7 黒装束

 ギルドの玄関扉を開けると、朝の光が射す街道には、異様な緊張感が漂っていた。黒装束の集団が、まるで人垣を作るように道を塞ぎ、行き交う一般市民たちは遠巻きにおびえている。ときおり悲鳴やざわめきが上がり、冒険者ギルドの建物に注がれる視線には恐怖が混ざっていた。


「おい……あいつら、十や二十じゃねえな」

 ガーランが小声で呟きながら周囲を見渡す。街道の左右に広がる路地にも、いくつか黒装束の人影がちらつく。まるで包囲網だ。

「ここまで堂々と攻めてくるなんて……やっぱり、相当な組織力ね」

 リーリアは弓を握りしめ、冷静に矢筒を確認する。


「釣竿を渡せ! さもなくばギルドごと焼き払うぞ!」

 黒装束の中でも特に大柄な男が、喉を震わせて怒鳴った。ギルドの正面玄関前には、すでに数人の冒険者が盾を構えて立ちはだかっているが、全員が硬い表情をしている。

「ギルドは公共の施設だぞ! 勝手に襲撃すれば、国家にも喧嘩を売ることになるんだ!」

 前列に立つ冒険者の声も虚しく、黒装束の男は鼻で笑うだけだった。


「構わん。オレたちは“釣竿”が手に入ればいい。武力行使が禁止されているわけじゃない。邪魔するなら、おまえたちもまとめて始末するだけだ!」


 その言葉に、ギルドの冒険者たちがざわつく。中にはランクの高い実力者もいるはずだが、黒装束の集団もまたただ者ではないのだろう。彼らのうち何人かは、怪しげな呪符や錬金道具らしきものを手にしており、魔法や毒物といった手段も躊躇なく使いそうだ。


「やれやれ、物騒な連中だぜ……」

 ガーランは剣の柄を握ったまま、守とリーリアを振り返る。

「釣りバカ、あいつらの要求どおりに竿を差し出すか?」

「……するわけないだろ。奪い取られたら、今度はどんな悪用をされるか分からないし……」


 守の目には迷いが残っていた。相手は“人間”だ。魔物を釣り上げたときとは異なる怖さがある。だが、ここで折れては自分の大切なものを守れない。仲間やギルドへ迷惑をかけるだけでなく、最悪、街中に死傷者が出かねない。


「……やるしかない、か」

「そうね。でも私たちだけじゃ無理がある。ギルドの冒険者と連携しながら戦おう。罠にかけられないように慎重に動くのよ」

 リーリアの弓がかすかに震えるが、その瞳には覚悟の光が宿っている。


 そのとき、黒装束のリーダー格が合図をすると、部下たちは一斉に前進を開始した。なかには鋭い鎖鎌や長剣を構える者、闇魔法の気配を纏う者など、クセが強そうな連中が散見される。ギルド前に布陣した冒険者たちも応戦態勢を取ったが、すぐに小競り合いが始まる。


「くそっ、あいつらマジで突っ込んできやがった!」

「矢を放て! 足止めしろ!」


 冒険者たちが指示を叫ぶと同時、守もロッドを握り込み、タックルボックスに手をかける。昨夜ヴァルトの部屋で見つけた“新しいルアー”がある。先端に小さなフック状の刃が付いており、魔力の光で黒っぽく輝いていた。


(人間相手にルアーを使うなんて、正直気が進まないけど……何もしないでやられるわけにはいかない!)


 守は一気にキャストの姿勢を取り、玄関前まで進む。ガーランとリーリアが左右を固め、周囲からの斬撃や飛び道具を牽制してくれている。


「オラァ! 邪魔するんじゃねえ!」

 黒装束の一人が迫ってきたところを、ガーランが剣で受け止め、蹴りを入れて弾き返す。リーリアは反対側から飛んできた飛び道具を弓矢で叩き落とした。


「釣りバカ! 安全に振れる位置は確保してやったぞ!」

「サンキュ、ガーラン――!」


 守は力強くロッドを振り、ルアーを空へ向けて放つ。狙いは黒装束の集団のやや後方。もしうまく引っかけられれば、一部を強引に引き倒すか攪乱できるはずだ。

 ――ヒュンッという風を切る音とともに、闘いのただ中へと飛び込む金属の光。黒装束の数名がそれに気づき、慌てて体をよじる。


「なんだ、ルアー……? 馬鹿な、こんな戦場で何を――ぐあっ!?」


 そのうちの一人の腕にルアーのフックがガツンと食い込み、その瞬間強烈な引きで体が引き寄せられた。異常なまでの力に抗う術もなく、地面を滑りながら前のめりになる。

 同時に守はロッドを立て、慣れた“合わせ”を入れるかのように反動を利用して敵を振り回す。まるで巨大魚を掛けたかのようにしならせ、黒装束の仲間数名に激突させた。


「うわあぁっ!」

「いてぇっ、なんだコイツ!」


 怒号が飛び交い、二人ほどが巻き添えをくらって転倒する。その隙にガーランやリーリア、他の冒険者たちが一気に押し返し、前列を崩していく。


「よし、効いてるぞ! ちょっと気が引けるけど……やるしかない!」

 守は素早くリールを巻き取り、また別の敵に狙いを定める。釣り竿が折れる様子はまったくない。後天的に付与された魔力と、守自身の“釣り経験”が融合して、信じられないほどの戦闘力を発揮していた。


「くっ、釣竿の力がこんなに厄介とは……!」

 黒装束のリーダー格が舌打ちする。彼の背後には、一際強そうな魔術師らしき者がいた。


「――ならば、こちらも本気を出そうか。封印呪文で連中を無力化する」

 魔術師は地面に黒い円を描き、そこから紫色の霞のようなものを立ち上らせる。冒険者たちの中にも魔法使いはいるが、完全な形で詠唱に入ってしまったら厄介だ。


「守さん! あの魔術師を止めないと!」

「わかった! ちょっと狙いを……っ!」


 守が視線を送ると、魔術師の周りには複数の護衛が陣取っている。ルアーで引っ掛けようにも、あれだけ遮られては容易に近づけない。

 だが、そこでガーランが一歩前に踏み出す。


「釣りバカ、あの護衛どもを手前に引きずり出せないか? オレが魔術師を直接叩く!」

「なるほど……やってみる!」


 息を合わせ、守はフック系のルアーを再度キャスト。護衛の背後、魔術師の足元近くを狙ってラインを走らせる。案の定、護衛たちはそれを見て一斉に構えを変えた。

 ――刹那、ルアーが地面を軽く跳ね、予想外の方向へバウンドする。護衛の一人は驚いて武器で弾き返そうとするが、そこへ守が絶妙なタイミングで糸を操作し、フックを引っ掛ける。


「うおっ……くそっ、やられた!」

「今だ、ガーラン!」


 護衛が釣り糸に絡め取られた隙に、ガーランは魔術師への最短ルートを走り抜ける。すれ違いざま、他の護衛が剣を振り下ろしてきたが、ガーランは身をひねって避けながら太刀筋で反撃し、一気に突破。

 そして、呪文を詠唱中の魔術師の懐へ鋭く踏み込むと、その腹に拳をめり込ませた。


「ぐはっ!」

 詠唱が乱れ、立ち上っていた紫色の霞がふわりと散る。


「悪いが、その呪文はやらせねえよ!」

 ガーランの追撃を受け、魔術師は意識を失ったかのように崩れ落ちた。


「いいぞ、ガーラン!」

 守が叫ぶと、リーリアは矢をつがえてリーダー格を狙う。周囲の冒険者たちも一斉に士気を上げ、混戦を優勢に持ち込み始めた。黒装束の集団は数こそ多いものの、ひとたび主力の魔術師が潰されると動きが乱れ始める。


「こいつら、人数が多いわりに連携が甘いわね!」

「あるいは、一部だけが本命で、あとの連中はかき乱すための雑兵か……」


 とにかく、今が押し返すチャンスだ。ギルド冒険者たちは一斉に前へ進み、黒装束を追い立てる。リーダー格の男は周囲を見回して歯噛みしながら叫んだ。


「ちっ……ここまでとは……! “釣竿”の力、甘く見ていたか」

「隊長! やはり一時撤退を……」

「くそっ、仕方ねえ……全員引くぞ!」


 リーダーが撤退の号令をかけると、黒装束たちはスッと一斉に身を翻した。数名の冒険者が追いすがろうとするが、黒装束の連中もただ逃げるだけでなく、煙玉や目くらましの爆薬などを投げつけ、巧みに退路を確保していく。


「待て、こらぁ! 逃がすか!」

「深追いは危険だぞ!」


 ガーランが追撃を試みるが、路地裏や建物の影に煙が立ち込め、視界が悪い。何人かは確保したが、多くの黒装束が逃げおおせてしまった。

 結局、大規模な正面衝突になりながらも、黒装束の目的は果たされず、ギルド側も最小限の被害で済んだ形となった。


「はぁ、はぁ……やったのか……?」

 守は息を切らしながらロッドを握り、地面にへたり込む。釣り竿での戦闘なんて慣れているはずがない。身体中が疲労でガクガクと震えていた。

 リーリアが彼の肩に手を置き、ほっとしたように笑う。


「うん……逃げられはしたけど、あなたの竿は守れたわ。怪我はない?」

「大丈夫……。ガーランは?」

「オレも平気だ。敵さんも甘く見てたみたいだな。まさか釣竿でこんなにやられるとは思ってなかったろう」


 ギルドの周囲には、倒れた黒装束の一部や拘束された仲間が転がっている。冒険者たちが手早く状況整理を進め、辺りには緊張が残りつつも一応の落ち着きを取り戻し始めた。


「しかし、結局あいつらは何者なんだ? 釣竿を狙ってるってのはわかったが……」

 ガーランが捕縛した黒装束の男をちらりと見やる。男はまだ意識があるようだが、強く口を閉ざしている。

「情報を吐かせようにも、口封じの呪符でも仕込まれてるかもしれないし、ギルド側に任せるしかないわね」


 リーリアの言葉に、守は安堵と恐怖が入り混じった表情でロッドを見つめた。

(ここまでして狙われるなんて……やっぱり、この竿はただの魔道具とは違うんだ。うまく扱わないと、本当に誰かが死ぬかもしれない)


 それでも、今は仲間たちと力を合わせ、守り切ったという事実がある。守は倒れた敵たちを見据えながら、心に決める。


「俺……もっとちゃんと、この竿の力をコントロールできるようにならなくちゃ。中途半端な使い方じゃ、周りに迷惑かけるだけだし……」

 すると、ガーランがぽんと守の背中を叩く。

「安心しろ、オレたちが一緒に考えてやる。釣りバカに振り回されるのは慣れてるからな」

「……ふふっ。私も興味があるからね、この竿とあなたの“釣り”の可能性に」


 リーリアが微笑み、三人はお互いの存在を確認し合うようにうなずいた。どんなに困難が待っていても、共に乗り越えていくと。


 こうして冒険者ギルド前での戦闘はギルド側の勝利に終わり、多くの謎を残しつつも守たちは再び一歩を踏み出す。

 ――黒装束の連中がどこへ逃げたのか。彼らの背後にいる組織は何なのか。

 そして、釣り竿に秘められた力が、今後どのように世界に波紋を広げていくのか。


 朝の日差しが照りつける街路に、残るのは戦いの爪痕と、かすかな硝煙のにおい。けれど、その向こうには確かに新しい“釣りバカ”の冒険の日々が待っている。

 守はロッドを抱きかかえ、決意新たに立ち上がった。次なる獲物を釣り上げることが、この先に訪れるさらなる試練を乗り越える糸口になる――そんな予感を胸に抱きながら。

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