歪な感情

海月

第1話 入学式

 まっさらな制服を身に纏い、正門に立てかけられた入学式の案内板を感慨深けに見つめている。そこに佇んでいるの一人の少女の名前は三浦葵みうらあおい

 県内で唯一の服飾デザイン科のあるこの高校の生徒になるのが葵の小学生からの夢だった。

 葵は門の正面までくると立ち止まり深く息を吸い込む。と同時に桜の甘い香りが風に乗り花をくすぐる。葵は両手を胸の前できつく握り、正門をくぐろうと一歩踏み出したその時だった。

「葵! 何やってるの。早く行くよ」

 そう言いながら葵の横を駆け抜けていくのは、幼馴染の松原一華まつばらいちかだ。一華とは家が近く、徒歩五分ほどの距離にある。幼稚園からずっと同じで家族ぐるみの付き合いがあった。

 今でこそ少なくはなったが、よくお互いの家を行き来していた。お互いの家が第二の我が家と言っても過言ではない程だ。

 葵がこの学校を受験すると知ってから、一華は担任の先生に「勿体ない」と反対されたが第一志望を変更した。

 一華は葵とは違い勉強はよく出来た。葵は思い立つと即行動するタイプに対し、一華はつり橋を叩いて渡るタイプ。二人は正反対の性格だったが、お互いの足りない部分を補い合い過ごしてきた。二人にとってお互いなくてはならない相棒のような存在だ。

「一華ちょっと待ってよ。独りじゃ迷子になりそう……」

 葵も一華の後を追い小走りに正門を過ぎると、奥には英国のお城を彷彿とさせる校舎が見える。

 豪奢な造りの校舎に目を奪われていると、人だかりができているのにふと気が付いた。その視線の先にはホワイトボードがあり、数枚の模造紙にクラス分けが書かれている。

「葵は何組だった? 私はA組だったよ。A組からC組が普通科みたいだね」

 一華は普通科、葵は服飾デザイン科を受験した為当然クラスは違った。

 葵は人混みを掻き分けてホワイトボードの前までくると、D組から順に自分の名前を探す。

「――浜口……藤井……間宮……三浦! あった! D組だ」

自分たちのクラスを確認するとすぐに人混みを抜け、エントランスを過ぎてすぐ左にある下駄箱で学校指定の上靴に履き替え、さらに奥にある生徒専用の階段で一年生の教室がある四階まで上がる。

 四階につくと角を右に曲がると直ぐにA組があった。

「じゃ、また放課後にね」

 そう言い残し一華はさっさと教室に入ってしまった。葵は一人廊下に取り残され、急に孤独感に襲われた。

 D組の教室に入ると半数以上の人が既に席についていた。

 教室の黒板には席次が書かれており、後ろから二列目の真ん中に自分の名前を見つけた。葵はそそくさと席につく。

 葵が座るタイミングを見計らったかのように小柄な女性が教室に入ってきた。

 歳は三十代半ばだろうか。少しウェーブがかった栗色の髪をうなじ辺りでゆるく束ね、ベージュのパンツスーツの胸元には桜のコサージュが品よく付けられている。

 女性は教室の端から一人ひとり確認するかのように眺めた後、満足気に微笑み口を開いた。

「今年一年、このクラスを担任します。土屋香織つちやかおりです。高校生活が始まりきっと不安に思う事があると思います。そんな時はどんな些細な問題でもいいので気軽に相談して下さい。一緒に問題を解決していきましょう」

 穏やかな声音で、優しそうな印象だった。土屋は続けて言う。

「これからすぐ入学式があるのでホールに移動してもらいます。入学式が終わったらまたこの教室に戻ってきて、一人ずつ自己紹介をしてもらうので、どんな自己紹介をするか各自考えておいてね」

 葵は少し気が重くなった。それと言うのも、人見知りをするタイプではなかったがこの自己紹介というものがどうも苦手だったからだ。

 入学式が終わり、教室に戻ってくると土屋が話し始めた。

「では、予告通り順番に自己紹介をしてもらいましょうか。名前だけだとちょっと寂しいから、趣味とか好きな物、将来の夢でもどんな事でもいいので教えて下さい。じゃ、出席番号一番の赤城君からお願いします」

 そう話し終えるか否かのタイミングで一人の男子生徒が素早く椅子から立ち上がり自己紹介を始める。

 刻一刻と自分の番が迫ってきている状況に頭がいっぱいになっていて、クラスメイトの自己紹介など耳に入ってこなかった。緊張で張り裂けそうな程心臓が早鐘を打っている。

「——さん? 三浦さんの番ですよ」

 葵が顔を上げると土屋がじっと見つめ、名前を呼んでいた。

「は、はい!」

 焦りながら立ち上がると存外勢いがつきすぎていて、後ろの人の机に葵の椅子がぶつかってしまう。大きな音がして、クラス中の視線が葵に注がれてしまい頭が真っ白になる。

「えっと……三浦葵です。O型です。誕生日は五月十二日でおうし座です。K-POPアイドルのACT《アクト》が大好きです。よ、よろしくお願いします」

 視線は終始、自分の机に落としたまま早口にそう言い終わると、すぐに椅子に座る。

 緊張で自分でも何を言っているのか分からなかったが、なんにせよ無事に自己紹介が終わった事に安堵の息を漏らす。

 休憩時間に入るとすぐに「三浦さぁん」葵を呼ぶ声が聞こえた。

「三浦さんってK-POPが好きなの? 実は私もなんだ。なんか仲良くできそうで嬉しい!」

 人懐っこい笑顔のショートカットの女子生徒が葵に話しかけてきた。日焼けした肌がよく似合う、いかにもスポーツ万能といった感じの子だ。

「うん。だいたいK-POPばかり聴いてるかも」

 葵は椅子に座ったまま二人を見上げながら答える。

「やっとK-POP仲間が出来る! 美桜ったら全然興味ないからノリ悪くって」

 そう言いながら隣に立っていた女子生徒の肩を軽く小突く。

 すらりと背の高い薄茶色の艶やかなロングヘア。目鼻立ちがはっきりしていて整った顔にオリーブブラウンの瞳。透き通るような白い肌。立っているだけで目立っていて視線を奪われる。

(すごく綺麗な子だな。モデルさんみたい。ハーフなのかな)

 葵はついつい見惚れてしまい、凝視していた。今までこんな綺麗な顔立ちの人を間近で見たことがなかった為、驚きのあまり顔中の筋肉がだらしなく休んでしまっていた。

 暫く放心していたが、やっと我に返り返事をしようと口を開きかけると後ろからまた葵を呼ぶ声がした。

「三浦さん、凛の事覚えてる? 入試の時に消しゴム貰ったの。あの時は本当に助かったよ。また会えたら絶対お礼しなきゃって思ってたんだ。入試の時も隣の席だったしクラスも一緒で、しかも誕生日まで同じだなんて運命感じちゃう! そう思わない?」

 少し興奮気味に話し掛けてきた女子生徒は、薄茶のふわりとした猫毛を内巻きにしたボブヘアで、小柄の華奢な体躯の女の子らしいという表現がぴったりな子だった。

「えっと……入試の時はもちろん覚えてるよ。かわいい子が居るなって思ってたし。それに消しゴムの事は気にしないで。困った時はお互い様だもん。でも、ごめんね。自己紹介の時はもう自分の事で頭いっぱいで他の人の聞く余裕なくて、全然聞いてなかったの」

 葵は恥ずかしさで顔が熱くなり俯く。

「葵ちゃんかわいい! 確かに自己紹介って変に緊張するよね。じゃあ、改めて……葵ちゃんと誕生日が同じの白川凛しらかわりんだよ」

 口元に手をあてながら無邪気に笑う。

「だから話し掛けても反応がちょっとぎこちなかったのね。てっきり話し掛けられたくないのかと思ったよ。あっ! 私は竹内杏たけうちあんだよ」

 最初に声を掛けてくれた女子生徒は小麦色の肌に白い歯を光らせ安心したように笑顔を作る。

「私は杏と同じ中学だった伊藤美桜いとうみおう。よろしく。因みに質問される前に答えとくね。私イギリスと日本のハーフなの」

 初対面の相手に必ずと言っていい程質問されているのだろう。慣れた様子で葵が気になっていた事を教えると、端正な顔に大人っぽい微笑みを浮かべている。

 葵はそれぞれに教えて貰った名前を頭の中で反芻する。

「私は三浦葵です」

 葵が自己紹介をすると

「うん、知ってる。葵と違って私たちはちゃんと自己紹介聞いてたからね!」

 杏がすかさず言うと三人同時に顔を見合わせ哄笑こうしょうした。

 葵はまた恥ずかしくなって赤面したが、心の中には嬉しさが込みあげていた。三人の顔を順に見つめながら、はにかんだ。

前途洋々な未来が拓けた気がして葵の顔は自然と綻んでいた。

「折角仲良くなったんだしさ、早速今日の放課後に遊びに行かない?」

 凛は葵に微笑んだ。

「それいいね! 私も行きたい」

 凛の提案に一番に反応を示したのは杏だった。

「折角誘ってくれたのに申し訳ないんだけど、今日は先約があるから、また誘って! ごめんね」

 葵は眉根を下げ、さも申し訳なさそうにする。放課後は特に約束をしている訳ではなかったが、一華のクラスがどんな様子だったかが気になり、帰りながら一華の話しが聞きたかったのだ。


「クラスの雰囲気はどう? 友達出来そう?」

 放課後、一華は葵の顔を見るなり訊ねた。葵も一華の顔を見るなり一瞬で笑顔になる。その日は入学初日なので午前中で学校が終わった。葵は一華のクラスのホームルームが終わるのを待っていたのだ。

「服飾デザイン科だからなのかな。可愛くて明るい人が多いよ。男子もお洒落に気を遣っている感じする。中学校の時の流行りに疎い男子とはやっぱり全然違うね。普通科はどんな雰囲気なの?」

 デザイン科と普通科では同じ学校内でも様子が違う。普通科に通っている生徒の卒業後の進路は大半が大学進学らしく、しっかり勉強している。

 特に一華の居るA組は特進クラスなので、尚更勉強一色でお洒落は二の次といった雰囲気らしかった。デザイン科は卒業後の進路は様々で専門学校に行く生徒のいれば、そのままどこかの事務所に就職する生徒もいる。

 特に就職するなら一年生から行動を起こさないと自分の希望する事務所に入れない。勉強だけではなくアルバイトや手伝いとして活発に動き、学生の内からコネクションを作ろうとする生徒も多くいる。

「まぁ中学の時の男子は基本ジャージとか動きやすさ重視だったから。A組はそうだな―—。この学校ってそんなに校則厳しくないはずなのにメイクしてる子も少ないし、ヘアアレンジとかもしてなくて真面目そうな人が多いかも。それより友達は? できそう?」

「そこは同じ学校でも随分と違うんだなぁ。友達はもう出来たよ! 今日三人と連絡先交換したかな。学校生活も楽しくなりそう」

 葵は満面の笑顔で答えた。

「さすが葵だね。中学の時も友達多かったもんね。私はどうも団体行動って苦手だから葵のその人懐っこい性格が羨ましいよ」

 一華は溜息を吐きながら自嘲気味に言った。

「でも私はいつも落ち着いてて、何があっても冷静に物事を見つめて判断出来る一華の性格に憧れる。ほら私、考えるより前に即行動派だから失敗が多くて。今まで何度一華に助けられたか分からない。それにさ、友達が出来なくても私には一華が居るから。私はずっと一華の側に居るからね」

「何それ」

 一華はまんざらでもない様子で葵と視線を合わせた。


 入学してから、一週間も経つとクラスメイトの顔と名前が大分一致してきた。

 ただ、あまり好き嫌いをしない葵の性格でも少し苦手だと感じる人も中にはいる。

 九条玲緒菜くじょうれおな。父親が大手アパレルメーカーの社長だとかで、それをいつも鼻にかけている。確かに持っている物はどれも高価でセンスもいい。

 髪や肌にも気を遣っているのだろう。いつも「最高な物を使わないと髪も肌もきれいにならない。着飾っていても髪質や肌質でその人の価値が分かるから、あんたたちもしっかりケアしたほうがいいよ」などと取り巻きに話している。

 誰に対しても威圧的な態度。話の中心が自分ではないと気が済まない。いかにもな女王様気質だった。

 入学してまだ一週間だったのでクラスメイトもそれなりに気を遣って相手をしているようだった。

 玲緒菜の周りにいつも居るのが如月加奈きさらぎかな伴穂乃花ばんほのかだ。加奈は一言で言ってしまえば派手。メイクも毎日何時間かけているのだろうと思う程隙のないメイクにヘアアレンジも毎日違う。一体何時に起きているのか不思議な程だ。

 穂乃花は玲緒菜と加奈に比べれば幾分か地味だが、外国人風のきつめのパーマ。制服には不似合いな真っ赤な口紅をしている。

 葵は極力この三人とはあまり関わらないようにしていた。あまりいい噂を聞かないからだ。

 事実なのかただの噂なのか真意の程は定かではないが、悪い噂が付きまとう人達とは関わりたくないのが人間の正直な感情なのではないだろうか。学生ならば尚の事だ。

 その日も葵は、杏、美桜、凛と四人で教室の片隅で話しをしていた。そこに玲緒菜たち三人が話し掛けてきた。

「三浦さんってバイトしてるって聞いたけど、本当?」

 玲緒菜が唐突に葵に訊ねた。

「うん……。本当だけど、ちゃんと学校の許可は取ってるよ」

 葵は突然、玲緒菜がそんな質問をしてきたのかが分からず訝しんで答えた。

「それって授業料の為? この学校ってそこそこ授業料高いもんね。制服も有名デザイナーにデザインして貰ってる物だから高かったし。バイトしないと学校に通えないとか可哀想。三浦さんのお家ってシングルマザーなんでしょ? だったら貧乏でも仕方ないよね。それで時給っていくら貰ってるの?」

 どこで葵の家庭の事情を聞いたのか分からないが、そんな事を言い出した。

「えっ? 私の家がシングルマザーなんて誰に聞いたのか知らないけど……」

 葵が驚いた様子で玲緒菜に説明していると、それまで我慢して聞き流していた美桜が我慢の限界だったのか口を挟んだ。

「葵の家の事情なんて九条さんには関係ないよね? そんな人の家庭に首突っ込むような発言しないほうがいいよ。葵も律儀に教える必要ないよ」

 それでも玲緒菜は口を閉じようとはしなかった。

「私の取り巻きに入れば、時給二千円あげるよ。私の言う事聞いてればいいからさ。飲み物買ってきたり、私が忘れ物したら貸してくれたり、宿題も代わりにしてくれたり。ね、簡単でしょ?」

 玲緒菜は不敵な笑みを作り葵に言った。この言葉に葵よりも杏が先に腹を立てた。

「時給一万貰ったとしても嫌だから。それよりも、あんたたち二人共時給なんて貰ってるの? お金払わないと友達の振りもして貰えないとか九条さんのほうが可哀想だと思うけどね」

 この言葉に葵や美桜、凛は笑いを堪えるのに必死だった。しかし言われた本人は顔を真っ赤にし憤怒している。

「この二人にはお金なんて払ってないわよ! 馬鹿にしないで。折角、私の取り巻きに入れてあげようと思ったのに! 私を馬鹿にした事覚えてなよ!」

 そう吐き捨てると二人の取り巻きを引き連れて教室を出て行ってしまった。

 この日を境に玲緒菜は葵たちを目の敵にし、毎日何かしら絡んでくるようになった。

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