑みを浮かべつつ、坂守さんは雑誌の名前を幾つか挙げる。その中には、僕の知っている雑誌の名前も含まれていた。
と言っても、僕の知るその雑誌は授業の一環で目にしたものであり、昨今の社会情勢について様々な見解が書かれていた雑誌だ。オカルトとは程遠い。
「オカルト系の記事……ですか?」
「そう。ここ、逆居村を訪れたのも、面白い噂を聞いたからだよ」
なるほど。心の中で、僕は深く頷いた。
逆居村はもちろん観光名所などではない。豊かな自然があることは事実だが、それは逆居村にしかないものではない。逆居村になど足を運ばなくても、来る途中の電車で終点へ向かえば豊かな自然に囲まれつつ、天然温泉を堪能できる観光地が存在する。わざわざ途中下車して、山道を歩いて逆居村に訪れる人など滅多にいない。
「この村には、死者と出会うことができるという言い伝えがあるそうじゃないか」
興味津々、といった顔で、坂守さんは僕を見据えた。
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