第19話 最期の姿
森の獣道を駆けていく。茂みの向こうに目をやれば、隊長が疾走する姿を見つけた。僕の方が若干、先を進んでるように思う。
「それなら待ち伏せが出来るかも。助かる!」
あちらの道は直線ではなく、弧を描く形で湾曲していた。僕がゆく獣道も走りにくいルートだが、インコースを取れている形だ。そのメリットが僅かばかりの差を生み出していた。
「車が見えてきた! どこに隠れたら!」
停車したワゴン車の付近を眺めてみる。しかし、ちょうど開けているポイントで、潜むのに適切な場所は限られていた。
車の左手にある茂みは遠く、反対側の雑草は背が低い。身体を隠せるほど幹の太い木々も散見されるが、やはり車から離れていた。
「ヤバい、近くまで来てる!」
足音、そして荒い息遣いが聞こえてきた。逡巡するだけの猶予はない。僕はとっさにワゴン車の背面に身を寄せた。
見つからなければそれで十分。隙をついて襲いかかるつもりだった。
「はぁ、はぁ、今日は厄日だな、クソッタレ!」
隊長が悪態をつきながらワゴン車の傍まで駆け寄り、運転席のドアをあけた。すると、エンジン音が鳴り響き、車体も小刻みに震えた。
僕は左半身に車の振動を感じながら、運転席まで忍び寄った。
「車が発進する前に倒さないと……」
車体の半分を過ぎたころ、そっと手を伸ばしてドアハンドルに触れた。フラップタイプだ。音を鳴らさぬよう慎重に、ハンドルの隙間に指を這わせて一呼吸おいた。
あとは開けて、襲いかかる。その機を窺っていると、車内からがなり声が聞こえてきた。
「応答しろ! こちら保安部第三隊長の慈安(じあん)だ! 誰かいないか!」
――こちら外征部隊(アームズ)第二隊だ。何があった?
「逃亡者ならびに隊員の捜索にあたっていた、だがそこで大量のゾンビと出くわして交戦した! 大至急、駆除を頼む」
――了解した。本部と相談の上でしかるべき対応をする。ポイントはどこだ?
まずい、アームズと連絡を取り合っているようだ。連中の武装度は保安官と比較にもならない、最高武力を持つ軍隊だ。
僕は考えるより先に、ドアを勢いよく開いた。
「ポイントはNー41……」
「やめろ、それ以上は言わせないぞ!」
「クソッタレめ! ゾンビが来やがった!」
僕は隊長であるジアンを車から引きずり出した。その拍子に無線のスピーカーが座席に転がったので、力いっぱいに引いた。そしてコードが伸び切ったところで、そこを足で踏んづけてやった。
するとスピーカーから爆音のノイズが鳴ったかと思うと、とたんに静まり返った。すんでの所で破壊できたらしい。
「よし、なんとか阻止できたかな」
「このクソゾンビが! しつこいんだよ!」
銃口がこちらを向いた。撃たれる。僕はいちかばちか、ジアンに飛びかかった。
破裂音。銃弾が頬をかすめる。直撃は免れた。ジアンの首筋に食らいつこうとしたが、抵抗され倒れ込み、2人揃って地面を転がった。
噛めば勝てる。僕は大口を開いて顔を前に突き出した。しかし、それよりも強い力で、両肩を押し返された。
「この野郎、クソゾンビが……なめんじゃねぇ!」
腹に衝撃が走る。僕の身体は浮き上がり、宙返りを経て、背中から地面に叩きつけられた。
起き上がって、再び襲いかかろうとした。だがジアンは既に態勢を整えていた。銃口を僕の頭に向けている。
「これでゲームセットだ化物。ヘッドショットでワンキルだ」
まずい、防具も隠れる場所もない。撃たれればお終いだ。頭だ、頭だけ守れたら良い。僕はとっさに両腕をクロスして、顔の前を覆った。
「チッ、しゃらくせぇ! 化物が知恵つけてんじゃねぇぞ!」
渇いた破裂音。弾丸が僕の腕を貫いていく。手のひら、二の腕の肉が弾けて飛ぶ。弾丸は僕の肉をえぐって骨とぶつかり、そして軌道が変わる。頭蓋に向かう弾丸はなかった。
貫かれた痛みもない。しかし損傷の激しい右腕からは感覚が消え失せ、ダラリとさがった。
「クソッ。チビのくせに、妙に頑丈なヤツだ……!」
焦れるジアン。僕はゆっくりと距離を詰めていた。あと5歩。もう少しで飛びかかれる位置に居る。
しかし、その時だ。森の方から叫び声が聞こえた。
「リンタローくん、大丈夫!?」
「望海ちゃん……? 危ないから来ないで!」
ジアンは舌打ちして呟いた。「もう一匹きやがった」視線も僕から逸れた。チャンスかもしれないと思った。
「これでも食らえ!」
僕は飛びかかった。しかし、ジアンの身体を絡め取ろうとした左手は空を裂いた。攻撃を仕掛けれどころか、逆に相手から足をかけられて、その場で転がされてしまった。
それからジアンが向かったのは、望海ではなく運転席だ。ドアを閉め、施錠もして、アクセルペダルを踏みつけた。
「やばいッ。逃げられちゃう……!」
後輪は泥に飲まれたままだ。エンジンが狂ったように喚いても、車体が若干浮くだけで、発車できていない。
早く止めなきゃ。どうする。ドアはあかない。だとすると、これしかない。
「止まれ! お前は逃さないからな!」
車の天井に登った僕は、頭からフロントガラスの方へずり下がって、ジアンの視界を塞いだ。これで発車できたとしても前が見えず、運転など不可能だ。
「しつけぇな、くたばれ!」
片手だけハンドルから離したジアンは、空いた手で銃を構えた。1発は僕の頬を掠め、もう1発はあらぬ方向へ飛んでいった。
弾はそこまでだった。ジアンは拳銃を放り出すと、両手でハンドルを握った。
「だったらテメェを振り落としてよぉ! 轢き殺してやる!」
「クソッ……させるか!」
僕はまだ動く左手を振り上げては、フロントガラスを叩いた。利き手は力なく下がったまま。早くガラスを破ってジアンを止めなきゃ。
「リンタローくん、手伝うよ!」
いつの間にか望海が傍にいた。両手で大きな岩を持ち上げて、それをガラスに叩きつけた。2回目で大きな亀裂が走った。あと少しで破れる。
そう思った時、車はカモシカのように大きな躍動を見せた。
「ナメるなよゴミどもがーーッ!」
突然車が走りだす。僕は弾みで吹っ飛ばされた。勢いそのままに草むらの上を転がされていく。10メートルも行った所で、ようやく止まることが出来た。
ジアンはどこだ。顔を持ち上げると、ワゴン車は凄まじい速度で駆けていた。しかしロケーションが最悪だ。木々の生い茂る森で、エンジンを全開にしてしまっていた。
ジアンを乗せた暴走車は、樹齢千年にも迫るだろう大木の幹に、顔から吸い込まれていった。耳をつんざく衝突音。それきり静かになった。
「リンタローくん、大丈夫?」
「ありがとう。僕はなんとか」
「大変、右手を怪我してるじゃない! 早く村に戻ろう?」
「いや、その前にジアンの安否を確かめないと」
望海を連れながら、僕は白い煙を吹き出すワゴン車へと歩み寄った。
ボンネットは大きくえぐれて、大破したフロントガラスは血まみれだ。車体もいくらか前後に縮んだようで、ジアンの上半身がガラスの無い窓から飛び出していた。
「死んでる……? このままだとゾンビ化するのかな」
ジアンの顔を覗き込もうとして、不意に頬に何か当たった。それは小さな金属部品で、ピンのように見えた。
「なんだろう。車のパーツかな?」
僕がピンを拾おうとしたところ、しわがれた声を聞いた。老人を思わせる声色だ。それはジアンのもので間違いないが、死の匂いを強烈にただよわせた。
「テメェらも道連れだ、化物め」
寒気とともに身の毛が立った。運転席を見れば、ジアンが何かを握りしめている。
「望海ちゃん、逃げて! 爆弾だ!」
「えっ、爆弾?」
「伏せて!」
僕は望海に覆いかぶさった。すると次の瞬間、手榴弾が爆発し、車にも引火して大爆発に繋がった。
至近距離で爆風を受けた僕たちは、紙切れのように吹き飛ばされ、大木の幹に激突した。
「うぅ……望海ちゃんは大丈夫?」
大木を背にした僕は、膝の上に倒れる望海に問いかけた。
「ちょっとクラクラするけど、平気。リンタローくんは?」
「それなら、良かった」
僕はとたんに力が抜けた。その場で地面に崩れ落ちた。湿った土に頬が触れた感触はある。だが、手も足も背中も胸、それらすべての感覚を失っていた。
「リンタローくん! しっかりして!」
望海が半狂乱になって叫んだ。僕の背中に触れているらしい。実際に何をされたかは分からなかった。
「どうしよう、血が止まらないよ。早く手当をしないと!」
視界がぐらりと揺れて光景が変わった。すぐ傍に望海の泣き顔が見える。それでやっと、抱きかかえられたのだと気付いた。
「帰ろね、リンタローくん! 絶対に生きて帰ろう! せっかく勝ったんだよ、大勝利なんだよ! またみんなで美味しいもの食べようよ。『大変だったよね』って笑いながら」
僕の身体を引きずっているのだろう。足が土と擦れる音と、望海の鼻をすする音が重なった。
「村まで、遠いね」
「遠くない! すぐに、あっという間に着いちゃうもん!」
いや遠い。遠ざかってるなと思った。ゾンビ村で過ごした数日が、心の中で駆け巡っては消えていく。そしてエデンでの暮らし、浦城との記憶さえも。
すべてが脳裏に浮かんでは、遠くに消えた。
「望海ちゃんはさ……」
最期に何か伝えたかった。胸に浮かぶ想いを形にしたかった。
しかし何故か言葉にならない。その想いは正体不明の塊のまま、いずこかへと消えていった。
そして視界が閉ざされた。耳に聞こえる音も急速に小さくなっていく。
「リンタローくん起きて! お願いだから!」
望海の悲痛な声が聞こえる。可哀想だと思った。しかしその感傷も、結局は無明の闇が飲み込んでしまった。
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