4 魔物魚

 早速依頼を受理した守たちは、その日のうちに「街外れの池」に向かうことにした。ギルドで渡された地図を頼りに、街の門を出てほどなく――視界に灰色がかった水面が広がり、木々に囲まれた小さな池が現れる。


「ここが目的地か。確かに陰鬱な雰囲気だな」

 ガーランが手にした紙を見つめながら呟く。ここ数日、池の近くを通る農民や旅人が何者かに襲われた、という報告が相次いでいたらしい。


「普通の魚ならともかく、魔物化した連中が棲みついてるんでしょ? 注意してね、守さん」

 リーリアは弓の弦を軽く引き、いつでも射撃できるように構える。対して守はというと、タックルボックスの蓋を開き、今にも釣りを始めるような目をしている。


「うん、まずは状況を見極めたいから、池の周りを少し歩いてみよう。どこがポイントになるのかも知りたいし」


 そう言って守は池の縁を探りはじめる。辺りには湿った草が生い茂り、足元を踏むたびに微かなぬかるみが広がる。近づくだけで鼻を刺すような生臭さを感じ、通常の池とはどこか違う嫌な雰囲気が漂っていた。


「ガーラン、なんか腐った魚の匂いがしない?」

「おう、鼻が曲がりそうだ。腐臭と泥が混じったような……おえっ」


 顔をしかめるガーランをよそに、守は興味深そうに池の水を覗き込む。濁りがひどく、中の様子はよく見えない。だが、時折水面がぷくりと泡立ち、何かがうごめく気配が感じられた。


「……この感じだと、魚が大量に死んで腐ってるか、何かの魔力が溜まってるのかも。まあ、やってみるしかないね」


 守は愛用のロッドを構える。さっきまで渓流竿程度の長さだったが、今見ると少し長く、太めになっている気がする。大型の獲物にも耐えられそうな形状だ。

 そしてタックルボックスから取り出したのは、怪しく光るメタル系のルアー。先ほどギルドで選んでいた中でも、一際異質な妖しい色彩を放つ一品だ。


「うわ、また変なルアー出してきたな。おまえ、そんなのどこで手に入れたんだ?」

「どこでって言われても……いつの間にか増えてたんだよな、これ。試しに使ってみるよ。あまり暗い水中でも目立ちそうだから」


 水面を狙ってキャスト動作に入る守。右手でロッドを振りかぶり、狙いを定めると――ヒュンと空を切る鋭い音が鳴る。メタルルアーは虹色の軌道を描きながら濁った水面に着水し、ぽちゃんと小さな波紋を立てた。


「……よし。さあ、食いついてこい、魔物魚ちゃん。とりあえず一匹顔を見せてくれ」


 巻き取りを開始すると、ルアーがキラキラと泡の向こうで揺れ、軽い振動が手元に返ってくる。釣りに慣れていないリーリアとガーランも思わず息を呑む。

 すると、すぐにググッと重みがラインを引っ張り、手元に何かが当たる気配があった。


「来た……! 早いな……。って、重っ!」


 普段の魚とはまるで違う圧力に、守は思わず声を上げる。強烈な引きがロッドをしならせ、水面がゴボゴボと泡立った。

 次の瞬間、水しぶきとともに姿を現したのは、グロテスクに歪んだ魚のような生き物。確かに鯉やナマズを思わせるフォルムだが、体表には小さな棘や瘤があり、その目は不気味な赤色に光っている。


「うわっ……な、なんだこりゃ。見た目が完全に化け物だな」

「魔物魚……しかもこれ、一匹だけじゃないかも!」


 ガーランが鋭く周囲を見渡す。池のあちこちで水柱が立ちはじめ、似たような怪魚が次々と浮かび上がってきた。リーリアは素早く弓を引き絞る。

 守がロッドを立て、ファイトを続けると、怪魚は狂ったように暴れ、口から泥のような黒い液体を吐き散らかした。飛び散った液体が地面に落ちると、じゅうじゅうと小さな泡が立つ。


「毒か? 厄介だな……! 守、下がれ!」

「いや、ここでバラせるか……! このまま釣り上げて……ガーラン、頼む!」


 守の合図で、ガーランは怪魚が地面近くまで引きずられた瞬間を狙って斬りかかる。ずばっと剣が入ると、怪魚は一声叫ぶようにのたうち回り、ズルンと地面に倒れ込んだ。

 無惨に泡を吹く魔物魚を見下ろすガーラン。


「ふう……こいつ、でかいくせに毒まで吐きやがって……。これが何匹もいるとは面倒だな」

「でも、なんとなくコツは掴めそう。ラインを傷つけられたり、毒を浴びたりしなければ釣り上げられそうだし……リーリアも援護頼む!」


 守は、次のキャストに備え、再び糸をたぐり寄せる。リーリアは弓を構え、水面に出現する怪魚に狙いを定めた。


「任せて! あなたが引きずり上げるところを狙うから!」


 ピシッと弓弦を鳴らすやいなや、リーリアの放った矢が泳ぐ怪魚の背に突き刺さる。もがき苦しむ相手を守がロッドで強引にこちらへ引き寄せ、ガーランが止めを刺す。連携がスムーズに取れはじめたことで、次々と魔物魚を仕留めていく。


「おお……すげぇ。三人でやれば、けっこうイケるもんだな。ってか、このロッド、本当に折れそうにないし、ラインも切れないなんて……マジでチートだよ」

「そりゃあ助かるが……何だか不気味だぜ。その道具、もともとおまえの世界にこんな力はなかったんだろ?」

「そう、ただの釣り竿だったんだけど……。まあ、今はありがたく使わせてもらうよ」


 守が苦笑いすると、怪魚はまだまだ奥の方から湧いてくるようで、水面がさらに騒がしくなる。


「ひょっとして、池の底に親玉でもいるのかな? どんどん数が増えてくるじゃん」

「それはありそうね。普通、こんなに一斉に襲ってくるなんて変だもの」

「そういうことなら、池を少し巡ってみるしかなさそうだ」


 三人は手分けして、池の端から奥へと移動する。足場の悪い泥と水際を縫うように進むと、広がりが思ったより大きいことに気づく。

 そして、鬱蒼とした藪を抜けた先で、妙に水が渦を巻いているエリアを発見した。そこだけやたら深そうで、池の底から不気味な泡がゴボゴボと立ち昇っている。


「うわ……あそこ絶対ヤバいだろ。臭いもキツいし……」

「でも、何か大物がいるとしたらあそこじゃない? 行ってみましょう」


 守がロッドを握り直し、いつでもキャストできるよう構える。リーリアは弓矢を番え、ガーランは剣を抜いて慎重に一歩を踏み出した。


「くっ……毒ガスみたいなのが混じってねえか……?」

 ガーランが鼻をつまみながら辺りを見回すと、突然、水面から何か黒い影が突き出てきた。

 ――巨大な、鰻のような体を持つ魔魚。頭には角状の突起があり、目は裂けるように赤く光っている。


「グギャアアァッ!」


 化け物じみた叫び声に、守は背筋を凍らせる。しかし、その表情にはどこか“獲物を目の前にした釣り師”の熱が宿っていた。


「き、きたな……これが親玉か!」

「こいつぁちょっとやそっとの釣りじゃ無理じゃねえのか?」

「やってみなけりゃわかんないって! リーリア、ガーラン、悪いけど援護頼む!」


 守はルアーを持ち替えた。タックルボックスの底から取り出したのは、さっきよりも大型で、ギラギラと怪しく光を反射するリップ付きのルアー。ほんの一瞬、ルアー表面の模様が何か文字めいた光を放ったようにも見えたが、気のせいだろうか。


「行っけええええっ!」


 叫びとともにフルキャスト。ロッドが今まで以上にしなり、ルアーは真っ直ぐ魔魚の顔面付近に落ちる。

 ドボンという水音と同時に、魔魚が反射的に大口を開けた。


「かかった――!」


 一瞬でロッドに強烈な重みがのしかかる。金属が軋むような音が手元を伝わり、“グイイイイッ”と芯から竿が曲がる。普通の釣竿ならこの時点で折れていただろう。

 釣り竿の変形や強度を信じて、守は必死に耐える。背後のガーランとリーリアが横合いから注意深く援護態勢に入る。


「おい、こいつ毒液ばらまいてきやがる! 気をつけろ!」

「リーリア、狙えそう?」

「何とか……でも守さんの糸が邪魔になりそう。ああ、もう少し引き上げてくれれば射線が取れるのに……!」


 魔魚は恐ろしい力で暴れ回り、池の周囲をドロ水だらけにしていく。守の足元もぬかるんで滑りそうになるが、踏ん張りながら糸を巻き取り、少しずつ怪物を岸辺へ引き寄せる。


「くそ……こいつ、魚のくせに怪力過ぎるだろ……!」

「守さん、後ろに倒れないように!」


 リーリアの声が飛ぶと同時、魔魚が派手に尾を振り回し、大量の泥水をぶちまける。視界が一瞬奪われるが、ガーランが盾代わりに剣を構えて泥水を受け止めた。


「今だ、引き寄せろ!」

「わかってる……うおおおおっ!!」


 歯を食いしばり、守はロッドを一気にあおる。あり得ないほどのパワーが竿から湧き上がるように手に伝わり、巨大魚の体が水際へとずるずる移動してきた。暴れながらも、その口からは泡と毒液が噴き出す。


「リーリア、今!」

「うん……ここ!」


 リーリアが狙いを定め、鋭い矢を放つ。見事に魔魚のエラ付近へ命中し、怪物の動きが鈍ったその一瞬――ガーランが逆方向から斬りかかる。

 激しい断末魔が響き渡り、魔魚は血混じりの泥水を撒き散らしながらうめき声を上げると、やがて大きくのたうち、静かにピクリとも動かなくなった。


「はぁ、はぁ……やったか……?」

 緊張の糸が切れたように、守がロッドを岸へ放り出す。毒液を飛ばされ、服も泥だらけだが、無事に仕留めることができたらしい。


「死んだな……これで池の主は終わりか」

「ふう……くっさー、なんなのこの毒臭。ちゃんと洗わないと服がダメになりそう……」


 リーリアが汚れたマントを振りながら、安心したように息をつく。守も腕を回しながらほっと一息。

 ――だが、そのとき。魔魚の体から、奇妙に黒ずんだ光が立ち上ったかと思うと、シュウウッと音を立てて池の水面に吸い込まれるように消えていった。


「今……何か出たよな?」

「ええ。魔力の塊みたいなものが……この池の底に流れてったのかしら?」


 二人の視線を追うように、ガーランが目を凝らす。だが、すでに水面は静寂を取り戻しつつある。最初の異常に比べれば、ずいぶん落ち着いているようだ。

 どうやら“親玉”を倒したことで一連の暴れ魚たちは沈黙し始め、池の魔力汚染もやや緩和されているらしい。


「依頼としては、これで一応は完了だろう。だが、さっきの不気味な“魔力”は気になるな……」

「うん……あとでギルドの方に相談してみようか。あれがまた復活する原因とかじゃなければいいんだけど」


 三人は荒れ果てた池の岸に立ち尽くしながら、ひとまず討伐完了の達成感を味わう。そして守は、ずぶ濡れになったロッドを手に取ると、釣り糸を丁寧に巻き上げる。

 不思議なことに、ロッドの先端やリールには目立った損傷はなく、ルアーも無事。まるでこの世界に適応したかのように、どんな負荷にも耐え続ける。


「こいつ……ほんとに折れないな。俺もまだ信じられないよ」

「ま、それを活かせるんなら、今後の依頼も心強いってことだな。……さて、こいつ(魔魚)の死体どうする? 報告用に証拠を持ち帰らねぇと」

「たぶん、魔物魚の牙かヒレか、何か特定の部位を剥ぎ取って持っていくんじゃない?」


 小さくうなずくと、ガーランが黙々と魔魚の一部を解体しはじめる。リーリアは付近に残っている小さな魔物魚を仕留めながら、池の安全を確かめて回る。

 守も泥まみれになりながら手伝ううち、これが“冒険者の仕事”なんだという実感が湧いてきた。日本でのサラリーマン生活では考えられない、危険で泥くさい世界。しかし、どこかワクワクする自分がいるのを自覚してしまう。


「何はともあれ、これで報酬はもらえそうだ。しっかり宿も取れるな」

「うん……ありがとな、ガーラン、リーリア。俺、なんか色々助けてもらっちゃって」

「こちらこそよ。あなたがいなかったら、親玉を水中から引きずり出すのは難しかったもの」


 三人で顔を見合わせ、疲れた笑みを浮かべる。波乱の依頼だったが、成功の達成感は大きい。

 ――ただ、一方で。


 ギルドへ戻り、報酬を受け取り喜び合う守たちとは裏腹に、街の裏通りでは黒ずくめの人影が別の情報屋と密談を続けていた。

 「間違いない。あの釣竿には、通常の魔道具を超える価値がある。なあ、闇市に流せばとんでもない金が動くだろう?」

 「フフ、あの冒険者どもが下手に力をつける前に、先手を打つのが利口だな。さて……どう仕掛けるか」


 湿った夜の風が、街の石畳をそっと撫でる。釣り竿をめぐる暗い思惑が、ゆっくりと彼らの周囲を取り巻き始めていた。

 そしてこの時、まだ何も知らない守は、ギルドでの戦利品清算を終えて、どんな夕食にありつこうかと能天気な思考を巡らせているのだった。


 ――「俺の釣り竿が、そんなに狙われることになるなんて……」


 それを知るのは、もう少し先のお話である。

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