いつもの朝
ピピピピ……ピピピピ……
けたたましいベル音に、意識が覚醒する。
肌に汗で濡れた髪が張り付いている感触があり、少し嫌な目覚めだ。
二十個以上細かくかけられたスマホのアラームを、一つひとつ拙い操作で消していった。
カバーは付いておらず、画面も所々割れている。
とっくの昔に月額料金は払い終わっており、家族以外の人が見たら定番のように「まだそれ使ってるの?」と驚かれるほど、何年も前に発表された古い機種だ。
持ち主が小学生の頃から今日に至るまで使われているマットレスから、踏ん張りをつけて勢いよく起き上がる。
かれこれ十何年も同じものに眠っているため、身を預けていた部分は沈み込んだまま、元の形に戻ることはない。
「いったた……」
腰を摩りどうにか痛みを逃すまでが、起き抜けのルーティーンになっていた。
「……怖かったなぁ」
先ほど見た夢を思い出し、額の汗を拭う。
就寝時間はほぼ毎日三、四時間程度。じめじめとして明かりをつけてもどこか暗い部屋。くたびれた寝具。
こんな環境で寝ていれば夢見が悪いのは当然だし、もう慣れたものだと思っていた。
だが昨夜見た夢は、今までのものとは全く違った。
赤ん坊の頃の記憶なんて殆どない自分に、誰かが念のためと取っておいた記憶のコピーを、頭に無理やり流されているような。
夢占いが頭をよぎり検索をかけようにも、夢の内容が複雑であることと、大体ストレスや疲労が原因だと言われるのが常であることから、煩わしくなり指を止めた。
まどろむ視界の中、木製のドアまで恐竜が地面を踏み締めるように前屈みでゆっくりと近づき、ドアノブを半分捻る。
背筋を伸ばし、大きく深呼吸をした。
また、いつもの一日が始まる。
何度も迎えた同じ朝。この時間が物心ついた頃から彼女───田中田 花子(たなかだ はなこ)とって、一番の憂鬱だった。
「…行きますか」
小声で呟き、部屋から一歩踏み出した。
扉を開けば、春の麗らかな陽気が居間を照らす。
傷だらけのダイニングテーブルに年季の入ったコーヒーカップを置き、寝ぼけた馬のように菓子パンを貪っているのは、先ほどのやけに鮮明な夢でも会ったばかりの花子の父───田中田 智司(たなかだ さとし)である。
「…ああ、おはよう。花子」
まだ口の中に咀嚼したままの菓子パンを残しながら、智司はそう言い切ると急いでコーヒーを煽る。
「おはよう、父さん」
花子は朝の挨拶もそこそこに、冷蔵庫から冷凍しておいた白米を取り出し、レンジで温め始める。
いつもなら智司の分も用意するために早起きしているのだが、今日は何故かいつも通りの時間に起きれなかった。
スヌーズ機能がなければ昼近くまで眠っていたかもしれない。
時計を見れば朝の七時二十分過ぎ。智司はもうすぐ出勤する時間だ。
「ごめんね、朝ごはん…」
花子は電子レンジが橙色に灯ったのを確認した後、半身ほど智司の方に振り返った。
「またそんなことを言って。いいんだよ、あんな事があったんだ、しばらくはゆっくり休みなさい。それにほら、こんなに職場の皆さんから頂いた退職祝いがあるんだし、父さんのことは気にしなくていいよ」
退職祝い、と言いながら智司が見たのは、台所の隅に追いやられている菓子パンの山と、花子を隠してしまうほど高く積まれているカップスープの塔だ。
花子がつい先週まで働いていたスーパーマーケットで、お世話になった先輩方や気にかけていた後輩たちから貰った、いわゆる餞別だ。
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