3 初依頼

 「それじゃ、ギルドの中をひと通り案内するわね」

 リーリアが柔らかな笑みを浮かべ、守を連れてカウンターの奥へと向かう。ガーランは受付で依頼の報告を進めるらしく、ユリナと話し込んでいた。

 ギルドの広間には、いかにも屈強そうな戦士や魔法使い、斥候風の軽装の冒険者などが思い思いに雑談したり、食事を取ったりしている。壁には「クエストボード」と呼ばれる掲示板があり、そこには「○○討伐依頼」や「素材収集依頼」などさまざまな紙が貼られていた。


 リーリアは手近な板に目をやりながら、守へと説明する。

 「あそこにあるのが、一般的な依頼の一覧。冒険者は、自分のランクに合った依頼を選んで受けるの。守さんはまずFランクだから、あまり危険度の高いクエストは受けられないはずよ」

 「なるほどね……。仕事の種類も色々あるんだな。でも、俺の“釣り”が役に立つ依頼なんてあるのかな?」

 くぐもった声でつぶやく守に、リーリアはふっと笑みを返す。

 「あるわよ。“川や湖で暴れている魔物魚の討伐依頼”とか、“珍しい水産物を仕入れてほしい”って依頼もあるから。たとえFランクでも、あなたの釣り道具が本物なら十分こなせると思うわ」


 そう言われ、守は少し気持ちが浮き立つ。見慣れない世界とはいえ、釣りで貢献できるなら、なんだかんだでやっていけそうな気がしてきたのだ。

 掲示板にちらりと目をやると「下水道の大ナマズ討伐」という紙が貼られている。まるでギャグのような依頼だが、今の守にはむしろ興味が湧いた。


 「へえ……“下水道の大ナマズ討伐”か。面白そうだな……って、いや、汚いし匂いもきつそうだし、実際はキツいよな……?」

 「あはは、そうね。しかも下水道は細い通路が多いから、あのロッドがどこまで活かせるか……。でも大ナマズは危険な魔魚だから、まともにぶつかると厄介よ?」

 リーリアは笑いながらも、守の無謀な好奇心を少し心配そうに見つめる。


 すると、不意に背後から声がかかった。

 「おい、そこの“フィッシャー”とかいう新人」

 振り返ると、筋肉質で背の高い男が腕を組んで立っていた。二、三人の取り巻きを連れており、皮鎧と大振りの戦斧を携えている。見たところ経験豊富な冒険者のようだが、顔つきにはどこか貫禄というより威圧感がある。


 「あ、はい……。なんでしょう?」

 守が反射的に答えると、男は鼻で笑う。

 「さっき受付の姉ちゃんから聞いたが、魔物を“釣った”って話は本当か? ウルフをロッドで引き上げたって? 寝言もたいがいにしろよ」

 挑発めいた口調に、周囲の冒険者たちも好奇の視線を向けてくる。リーリアが眉をひそめ、口を開こうとするが、男は構わず続けた。

 「ま、オレには関係ないがな。ただ、ヘンテコな噂が流れると、ギルドの秩序が乱れるんでな。“魔法の釣竿”なんて与太話を信じる奴が出てこないように、最初に釘を刺しておきたいだけだ。わかったか?」


 明らかに絡んでいるだけだが、守はどう返事をすればいいか分からず、とりあえず苦笑いしながら肩をすくめた。

 「まぁ……実際に魔物を釣ったのは事実だけど、詳しい仕組みは俺もよく分からないんだ。大げさに言うつもりはないから、安心してよ」

 自分で言っていても不思議な話だが、釣りバカとしては嘘をつくわけにもいかない。


 男はつまらなそうに口を歪め、「気に入らねえな……」と低く唸る。取り巻きの一人が、ニヤついた笑みを浮かべて口を挟む。

 「ヘヘッ、じゃあ試してみりゃいいんじゃないスか? ほら、ここで俺らとちょっと手合わせしてみるとか」

 「やめときなさいよ! そんなのただの喧嘩でしょ!」

 リーリアが睨みを利かせるが、男たちはひるまない。むしろ面白がっているようだった。


 すると、遠くからそれに気づいたガーランが声を張り上げる。

 「おい、てめぇら! 新人にちょっかいかけてんじゃねえよ。相手が自分より弱いと思ってんのかもしれねぇが、そいつは魔物を“釣り上げた”化け物だぜ?」

 そう言ってニヤリと笑うガーランに、男たちは一瞬むっとした表情を浮かべる。


 「ま、釣り人がどうとか興味はねえが……ガーラン、てめぇはいい加減、オレらのパーティに加わらねえのか?」

 男はガーランへ話題をすり替えるように投げかける。どうやら以前から勧誘されていた様子だが、ガーランは即答で首を振った。

 「悪いが、オレには相棒がいるんでな。リーリアと組んでる限り、他のパーティには興味ねえよ。で、この釣りバカもオレらの仲間だ。そこんとこよろしく」


 ガーランの一言に、男たちはさらに不機嫌そうな顔になる。だが、今はそれ以上突っかからないようで、最後に「くだらねえ」と吐き捨てて立ち去った。

 その背中を見送って、リーリアがほっと息をつく。

 「ごめんなさいね、守さん。あの人たち、ちょっと態度が悪いところがあって……まぁ、実績はある冒険者だからギルドではあまり強く言えないの」

 「ああ、気にしないで。こっちも特に揉めたいわけじゃないし」

 そう言いつつも守は、釣り竿をどこか落ち着かなそうに抱え直す。先ほどの絡まれ方は、今後も似たようなことがあるかもしれない、と感じさせるものだった。


 ユリナが心配そうにこちらを伺っていたが、ガーランは軽く手を振って「もう大丈夫だ」と合図を送る。それに安堵した表情を見せてから、ユリナは再び受付業務に戻っていった。


  やがて、改めて三人でテーブルを取り、今後の方針を話し合うことになった。ギルドの酒場スペースは昼間でもそこそこ賑わっており、カウンターで頼んだ飲み物や軽食を楽しみながら、情報交換ができる仕様になっているらしい。

 ガーランが木製のマグを傾け、一気に飲み干してから言った。

 「さて……これからどうする? とりあえず守を稼がせるために、簡単な依頼でも受けるか? それとも宿探しが先か?」


 守は考え込むようにタックルボックスに手を添える。

 「正直、宿がないと夜を越せないから宿探しをしたい。でも、そのための金も今はほとんど持ってないし……俺、日本円しか持ってないんだよ」

 釣り竿とタックルボックスはあるが、異世界のお金のことなど何も知らないのだ。いくら釣りが得意でも、まずは生活基盤を整える必要がある。


 「それじゃあ、報酬が安くても早めに片づけられそうな依頼を受けて、初日の日銭を稼ぐのがいいかもな。そうすりゃ宿代くらいにはなるはずだ」

 ガーランがクエストボードを見やりながら提案すると、リーリアもうなずく。

 「そうね。例えば、街の外れにある小さな池で発生している魚型の魔物退治なんてどうかしら。Fランクでも受けられる依頼だし、水辺なら守さんの釣りが活かせるかも」


 守は一気に目を輝かせる。

 「おお、魚型の魔物……それって、普通の魚とどう違うんだ?」

 「詳しくは報告にあっただけだけど、体が膨れたり毒を吐いたりするらしいわ。もともとは大人しい魚だったみたいだけど、最近、魔力の影響で凶暴化したって話よ」


 興味津々の守に、ガーランは「また釣ろうとする気か?」と呆れ気味に尋ねる。守は力強くうなずいた。

 「もちろん! そいつらを駆除するんだろ? だったら俺のロッドとルアーが役立つかもしれない。魔物だって動物的な捕食意欲があるなら、ちゃんとルアーに食いついてくる……かも!」


 釣りバカの血が騒ぎ始めたのか、守の目は期待で輝いていた。リーリアとガーランは苦笑しつつも、なんだかんだで心強いと感じているのか、悪くない反応をしてくれる。

 こうして、早速「街外れの池に棲みつく魔物魚の駆除依頼」を受けることに決まった。


 これが、守にとって正式な“冒険者としての初仕事”となる。さて、果たしてどんな獲物が待ち構えているのか。釣り竿の先に、未知の手応えが待っていることを思うと、彼の胸は高鳴るばかりだった──。


 だが、その頃、冒険者ギルドからそう遠くない路地裏では、一人の黒ずくめの人影が、守のチート釣り道具についての噂をじっと聞き耳を立てていた。

 「……消費しても勝手に補充されるタックルボックス、自在に形を変えるロッド、か。面白い。これは……高値がつきそうだな」


 ひそやかな声が路地の暗がりに溶けていく。守たちが新たな依頼へ出発する頃には、すでに“釣り竿”をめぐる暗い闇が少しずつ動き始めていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る