三人は森の道を抜け、徐々に開けた場所へと進んでいく。鬱蒼とした樹々の合間から、城壁のようなものが見え始めた。どうやら目的地の街が近いらしい。

「見えてきたな。あそこがオレたちの拠点にしてる街、“エドナール”だ」

「結構大きな街なんだね……。ああいうところにギルドがあるのか」

　守は釣竿を握りしめたまま、遠くの城壁を見つめる。見慣れない石造りの町並みが徐々に姿を現していく様子は、ファンタジー映画の世界そのものだった。

「街に入ったら、あんたの正体を変に疑われないように、まずはギルドで身分登録をするんだな。おまえが“転移者”だってのは厄介ごとの種にもなりかねねぇから、しっかりした手続きはやっとけ」

「転移者か……確かに俺、見た目も服装も全然ここの人間っぽくないもんな」

　あらためて自分の姿を見下ろす。普段のアウトドアウェアが、この世界では奇妙な服装にしか見えないらしい。少し恥ずかしい気もするが、今さら仕方がない。

「でも、今日の釣り――じゃなくて、あの魔物を相手にしたところを見ると、確かにあなたはただの“異世界人”ってわけでもなさそう。あんな不思議な力を持った釣竿は、私も初めて見たわ」

「いやいや、俺自身は何も変わってないよ。釣り道具の方に何か起きた感じだ。今のところ、俺にできることは“釣る”ことくらいだから……でも、釣りがこんな形で役に立つなんて思わなかったな」

　守はロッドを見ながら苦笑いする。まさか魔物を引き上げるなんて、夢にも思わなかった。ガーランは苦笑いしつつ、一瞬だけ興味深そうにロッドを見やった。

「ま、あの技をバトルで応用できんなら、オレら冒険者にとってはありがたい話だ。これから危険な依頼が舞い込んでも、おまえがいれば対処の幅が広がる」

「そっか……。最初は呑気に“釣りできるかな？”くらいに思ってたけど、色々な依頼を受けてお金を稼いだりするのが冒険者の仕事なんだもんな」

　守は自分の新しい立場を少しずつ理解し始める。釣りバカとしてのこだわりは強いが、今は食い扶持を確保しないといけないのだ。しかも知らない世界だ。仲間を得て、共に生きていくには自分も役に立たなければ。

「ただし、魔物を釣るなんてのは前代未聞だ。もう少し慎重に使い方を考えろよ」

「はいはい、気をつけるよ……」

　ガーランに釘を刺され、守は苦笑いしながらうなずく。とはいえ、どう考えても釣り竿が変化している事実は明らかで、また試してみたいという好奇心がむくむくと湧き上がるのを止められない。

　　正門に近づくにつれ、人々の姿が増えてきた。馬車に荷物を積んで行き来する商人らしき人、冒険者らしきごつい装備の人、布のローブをまとった魔法使い風の女性など、見るからにファンタジーな装いの人々が行き交っている。

「ん？　そいつぁ変わった格好だな」

「釣り竿……？　何をする道具なんだ？」

　門近くを通るだけで、珍しそうな視線を集める守。リーリアは小声で「気にしなくていいわよ」とフォローするが、若干恥ずかしい。

　門の近くには衛兵が立っており、入城料や身分確認を行っていた。ガーランとリーリアは冒険者登録証を提示してあっさり通される。守も二人の連れとして案内される形で入城するが、衛兵は訝しげに言った。

「見慣れない衣装だな。商人か？　漁師か？」

「うーん……今はただの釣り人かな？」

「釣り人……？」

　衛兵は怪訝そうだったが、「まぁ、いい。怪しい真似をするなよ」とだけ言い残し、そのまま通してくれた。こうして守は初めて異世界の街“エドナール”に足を踏み入れる。

　　中へ入ると石畳の道が続き、左右には飲食店や雑貨店、鍛冶屋らしき店舗が並ぶ。人々の活気が溢れ、どことなく中世ヨーロッパ風の情景を思わせるが、魔法道具を扱う露店などもあって、やはりファンタジーの世界だ。

「ここから少し歩いた先に“冒険者ギルド”があるわ。そこで登録してもらって、宿や今後のことも相談するといいわね」

「ああ、助かる。正直、こっちの貨幣価値も何もわからないから、まずは案内してほしい」

　守は辺りをキョロキョロ見回しながら、なんともいえないワクワク感に包まれていた。釣りバカでもありながら、どこか旅人気質な部分もあるのか、新しい世界を見ていると自然と胸が高鳴る。

　道を進むうちに、立派な建物が見えてきた。二階建てで正面の扉が大きく、看板には剣や盾のシンボルマーク……これがおそらく冒険者ギルドだ。

「さ、着いたぞ。オレは報告がてら、受付の知り合いに声をかける。おまえはリーリアと一緒に登録しに行きな」

「うん、わかった」

　ガーランが扉を押し開けると、中からにぎやかな声が漏れ聞こえてきた。数多くの冒険者らしき人々がテーブルを囲んで酒を飲んだり、情報交換をしていたりする。そんな光景を見た瞬間、守は若干気後れしながら足を踏み入れる。

「やあ、いらっしゃいませ。……あら、リーリア、ガーラン、帰ってきたんですね。お疲れ様」

　カウンターには、落ち着いた雰囲気の女性が微笑んで立っていた。ユリナという名札が見える。淡い茶髪を肩口まで伸ばし、ギルド受付嬢らしい端正な服装をしている。

「おう、今戻った。少し依頼報告があるんだが、その前に新入りの登録を頼みたい。こいつがそうだ」

「は、はじめまして。岸井 守と言います」

　守が恐る恐る挨拶すると、ユリナは目を丸くして守の姿を上から下までチェックした。

「……珍しい衣装ですね。もしかして異国から来られた方でしょうか？」

「ええと、そんなところ……です」

　どうにも言いづらいが、まあそう言うしかない。ユリナはにこりと微笑み、「では早速登録を進めましょう」と奥から用紙を取り出してきた。

「名前と年齢、職能（職業）を記入していただきます。あとは身分証用に血液判定の魔石を使いますが……痛みはありませんからご安心を。念のために確認しますが、冒険者として活動する際はどのような得意分野がありますか？」

　得意分野……。守は一瞬迷ったが、書類に書かれた「戦士」「魔法使い」「盗賊」などの選択肢を見てもピンとこない。結局、一番しっくりくるものを言うしかなかった。

「得意分野……“釣り”……ですかね」

「釣り、ですか……なるほど」

　ユリナは少し意外そうな表情を浮かべたが、嘲笑するような態度は見せない。むしろ興味を持ったようだ。

「では、冒険者カードには“フィッシャー”という分類で登録しておきますね。あまり数はいませんが、川や湖の依頼を受ける人もいますから。はい、これをどうぞ」

　そう言って渡されたのは、簡易的な魔法で作成されたカードだった。名前の欄に「岸井 守」、職能欄に小さな文字で「フィッシャー」と記されている。まだ仮登録の段階らしく、ランクは一番下の“Ｆ”だ。

「一番下……だよな、やっぱり」

「最初はみんなそうですよ。依頼をこなし、実績を積めばランクも上がり、受けられる仕事の幅も広がります。まぁ、焦らずこつこつですね」

　ユリナは優しく微笑む。すると、ガーランが横から顔を出した。

「そういやオレたちも“ウルフの群れを討伐した”って依頼の報告をしときたいんだが……こいつがやった分も追加で頼むわ。何せ、釣り竿で魔物を釣り上げるなんざ前代未聞だ。下手したらボーナスがつくかもな」

　その言葉に、周囲の冒険者たちが「魔物を釣った……？」とざわざわ囁き始める。そんな視線を感じて、守は少し恥ずかしくなるが、妙な誇らしさもあった。

「うわさが広まるのも時間の問題かもね。ねえ、守さん、少しギルド内を案内しましょうか？」とリーリアが声をかける。

「うん、助かる。なんせ右も左もわからなくて……」

　こうして冒険者ギルドへの登録を済ませた守。街での生活や仕事の流れを学びながら、“釣りバカ”としての新たな一歩を踏み出すことになる。

　ふと視線を落とすと、タックルボックスの中からはまだ見たことのないような輝きを放つルアーが何個か覗いている。使っても使っても自然に補充される、そしてロッドは自在に形状を変化させる――

　これから、どんな未知の依頼がやってきても、この釣り道具さえあれば何とかなるかもしれない。そんな根拠のない自信が、守の胸の奥で静かに湧き上がっていた。

　だが、そう楽観していられるのも今だけかもしれない。すでに街のどこかでは、この異形の釣竿の噂を嗅ぎつけ、裏で不穏な動きをする影もいるというのだから──。