第二章 アキシニス王国
「こっちよー、ディオンー」
「ま、待って下さいよー、王女様ぁ」
【アハハハ・・ハハハハハ・・・】
弾ける笑いと透通る声が、広大な庭園にコダマしている。
迷路状に刈り込まれた植栽の間を、ルナと幼馴染みのディオンが走り回っている。
「まあ、ルナったら・・・」
王妃のマチルダは二人を見ながら微笑みを浮かべ、王が座るベンチの後に立っていた。
きらびやかなドレスに包まれた姿は眩しい程の美貌をたたえ、とても年頃の子供を持つようには見えない。
薄いグリーンの髪は春風に靡き、細い肩先にフワリと被さっている。
髪の色と幾分濃い眉が、かろうじてルナと区別をさせる程似た二人の容姿は、国民全ての憧れの的であった。
どんな辛い時も二人の美しい姿を見た者は、身体の隅々まで爽やかな喜びに包まれると噂されていた。
樹海の奥に古くから伝わるジューム国末裔であるマチルダを妃に迎えてから、アキシニス王国は益々栄えるようになった。
夫であるキルク王は勇敢で聡明な領主で国民からも慕われていたが、さすがにマチルダ王妃の人気には敵わなかった。
しかし逆にその事が嬉しく思える程に、王は妻を心から愛していた。
今も振り返った眼差しは、眩しそうにマチルダの金色の瞳に向けられている。
ただ、三年前に起こった飢饉の苦労からか逞しかった王の健康は急速に衰え、髪も白髪が混じり頬もこけていった。
マチルダが時折心配そうに肩に乗せるしなやかな指を、慈しむように手に取りながらも儚い微笑みをみせるのであった。
「アナタ・・・少し、お休みになられますか?」
「イヤ、今日は気分が良いんだ・・このまま春の光を浴びていたい」
王妃は夫の手を優しく握り返して言った。
「本当に・・良い天気ですわ・・過ぎ越しの祭りに相応しい日ですね」
二人の目の前に広がる庭園越しに、アキシニス王国の豊かな国土が見える。
三年前の大飢饉が嘘であったかのように、美しい田園風景を映し出している。
愛を確かめるように手を握り合ったままの二人の目に、ルナの弾ける笑顔が近づいてきた。
「お父様ー、お母様ー・・・」
父の膝に倒れ込むと、ルナは荒い息を弾ませている。
「ハハハハ・・フフフフ・・・」
父の空いている手を、頬に当てている。
王は二人の愛する天使達の温もりに包まれて、幸福を噛締めていた。
ひばりの声が、のどかに聞こえてくる。
やがてディオンが息を切らせて庭園から駆け上がってくると、恨めしそうな声を出した。
「ハアッハアッ・・・ま、全く・・もう・・待ってくれないんだから」
その声に振り返ったルナは、父の膝にもたれながらイタズラな目をして言った。
「だってディオンたら何回やっても迷路を覚えないんですもの。
フフフッ・・・」
娘の笑い声につられ、王と王妃もクスクス笑っている。
マチルダ王妃の唇から零れる白い歯が、ディオンの顔を真っ赤に染めてしまう。
ディオンは何時もマチルダ王妃の前に来ると、ドギマギしてしまう。
ルナとは違う大人の雰囲気に、妖しい魅力を感じてしまうのだ。
特に盛上がる豊満なバストに、心が吸い込まれそうになってしまう。
「そ、そんな事・・王妃様の前で言わなくっても・・・」
俯くディオンに、更にからかうようにルナは無邪気に声を投げる。
「あら、ディオンったら顔が真赤よっ。
そうよね、ディオンはお母様大好きだものねー。
アハハハハ・・・」
図星をつかれたディオンは開き直ったのか大きな声を出した。
「ああ・・・そうさ。
だってルナ王女様みたいにお転婆じゃないし、上品だもんねー」
そして長い舌を出すと再び庭園の方に駆け下りていった。
ディオンの言葉にルナも顔を赤くしたが、それを両親に悟られぬよう直ぐに後を追って走っていった。
「ま、待ってー・・ディオンー・・・」
遠ざかる二人の嬌声を聞きながら王と王妃は幸せそうに見つめていた。
ルナが振り返り手を振った時、マチルダ王妃が声を出した。
「ルナー・・今日はミサがありますから余り遅くまでいてはダメですよー」
「ハーイ・・お母様ー・・・」
その返事と共に少女は迷路の刈り込みの中に消えていった。
マチルダ王妃は庭園の端に建つ教会に視線を移すと、そこから近づいてくる司教を見つけた。
王と王妃が会釈をすると、司教はその場で膝まずいて頭を垂れた。
頭に僅かに残る白髪と深い皺に覆われた顔に柔和な笑みをたたえた司教が立ち上がると、二人は心の底から尊敬の眼差しを送った。
マチルダ王妃の瞳が金色に光っている。
今夜は満月、過ぎ越しの祭りの日である。
三年前の飢饉を乗り切ってから続く王国の行事で、この日は国中で神に感謝を捧げるのである。
アキシニス王国を襲った大飢饉は国中の作物を枯らし、人々を絶望のどん底に突き落とした。
何ヶ月も日照りが続いた時、今の教会の司教であるアズートがこの国を訪れた。
アズートが火を焚き神に祈ると雨が降り出した。
そして持ってきた穀物の種をまくと僅か一日で青い芽がふき草が生えたのだ。
次々に増殖する草で人々は飢えをしのぎ再び穀物を実らせる事に成功した。
王はアズートを国の教会に迎えて感謝の念を表した。
以来、アズートは国の宗教を司る大司教として王の次に権限を与えられていた。
特に過ぎ越しの祭りでは国中が三年前の事を思い出して、王と共に神と司教に感謝の念を捧げるのだった。
「ご機嫌、うるわしゅう・・・」
司教の言葉に、王と王妃は深く頭を下げた。
「お身体の具合はどうですか、陛下?」
「ええ、随分いいようです・・・。
これも司教様に頂いた薬のおかげです・・・」
「いえいえ、それは陛下の信心の賜物です。
神はいつも見守って下さるのですから・・・」
司教の言葉に再び王が頭を下げると司教は優しくしわがれた手の平を王の額に乗せた。
春の日差しが三人の影を庭に落としている。
ルナ達の歓声とひばりの声が、平和を象徴するように聞こえていた。
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