回想1:都市伝説の評価
地図にも航空写真にもない秘密の路線。
“とんち”だというなら、答えは地下鉄だ。地上には存在しないから地図にも航空写真にも写らない。
加えて言えば、この街の地下鉄は30年以上前に全て廃止されている。今も残っている路線は全て立入禁止区域であり、崩落の危険から人々を守るために警戒線が張られている。要するに内部はブラックボックスだ。
怪談が語られるには都合が良い。その意味でも、回答として筋が良いと思う。解説がしやすいし、笑いや知識の深みはなくても考えた感じがする。
もっとも残念なことに、これは“とんち”ではないし、答えも地下鉄ではない。
新年会の場である同僚が語った都市伝説の話だ。
同僚といってもこの時まで私は彼と話したことがなかった。部署は同じ。社屋でも同じフロアで業務をしているはずだし、社員名簿でも名前をみたことはある。
だが、違うチームで働いているせいか接点はない。新年会で相席になるまでひとり俯きがちにフロアを歩く姿以外、記憶にない男だった。
数時間にわたり相席になる手前、何も交流をしないわけにもいかない。テーブルに並べられた食事を皿に盛りながら、意を決して話してみると、私などとは比較にならない多弁で明るい男だった。外見ほどあてにならないものはないと実感させられたが、何よりも印象的だったのは、彼が熱心な都市伝説の蒐集家であったことだ。
奇遇なことに、同席した壮年の役員も都市伝説に興味があった。各テーブルでは去年と業績やら今年のビジネスについての議論、あるいは社員同士の近況報告が交わされているだろうに、私たちの席だけは都市伝説の品評会へと議題が変化した。
私は彼らの語る風変わりな噂には興味がなかった。だが、他の席を巡り、他の同僚や関係者たちと上辺を撫でる会話を重ねるのも面倒だ。そう判断した結果、気づけば二人と私だけがそのテーブルに取り残された。他の皆は同僚たちの異様な気配を察知して同期や仕事の先輩を求め会場に散っていったのだ。
同僚が、地図にない路線の話を始めたきっかけは、役員のこぼした一言だ。
「最近は私たちが学生だった頃の怪談はなくなった。何だって、検索すれば本当かわかるんだからつまらないものだ」
正確には知らないが、役員は私より干支一回りほど年齢が上だ。
それでも私は役員の意見に同意した。通信技術や検索ツールが日夜進化していくということは、情報の伝達速度と伝播する範囲が広がっていくことを意味する。急激に流れていく情報の波は、私たちから“知らない”を奪い、想像の隙間を削っていく。そして、怪談話が潜むための空白は消えていく。レトロな発想とは思うが、わかりやすいし趣がある。
他方で、同僚は、役員の意見とは真逆に今でも都市伝説は数多く生まれているし、その魅力が絶えることはないと語った。
「そうはいっても、なかなか新しい型は見つからないじゃないか。私の探し方が悪いのかな」
役員の語り口はいかにプライベートな話題とはいえ少々大人げない。せっかくの交流に水を差す物言いに苦言を呈そうと顔を上げたところで同僚の目に宿った炎を見た。
「そんなことはないですよ。例えば社屋の近くの駅にだって新たな怪談はあります」
「ほぅ。私は聴いたことがないが、それはどんなのだい? 終電後に走る電車、あるいは廃路になった地下鉄の話か」
「いいえ。もっと単純な噂です。“あの駅には地図にはない路線がある”」
「それは、地下鉄だろう」
「地下鉄はなくなったって●●さんも言ったじゃあないですか」
同僚の語気の強い発言に、私は役員は初めて顔を見合わせた。二人の間に座り、熱弁を披露しようとしているこの男は、三人とも日々利用する駅構内に誰も知らない路線があると話し始めたのだ。
「君ねぇ、さすがにその話こそ、現代では無理がある。電車が走るためには線路が必要だ。線路は始点と終点、必ずどこかで繋がっている。昔のように航空写真が簡単に見られなかった頃と違って、今は携帯で簡単に見られる。この駅に繋がる路線がどこに向かっているか、誰でも追いかけられる」
役員の指摘は、つまるところ、誰もがいつでも確認できる以上、存在しない路線は存在することができないというものだ。
文字に起こすと詭弁じみているが、現実的な考え方だと思う。だが、その考え方が通るなら、同僚の怪談が潜める隙がある。
「駅には秘密の車両搬入口がある。廃棄された地下鉄が各路線をつなぐ脇線になっているため、突然線路内にあるはずのない車両が現れる。駅と電車にまつわる都市伝説はいくつもあるが、君の話とこれらの例は大きく性質が異なっている。
もう一度言わせてもらうが、地上を走る以上、駅の構内図や路線図で隠しとおせても、線路を辿れば全てのホームと行き先を見つけられる」
そう。線路を辿れば。だが、私は毎朝使っている駅に何本の線路があって、いくつのホームから何種類の電車が出発しているかを知らない。路線が何本あって、それぞれがどのように運行しているのかも知らない。熱弁を振るう役員はそれらを知っているだろうか。
「僕はね、きさらぎ駅なんかも面白くないと思っているんだ。だってそうだろう? きさらぎ駅なんてものは必ずどこかに繋がっているんだ」
口火を切った同僚自身が黙って役員の弁論に耳を傾けたのも気味が悪い。罠を仕掛けた森の奥へ誘い込まれている、そんな想像が拭えない。
同僚は、ひとしきり役員が持論を語り尽くしたところで静かに声をあげる。
「きさらぎ駅はどこかのタイミングで異界と現実が繋がってしまったという都市伝説です。インターネット掲示板でのやり取りとしてみれば面白い話ですが、巻き込まれた当人の視点で再構築すると●●さんの言う欠点が見えてきてしまう。この話は、当人が電車に乗っているのか確認できない、きさらぎ駅が確認できないからこそ怖い」
確認できない。その言葉には幅と含みがある。技術が進んでも私たちに隙がなくなったわけではない。同僚の言葉に足下が揺らぎ不安が膨れ上がった。
「二人とも、この辺にしておきませんか」
そういって私は議論を止めた。新年会もまもなく終わるから次の機会にしようとまくし立てる。
同僚も役員も私を訝しげに見つめたが、私自身、どうして議論を切り上げたかったのか説明ができなかった。膨れた不安の正体がなんであったのかはわからない。ただ、それ以上は踏み込んではいけない。
その確信だけがあった。
――――――
結局、新年会での都市伝説談義は、私の中断宣言ではなく新年会自体の終了の挨拶に阻まれて終わりを迎えた。
日々の業務に揉まれるうちに、その日の記憶は薄れていく。私が新年会を思い出したのは3月も半ばを過ぎてからだった。
チームの仕事が一段落したその日、作業の終了報告が遅れ、私は夜のオフィスに独り残っていた。
報告書の体裁が整い、帰宅準備を始めようと思ったときには既に終電間近だった。最悪タクシーか、あるいは近くのネットカフェやホテルに泊まろうか。
そんなことを考えながら荷物をまとめていると、無人のオフィスにあのときの同僚が現れた。
今朝方みかけた予定表では、チームまるごと出張になっていて、今日のうちに戻ってこられる距離ではなかった。何より、仮に帰ってきていたとして、オフィスに顔を出すような時間ではない。
同僚は俯きがちな男だったが日頃は身だしなみを整えていた。それがネクタイを緩め、少しだけよれたジャケットを右腕に掛けている。左手に抱えたビジネスバッグは何処かで落としたのか何かの枝や葉がついている。
全体的にくたびれている。観るからに疲労困憊といった様子で、自席の前に棒立ちになっていた。
異常な状態の同僚に声をかけるべきか。私は荷物を抱えたまま少し考えを巡らせた。どう見ても助けがあったほうがよい。一緒にオフィスを出て、タクシーに乗せて家に帰らせる。それくらいはしても罰が当たらない。けれども、声をかけると異常に踏み込んでしまう。そんな気味の悪い予感もある。
たちが悪いことに、日中、私たちのチームが使っている扉は夜間警備のために施錠されていた。オフィスから出るには同僚の席の真後ろを通り、夜間出口に向かうしかない。
意を決して彼の後ろを早足で抜ける。声をかけるどころか、彼に視線を向けることすらしなかった。しかし、フロアタイルの軋む音が同僚に私の存在を気づかせた。
「〇〇さんじゃないですか!」
声をかけられ足を止めて振り返る。同僚は、自席の前に立ったまま私に笑顔を向けていた。バッグをデスクに置いて左脚を引きずるように私へと近づいてくる。10歩。彼と私の間の距離が縮まるのをみて悪寒が走った。
「今日は出張の予定だったと思うのだが」
掌を彼に向けて制止を訴え、問いかける。ボディランゲージが通じるものか怪しかったが、同僚は立ち止まり私の問に答えた。
「ええ。そうですよ。出張です」
なら、どうしてここにいるのか。どうしてそんなにぼろぼろなのか。見た目に反して明るい同僚の声に、喉元まで出た質問を呑み込む。
「〇〇さんに会いたかったんです」
「それで、こんな時間に?」
「はい。まあ、かなり無理をしたんですが」
無理をして帰ってきたところでオフィスに私がいるとは限らない。終電間近まで勤務したのは偶然だ。
「私に会いたい理由を聞いてもいいかな」
「勿論。新年会でのこと覚えていますか?」
同僚が言うなら、答えは1つしかない。
「僕、あの後ずっと気になっていたんです。どうしてあそこで僕たちの話を止めたのか」
「それは、時間が迫ってきているのに白熱しているのもどうかなと思ったから」
「本当にそれだけですか」
同僚は白い歯を見せて笑顔を見せる。笑う意味がわからない。
「僕、気づいちゃったんです。〇〇さんは僕の話の中身を
それは違う。同僚の話も役員の話も知らなかった。ただ、同僚があの場で主張したかったことが予想できただけだ。
「僕は責めたいわけじゃない。ただ、
彼はそう言って、ボロボロのビジネスバッグからタブレットを取り出した。タブレットの画面も三分の一がひび割れてノイズのような光を発している。
「あの日の僕はこの噂を話せる立場になかった。僕自身確かめたことがなかったから。
あの日、〇〇さんが止めてくれたから、僕はまず確かめてみることができたんです。存在しない路線が本当にあるのか」
それは悪手だ。存在しない地上の路線。その都市伝説が現代でも成立するには、航空写真でも路線を把握しきれないことが条件になる。
最寄り駅のように路線が多く線路全体の幅が広い場合、一見すると到達不可能なこの条件をクリアする方法がある。
線路は認識できなければならないのだ。砂利を敷き詰められた解像度の低い写真を拡大し、線路が見える縮尺まで広げたとき、その画面には駅に流入する全ての路線を収めきれないのではないか?
だから、航空写真が簡単に見られるようになったとしても、案内図にない路線が存在しないとまで断言ができない。これが、役員の自説への反論になるはずだ。
他方で、同僚のやったように念入りに写真を確かめれば、映っている路線は全て把握できてしまう。
彼の検証の先に存在しない路線が存在できる隙はない。
「新年会からずっと、あの駅の線路を一つ一つ確認していったんです。でも、どれもが他の駅に繋がっていたし繋がっている駅には路線が存在していました」
当然だ。そこまで試してしまえば謎は消える。だが、同僚の笑顔は崩れない。
「だから、僕は考え方を変えたんです」
同僚は壊れかけのタブレットを叩き地図を引っ込める。代わりに現れたのは駅の線路を撮影した写真だ。
「地図にない路線は基になる航空写真にも写らない。でも、そこにあるなら肉眼でなら確かめられる」
つまり、彼は歩いたのだ。数ヶ月間、仕事あるいはプライベートの合間を縫って。
「それで、見つかったのかい」
同僚は大きく目を見開き、口角を更に上げる。整っていると思っていた同僚の顔が崩れていく。
「あったんですよ。そして、僕たちにかなわない願いもそこなら叶う」
ひび割れ、耳の奥をひっかくような金切り声。それなのに同僚の言葉は一言一句、逃さずに耳に届いた。身体がふらついて思わずしゃがみ込んでしまう。
すると急に視界が眩しくなる。光を避けるように何度か首を振っているうちに、私は自分の顔が懐中電灯に照らされていることに気がついた。
「おや珍しい。このフロアの人は早めにあがると思っていた」
私を照らしていたのは制服姿の警備員だ。彼は鍔に手をかけて紺の制帽を整える。
「あの、今は」
「深夜の1時。もう他のフロアはみんな帰ってますよ。でも今からかえるにも終電は終わっているか……宿直室に泊まりますか?」
仕事を終えたのは23時前だったはずだが、携帯も腕時計も警備員が嘘を言っていない。
「私以外にもう一人、社員が残っていませんでしたか?」
「いいえ。誰もいませんよ。気になるなら宿直室で入館ゲートの履歴を確認しましょうか。このフロアもう一部屋あるので、ちょっとみてきますね。5分後には戻るので帰り支度なさっててください」
警備員がフロアの明かりをつけて部屋を出ていく。
翌日以降、同僚は会社から姿を消した。
私に残ったのは存在しない路線を見つけたと主張する彼の崩れた笑顔の記憶だけだ。
忘れられた同僚の行方 若草八雲 @yakumo_p
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