第2話 瀬川ななみ

 しんと静まり返った真夜中のアパートの部屋で、瀬川ななみは、隼人からもらった得体の知れない手のひら大の木像を前にして、願いごとを言うべきかどうか迷っていた。

隼人が海外旅行に行ったときに買った土産は、願掛け人形で、結構効果があるらしい。なりたい姿、叶えたい夢をなんでもいいから願うというよと言っていた。

これからななみが願おうとしているのは、自分に関してのことではない。

 本当に以前の隼人の方がよかったのだろうか?

 容姿や頭脳に恵まれて、誰もが注目せずにはいられなかった男。最初はそうでもなかったのに、周囲からちやほやされて一番でなければ我慢ができなくなったのか、彼に傅かない者には悪魔的な誘惑を施し、その気になった途端にさらりと捨てる。あんな薄情な男に戻ってほしいのかと自分に問いかける。

途端に残酷な過去を思い出しそうになり、ななみは現実に留まるためにギュッと唇を噛んだ。

  高校時代の隼人は、口から生まれたのではないかとななみが疑うほど、淀みなく会話を続ける男だったが、七年の時を経て突然ななみの前に現れた隼人は、ななみの会話に耳を傾け、真剣な眼差しを注ぐ男に変貌していた。

 今夜レストランで食事をしたときも、ななみは話題が途切れないように一生懸命話したが、趣味は読書で職業が小説家であるななみが話せることは限られている。今書いている小説の内容ならあれもこれも話して、意見を求めたいところだが、あの隼人相手に気を許して語れば、発表前にとんでもない事態に陥りそうで怖い。それとも、今の隼人なら信用してもいいのだろうか?

途中からほぼ会話が途切れてしまった上に、揺れる気持ちが焦りを生む。周囲のテーブルの会話が耳につき、メインディッシュに集中するフリで黙々と食べ続けたが、募る緊張感が食事の味を分からなくした。

 レストラン内に静かでも音楽がかかっていなかったら、どきどきと脈打つななみの心臓の音が聞こえてしまったかもしれない。

じっと見つめる隼人の黒い瞳に吸い込まれそうになって、ななみは熱くなりそうな頬を冷ますために、何度も水の入ったグラスに手を伸ばすはめになった。

 今夜の出来事を思い出しながら、ななみは脈拍が速くなったのは、寡黙な隼人を苦手に感じて、あの場をなんとか取り繕おうとしたからだ、と誰に言い分けるでもなく自分に言い聞かせる。

決して視線の熱さに焼かれて、ドキドキしたわけじゃない。

きっと隼人は、また連れないそぶりの私に興味を持っただけで、魅力を総動員して私を虜にした途端、あの頃のようにポイっと捨てるのだ。

過去の傷が開いたように心が痛み、息が詰まった。

そう、この痛みを忘れなければ、過去と同じ辛酸を舐めたりはしないだろう。そのためには、やはり隼人を過去の隼人に戻す必要がある。いい人ぶっている隼人に惑わされないように。

たとえこの木像がまがい物だとしても、今は混乱した気持ちを静めるために願いをかけてみよう。

ななみは木像の額に埋め込まれた緑色の石を撫でながら、言葉をつづる。

「どうか隼人が、昔のように明るく華やかで……」

その陰に隠された残虐な性格を思うと憎しみが湧く。支配欲が強く、人でなしで、薄情でと口に出しそうになるのをぐっと堪える。

わざわざそんな嫌な部分を言ったことによって、その部分がパワーアップされても困るから。一瞬間が空いたが、ななみは続けた。

「豊富な話題と快活なおしゃべりで他人を魅了する元の性格に戻りますように」

 願い終わって石から手を離すと、緑色だった石が暗い室内で赤く不気味に瞬いた。まるでそれは、警告を発しているようで、ななみに恐れを抱かせた。


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