すんじ



僕は一人暮らしをしている。アパートの部屋は狭く、家具も最小限しかない。

ある時、リビングの隅に小さな箱が置かれているのに気が付いた。

箱は古びていて、蓋には奇妙な模様が刻まれている。誰がこんなものを置いていったのだろうか。


最初は気持ち悪かったので捨てた。しかし、その箱は捨てても、次の日には必ず元の場所に戻っているのだ。ゴミ箱に捨てても、燃やそうとしても、潰そうとしても、何をしても箱は無傷のまま現れる。中を覗いてみると、何も入っていない。ただの空っぽの箱だ。


ある日、ふと試しにリンゴを入れてみた。次日の朝、箱を開けるとリンゴは消えていた。水を入れても、紙を入れても、何を入れても次の日には消えている。箱は水も漏らさず、匂いも漏れない。まるで異次元に通じているかのようだった。


箱の存在に興味を持った僕は、様々な実験を始めた。まず、箱の材質を調べようとしたが、どんな工具を使っても傷一つつかなかった。次に、箱の重さを測ろうとしたが、中に何を入れても重さは変わらない。箱自体の重さも、何かが入っている時も空の時も同じだった。


ある夜、僕は箱の前に小さなカメラを置いてみた。一晩中箱の様子を記録できるはずだった。しかし、次の朝カメラの映像を見ると、記録は一切残っていなかった。カメラのバッテリーも消耗しておらず、まるで最初から録画がされていない様だった。


そんなある日、彼女が家にきた時リビングの隅に置かれた箱に気が付いた。彼女の表情が一瞬で硬くなった。


「これ…何なの?」


「ああ、それはちょっと変わった箱なんだ。何を入れても次の日に消えるんだ」


僕が説明すると、彼女はまるで毒蛇を見るような目で後ずさりした。彼女の指先が震えているのに気が付いた。


「捨ててよ」


「え?」


「今すぐ捨てて。気味が悪いっ!」


彼女の声には普段の明るさはなく、喉を締めつけるような焦燥感がにじんでいた。箱の蓋に刻まれた模様を凝視し、唇をかみしめている。


「でもどうやっても捨てられないんだ。燃やしても潰しても戻ってくる」


「なら…外に埋めるとか!」


彼女が突然叫んだ。彼女の額に脂汗が浮かび、リビングの温度が急に下がったような錯覚を覚えた。箱の表面が微かに脈打つように光り、美咲の影が壁に歪んで伸びた。


「おかしいよ、これ…何か生きてるみたい」


彼女は震える手で僕の腕を掴んだ。その爪が皮膚に食い込み、痛みを感じた。


「約束して。私が来る時はこの箱を隠して。嫌だ…見るだけで吐き気がする」


「わかったよ、落ち着いて」


美咲は最後に箱を睨みつけ、コートを引っ掴むと急いで部屋を出ていった。ドアが閉じる音と共に、箱の奥底で鈍い「ドクン」という音が響いた気がした。



そんな事があっても彼女との関係は順調に進んでいたが、ある日、些細なことから大喧嘩になってしまった。彼女は僕のことを信じてくれないと言い、僕は彼女の態度に腹を立てた。言葉は次第にエスカレートし、ついに手が出てしまった。


「出て行け!」


僕は怒りに任せて彼女を突き飛ばした。彼女はバランスを崩し、後頭部をテーブルの角にぶつけた。彼女の体は床に倒れ、動かなくなった。


僕は彼女の体を揺さぶったが、反応はない。彼女の目は虚ろで、呼吸も止まっていた。僕はパニックに陥った。どうしよう、どうしよう…。


その時、ふと箱が目に入った。


「これで…証拠を隠せるかもしれない」


僕は必死で彼女の体を運び、箱の前に置いた。しかし、箱は小さく、彼女の体をそのまま入れることはできない。僕は冷静さを失い、キッチンから包丁を持ってきた。


「ごめん…ごめんよ」


僕は彼女の体をバラバラにし、箱の中に入れていった。血がシートに広がり、手は真っ赤に染まった。しかし、箱は一滴の血も漏らさず、全てを飲み込んでいった。


全てを箱に入れ、蓋を閉じた、次の瞬間、箱の中から何かが引きずり込まれるような音がする気がした。だが、恐ろしくて蓋を開ける気にはならなかった。


「朝になれば消えているはずだ」


そう言い聞かせて僕は目を背けた。

その夜、僕は悪夢にうなされた。箱の中から彼女の声が聞こえてくる。


「痛い…暗い出して…」


僕はふと目を覚ました。

箱に目をやると、蓋が微かに開き、中から彼女の手が伸びてきた。


「やめて!やめてくれ!」


僕は必死で箱を閉じようとしたが、彼女の力は強く、蓋は開いたままだった。彼女の腕が半分ほど箱から出た時、僕は思わず箱を蹴飛ばした。箱は転がり、彼女の腕は再び中に引きずり込まれた。蓋が閉じると、箱は静かになった。


次の日の朝、恐る恐る箱の中身を確認してみたが箱の中身は消えていた。まるで最初から存在しなかったかのように。

僕は安堵した。これで証拠は残らないと。


数日後、僕はアパートを引き払い、箱を捨てて新しい街に引っ越した。箱のことは忘れようとしたが、毎夜僕は同じ夢を見た。箱を持った見知らぬ人が、どこか遠くで僕と同じように箱を使っている夢を。


ある夜、僕はふと目を覚ますと、リビングの隅に箱が置かれているのに気が付いた。

視界に飛び込んだ箱に、胃の裏側が熱くなるのを感じた。指先が震え、頬が痙攣する。


「また……またかよ」


喉から絞り出す声が乾いた笑いに変わった。河川敷に埋めたはずだ。土の匂いが爪の間にまだ染みついているというのに。箱の表面には新しい傷もなく、あの忌まわしい模様が不気味に輝いている。


「何でここに…! もう関係ないだろうが!」


拳で箱を殴りつける。鈍い音と共に指の骨が軋むが、箱は微動だにしない。


蓋を開けると冷たい鉄錆の匂いが立ち上る。埋めた時にこびりついたはずの泥も消えている。箱の底で何かが蠢く気配を感じ、思わず唾を飲み込む。


「消えろ。俺の人生から消えろってんだ」


窓を開け放ち、箱を路上に投げ捨てた。でもわかっていた。明日の朝また、この部屋で箱が俺を嘲笑うことを。


次の日の朝起きて部屋を見るといつも通り箱は置かれていた。

「くそっ!」

「もう好きにしろ!」

そうして再び箱との生活が始まった。


何日かした夜、寝ていると違和感があって目が覚めた。

箱が近くにあり箱の中からは彼女の手が伸僕の腕を掴んでいた。


「出して……」


僕は恐怖に震えながら、箱をどかそうと思ったがあまりの恐怖で動けなくなっていた。

その瞬間、箱が大きく震え、僕の体を引きずり込もうとした。


「やめて!やめてくれ!」


しかし、箱の力は強く、僕の体は箱の中に引きずり込まれていった。最後に目にしたのは、彼女の笑顔だった。


次の日の朝、僕の部屋には誰もいなくなった。箱も消えていた。そして、どこか遠くで、新たな持ち主が箱を手に取り、蓋を開けようとしていた。


箱はまた新たな悲劇を生み出すのだろう。それは終わりのない物語だった。

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すんじ @syunjapan

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