第2話 出会い
桜の木が薄紅から翠緑に装いを変え始めたある日、D組の面々は外に出て校舎を仰視していた。美術の授業でデッサンのテーマが『校舎』になった為である。
葵はデッサンが苦手だった。特に校舎の様に大きな被写体だとバランスが取りづらく上手く描けない。
鉛筆を持つ手が進まず、辺りを見回すと、ふいに視線が止まる。
葵の少し離れた左横で一心不乱にデッサンしている女子生徒が居た。名前は
黒々とした癖のある髪を後ろできつく束ねているだけの髪型。眼鏡がら覗く
人見知りなのか、休憩時間も一人で居るを見かける。葵も入学してから莉子とは一度も話しをした事がない。しかし、莉子のデッサンを見ると居てもたってもいられなくなり、つい声が出る。
「すごく上手! しかもこんな短時間でそこまでの完成度とかすごいよ!」
莉子のデッサンを覗き込むと、画板と莉子のお腹に挟まれているペンケースに目が留まった。
「もしかしてそのキーホルダーって『ACT』のファンクラブ限定グッズ?」
莉子は恥ずかしそうに自分の描いた校舎に視線を落とした。
「ご、ごめん。話した事もないのに一度にこんなに話し掛けられても困るよね」
葵は思ったことをよく考えもせず口に出してしまう。相手の返事を待たず、気になったことをすぐ口に出し相手を困らせてしまう。一華にもよく注意されていたのを思い出し猛省していると、莉子が俯いたまま話し始めた。
「ううん、大丈夫。——少しびっくりして。『ACT』はデビューしてからずっと好きでファンクラブにも入ってるんだ。三浦さんも好きだったよね? 自己紹介の時に言ってたからずっと話してみたいって思ってたけど、私自分から話し掛けるのが苦手で……」
莉子の声は今にも消え入りそうな程小さくてか細い声だった。それでも一生懸命応えてくれようとしているのは分かる。
葵は莉子とは対照的に嬉しさのあまり興奮しながら少し上ずった大きな声量になってしまっていた。
「私、工藤さんと友達になりたい! 私は葵! 葵って呼んでね」
莉子は葵の人懐っこい笑顔につられ自然と口元が緩む。
「葵……。嬉しい。私は莉子だよ。よ、よろしくね」
二人は目を合わせくすりと笑った。そこへ「あおいー」誰かに呼ばれた気がして辺りを見渡す。この声は杏だ、杏と美桜、それに二人の後ろに隠れて直ぐに見えなかったが凛もいる様だ。
「葵デッサン終わった?」
杏は葵の画板に視線を落としながら訊ねる。無論ずっと莉子とお喋りしていて終わっているはずがない。けれどそんなのはどうでもいいと言わんばかりに興奮気味にさっきまでの出来事を話し始める。
「それがね、莉子と友達になったの! 莉子も『ACT』のファンで盛り上がってさ。ねー莉子?」
恥ずかしそうに「う、うん」と視線を彷徨わせながら莉子が頷く。
「葵ちゃんは強引だからなー。迷惑だったら私から言ってあげるから何時でも相談してね」
凛がそう言うと他の二人も「だね」と口々に呟いた。
「……迷惑じゃない。すごく嬉しい」
莉子は顔を赤らめながらペンケースに付いているキーホルダーをぎゅっと握り締める。
「みんな酷い! 莉子もこう言ってるし、みんなこれから仲良くしてね」
葵は満面の笑みで三人の顔を見やった。
「それよりも莉子のデッサン上手すぎ! 何これ。ちゃんと校舎になってるよ」
杏は自分が描いた絵を莉子のと見比べる。
「いや、杏の絵が酷過ぎる」
美桜は冷ややかな視線を杏の絵に向ける。
「そんなに言うなら美桜のも並べてよ! いや、美桜だけじゃなくてみんな並べて!」
杏がむきになり、凛と葵の絵も強引に奪い並べる。
「うーん……葵ちゃん……一体この時間何してたの?」
凛は不思議そうにそれぞれの絵を見比べながら呟く。
「そうだね……私のデッサンが一番酷いと思ったけど、葵のはそんなレベルじゃなかったね」
杏も美桜も大げさに首を上下に動かし頷く。葵の画用紙には縦に一本、横に二本ただ線が引かれているだけで、どこの部分なのかも分からない。
そんな四人の姿を見ながら、莉子は楽しそうに微笑んだ。
天真爛漫で猪突猛進の葵、一見モデルの様な目立つ外見で大人びた雰囲気の美桜、面倒見のよい姉御肌の杏、小柄で可愛らしいふんわりとした女の子らしい癒し系の凛、恥ずかしがりでいつも自信なげな努力家の莉子。五人の個性は違ったが、それからはいつもこの五人で休憩時間を過ごすようになった。他愛ない話しをしたり、愚痴をこぼしたり何でも話せる気の置ける友達。
授業は覚える事がたくさんあり大変だったが、葵の大好きな服飾関係の授業が中心となっていた。自分の興味がある分野なので、苦には感じなかった。勉強が楽しいのは初めての経験だ。
苦手な人は居るものの、充実した日々に幸せを感じずにはいられなかった。
放課後はいつも、杏と莉子は部活へ行き、凛はアパレルショップでアルバイト、美桜は知り合いのアパレルメーカーで勉強を兼ねて手伝いをしていたので、帰りはこれまで通り一華と一緒に帰っていた。
どちらが言い出した訳ではないが、早く終わった方が終わっていない方の教室の前の廊下で待っていた。姉妹同然で育っているので正に阿吽の呼吸だ。
一華もA組で友達ができたらしく、二人の話題はいつもそれぞれの友達の話しだった。互いの友達とは話しをしたことがなくても、なんだか自分の友達のような気さえしてくる。葵にはそれが何故だかうれしかった。
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