6 鑑定
夜は静かに更けていった。結局、黒装束の集団が宿に襲撃をかけてくることはなく、明け方まで三人はほとんど眠れぬまま警戒を続けていた。
翌朝――。薄い光が窓から差し込み、静まり返っていた宿の廊下に人々の気配が戻り始める。ガーランはベッドにもたれかかったまま重いまぶたをこじ開けた。
「……なんとか、無事朝を迎えたな。襲撃がなくて何よりだ」
「でも、門が破られたって言うからには、連中がすんなり諦めたとは思えないわね」
リーリアは疲労の色を浮かべつつ、弓を手放さずにいる。用心して寝ずの番をしていたため、瞳にはわずかなクマが見えた。
「……俺もほとんど寝てないから、頭がぼーっとしてる」
守は大きくあくびを噛み殺しながら、釣り竿とタックルボックスをチェックする。どちらも特に異変はない。
「夜がダメなら昼間に狙ってくるって可能性もあるよな。今日、ギルドの“鑑定士”に会いに行くんだろ? そいつらが待ち伏せしてるかも」
「ま、そうだろうな。けど、いつまでも逃げ回ってるわけにもいかねえ。やることはやらないと」
ガーランの言葉に二人も小さく頷く。とりあえず、顔を洗って少しでも頭をすっきりさせようと廊下へ出たとき、宿の店主が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「ごめんなさいね、夜のうちに騒ぎになったらどうしようって、私も落ち着かなくて……。でも、無事でよかったわ。朝食は少しだけど用意してあるから、食べていってね」
「助かるよ。おかげで何とか気力で踏ん張れました」
簡単なパンと温かいスープをいただき、三人は準備を整えると宿を出る。まだ早朝で街は静まりかえっているが、門の方では人だかりができているらしく、遠目に見ても慌ただしい様子が伝わってくる。
「……こっちからは門が見えないけど、確かに何かあったみたいだな。とりあえず、ギルドへ行くか」
「うん。鑑定士さんも来ているなら、ユリナさんのいるカウンターに声をかけるといいんだよね?」
「そうだな。あんまり目立ちすぎずに、さっと向かおう」
仲間たちは、昨日と同じ通りを通ってギルドへ向かった。道中、行商人や通勤らしき人々がちらほら姿を見せるが、顔つきには緊張感が漂っている。みな口々に「門が破壊されたらしい」「黒尽くめの賊が侵入したんだと」「危なくて外出なんかできやしない」と噂していた。
ギルドの建物に着くと、入口付近でいつもの受付嬢・ユリナがまるで出迎えるように待っていて、守たちを見つけるなり安堵の表情を浮かべる。
「よかった……皆さん、無事だったんですね。宿が襲われるかもしれないと心配していましたが、被害はなかったようで何よりです」
「うん、朝まで張り込んでたけど、特に動きはなかったよ。そっちの門は大丈夫だったのか?」
ガーランの問いに、ユリナは苦い顔をして首を振る。
「門番が何人か負傷してしまいました。追撃隊を出したんですが、黒装束の集団は見当たらず……。どうも、目的だけ果たしてさっと引き上げたようなんです」
「目的って……何を狙ってたんだ?」
「わかりません。まだ調査中ですけれど、門の一角が破壊されているだけで、物が盗まれた形跡はないんです。ただ、気になるのは“街の中へ潜り込んだ可能性がある”ってこと……」
ユリナの言葉に一同は渋い顔になる。もし彼らが街に潜伏しているのだとしたら、いつどこで襲いかかってくるかわからない。
「だからこそ、私としてはなるべく早く“鑑定士”のところでその釣竿を調べてもらって、安全策を講じてほしいんです。もし本当に強力な魔力を持つ道具なら、正規の手続きでギルドの管理下に置いたほうがいいかもしれませんし……」
「そっか……わかった。正直、俺もこの竿がどんな力を持ってるのか知りたいし。頼むよ」
守はロッドを軽く握り直す。ユリナは安堵の笑みを浮かべ、「ではご案内します」とギルド内へと三人を通した。広間から裏手に伸びる廊下の先には、普段あまり立ち入らない個室が並んでいる。受付や酒場スペースのにぎやかさとは別世界のように静まりかえった場所だ。
その一室の扉をノックすると、中から落ち着いた声が返ってきた。
「失礼いたします。ユリナです。以前お約束した方をお連れしました」
「どうぞ。お待ちしておりましたよ」
扉が開くと、そこは書庫と簡易的な研究設備が合わさったような部屋だった。壁にはたくさんの本が並び、机の上には水晶玉や魔道具らしき器具が所狭しと置かれている。
そこに腰掛けていたのは、三十代くらいに見える男性。長めの黒髪を後ろでまとめ、端正な顔立ちを持つが、どこか研究者然とした雰囲気を漂わせていた。
「初めまして、私はギルド付の鑑定士をしているヴァルトと申します。ユリナさんから話は伺っていますよ。あなたが“異世界から来た釣り人”で、チートじみた道具をお持ちだとか」
「岸井 守です。こちらの二人はパーティ仲間のリーリアとガーラン。正直、俺もよく分かってないんですが……この竿とタックルボックスが妙な力を持ってて」
守がロッドとタックルボックスを示すと、ヴァルトの瞳が興味深げに光る。まるで宝石を見る子供のようなきらめきを帯びており、研究者の好奇心がはっきりと伝わってきた。
「なるほど……。まずはロッドを拝見してもよろしいでしょうか? どの程度の魔力反応があるか、少し調べさせてください」
「はい、お願いします。折れたら困るんですが……平気ですかね?」
「ご安心を。こちらも荒っぽいことはいたしませんから」
守がそっとロッドを差し出すと、ヴァルトは両手で丁寧に受け取り、机の上に広げた。続いて不思議な紋様が刻まれたルーペのような道具を片目に当て、先端からグリップまでしげしげと眺めはじめる。
時折、ヴァルトが小さく息を呑む様子を見て、リーリアは少し不安になりながらも「どうですか?」と尋ねる。
「……これは、予想以上です。私がこれまで見たどんな魔道具とも違います。素材自体に異世界の魔力が染みこんでいる……というより、“後天的”に付与された痕跡があるようですね」
「後天的……ってことは、元々はただの物に、何かの影響が加わったってこと?」
「はい。しかも、ごく短期間で。まるで、“世界を越える”際に何らかの強大なエネルギーが宿ったかのような痕跡です」
ヴァルトはルーペを外して小さく唸る。さらに手元から小さな水晶玉を取り出し、ロッドにそっと当てると、淡い光が揺らめくように広がった。
それを見守るガーランが、興味深そうに身を乗り出す。
「なあ、それで結局、この釣竿はどんな力を持ってるんだ? 形が自在に変化するとか、どんな相手にも耐えられるってのは、実際にオレらも見てきたが……」
「単刀直入に申し上げると、非常に“柔軟性”の高い魔力が込められているんです。たとえば持ち主が“こうあってほしい”と思えば、ある程度その形や性能を変化させることが可能になる。おそらく釣り糸やリール、その他の細かい部分も同様の原理でしょう」
「ほう……。じゃあ、今後もっと自由に性能を引き出せるかもしれねえのか?」
ガーランが腕を組んでにやりと笑う。守は一方で、期待と不安が入り混じった表情だ。
「もっと自由に……正直、凄すぎる話だよ。こんなの扱いきれる気がしないし、下手に力を使いこなせたら、それこそこの世界でやばい連中に狙われそうだし」
ヴァルトはわずかに眉をひそめ、冷静な声で続ける。
「確かに、大変貴重かつ強力な道具です。悪用すれば凄まじい災いをもたらす可能性もあります。ギルドとしては、あなたが危険にさらされるのは望ましくありませんから、安全策として“所有権”を公的に明確にする手段を取ることをおすすめしますよ」
「所有権を公的に……?」
「はい。要するに“岸井 守が正当な持ち主である”と、ギルドが公式に証明する形です。この世界には、強力な魔道具を奪い合う事件が少なくありませんから、そうした対策を取るのは一般的なんです」
それを聞いて、リーリアが「それがいいかもしれない」と頷く。
「確かに、守さんは異世界人で正式な戸籍もないから、そういう制度を利用して自分を守るのも手よ。誰かに盗まれたら、取り返すのだって一苦労だもの」
「うん……わかった。じゃあその手続きをお願いできますか?」
守が決意したように言うと、ヴァルトは「もちろんです」と穏やかに微笑む。
「その上で、もう一つお願いがありまして……タックルボックスも拝見できませんか? 自動で補充されるという話を伺いましたが、そちらも非常に興味深い……いえ、ぜひ安全性を確認したいのです」
ヴァルトの目が再び研究者らしく輝き、守も苦笑しながらボックスを差し出す。
「じゃあ、こちらも……ただ、細かい仕掛けが多いんで、扱いには気をつけてください」
「承知しています。中身を壊さないように、魔力の流れを診るだけにとどめましょう」
守がタックルボックスを机に置くと、ヴァルトは同じように道具を使って観察を始めた。その横でユリナがメモを取りながら見守り、ガーランとリーリアも興味津々に覗き込む。
ところが、その最中だった。廊下のほうから低い怒号のような声が響き、ギルド内部がざわめく気配がした。
「……なんだ?」
「外が騒がしい……まさか」
ガーランが立ち上がり、武器に手をかける。リーリアも弓を握り締め、守も緊張した面持ちでロッドを取り返した。
扉をノックする音が響き、ユリナが開けると、青ざめた表情のギルド職員が飛び込んでくる。
「大変です! 黒装束の連中がギルドの外を取り囲んでいて、“釣竿を差し出せ”と……!」
やはり――というか、予想どおりの事態に三人は顔を見合わせ、舌打ちするガーラン。
「ちっ、ついに来やがったか。やっぱり狙いは釣竿だな」
「くそっ……ギルドで鑑定してることも筒抜けってわけか」
守は心臓がどきどきと高鳴るのを感じながら、必死に落ち着こうとする。だが、この状況で冷静でいられる冒険者はそう多くない。少なくとも、彼らはプロだ。
ヴァルトはやや震える声で言った。
「ギルドの中には護衛もいますし、そう簡単に侵入はできません……が、相手が数をかけてくるなら被害が出るかもしれません。どうされますか?」
守はグッとロッドを握りしめ、深呼吸して答える。
「決まってる。俺の大事な釣り道具を奪われてたまるか……。ギルドに迷惑をかけるわけにもいかないし、正面から迎え撃つしかないだろう」
釣り竿を使って魔物を釣ったときの興奮が一瞬脳裏をよぎる。相手は人間だが、守るべきものを守るために、今の自分ができることは少ない。
ガーランとリーリアが頷く。
「そうと決まれば、オレたちも一緒だ。相手がどんな奴らか知らねぇが、まとめてぶっ飛ばしてやろうぜ」
「ええ。ギルドの皆さんもできる限りは守ってくれる。逆に言えば、ここで守さんの竿を渡したら、誰の命が狙われるかわからないから」
そうと決まれば行動は早い。守たちはヴァルトとユリナに「部屋から出ないで」と告げ、廊下へと飛び出す。そこにはすでに冒険者やギルド職員が集まり、武装して臨戦態勢をとっていた。
「外には何人くらいいるんだ?」
「ざっと十数名は確認。皆、黒装束で武器を持ってる。下手すりゃもっといるかもしれない……」
絶望的な人数差。しかし、一方でギルドも冒険者が集まる場所だ。腕っ節の強い連中が、一挙に盾となってくれる心強さはある。
玄関付近からは緊張感あふれる空気が漂い、外の通りからは怒号と人々の悲鳴が混ざるような音が微かに聞こえてきた。
「ガーラン、リーリア、覚悟はいい?」
「当たり前だ。そいつらが本気で襲ってきたら、返り討ちにしてやるまでよ」
「守さんのロッドがあれば、きっと道は開けるわ。やりましょう!」
腰に力を込め、守はロッドを掲げる。こんな形で“戦いの道具”にしていいのかという葛藤はあるが、今は背に腹は代えられない。
――さあ、奴らが何を仕掛けてくるのか。釣り竿を狙う暗黒の集団と、それを守ろうとする冒険者たち。ギルドを舞台に、緊迫の攻防戦が始まろうとしていた。
すべては、この世界で得た“チート釣具”と主人公・岸井 守の未来を巡る大きな戦いの幕開けかもしれない。先ほどまでの穏やかな朝の空気が、急速に張りつめていくのを感じながら、三人は決意を胸に玄関へと足を踏み出した。
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