第6話 裏庭と邂逅

保健室に向かいとぼとぼと歩くフォトナにいつもの覇気はない。

わかってはいたが、それでもここで学べば糸口くらい掴めるかもしれないと思ってしまっていた。

知識が裏付けする。魔力錬成の魔術書は片っ端から読んでいた。

セレニア国出身者―――フォトナにはそもそも、魔力の器がない。女神の加護と呼ばれる、世界の魔力の源泉が体内に溜められないのだ。

魔力の大きさは血統で決まる。にしても、他国の生徒達は大小あれど”空っぽ”なことはなかった。

甘かった。


フォトナは足元にきらりと光るものを見つけて歩を止めた。

と共に、ここは………どこだ!?

人がすれ違うのがやっとの小道、一方は校舎の壁になっており陽は遮られている。

完全に道を……間違えた。

「姉様は方向音痴なんですから、気をつけてくださいって何度も~~~!」と泣くルカの顔が浮かぶ。


一瞬訴えるように光ったそれは、生垣の間にある、胸の高さほどの古い木戸の向こうからのように思われた。

木戸の向こうは庭園になっているようで、小道が続いている。

フォトナはそちらへ足を向け、ほんの少しの逡巡の後、木戸をそっと押し開けた。

ほとんど音もなく木戸は開き、身体を滑り込ませる。


目の前には林檎の木が、薄桃の混じった白い花をいくつか開き始めている。

その根元、下草の間からまた、きら、と輝きを感じた。

しゃがみ込んだフォトナはすぐにそれを見つける。


複雑な細工を施された、細い金色に光る指輪が鎖に通されている。

花のような葉のような細かなシンメトリーの模様と、不思議に光る小さな宝石。

オーリア王国の、紋章だ。

鎖は途中で切れており、落とし物であろうことがフォトナにも分かった。


フォトナは立ち上がり、右手へのびる庭園の小道へ足を向ける。

ゆるくカーブした小道は、手入れが行き届いておらず、生垣から伸びた枝で通れる幅が狭い。

だがよくしなる枝はところどころ小さく折れており、先刻ここを通った者がありそうだ。


半ば屈みながら枝をよけ進んでいくと、生垣の下に穴があるのに気が付いた。

通常の道ではなく、しっかり立って進んでいると見逃しそうな穴だ。

そして、まだ新しい草の葉に、踏まれたような跡。

フォトナはそこに膝をつき、腕で枝をよけながら穴をくぐってみた。


くぐりぬけると短い急斜面、そこを上がると、開けた場所があった。

菩提樹が枝を広げている真ん中の、その根元に横たわる人影がひとつ。


フォトナはゆっくりと、そちらへ近づいた。


腕を枕にして眠っているその男の、すぐに目につくのは輝く金色の髪。

そして脇へ放り出された制服には、金色の房飾りがある。


間違いなくオーリア王国の一族、そして上位貴族以上だ。


身に着けている装飾品から、明らかに立場の高い者であることが一瞬で理解できる。

しかしそれ以上に、そよ風に揺らぐ金色の髪が放つ輝きが、王族に近しい―――というより、この人は。

いくら近づいてもその端正な顔立ちに伏せられたまつ毛はぴくりともせず、彫像のような顔のままぐっすりと寝入っているようだ。


手にしている指輪の持ち主だろう。

ここへ来る途中に鎖が切れて落ちたに違いない。制服の上、わかりやすいところへそれを置いて、立ち去ろう。


そう思ってフォトナはそろそろと制服のそばへと近寄る。


そっと手を伸ばした瞬間、さっと手首が掴まれた。


「なにをしてるの」


ついさっきまで微動だにせず寝ていたとは信じられない素早さで、起き上がったその人がこちらを見つめていた。


フォトナは驚き、中途半端だった態勢が、ぐらりと崩れた。

いつもならなんてことないが、先程の授業でだいぶ体力を消耗していたようだ。

手首が掴まれていたため、顔から地面へ―――


ぶつかる!と思い目を閉じたが、その瞬間はやって来ず、ぐいっと引っ張られる感覚。


倒れ込んだその先は土や草ではなく、さらりとした布の上。


見上げると、すぐそこに、端整な顔があった。

目は、澄んだ榛色。まっすぐにこちらを見つめている。

フォトナが倒れるところを庇い、抱き留めてくれている。


「あ………」


思わず間近にある瞳に、言葉が出てこない。

吸い込まれるようで、頭がゆらゆらと平衡感覚を失っている。

数秒間そのまま見つめてしまい、はっと我に返るとフォトナは慌てて身を離した。


「すまない、失礼した。恐らくこれはあなたのものだろうと」

握った手を開いて紋章を差し出した。


「これは……うん、僕のだね」


相手は驚いたように首元に手をやり、そこに思ったものが存在しないことを確かめたようだ。

彼が微笑むと目が離せずにいる榛色が、和らぐ。

およそ人間らしさを感じないまでに整った顔立ちが、微笑むだけで、どこか幼くなる。


「……失くしたままでも、よかったんだけどね」

「えっ?」


思わず聞き返すと、しくじった、といった顔。

言葉が衝いて出た。心臓が鳴る。


「……その美しい指輪はオーリア王国のものではないのか。つまりは民の、国のものだろう。

 次は失くさないように、私が紐でもつけてやろうか」


フォトナは自分が緊張しているということに気付けなかった。

驚いたといった表情で目を開いてすぐ、からからと笑った。

オーリア王国 ラピス王子だ。


「筋肉バカだって聞いたけど、かわいい顔しているんだな、フォトナちゃん。

 でも聞いた通りだ。ずいぶんと、うるさい」


ぐいっと近づく上背が思ったより高く、嗅いだことのないいい香りがする。


――――――!?


反射で拳を構えようとしたその手を、今度は優しく捕まれ、ラピス王子は手の甲にそっと唇を当てた。


「……ありがとうお姫様。君に、失くしたいものが増えませんように」


バッと手を離す。言葉が出ないまま振り向き、猛然と走り出した。笑い声を背に。

小走りに短い斜面をおり、再度制服の膝を汚しながら穴をくぐり、林檎の木の横を通って、木戸の向こうへ。

ちょうど授業が終わったところなのだろう。入ってくるときよりも小道には人通りがある。


別の女子の集団からこちら側にこそこそ駆けてくる少女がいた。シエラだ。

「フォトナさん…!こんなところにどうして?泥だらけ……やだ、顔が真っ赤……」


フォトナの腹の底から野太い怒号が、ファルベン学園の茜空に響いた。


「なんなんだ、あいつはあああ――!!??」

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