2出逢いと不穏

 ラドリア湖へ向かうと決めた翌日、守(まもる)、リーリア、ガーランの三人は、カルネルから北へ伸びる街道をのんびりと歩んでいた。馬車の便はなく、途中には山あいの小道もあるため、道中がやや長くなる。

 だが、その途中にある温泉宿は旅人たちの隠れた名所といわれるらしく、三人は「せっかくなら立ち寄ろう」と意見を合わせた。


「温泉なんて久しぶりだよ。日本でも渓流釣りの帰りによく行ったっけ……」

「ふふ、ガーランもやっと船酔いを抜け切ったみたいだし、疲れを取るには丁度いいわね」

「いや、オレは温泉よりも飯が楽しみだ。温泉宿ってのはうまい料理が出るもんだろ?」


 そんな他愛のない会話を続けながら、昼下がりには目的の宿に到着。山道の奥にあるにもかかわらず、そこそこ大きな建物で、玄関には冒険者らしき姿もちらほら見える。

 宿の女将(おかみ)によれば、ラドリア湖へ向かう客も多く、ここの温泉で一泊してから湖へ赴くのが定番コースなのだとか。三人は早速部屋を取り、荷物を置いて大浴場へ向かった。


 「……うわ、すごい。露天まであるじゃないか!」

 普段は簡易的な宿やテント生活も厭わない三人だけに、この本格的な温泉に大興奮。ガーランも「最高だ……」と鼻唄をこぼし、リーリアは女湯へ向かいながら「ゆっくり浸かりたいわね」と笑みを浮かべた。

 一方の守は、異世界で初めての本格温泉ということもあり、少し感慨深い。熱めのお湯に浸かると、海での死闘や旅の疲れがじんわりとほぐれていくのを感じた。


「いやあ……異世界で風呂文化がこんなに発達してるとは思わなかった。最高……」


 そんな安堵の時間も束の間。湯上がりに休憩所へ行くと、見覚えのあるフードの人物がまた視界に入る――彼(あるいは彼女)は静かに座って湯を飲んでいるが、その視線はまたしても守たちに向けられている気がした。


「やっぱり、あいつ……カルネルのギルドでも見かけたよな。何者だ?」

 ガーランが油断なく目を光らせると、フードの人物はそそくさと立ち去り、建物の奥へと消えていった。守とリーリアは怪訝な表情で顔を見合わせる。


「ただの客ならいいけど……変に絡まれないといいわね」

「まあ、気にしすぎかもしれない。とりあえず今日のところは温泉を満喫して、明日には湖へ向かおうか」


 三人は念のため注意はしつつも、特に行動を起こさず一夜を過ごす。宿の料理は評判どおり素朴かつ美味で、各種山菜の煮込みや地酒などが楽しめた。

 こうして久々の安息をかみしめるも、やはり“魔魚化したヌシ”の噂は頭を離れない。温泉宿の常連客からも「湖の近くで夜怪しい影を見た」「水辺に背の低い黒装束がいた」といった情報が出ているのだから、落ち着けるはずがない。


 翌朝、早起きして宿を出発した三人は、緩やかな山道を抜け、昼前にはラドリア湖へ到着した。

 晴れ渡る空の下、湖は穏やかな水面をたたえ、周囲を森や丘に囲まれている。遠くでは釣り竿を垂れる地元の漁師や旅行者らしき姿も見えるが、数は多くないようだ。

 近くに小さな村落があるらしく、そこを拠点に漁や観光をする人が訪れるらしい。ただし、最近は行方不明の噂が広まって閑散としているという。


「ふむ、見た目はのんびりした湖って感じだな。あのナマズが本当に住んでいるのか?」

「ヌシって言うくらいだし、湖底の深いところに潜んでいるのかもしれない。ま、下見してみようか。もし釣れそうなポイントがあれば、昼間に試すのもアリ」


 守は釣りバカらしく、さっそく湖畔を一周する勢いでポイントを探りたそうだ。リーリアも同行し、ガーランは「オレは村のほうで情報集めしてくる」と言って手分けすることになった。

 それぞれが湖の真相を探るため、分担して動き出す。守とリーリアは木立を抜けて湖畔を歩きながら、水辺の状態をチェック。すると、茂みの奥に“何かの跡”がはっきりと残っているのを見つけた。


「……これは爪痕、かしら。まるで大きな生き物が地面を引っかいたみたい」

「うわ、本当だ。魚のヒレというより、爪っぽい痕だよな。ナマズってこんな陸地を引っかくようなことあるのかな……?」


 どうにも腑に落ちない。さらに進むと、水辺の泥に大きな足跡のような跡が数メートルにわたって続いており、水際でぷっつり途切れていた。

 魚というより、何か別の大型生物が湖を出入りしているようにも見える。リーリアが神妙な面持ちで言う。


「もし魔物化したナマズが、半陸上生活を始めているとか……考えたくないわね」

「でも、行方不明事件といい、これも無視できない。夜になったら陸に上がってくるのかも」


 二人が頭を悩ませていると、遠くの森からガサリと音がし、何かの気配が走り去った。緊張するが、姿は確認できない。

 とにかくこの周辺には“普通でない”生き物が出入りしているのは間違いなさそうだ。守は「日が暮れる前にガーランと合流して、拠点を定めよう」と提案し、リーリアも同意して村へ戻ることにした。


 一方、ガーランは湖畔の小さな村へ足を運び、酒場や雑貨店で世間話をするふりをしながら情報を集めていた。

 村人の話によれば、ここ数週間で夜釣りに出た三人が行方不明になり、翌朝には荷物だけが湖畔に残されていたという。しかも、その後もあやしい足跡や爪痕が見つかっている。

 さらに、村人たちは口々に言う。「最近、黒っぽい服を着た集団を何度か見た」と。夜道を抜けて湖へ向かう姿を見かけたという証言が重なっており、やはり単なる噂ではなさそうだ。


「……やれやれ、やっぱりあいつらなのか? くそっ、どこにでも湧いてくるな」


 ガーランは苛立ちを覚えつつも、濁った酒を仰ぎ飲む。もし黒装束の連中がこの湖で何かを企んでいるなら、行方不明事件とも無関係ではなさそうだ。

 ひとまず情報をまとめ、村の一角にある宿で守たちと合流。古びた二階建ての宿だが、冒険者向けに安価で泊まれるため、今夜はそこを拠点にすることにした。


 夕刻、湖畔の村に冷たい風が吹き始める。守とリーリアが調査を終えて宿へ戻ると、ガーランも既に情報を仕入れていた。三人は小さな部屋で床に地図を広げ、見つけた足跡や爪痕の地点、黒装束目撃の場所などをまとめる。

 すると突然、廊下のほうからドタバタという足音と怒号が聞こえ、三人は顔を見合わせて立ち上がる。


「また何かあったのか……?」

「行ってみよう!」


 急いで階下へ行くと、そこにはフードを被った人物が宿の主人と揉めていた。どうやら主人は彼(彼女)が不審な行動をしているのを咎めたらしく、「出て行け!」と強い口調で怒鳴っている。

 フードの人物は一瞬だけ守たちに目を向けるが、急に宿の扉を開けて外へ飛び出していく。ガーランが反射的に追いかけた。


「待ちやがれ!」


 夜の闇が近づく村の街道を、フード男は抜けるように走る。ガーランは慣れた足取りで距離を詰めるが、相手もかなり素早い。足元の小石を蹴って目くらましにするなど、ただの一般人とは思えない動きを見せる。

 そこへ遅れてリーリアと守も合流。リーリアが弓を構えようとするが、相手は民家の細い路地へ飛び込み、あっという間に姿を消した。


「ちっ……いない。暗くてわかんねぇ」

「相手も慣れてるな。……何者なんだろう?」


 残念ながら取り逃がしてしまい、三人は肩を落とす。とりあえず宿に戻って主人に話を聞くと、やはり怪しい動きで部屋を出入りし、夜な夜な湖畔へ向かう姿を何度も見かけたという。宿の備品を勝手に持ち出そうとしていた、という話もある。

 守は「ひょっとして、黒装束の一味?」と思ったが、明確な証拠はない。ただ、明日以降、この村周辺で再び姿を見せるかもしれないと予想し、警戒を強めることにした。

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