5 アッシュウッド亭
依頼を無事にこなした守たちは、そのままギルドへ戻り、討伐証拠として回収した魔魚の牙やヒレを提出する。ギルドの受付嬢・ユリナは、それを確かめながら感心したように声を上げた。
「これはまたずいぶん気味の悪い……でも、間違いなく魔物魚の部位ですね。親玉まで仕留められたのなら、この付近の被害もしばらく落ち着くでしょう。ありがとうございます」
テーブルの上に置かれた黒ずんだ鰭や歯には、見るからに禍々しい雰囲気が漂っている。周囲にいた他の冒険者たちが「何だあれ」「うわ、グロいな」と顔をしかめる中、リーリアとガーランはさほど気にする様子もなく片付けを手伝う。
「いや〜、泥だらけで臭いは最悪だったが、ま、これで一件落着ってところだな。なあ、釣りバカ?」
「そうだな。大物を釣り上げられたのはうれしいけど、さすがに服も体もドロドロだよ。早く風呂入りたい……」
守が苦笑いしながらタックルボックスを置くと、ユリナがやや顔を赤らめて鼻をすすった。
「確かに、ちょっと……匂いますね。先に宿へ行って休んだほうがいいかもしれません。報酬はもう少し精算に時間がかかりますから、後ほど受け取りにいらしてください」
「あ、はい。了解です」
こうして守たちは、一時的にギルドを後にすることになった。ユリナが紹介してくれた安宿は、そこまで格式は高くないが温かい湯と食事が用意されているという。いかにも冒険者向けの設備が整っているらしく、ギルドと提携しているから安く泊まれるらしい。
街の大通りを抜け、細い路地を少し入ったところに建つ二階建ての宿――看板には「アッシュウッド亭」と描かれている。木造の扉を開けて中に入ると、ほんのり古い木の香りと温かい照明が出迎えた。
「いらっしゃい。あら、リーリアたちかい。今日は新人さんも一緒なんだね」
カウンターにはおっとりとした女性店主がいて、リーリアと顔見知りのようだ。守が礼儀正しく頭を下げると、店主は彼を上から下まで見て、「あらあら、随分汚れてるわねぇ」と苦笑する。
「ごめんなさい、ちょっと泥だらけの依頼だったものだから……」
「構わないわよ。裏手にある簡易風呂を使ってちょうだい。そこに熱いお湯を用意してるから、まずは体を綺麗にしてね。服は替えが必要かしら?」
「えっと……そうですね。着替えは持ってないので、せめて洗って干さないと……」
守が困り顔で自分の服を引っ張ると、ガーランが「しゃあねぇな」とポーチの中からいくらかの小銭を取り出した。
「ほらよ、釣りバカ。おまえ初日で金がねぇんだろ? オレが立て替えてやるから、とりあえず適当な服でも買っとけ。あとで報酬が出たら返せよ」
「まじか……助かるわ、ありがとうガーラン」
恐縮しながら金を受け取る守。初めて会ったときはぶっきらぼうな剣士と思ったが、こうして見ると随分と面倒見がいい。それとなくお礼を言うと、ガーランは「ふん」と照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「じゃあ、着替え買うにしても店仕舞いが早いところもあるし、先に風呂で泥落としてさっぱりしてこい。オレたちは宿の食堂で待ってるからよ」
「うん、わかった。じゃ、先に失礼します」
宿の裏手に回ると、木造の小さな小屋があり、中には大きめの湯舟が一つ据えられていた。そこに温かい湯が張られ、立ち上る湯気が疲れきった身体を誘うように揺れている。
守は釣り竿とタックルボックスを脇に置き、泥まみれの服を脱ぎ捨てると、思わずうめき声を上げた。
「はあ……極楽だ……」
お湯に浸かると、全身の疲労や冷えがじんわりと和らいでいく。日本でも釣りに行った後に温泉に入ったりはしたが、異世界での冒険の疲れが癒されるこの瞬間は格別だ。
ぽかぽかと湯を楽しんでいると、ふと釣り竿の方へ目をやる。脱いだ服と共に置いてあるソレは、今も不思議なオーラを漂わせているようにも見える。
(この竿……いつの間にこんなに丈夫になったんだろう。しかも形や長さまで自在に変わっちゃうし。タックルボックスも、使ったルアーや仕掛けがいつの間にか補充されてるし……)
現実離れしたその力。自分はただのサラリーマンで、強大な魔力を持っているわけでもない。にもかかわらず、なぜか釣り道具だけが“チート”じみた性質を得ている。今後、この力が周りにどう影響するのだろう。
そんな疑問に答えが見つかるはずもなく、守は頭を振って深く息をついた。
「まあ、今はありがたく使わせてもらうしかないか……。これでヌシ級の魔物魚も釣れるなら、俺としてはやりたいことが山ほどあるしな」
ぽつりと呟く声に、湯舟の中でささやかな波紋が立つ。
すると、何やら裏口の方から足音が聞こえた。男物の低い声だ。
「悪ぃな。まだ使ってたか?」
「ガーラン? ああ、もうちょいで上がるけど……」
扉の隙間からガーランが顔を出す。やや困ったような表情だ。
「いや、着替えを買いに行くなら、このままじゃ行けねえだろ? 宿の婆さんが前に使ってた古い服があるから、一時的に借りればいいんじゃねえかってさ」
「え、マジ? 助かるわ……裸で道歩くわけにもいかないしな」
ガーランは手にシャツとズボンらしきものを持っている。多少の使用感はあるが、ひとまず問題なさそうだ。
「あと……おまえに会いたがってる奴がいるらしい。受付のユリナから連絡があったんだが、ギルドの奥で“鑑定”を仕事にしてるって魔法使いがいるんだと。なんでも“チート釣竿”を研究したいとかなんとか……」
「へえ……俺の竿を?」
守は一瞬迷ったが、正直、自分自身が一番疑問を抱えている。専門家が見てくれるなら、何かわかるかもしれない。ガーランが続ける。
「ただ、妙な連中もいるから気をつけろよ。あまり深入りしすぎると、その竿を狙う輩に利用されかねない」
「まあ、そうだよな。でも、ちょっと話だけでも聞いてみたい。どうしてこんな力が宿ってるのか知りたいし」
守は湯舟から立ち上がり、ガーランに受け取った服を身につけ始める。多少ダボつくが、ないよりはましだ。
風呂を後にして宿に戻ると、食堂にはリーリアの姿があった。テーブルには簡素な食事が並べられており、まだ手はつけられていないようだ。
「おかえり、守さん。さっぱりした? その服、意外と似合ってるわね」
「ダボダボだけどな。ありがとな。飯、一緒に食べるか?」
「ええ、ガーランがもう少ししたら来るって。とりあえず始めましょう」
スープやパン、焼いた野菜といった素朴なメニューだが、疲れた身体にはちょうどいい。守は頬張りながら「うまいな」とほっこりした笑みを浮かべる。
ほどなくガーランもやってきて、三人で夕食を囲むことに。日没が近づくにつれ、外は薄暗くなってきていた。
「ところで、守さん。ユリナから伝言があったでしょ? “鑑定士”のところへ明日にでも行ってみたらどうかって話」
「うん、行こうかと思う。俺も竿の秘密を知りたいし、利用できるものならちゃんと理解しておきたいから」
「そうか。オレたちも付き合うぜ。怪しい奴におまえだけで行かせたら心配だ」
ガーランがまるで兄貴分のように言い放つと、リーリアも頷く。
「ええ、私も一緒に行くわ。その“鑑定士”が信頼できる人かどうか、ちゃんと判断しないとね」
「ありがたい。二人が一緒なら心強いよ」
こうして明日の予定を確認し合いながら、三人はささやかな夕食を楽しんだ。長い一日を終えて、身体を休めるために早めに就寝しよう――そんな話が出たとき、宿の扉が急に開いて、慌ただしく人が入ってきた。
「うお、なんだ……?」
「こんな夜更けに?」
足音とともに現れたのはギルドの使いのような青年だった。息を切らしながら、宿の店主に何やら伝えている。どうも緊急の依頼か、連絡事案でも入ったのだろうか……。慌てて駆け寄るリーリアとガーラン。
「どうした? ギルドで何かあったのか?」
「あ、ガーランさん、リーリアさん……、それに岸井さんも! 実は、さっき街の門の外で大きな騒ぎがあって……夜襲を受けたって話なんです! しかも魔物じゃなく、人間の仕業らしくて……」
一気に緊張が走る。店主も驚いた顔でこちらを見た。
青年は息を整え、続ける。
「黒装束の集団が門番を襲って、街に侵入した形跡があるんです。もしかしたら、ギルドに何かを狙ってるのかもしれない、とか……。念のために皆さんには警戒してほしいって、ユリナさんが……」
黒装束。まさに守の釣竿を狙っていると言われている連中と繋がる可能性は高い。ガーランとリーリアが即座に顔を見合わせる。
「やっぱり動き出したか……厄介だな。守、オレたちが宿にいても奴らが襲ってくる可能性はある。どうする?」
「どうするって……守りを固めるしかないよな。だけど、いきなり襲われても困るし……」
守も釣り竿を握りしめ、唇を引き結ぶ。まだ自分の正体や竿の力を完全に把握していないうちに、この世界の闇に踏み込んでしまったのかもしれない。けれど、逃げるわけにはいかない。
「……わかった、今夜は注意深く動こう。宿の人にも迷惑をかけたくないし、俺たちだけ別の場所で待機するって手もあるけど……どうしよう?」
「いや、今のところ彼らの目的がはっきりわからねえ。下手に外を出歩くのは危険だ。ここに籠って、来るなら迎え撃つ方がいいだろう」
ガーランは経験に基づく判断らしく、自信ある口調だ。リーリアも「私もそう思う」と同意する。
そんな中、青年が「とにかくギルドからも増援が来る予定です。今は宿の安全を確保して、絶対に一人にならないでください」と言い残し、慌ただしく帰っていった。
こうして宿の夜は、一気に緊迫感を帯びたものとなった。店主は入口に鍵をかけ、守とガーラン、リーリアは一つの部屋に集まって待機することにする。いつ襲われてもいいように、武器や釣竿を手元に置いて。
「……はあ、初日からこれかよ。ほんとに波乱万丈すぎるだろ」
「釣りバカ、今さら嘆いてもしょうがねえだろ。覚悟しとけ。こっちの世界は、命のやり取りが日常茶飯事なんだ」
「わかってる。だけど、俺にできることは“釣る”ことくらいしかないから……」
苦笑しながらも、守はロッドのグリップを確かめる。いつでも振りかぶれるように構えていると、リーリアが小さく微笑んだ。
「釣り竿で戦うなんて、普通なら考えられないけど……あなたのそれなら、きっと何とかなるわ。私とガーランもちゃんと援護するから、無理はしないでね」
「ありがとう。頼りにしてるよ。……さて、襲撃者はいつ来るか……とりあえず寝ずの番をするしかないか」
三人は互いに頷き、夜の闇を警戒しながらひっそりと待機を始める。外ではかすかな風の音と、時折通りを歩くパトロールの足音が響く程度だ。
――これがただの杞憂で終わればいいのだが……守は胸の奥に重い不安を抱えつつ、闇に目を凝らす。
果たして“黒装束の集団”が狙うのは本当に彼の釣竿なのか。それとも、別の思惑が渦巻いているのか……。
そんな疑問に答えはなく、長い夜が静かに更けていく。やがて迎える朝が、さらに激しい波乱を呼び寄せるとも知らずに。
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