第7話 巫女②
逆居村には、巫女という役職が存在する。
村に唯一ある神社の奥に鎮座する大樹を御神木とし、村の豊穣などを祈るほか、逆居村におけるこの世──即ち此(こ)岸(がん)と、あの世である彼岸(ひがん)とを結ぶ役割を担っている。
坂居村は、もともとは境村と呼ばれ、この世とあの世の境にある村であると言われていた。
「今度、次の巫女様を決めるための投票が行われるの。前の巫女様が病に臥せって長いから、次の巫女様を決めようって、つい最近決まったの」
「いったい、どういう風の吹き回しだ?」
昔から、千代子は巫女という役割に対して懐疑的だった。僕の知る限りでは、巫女は時代錯誤だの、あの世なんてあるわけがないなどと、幼子にしてはずいぶん生意気な口をきいていた記憶がある。
「別に、特別何かあって、ってわけじゃないよ。ただ、村のことに真剣になるのも悪くないかな、って思っただけ」
つう、と背中を汗が伝っていく感触がした。
何故だろう、ほんの一瞬、寂しいような悲しいような、形容し難い感情が僕を襲った。
「……ま、いいんじゃないか」
「え?」
「巫女、やってみたらいいじゃないか。私がやりたいでーす、って神主に言ってみたらどうだ」
僕の言葉を聞いて、千代子は大きくため息をついた。大げさなリアクションとともに。
「何だよ、何か問題があるのか?」
「あのね、私が巫女やりまーすってだけでやらせてもらえるんなら、尚兄が運命的なタイミングで助けに来てくれた! なーんて思わないわよ」
言われてみれば、それもそうか。立候補するだけでやらせてもらえるのであれば、今ここで話題に挙げる必要性もない。精々、私が巫女やるよ、と伝える程度のものだろう。
「千代子の他に、候補がいるのか?」
「そゆこと」
子供の頃には、みんなの視線を一身に浴びて神楽を舞う役目など私は絶対にやりたくない、と言っていた気もするが……。これも、大人になるということなのだろうか。僕自身が大人になった感覚はないのに、身近な人間──しかも年下の人間の成長を目の当たりにすると、少し頭が痛くなる。
「……勝算は?」
「限りなくゼロに近い」
自分で言って、千代子は肩をすくめた。その表情には、諦めや呆れといった類の感情が内包されているように見える。
ここまで話を聞いて、ようやく合点がいった。
つまり、千代子は巫女をやりたいが状況が不利であることを理解している。そのため、僕に投票で勝てるように何か手伝ってくれ、ということか。
逆居村を離れていた僕がどれほど力になれるかは分からないが、親友の妹のお願いを無下にすることもできない。
「分かった、何か作戦を考えよう」
「本当? ありがとう尚兄!」
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず、と言うからな。先ずは、他の立候補者について知りたい」
出かける準備をするから外で待っててくれ、と付け足して、僕は千代子を部屋から追い出した。寝間着から着替えつつ、手櫛で髪を整える。充電器を挿していた携帯を拾い上げて、ズボンのポケットへ。
後は、一階にある洗面台で顔を洗おう。そう思いながら襖を開けると、向かいの部屋──かつての僕の部屋の襖もほぼ同時に開いた。
「やぁ、尚人くん。朝っぱらから女子高生を部屋に連れ込むなんて、なかなかどうして、大胆な男じゃあないか」
「何言ってるんですか。おはようございます、坂守さん」
「おいおいおい、つれないなぁ、裸を見た仲じゃないか、遠慮なく下の名前で、巴と呼んでくれ」
「裸は見てませんよ! ギリギリ! あと、ちゃんと服を着てください」
寝癖で膨らんだ髪の毛を掻きながら、巴さんは大きな欠伸をした。
巴さんの服装は黒地に赤色で英単語が羅列している半袖シャツに、太もも以降をガードする気のない短いデニムパンツというものだったが、シャツはサイズが大きすぎるのか、シャツの首元から肩までさらけ出していた。
「ファッションだよファッション、固いことを言うな。それよりも尚人くん、この村の歴史に詳しい人が近くに住んでいると聞いたんだが、君は分かるかね」
そう言いながら、巴さんは手に持った一枚の紙をひらひらと動かした。その紙には、大小様々な四角形が並べられ、中央奥には大きな丸が描かれていた。どうやら、村の地図を自作したらしい。
「これは……村の地図、ですか。歴史に詳しい人って言うと、和泉さんのところのお婆ちゃんだと思いますけど」
「その和泉さんの家はどこか分かるかな」
「えーっと……この地図、ちょっと間違ってます。直してもいいですか」
巴さんは僕の提案に頷くと同時に、ボールペンを手渡した。大小様々な四角形の並んだ居住区らしき場所に、僕は新しい道を書き込む。
そして、今いる叔母さんの家と、和泉さんの家に矢印を付ける。
「これで大丈夫だと思います。和泉さんの家はこの矢印を書いた場所です」
「建物の並びを細かに記憶しているのかい? すごい記憶力だね」
「このくらい大したことありませんよ。もともと住んでいたところなんですから、自分の記憶力が優れているなんて思ったことはありません」
謙遜で返したつもりだったが、巴さんはそれが気に入らなかったらしい。あからさまに表情が曇るのが見て取れた。
しかし、僕としてもこの程度で自慢気になるつもりはない。僕は、世の中に僕よりももっとすごい能力を持った人間がいることを知っている。
「それでは、人を待たせているので」
「引き止めて悪かったね、気をつけて行ってらっしゃい」
手を振る巴さんに手を振り返して、僕は一階に降りて顔を洗う。キンと冷えた冷水を顔に浴びせると、気が引き締まる。うがいと歯磨きを手早く済ませ、叔母さんに千代子と出掛けてくるとだけ伝えて外に飛び出す。
「お待たせ」
軒下で直射日光を回避している千代子に一言言って、僕たちは歩き出す。
と言っても、僕は目的地を知らない。ただ千代子について行くだけだ。
彼の岸に見ゆ 東屋彦那 @azumaya_hikona
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