1導かれし街道と怪しげな釣り人

 秋めいてきた風が心地良い街道を、馬車がきしむ音を立てながら進んでいく。守、リーリア、ガーランの三人が乗るのは、小さな商隊が手配した貸し馬車だ。ギルド都市まで同じ方向に向かうということで、気安い値段で乗せてもらえることになった。


「やっぱり馬車は楽でいいわね。歩き疲れも少ないし」

「正直、オレはまだ船酔いの感覚が抜けきらなくてな……揺れは勘弁してほしいところだが、まあ歩くよりはマシか」


 ガーランが苦笑しながら頬をかき、リーリアは呆れつつもクスリと笑っている。その後ろで守は、タックルボックスを膝に乗せたままうたた寝しかけていた。波止場とは違い、街道の移動はほどよく眠気を誘う。


「そういえば、あれから黒装束の噂はあんまり聞かないわね。港町でも見かけたって話はあったけど、大きな事件には繋がらなかったし……」

「警戒を強めてるって話だが、やつらもそう簡単には動かないんだろう。ギルドや国の兵士にマークされてるからな」


 ガーランが肩をすくめる。

 一方、守は半分寝ぼけながらも、あの日見た“黒い魔石”の不気味さを思い出していた。巨大魔魚の体内に存在した“核”のような石。あれの正体が分かれば、この世界で起きつつある異変の一端を探れるかもしれない。


「……まずはギルド本部で情報を集めて、黒装束や魔石のことも調べたい。俺の釣具の謎も、少しは分かるといいけど……」


 ひそかな期待を抱きながら、うつらうつらと馬車に揺られる守。外の景色は穏やかだが、薄紅の木々や麦畑が色づく道を過ぎれば、やがて宿場町が近づいてくる。

 馬車の御者が「到着は正午前後になる」と告げ、三人は「その町で昼食だな」などと会話を続ける。何気ないやり取りが、彼らの日常を彩っていた。


 宿場町“カルネル”。かつては貴族の領地だった名残があり、石造りの門と建物が立ち並ぶ小都市である。冒険者向けの店やギルドの簡易出張所もあるため、旅の中継地点として賑わっている。

 昼前にカルネルの門をくぐった三人は、馬車の商隊に別れを告げ、さっそく町の中心部へ向かった。


「結構活気あるのね。あっちには道具屋が並んでるわ」

「腹減った。まずは食堂を……」


 相変わらず食欲優先のガーランに対し、リーリアはまっすぐ道具屋へ向かおうとする。守は苦笑しつつ、「じゃあ俺もリーリアに付き合うよ。ガーランは食堂で待ってて」と提案した。

 三人が別々に行動しようとした矢先、通りの向こうから騒々しい声が聞こえてきた。


「やめろ、その竿は俺のもんだッ!」

「黙れ、小僧! こんな貴重な釣具、素人に使わせるにはもったいないんだよ!」


 小柄な青年とごつい体格の男が、なにやらもめ合っている。男が青年の釣竿らしきものを奪いかけている場面だ。周囲の人々が声を上げるが、どちらも簡単には引かなそうで険悪な雰囲気を醸していた。

 守は咄嗟に二人の元へ駆け寄る。釣竿がトラブルの元になっている――それだけで放っておけなかった。


「ちょ、ちょっと待って! ケンカは良くないよ。何があったの?」


 取り押さえるように手を差し入れると、男は「なんだテメェ、邪魔すんな」と凄む。しかし、ガーランとリーリアが後ろで目を光らせているのを見て、嫌そうに舌打ちをしつつ少し引き下がった。

 青年は肩で息をしながら、守に向かって小さく礼を言う。


「た、助かった……こいつは近所でも札付きのごろつきで、俺の釣り竿を奪おうと……」

「釣り竿って……まさかまた珍しい道具を持ってるとか?」


 守が尋ねると、青年は誇らしげに釣竿を握って見せた。見たところ普通の木製の竿だが、鞘のような金具が施されていて、穂先にはしなりを調整できる仕掛けがあるらしい。


「俺は漁師兼・川釣りが生業なんだ。先日、運良く珍しい素材で竿を作ってくれる職人さんに出会って、一生ものの道具を手に入れたんだよ。でも、こいつはそれを聞きつけて“高値で転売できる”とか言ってしつこく狙ってくるんだ……」


 青年が睨む相手は、まだ周囲に威圧をかけるような視線を送っていたが、ガーランが一歩踏み出すと露骨に怖じ気づいたのか「くそっ、覚えてろ」と吐き捨てて走り去る。

 周囲が一安心する中、リーリアが口を開いた。


「釣竿を奪おうなんて、物騒ね。治安が悪いのかしら?」

「カルネルはギルド出張所がある分、冒険者も多いんだけど、同時に怪しげな連中も集まりやすいんだ。ごめん、変なところを見せちまって」


 青年は申し訳なさそうに頭を下げつつ、守のタックルボックスに目を留める。

 すると、目を丸くして「あなたも釣り人?」と声を弾ませた。


「そうだよ、名は岸井 守。見てのとおり、ちょっと変わった釣具を使ってる。君は?」

「俺はヴェイル。川釣り専門だけど、そのうち湖や沼も回って仕事の幅を広げたいと思ってるんだ。……って、君のその釣り道具、すごく特殊だね? 外見は普通のボックスに見えるけど、何か仕掛けがあるの?」


 守はどう返そうか一瞬迷ったが、「大したことない」とは言えないチートっぷり。とはいえ正体を全部話すのも気が引ける。

 苦笑いでごまかしつつ、「まあ日本から持ってきた道具で……」とあいまいに答えていると、ガーランが「釣り話はいいから飯だ」と横槍を入れる。


「ああ、そうだった。ヴェイル、ごめんね、今から昼食の店を探すところなんだ。あとでゆっくり話せたらいいけど」


 しかしヴェイルは何やら思いついたように、ぽんと手を打った。


「そうだ! もしよかったら、お礼代わりに店を紹介するよ。この町には安くて美味い食堂があってさ。俺も昼時によく通うんだ」


 願ってもない提案に三人は顔を見合わせる。ガーランがすかさず「それが一番助かる!」と乗り気になり、あっさり合流が決定した。


 カルネルの裏通りにある小さな食堂。ヴェイルに案内され、中に入ると庶民的で温かい雰囲気が漂っていた。獣肉料理や野菜スープ、焼きたてのパンなどがリーズナブルな価格で食べられると評判らしい。

 四人掛けのテーブルに腰を下ろし、さっそく注文を済ませると、先ほどの騒ぎのおかげで腹ぺこだった守たちはテンションが上がる。


「うお、ここのパン香ばしいな。スープもいい匂いだ」

「日本とは調味料が違うけど、これはこれで癖になる味だな……」


 リーリアも「こういう店、いいわね」とほっとした表情。

 一方、食事が落ち着くと、自然と釣りの話題へと移っていく。


「守さんは海で魔魚を釣ったってウワサを聞いたけど、本当なのか?」

「うん、この間まで港町にいたから。あれは凄かった。正直、命がいくつあっても足りないくらいさ」


 ヴェイルは目を輝かせて「やっぱり噂は本当だったんだ!」と興奮ぎみ。どうやらギルド周辺でささやかれていた“魔魚を釣る謎の冒険者”の話を耳にしていたようだ。

 彼も釣り人としては相当な好奇心があるらしく、「俺もいつか大物を仕留めたい」と意気込んでいる。


「実はさ、近場にも一応“大物”の噂があるんだ。カルネルの北にある湖で、“湖のナマズ”って呼ばれるヌシ級がいるらしいんだけど……最近、そいつが魔物化したって話が広まってる。まだ確証はないけどね」


 ヴェイルがこっそり声を潜めると、ガーランとリーリアは「魔物化……またか」とため息交じりに顔を見合わせる。守はそのワードにひっかかりを覚えつつも、興味が湧かずにはいられない。


「湖で魔物化ナマズか……その情報、ギルドには上がってないの?」

「正確な依頼はまだ出てないみたい。ただ、湖周辺で夜釣りに出かけた連中が行方不明になったとか、岸辺で奇怪な爪痕が見つかったとか……不穏な話が積み重なってるのは事実だね」


 まさかまた“魔魚”絡みか。それともただの勘違いか。だが、かつて下水道などにも似た噂はあったし、何が起こっても不思議ではない世界だ。

 ガーランは料理を口に運びながら、ちらりと守を見やる。


「どうする、釣りバカ? ギルド本部へ急ぐのもいいが、こっちで新たなトラブルが起きてるなら、先に解決して稼ぐのもアリじゃねえか?」

「うーん……確かに報酬は欲しいし、魔魚問題ならギルド本部へ報告するより先に動いたほうが被害を抑えられるかも。リーリアはどう思う?」


 リーリアは少し考え込んでから答える。


「正式依頼が出ていない以上、報酬はどうなるかわからないわよ? ただ、噂が本当なら行方不明者を出してるわけだし、見過ごすのは気が引けるわね。……私も、余裕があるなら調べてみるのがいいと思う」


「なら決まりだな。カルネルのギルド出張所に顔を出して、情報を集めるか。ナマズの話がデマかどうか確かめりゃいい」


 こうして三人の次なる“釣りポイント”は、湖へ向かう可能性が濃厚になった。大都市へ行くのは少し延期して、まずはカルネル近郊で謎の行方不明や魔魚化したヌシの噂を解き明かす――

 まだ依頼が確定していない以上、金になるかどうかも不明だが、守としては“湖の大物”というだけで胸が高鳴る。加えて、黒装束や黒い魔石に繋がる手がかりになるかもしれないという思いもあった。


 食事を終え、ヴェイルから詳しい地形や釣り情報を聞いたあと、三人は彼に礼を言い、ギルド出張所へ向かった。もし依頼が出ているなら正式に受注し、そうでなければ下調べを進めるつもりだ。

 カルネルのギルド出張所はメイン通りの奥にあり、外観はこぢんまりとしているが冒険者が数多く出入りして賑わっている。


「よーし、久々に釣り場チェックだな。海から湖にフィールドチェンジか……それもまた面白い」

「……ほんと、あんたは釣りのことになるとやる気満々だよな」


 ガーランが笑いつつ扉を押し開けた。その瞬間、受付カウンター近くで妙な気配を放つ人影が見えた。

 暗い色のフードを深く被り、顔を隠している。その姿は黒装束ほど露骨ではないが、どこかしら不穏さを漂わせている。カウンターで何やら書類を手にしていたが、こちらに気づくとサッと目を背けて出ていこうとした。


「……今のやつ、何か焦ってたような……?」


 守が気になって後を追おうとしたが、ガーランとリーリアが「今は後回しだろう」と止める。確かに確証もない相手に声をかけるのは危険だ。

 結局、三人は落ち着いて受付に行き、カルネル近辺の依頼リストを確認した。


「依頼は大きく分けて“山道の盗賊討伐”“森の薬草採集”などがありますが、湖に関する依頼は……残念ながら現時点では載っていませんね。あくまで噂レベルのため、正式なものが出せないようです」


 受付担当の女性が申し訳なさそうに言う。守たちは思ったとおりの回答に、やはりそうかと顔を見合わせる。

 が、やはり行方不明の噂は耳にしているらしく、ギルドとしても調査する意向はあるらしい。もし自発的に調べて何らかの“成果”を出せば、あとからでも報酬を申請できる可能性があるという。


「少なくとも、ナマズ型のヌシがいる湖というのは本当みたい。ここから一日ほど北上した場所にある“ラドリア湖”が怪しいわね」

「夜釣りで行方不明ってのがマジなら、そいつは魔魚化してるかもな……」


 ガーランが腕を組んでうなる。

 守は隣の掲示板を一瞥して「やるなら早いほうがいいだろう」と呟いた。怪情報が広まるほど、被害が拡大するリスクもある。

 受付担当から地図をもらい、三人は明日の朝にもラドリア湖へ出発しようと話をまとめた。温泉宿が途中にあるらしく、疲れを癒しながら向かえるのも悪くない。


「んじゃ、決まりだな。今日はこの町で買い出しでもして、夜は宿でゆっくりしようぜ」

「そうね。ガーランはいつもどおり、美味しい店でも探して……あ、でも守さんの釣り仕掛けの補充や、私の弓のメンテもしないと」

「あはは……何かと忙しいね。でもやることがあるほうが、冒険者っぽくていいじゃん」


 和やかに会話を続ける三人の背後で、先ほどのフード男が入口近くに佇み、こちらをチラリと見やっている。彼は何か言いたげに唇を歪めるが、三人が振り向くとサッと姿を消した。

 ――不穏な視線。これが何を意味するのかは、まだ分からない。だが、三人が次に向かうラドリア湖は、明らかに異様な“力”を孕む場所になりつつあるのだろう。


 彼らの足音は街中へ溶け、やがて夕暮れには新たな準備を整える姿がある。

 次なる舞台は“魔魚化した湖のヌシ”――はたして本当に魔物化しているのか、それとも別の真相があるのか。

 いずれにせよ、岸井守のロッドはまた新たな獲物を追い求める。本当に危険な“何か”が待ち受けていようと、釣りバカとしての情熱は揺るぎないのだから──。

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