第17話 時計塔と胸騒ぎ

式典を午後に控えた朝一番に、フォトナは謎の呼び出しを受けていた。

教授室の重い扉をノックすると、低い声が内側から響く。

「入れ」

「失礼します」


膨大な歴史書がぎっしりと詰まった棚に囲まれる教授室に、フォトナは初めて足を踏み入れた。

小さな図書館といった作りで、ふかふかの絨毯、古い本の香りが充満している。

貴族学園の教授ともなれば個室が与えられるらしい。いつも何気なく受けている授業の豪華さを改めて思い知らされる。

窓を背にした机に、噂に違わぬ気難しさを纏ったゲルハルト教授が座っている。

表情は読めないが、ネピアと同じ褐色の肌。しかし、王子のような雰囲気の柔らかさはない。眉はいつもに増して顰められているだろう。

歴史学の初授業以来、なんとなく苦手な教師の前に、フォトナが立った。


「端的に聞く」


鋭く言い放ったゲルハルトの瞳が光るように見えた。

「あの夜は貴様の狂言か」

「は!?」

「もういい。退がれ」


さすがに説明不足では、なかろうか!?


ふ――……と教授が息を吐く。


「まだ聞かれたいのか。オーリア王国 ラピス王子にかかった嫌疑についてどう考える」

「え!?」

「だろうな」


訊くまでもない。つまりお前に話すことはない。

ゲルハルトの質問を許さない厳格な空気がそう言っていた。


「我々テラスト聖国の上級魔力保持者は他国の人間相手に限り、嘘を見抜くことができる。

 だが単純な生き物相手にはそれも必要なかったな。

 お前についてはたっぷり事前調査済みだ。これ以上の質問も必要ない。

 本件は当然他言無用だ。余計なことを話せばすぐに罰してやるから好きにすればいいが」


いそいそと退室したフォトナが扉を閉めると、廊下には神経質そうな眼鏡の生徒が立っていた。


えっと…エルフェイムの……なんだっけな。剣術で投げ飛ばしたことは覚えているんだが……

怯えた表情のまま、フォトナに捲し立てる。

「ず、随分早かったですね。フォトナさん、これって……テストですよね!?何が聞かれました!?

 予習はした、したしたした………ああ!どこが出ました!?うわあああどうしよう!今日なんて聞いてないよおお」

「ああ、皇紀前50年前から元年にかけての、連合国樹立に貢献した各王国の政治家の名前だったな。確か……」

「うわああ一番面倒なとこじゃないですか!うわああああ」

フォトナはニヤリと笑って適当なページ数を答えると、崩れ落ちる眼鏡を後にした。



女子寮に併設された倉庫となっている細長い棟。

その階段をシエラと登りながら、フォトナは先程の奇妙な問答について早速話した。何だって、シエラに話さないわけはない。

「思想調査、ってとこでしょうか…」

ここを登れば、魔術学園の中心にある時計塔がよく見える。

貴族学園は、いつになくざわざわとした空気に満ちていた。お祭り騒ぎ、ってやつだ。

月の儀式。皆既日食に合わせた年数―――今回は15年ぶり―――に開かれる、連合国伝統の式典だ。

学園は関係者に限り解放され、普段は時計塔に収められている女神像が衆目を浴びる貴重な機会となる。

皆既日食に合わせ、女神像に向かって皆で祈りを捧げるのだ。

特に、今年は王子達が全員揃う機会も重なっている。最前列に並ぶ王子達を一目見ようと、下は大賑わいだ。


「それにしても、フォトナさんも度々大変ですわね、災難に遭ったばかりですのに……。何を聞かれましたの?」

「それがなあ、なんとも……わあ!」


シエラの誘いで塔を登って、正解だった。窓からは望んだ景色からは、眼下にファルベン学園を一望できたのだ。

時計塔を中心とした魔術学園の中心広場はたくさんの祝日らしいいくつもの旗に彩られている。

また、遠くに見える学園前の城下都市では屋台も出ているようだ。肉を焼くい~い匂いがこちらまで香ってくる気がする。

いつもは使われていない寂れた建物が、こんな絶景スポットだなんて。さすが、シエラは学園内の地理にも詳しい。


「すごいな……」

「うふふ、少しでも息抜きになったら嬉しくて」

「……ありがとう、シエラ」

「式自体は厳粛ですけれど、本当はこうして賑わうことが皆目的ですのよ。それでさっきの……」

「フォトナ!」


二人の温かい空気を突然の呼びかけが破った。

アレンだ。式典前の凛々しい正装とは裏腹に、息切れし、汗で髪型も崩れている。


「アレン!?どうした、一応ここ女子寮エリアだぞ……」

「お前ら、何をしている」

シエラは気まずそうにフォトナの横をすり抜け、そそくさと階段を下りた。

そうだった、シエラはこの苛烈なアレンが苦手なのだった……。

「そ、それじゃあ、私は先に場所をとってまいりますわね」

「シエラ……すまない、また後で」

「ええ!ごゆっくり」

せっかく自分を慮ってくれたシエラに申し訳ない。


「アレン……どうしたんだよ一体。後でいいだろう」

「ラピスが拘留される」


は!?とフォトナが聞き返す間もなく、アレンが速やかに続ける。


「式の後に決まった。こんな式どうでもいい。お前も今すぐ俺と来い」

「まっ…待ってくれ!話が読めない。ラピス王子が?お前がどうして」

「黙れ。時間がない。俺も欠席する」

「何を言って……」

「いいから来い!!」


アレンがバッとフォトナの手をとり、フォトナはアレンに対峙した。

あの夜以降、自分を見る目が変わっている。

自分が少しトラウマを抱えていることを見抜かれているように思った。

考え違いでなければ―――この男はかなりの重責を負ってしまっている。自分の不注意のせいで。

表情を緩め、握られた手を優しく握り、フォトナは落ち着いた声音で諭した。

少なくとも、ゲルハルト教授の話はより深刻だったようだ。


「心配はありがたいが、私は平気だ。ラピス王子の件は、あの夜のことだろう?」

「……ああ。犯人の手引きをした疑いがかかっている」

「であれば、然るべき大人達が然るべく対処しているということだろう」

「それは……」

「私に……引け目を感じないでほしい。いま完全に大丈夫ではなくても、私はこれから立ち直ってみせる。

 それに、君ら王子はは皆にその元気な姿を見せるのも務めだろう?

 大切な役割だ。

 いかなる時でも落ち着いて己が務めを果たす。それがお前の使命だろう。

 大グリニスト帝国の王子がその汗だくでは決まらんぞ!」

茶化してから、フォトナは握った手の力を突然強めた。

「フンッ!!」

「ってェ!!」

「な、大丈夫だ」

「…………絶対に一人になるなよ」

「わかってる」

「できるだけ警備の者の近くにいろ」

「わかってるよ」

「それから、お前のーー」


その時、ゴーーン、と時計塔が鳴り、式典の始まりまであと一刻と告げた。賑わいが一層増す。


「おいおい、過保護だなあ」

「あ!?」

「大丈夫だ。ほら、急げ。遅れるわけにはいかないだろ。ここからならすぐだから私は一人で行ける」

「……チッ、また後で話す」


アレンはざわざわとした胸騒ぎを抱えたまま、階段を駆け下りて行った。



この選択を、フォトナは深く後悔することになる。


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