第35話 王子と導き


風の勢いで部屋に戻ったフォトナは、なみなみと水の入ったカップを両手にしていた。

アレンが出窓に腰を下ろしている。ゆったりと開かれた脚に肘をついて手を組む、その横顔を月光が柔らかく照らしていた。

夜風に当たっていたようだ。


「ほ、ほら。いっぱい飲め」

「おう。悪い」

ぐびぐび水を飲んだアレンが息をついたタイミングで、自分も数口水を飲んでから、フォトナは切り出した。


「なあ、アレン。ひとつ、聞いてもらいたいことがあるんだが」

「なに」

「ちょっとばかし頭を使いたいんだが、その調子ですとどうかな~~~?」

「……うるさい、酔ってはいない」

ふふっと笑ったフォトナからアレンは目を逸らした。


「それじゃ、聞いてもらおう。私の思い付きを!」


二人は昼に古城から持ってきた遺物、

手紙、歴史書、インク瓶を机に並べた。


「手紙の言葉は覚えているか?」

「『歴史を濡らし廻る炎』だろ」

「覚えてるじゃないか」

「ナメてんのか貴様」

「……うん。やっぱりお前は”失った者”を覚えるよな。

 私も、私達の鍵はそこだと思う」


フォトナは『あなたへ』と題された手紙を再び丁寧に開いた。



『あなたが断じた者ならば、今すぐここを焼きなさい。

 ここは過去を守る墓場。あなたの益にはなりません。


 あなたが惑った者ならば、月を掴むのをやめなさい。

 力は弱き者にこそ。地下へ進んではなりません。


 あなたが失った者ならば、月の巫女に訊きなさい。

 歴史を濡らし廻る炎。己を焼いてはなりません。


 あなたが愛する者ならば、見上げる星に祈りなさい。

 ここはあなたの往くところ。私はずっとそこにいる』



「この、2行目、『あなたが失った者ならば』……

 これがやっぱりお前、いや私達に対するメッセージだと捉えたときに、思い出すことがある。

 いや、気のせいかもしれないがな」

「なんだ」


「私の国―――セレニアはな、光を司る民族だという言い伝えがあるんだ」

「光を?」

「もう一部にしか伝わっていないし、おとぎ話の類だよ。わらべ歌に名残が残っていたりするくらいの。

 迫害に耐え切れなくなったご先祖が自尊心を保つために作ったという説が有力で、あまりに根拠が薄すぎて正史扱いじゃない。私達も教えられていないだろう?」

「ああ。聞いたことがない」

「実際、私が使えるようになった魔力は、五大元素を弱めたような初歩のものだけだ。他に何か特別な力が使えるわけじゃない」

「それでも、この”月の巫女”という言葉に引っかかったわけだな」

「そう。ここでと暗示されているのが、光なら、

 自意識過剰じゃなければ―――私、あるいはセレニアの民ということにならないかなと。

 自意識過剰じゃなければ、な!」

「いい。続けろ」


アレンはフォトナの照れを茶化す風でもなくきちんと聞いている。

フォトナはおほんと咳払いした。


「それで、な。

 お前が真っ先に覚えたように、魔力がなくなりそれを探そうとしている私達はまさに『失った者』だろう。

 そこで気になるのが『歴史を濡らし廻る炎』だが―――」

「グリニストの司る火の魔力のことじゃないのか?」

「これは血のことだと思う。

 血塗られた歴史、という言葉もあるし……特にグリニストの民にとっては、炎の魔力を持つが体を廻るイメージと結びつくんじゃないか」

フォトナが告げるとアレンは口をつぐんだ。

「そしてこの、『己を』焼いてはいけないという文言。

 これは逆に、は焼けということかもしれない」

「焼く?」

「アレン」


フォトナはアレンに向き合った。


「ここから先は、私の考えでは、取り返しがつかない。

 それでもやるかどうかは、もちろん、最後はお前に任せる。

 正直、モーリスが言ってくれた通り、王家の研究者に預ける方が安全なのはその通りだと思う。

 それでも―――」

「それでもやる」

アレンは即答した。

「さっきの晩餐会でよくわかっただろ。

 今の俺には何の権利もない。知りたいなら勝手に知るしかない。預けた瞬間、情報そのものを失うのに等しい」

ふふ、とフォトナはまた笑った。

「言うと思った。それじゃ、始めるぞ」



繊細な作りにきらきらと光るインク瓶を手にして、フォトナはそっと蓋を開けた。

なんともない。

しかし、じんわりと―――

「―――温かくなってくる」

「本当か」

アレンが手に取ると、冷え切った瓶が熱を帯びる速度が増すようだった。

フォトナは慌てて蓋を閉じた。

「……なんだよ」

「いやいったん、な」

「意外に慎重派だな」

「さすがにな!?」


フォトナは次に、歴史書に手を伸ばした。

本来筆者が書かれる部分に刻まれた、宝石が入るような窪みをそっと撫でる。


「アレン。ここに、この液体を垂らしてみてほしい」

「俺が?」

「ああ。このメッセージの主は、お前に向けて書いてる。

 何かアクションを起こすのはお前じゃなきゃダメなんじゃないかと思う。

 なんとなくだが―――何を知りたいのか、しっかり念じてやるべきだと思う」

「……わかった」

アレンが瓶を手にとった。

「やるぞ」


固唾を飲んで見守る。

アレンがインク瓶の中の液体を、表紙の窪みに一滴だけ垂らした。

何も起きない。

しかし、表紙に染み込むようにして、液体はすぐに消えた。

アレンは深呼吸してから、液体を垂らし続けた。

奇妙なことに、窪みには到底入りきらない量の液体が注がれても、溢れることなく、液体は注がれ続ける。

そして―――


表紙が、光った。内側から焼け焦げるようにして、題名に模様が浮かび上がった。

「……熱いぞ!」

「!?題名が……」

ぐにゃぐにゃとした模様にしか読めなかったが、フォトナはそれを読み上げた。


「『セレニアと―――グリニストの―――功罪』?」

「お前、読めるのか!?」

「え?あ……ああ……」


模様―――文字は、躊躇うようにして題名を浮かびがらせるとすぐに消えた。

フォトナが急いで表紙を捲る。

最初の数ページに異変はない。

しかし、不自然に空白だったページの部分に文字が浮かんでは消えることを繰り返している。

「くそっ、薄すぎて読めない……あっ」


そのうち、あるページの末尾に目を引かれた。

左手に通常の歴史が書かれているが、右手は空白だったページだ。

上部には挿絵か、大きな円が浮かんですぐに消えた。

大部分がぼんやりとしている中、下の方、最後の数行だけが他よりもくっきりと焦げて浮かび上がっている。

セレナは急いで読んだ。

「『――ニア―――巫女と、―――血―――継ぐ者―――女神――誓われし―――力を賜らんがため―――

  グリニ―――竜の息づくところにて、盟約を交わす―――』

 ああっ、もう……」


本は徐々に帯びた熱を失い、それに伴い不思議に浮かび上がった文字も消えてしまった。


二人は、顔を見合わせた。


「「『竜の息づくところ』?」」

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