忘れられた同僚の行方
若草八雲
遭遇
「君は何のためにここまでキタノ?」
その怪人の問に、私は即答できなかった。
ぼやけた記憶を信じるならば、私は自発的に“ここ”を訪れたわけではない。おそらく、どこかから何かの理由で迷い込んで“ここ”にきた。故に怪人の問に対する答えを持ち得ない。それが現状に照らした適切な認識だ。そもそも“ここ”がどこなのか。私はそれすら知らないのだから。
もっとも、怪人――少なくても私の知るかぎりにおいて人の枠を外れているそれを前にして、迷わず自分の認識を口にするべきではないと感じた。私のなかにはまだ冷静さが残っている。
視界の端で動いている二本の腕は光沢があり、関節には球体が嵌まっている。まるでクロッキー人形だ。異様に長い腕はそれの肩越しから背中へと伸びている。胴体と腕がどのように繋がっているのか? それは外套に隠れているためよくわからない。
わかるのは怪人と私が同じ体型ではないこと、腕の数が四本であること。なぜわかるのか? それは私の目の前には胸元で両の掌をすりあわせている怪人の腕があるからだ。
人ではないが人語を操る何か。それは、私が立っている袋小路の出口を塞ぐようにそびえている。怪人への回答を失することは命に関わりかねない。
観察しろ。全ては適切な観察から始まる。不意に思いだした言葉は誰からかけられたものだろうか? 仕事の同僚、上司、客先。思いだそうとしても頭に靄がかかっている。
だが、その言葉は不思議と信じるにたりるような気がした。
観察に基づく仮定。怪人が口にした初めの言葉が、先程の質問ならおそらくその趣旨はこうだ。
①“ここ”は目的もなく迷い込める場所ではない。
②怪人は目的なく迷い込む者を許さない。
直感、自棄。
誰かが私の心境を解説したならそう評したかもしれない。観察の結果、今の私にはあるべき答えを模索できるほど手札がなかった。追加の質問すらせずに早々に答えた私の態度は、客観的には自棄っぱちそのものだ。
曖昧でぼやけた記憶から突然でてきた同僚の言葉。私はそれが私を救うと確信し、そのまま同僚の言葉を借りた。
「外では叶えられない願いもここなら叶うと聞いた」
口にすると、同僚のことを思い出せるような気がした。同僚が語る“そこ”に関する言葉は全てネット発のものだった。つまり、オリジナルはどこかの誰かであり、同僚もまた言葉を借りていたに過ぎない。
他人の言葉で飾られた目的でも、怪人は許容してくれるだろうか。そもそも、“ここ”は“そこ”なのか?
「確かにそういうハナシをきくことはあルネ」
電子音交じりの声は、私の発言を肯定し、怪人は背を向ける。ついてこいと言うわけでも、目的地を告げるわけでもなく、出口へと進んでいく。
助かった。こみ上げた安心感は別の不安を釣り上げた。怪人の奇怪な腕に絡め取られて終わる未来は回避されたかも知れない。
だが、私には“ここ”を知る術がない。そもそも、自分が眼前の異形に遭遇せずに、袋小路の最奥にたどり着いたかすらわからないのだ。表通りに向かったとて、無事でいられる保証はどこにもない。
手がかりが欲しい。
私は四本腕の怪人から5歩遅れて、怪人の後を追った。怪人は袋小路を出るまでに1度だけ振り返って私をみた。
私は怪人が止まった瞬間から歩みを止めて決して動かない。すると怪人は再び前を向き袋小路の先へと進んでいく。
5歩。とにかく5歩だ。
怪人のクロッキー人形のような腕が届ききらないギリギリの距離。それを保ちながら四本腕についていく。怪人こそが“ここ”の情報を集めるための最大の手がかりなのだ。逃がすわけにはいかない。
そして、逃げ出すわけにもいかない。今はまだ。
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