第32話 目前のさよなら

 今回の審議会は一度保留とされることになった。

 ……保留といっても、それは底知れない企みを持ったイセルト国が

 見え透いた思惑を無かったことにしたいがための、苦肉の策のようだった。

 今後この件で、審議会が開かれることは恐らくないはずだ。


 ファライスタ王の反応を見ても

 周囲の企みに、骨の髄まで毒されていることもなさそうで

 こちらにとって、この審議会は手応えのあるものとなった。

 

 何にせよ、司令官の的確な策略とイレーナの答弁が

 ファライスタ王には響いたようで、心を撫で下ろす……。


 ノゼアール国王の身柄も解放されて

 数日後には国へと帰還できることにもなっていた。


 司令官の話では、ノゼアール城の復興に関して

 既にガストレア国も動いているようだった。

 

 ただ……

 手放しで喜ぶには、決定的なことが欠けていた……。



 ……イレーナがノゼアール国に戻れる予定の目処が立たず

 解放された父親との感動の再会も、直接の距離では果たせずにいた。


 公の場でガストレア国を背負ったイレーナの行く末は

 ガストレア国に一任されることとなった……。

 


 王家の血……。

 ただそこに生まれたというだけで、人はこんなにも自由を失う。

 不条理な状況にも、イレーナは愚痴ひとつこぼすことはない。

 その事に納得できずにいたのは、この場で私だけだった……。

 

  

 明日の朝、ガストレア国からの迎えが来る……。

 ずっと先送りとなっていた、私とイレーナのお別れも

 明日には必ずやって来る……。

 

 イレーナがどこにいても幸せを感じていてほしい。

 ……そう願う。

 弱音を吐かず振る舞った彼女に、任務を終える私が唯一出来る事だった……。



 時間は待ってくれない……。

 すぐにも夜が更け、準備された一室から抜け出したイレーナが

 私の自室へとこっそり訪ねて来た……。

 

 ……私達はその夜、一人で眠るのがやっとの簡易的なベットに

 身を寄せ合って眠ることにした。



「……ごめんね、狭くなっちゃった……」


 向き合って横になった私達の間には、ほとんど隙間が無い。

 小声で謝るイレーナの頬は、ほんのり赤く染まったように見える。


 口元だけは微笑みを絶やさず、イレーナはそのまま眼を閉じた……。


 ……きっといつもなら、私はイレーナの足元に蹲って

 眼を瞑るだけの仮眠を取っていたはずだ。


 だけど今は、なんだろう……。

 溢れてくる衝動に、私は素直に従うことにした。



 イレーナの額に自分の額を当てる——……。

 

 ……失ったはずの記憶のどこかに閉まった感覚を

 心と身体が覚えていたみたいだ……。


 側に居るのに、まだ足りない。

 そんな時は、額を当て合い想いを送る……。


 何処で身につけた習慣なのか、遡る記憶も無いけれど……

 感覚だけは確かにあって、理解ができていた。


 私もそうされた記憶があるような……。

 過ごしてきた時間は、案外どこかにしっかりと刻まれていた。



 額を当てられて、イレーナの瞳がゆるやかに開かれていく……。


 ただ目が合うだけで、私達の間に言葉はない。

 また、時が止まって私達だけが取り残されたような

 そんな感覚に、私は飲み込まれそうになる。

 


 イレーナの目線は流れるように伏されていく……

 その瞬間……私達の間にあった隙間は失われて

 近づいてきたイレーナに、私の視界は奪われていった——……。



 ……ほんの一瞬、私の唇にあたったような感触が

 私の内臓を掻き混ぜていく…………。


 触れたか、かすめたか。それすらも分からない出来事を

 私はただぼんやりと、頭の中で繰り返す。

 首から頭まで、生ぬるいお湯で茹でられたみたいだった。


 これが何を意味していたのかなんて、たいして重要じゃない。

 だから……イレーナに何か問う事も必要ない。


 ……きっと、私が感じたことが答えなのだから。

 

 イレーナは穏やかな表情を浮かべ、私の胸に顔を埋めていった。

 暫くすると、世界でいちばん心地の良い寝息が聞こえ

 私の瞼も誘われるように閉じられていった……。

 

 

 ……身体に力が上手く入らない。

 脳みそが今にも溶けてしまいそうになっている。

 

 

 ベッドの狭さでイレーナが落ちてしまわないように

 私は両手でしっかりと包み込んだ。



 いや……、ただもっと近づきたいだけの衝動だったのかもしれない。

 

 

 


 

 

 

 


 



 


 

 

 


 


 

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