第7話 図書室と忠告
古代の城を増築されて作られた建物自体が価値のあるファルベン学園だが、特に広大な図書館の荘厳さは重厚な歴史の重みを感じさせられる。日中は研究者の出入りも多い。
最初は圧倒されたフォトナだったが、ここ数日は入り浸りになっていた。
明らかに、単位をとりすぎた。
まだだいぶ先の期末試験だったが、歴史学、魔術学だけでなく、基本的な統治学、数理学も一通り筆記試験を求められる。
通常官吏志望・軍人志望で分けられるにもかかわらず、それら授業を可能な限り履修したフォトナは、さらに剣術の鍛錬も欠かさない。
いつもの窓際の席で本の壁を作りながら、今日も必死にペンを走らせていたが……
気付けば夕刻。うたた寝してしまっていたようだ。
はっとして前を見ると、
―――ソルヴァ王子!?
俯く鼻筋の通った顔が夕陽に照らされている。繊細に縁どられたまつ毛、透き通るような白い肌は人形か何かのようだ。細長い指で時折本を捲る動きがなければ、絵画を見ているような静けさが漂っていた。
思わず見つめていると、ちらりとこちらを見た。
「起きたか」
「な、なぜここに?」
王族に一棟丸ごと与えられた寮には談話室もついており、このように図書館を利用することはないはずなのだが……
「一つ、聞きたいことがあってな」
「私に、聞きたいこと」
ソルヴァ王子と被っている授業は、歴史学、数理学………
ぐるぐると頭を回すフォトナを見透かすように、ふん、と頬杖をついている。
「学問なんぞの話ではない。貴様、同学年の生徒の名前をすべて覚えたのか」
「へっ?」
「クリスティーヌだ。ああいう女どもがお前と関わることはない。
つまり、あの日初対面であったはずだろう。なぜ名前を知っていた」
あの日―――ああ、
「それは……そうだ。名簿が配られただろう」
「なぜだ」
「なぜと仰られましても……」
「お前の立場で社交も何もないだろう。セレニア国との外交に興味ある貴人などいない。
名簿が配られたのは入学前説明会。あの授業まで幾日もないだろう。頭に叩き込んだはずだ。
そうする
「……うううん」
急な問いに言葉を詰まらせると、主席の知性を漲らせた瞳がこちらを離さない。
「お前は何を考えている」
虚飾もごまかしも許されない。フォトナはとっさにそう理解した。
それならば、たどたどしくても誠実を。ゆっくりと言葉を選ぶ。
「……たぶん、人と関わりたかったんだ、私は」
深い海を思わせるサファイア色の眼差しから、感情は感じ取れない。
「元々は当然、セレニア国の再興だ。王族として第一の務めだ。
だから入学を許されたし、それは言い聞かせてきたことでもあった。
学び、鍛え、還元する。それがセレニア国で私が恵まれたままに生きていてもいい価値だと。
でも……たとえ誰に許されなくても、正しい感情ではなくても、
異国の優秀な学生と話せることに、新しい世界の扉を開くことに———」
頭を垂れそうになるのを背筋を伸ばして。きゅっと息を整えて。
「———わくわくしてしまったんだ。子供のように」
フォトナはソルヴァをまっすぐに見た。
「たとえ悪意だろうと、話しかけられて感じたのは、今思えば高揚だった。無視されるよりずっといい。
セレニアの人間は、諦めきってしまっている。外の世界に関わり認められることを。
ならば、私が関わろうとし続けること、それが母国に足りないものなのかもしれない、
遠回りでも、私の意味になれるのかもしれない。
そう思い込みたいだけなのかも……しれないな」
ソルヴァ王子がようやく口を開いた。
「長いな」
「すまない。うまく言えなくて」
ふう、と息を吐くと、王子もまた緊張を解いたように見えたのは気のせいだろうか。
「でもこの考えを正しくするのは、これからの私の姿勢だと、私は思う」
「………悪いとは、言っていない」
不意に空気が柔らかくなったように思えて、フォトナが首を傾げると、すぐに淡々と続けた。
「貴様の志など知らん、好きにすればいい。連合国に仇なす打算でないことは理解した。
だが二つ忠告しておく。
まずは無暗にぶつからないことだ。努力至上主義の筋肉バカが体当たりしてばかりでは、見失うぞ」
失う―――最近、近しい言葉を誰かに言われなかったか。ん?今バカって言った?
フォトナが記憶を探る間もなく、ソルヴァ王子は続けた。
「次に、あまり目立つな」
「目立とうとしているつもりは……」
「目立たない?女でその体躯、その漆黒の長髪でか。
それも男子の制服を着て男子の授業を受け……冗談だろう。
卒業に必要な一学年時の単位はとっくに超えているはずだ。無難を覚えろ」
ふん、と鼻を鳴らした。これがどうやらこいつの笑いらしい。
「容姿は知らんが、服は鍛錬のためだ。ここの女子制服は本気で実技授業を受けるために作られていない。
魔力を使えない以上、人の倍鍛えなければならない。当然のことだ」
「その鍛錬とやらがどこまで続くか見ものだが……まあいい」
お前、本気で自分が魔力がないと思っているのか。
聞こえない程度のソルヴァのつぶやきに、え?と聞き返すフォトナを無視した。
「忠告と言えば、そうだ。
最近黒装束の不審者が見掛けられていると聞く。あまり遅くまで出歩くな」
心配―――してくれているのか?この氷のように話す男が?
そういえば確かにシエラも実は優しいだとかなんとか……
「それと、最後に」
口の右端をつんつんと指さす。
「ついているぞ。鍛錬とやらも程ほどにな」
フォトナはよだれを慌てて拭った。
正真正銘のニヤリを残して、じゃあなとソルヴァは立ち去り、呆然としたフォトナが残された。
最初から……ずっと……?
気付いたときに……言ってくれればよくない………?!?
脳裏で思い切り前言を撤回した。
ルカ―――
この国の王族は―――性格が悪いぞ。
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