第33話 兄と晩餐

いかにも王家の晩餐室らしい、豪華なシャンデリアと絨毯、飾り立てられた大きなテーブル。壁際には給仕の者達が恭しく待機している。

招かれたアレンとフォトナはなんとか時間通りに着席し、レオン王子を待っていた。

「ドレスありがとうな……間に合ってよかったな本当に……!」

コソコソと隣のアレンに囁くフォトナは、王室から借りた緋色のシンプルな夜会用ドレスを身にまとい、髪を結いあげている。

「あまり喋るな、黙って食ってりゃいい……ほら、来たぞ」


ドアの向こうから話し声が聞こえ、レオン王子が姿を現した。


「待たせたな」


二人が立ち上がり、レオン王子の着席を待つ。

簡単な食前の祈りを済ませると、気まずい晩餐会が始まった。




無言でナイフとフォークを進める三人。

豪華な前菜もあまり味はせず、スープが運ばれてきた頃、ようやくレオンが口を開いた。


「……あのとき、怪我はなかったか」

学園への襲撃事件のことだ。

「!……はい、無事でありました」

思わず答えてスープを喉に詰まらせたフォトナにふっと笑った。

「そうか。なによりだ」

(……お?意外といい人じゃないか?)

「サイラス先生が守ってくださったので、私は、なんとか……。

 ただ……イヴリス先生は。なんとか命があって、本当によかったです」

イヴリス騎士団長とサイラス先生はイグニスト出身者。

当然、その後も耳に入っているのだろう。

二人の名前が出ると、ぴくりと不機嫌そうな眉が上がった。

「あの二人には毎度呆れかえるな。王都の警備も地に落ちたものだ」

「……!」

「予想できなかった事態だ。先生達は俺達を護るために最善を尽くした」

「はん?イヴリスはあれで死ねば無駄死にもいいところだろう。

 蛮勇はイグニストの誉ではない」


ムムッとしたフォトナに代わるようにアレンが答えたが、一瞬で黙らされてしまった。

(やっぱり……意地悪だ!)


「そ、そういえば……授業では、お二人の指導を受けることもあります。

 イヴリス先生には本当に、剣術だけでなく、ダンスも大変にすばらしく!

 サイラス先生の方はあんまりその……あっ、いやその、腕前はさすがでいらっしゃいますね!」

サイラスの褒めるところがあまりない授業態度が真っ先に浮かんでしまい、話題を逸らそうとしたフォトナはまごついた。アレンがやれやれと音もなく溜息をついているのが横目に入る。

何も聞こえないといった様子の給仕達が優雅な手つきで肉料理をサーブする。


「……イグニストを捨てた者どもだ。なにをしていようと、国の名に恥じなければどうでもいい」

心底興味がないといった様子でレオンが料理を口に運んだ。

「イグニストを…捨て?」

イヴリスあの女だ。王家の血を継いで生まれながら、政治から逃げ、剣を振り回して。ああいう女はさっさと貴族と結婚すればいいのにな。結局イグニストに顔を見せん。

 サイラスもそうだ。ここで出世の道もあったものを、追いかけるようにファルベンに出た。愚かなものだ」


(むっ)

明らかにフォトナが不満そうなので冷や冷やしているアレンの焦りが伝わってくる。


「……力を持たぬ者が足掻くほど無為なことはない。わきまえることだ」


気まずい沈黙は、突然開いたドアによって破られた。

「やあやあ、お揃いで!ほっほっほっ」


晩餐室に響き渡る笑い声。

恰幅のよい……というより、単にかなりふとましい男性が笑顔で入室してきた。

でっぷりとした赤ら顔を揺らし、よっこいしょと二人の正面、レオン王子の隣に着席した。

豪華な衣装を見れば一発でその地位がわかる―――この人物は。


イグニスト帝国の現国王、ライザック王だ。

三人が起立すると手で制した。


「いやいやそんな、座ったままで、よい、よい。ああ、食べてきたから要らんよ」


給仕の者達が音を立てずにすごい速さでパンと前菜、ワインを運んでくる。口では要らないと言いつつ、王はパンをむしゃむしゃと頬張った。

「いやあ、アレン様も久方ぶりですのう。お元気なようで何よりですわ」

「ああ……はい。ライザック陛下も」

「へいかぁ!?ああっはっはっはっは!」

食べながら笑うものだから、口からパンがぽろぽろこぼれた。

ライザックはそのままワインを飲み干した。

「何をおっしゃることですやらアレン様、私なぞ、代理、代理。

 ほら、この、犬とでも!お呼びくだされや!ほっほっほ」


(なんだか…………なにか)

街でしつこい商人から物を押し付けられたときのような。

男子達が下卑た冗談で笑いあっているのを耳にしてしまったときのような。


フォトナは、胸の内に芽生える嫌悪感を言語化できないでいた。

(苦手、だ)


「それにしても、聞きましたぞ、イヴリス、あの女も逞しいことですな。

 いやあ、嫁入り前に傷物にならんでよかったよかった!

 アレン様も……ねえ?フフ……」

ワインをぐびりとやってから、チラリとフォトナを見回した。

「なかなか、上玉な女を連れてきたじゃないか、ええ?

 黒髪がアダだがのう、それも見ようによっちゃ……うん、顔も悪くない。

 もうちょっとが、のう。あればそれで、なあ!」

ニヤつきながら胸を膨らませるジェスチャーをしてから、ガハハハと顎下の肉を震わせ、またワインを飲む。


(じょ、上玉!?胸!?)

呆気にとられたまま何も言い返せないフォトナをよそに、レオン王子が口を開いた。


「彼女はそういう話で参じたのではない。して、何か御用があったのでは」

「ああ、そうそう」

何やらポケットから折りたたまれた紙を取り出して、レオンに抜け目なく差し出した。

「この件ね、こうなることにね、ええ、なったんでね。

 いやぁ世の中、地獄の沙汰もなんとやらとはこのことですのう!ほっほ!」

「……わかった。手間をかけたな」

「ああいや、ほほほほ!とんでもないことでございます!

 それじゃあ、私はこれでね、ええ、ごゆっくり、ねえ!」

へこへこと、しかし二人にニヤニヤとした視線を送りながら、ライザック王は部屋を後にした。

再び部屋を沈黙が包む。


もちろん、レオンが自分を見下しているのは嫌というほどわかる。

しかし、―――しかし。

同じ見下し方でも、いやな卑しさがあることを、それをぶつけられる不快感を、フォトナは知らなかった。


「……元々イグニストの血の者ではない。養子で入った。

 次に私が代替わりするまでの間の王位を務めてくれている。だから代理と申している。能力は……ある者だ」

あれはイグニスト家うちの者ではないから、と彼の無礼な振舞いを言外に謝られるのを感じて、ああ、いや、とフォトナがもごついた。


「カジョス家のことだが」

上品に口を拭いてから、レオンは切り出した。

「イグニストとしては、家は不問に処すこととした」


クリスティーヌの処遇だ。咄嗟にアレンが訊き返した。


「いくら積まれたんだよ」

「……財のみではない。これまでのイグニスト家への忠誠もある。

 問題、ないか」

レオンがじっとフォトナを見た。

「あ、ええ……。私の方は、まったく」

一応、第一の被害者であるフォトナに対して気を遣って、わざわざ話してくれたのだろう。

(やっぱり、悪い人ではないかもしれない)

自分が口を出す問題でもないというより、この人から誠意の欠片に応えたくて、フォトナは礼を述べた。

「ありがとうございます、大丈夫です」

「わかった。そのように進める」

「チッ」

アレンが明らかに聞こえる音で舌打ちをした。


「それと」

レオンは今度はアレンを直視した。

「今回お前達が来たのは、襲撃に伴う、何らかイグニストの国力に寄与する調査を企図してとのこと。そう聞いているが違いないな」

「……ああ」

「加えて、何らか、やつらの動きがあればよい。そういう考えだと」

「……それも、承知している」

「モーリスのところに行っただろう」

レオンがワインを一口飲んだ。一挙手一投足が彼の耳に入ることを痛感する。


「やめろ。勝手に己を過信し、無駄な期待をして、みっともない」

アレンがみるみる怒りを上らせているのがわかる。

ヴァツラフ陛下父上の気まぐれだ。思い上がるのも程々に、大人しくしていろ」

ライザック王あんな男に利用されっぱなしのくせに、指図するのかよ」

「利用される価値もない人間が余計な真似をするなと言っている」


激昂したアレンが黙り込んだ。

落ちこぼれと言われ続けると、人はここまで縮こまるものなのか。

(価値を決めるのはあなたではないだろう)


「価値を決めるのはあなたではないだろう」


そのまま、口に出た。


「アレンは、鍛錬を積んでいる。陰で、努力を積み上げている。

 その先に見る景色は、これからのアレンの価値は、アレンが決めるんだ。

 私はそれを、見守る。

 たとえあなた方の望む形ではなくても、きっとそれがなにか実を結ぶと、ずっと信じている……います」


フォトナは言い切ってから、まっすぐにレオンの高貴な瞳を見つめた。

言い返されたことなどないのだろう。

ふん、と鼻を鳴らしたレオンが答えた。


「じきに王家うちの研究者が答えを出す。それまで好きにお遊びでもなんでもしていろ。

 口の達者なのも結構だがな。くれぐれも、王家の名に泥を塗る行動は慎めよ」


レオンが席を立つと、デザートを運ぼうとしていた給仕がすごい勢いで―――やはり音を立てずに―――身を翻してレオンからナフキンを取り、恭しくドアを開いた。

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