1 魔狼を釣る

 守が起き上がるのを待っていたかのように、リーリアが彼を支えるように腕を貸してくれた。ガーランが渋い顔でやれやれと首を振りながらも、一応は守が歩けるか確認する。


「一応、足も大丈夫そうね。けっこう流されてたみたいだけど、無事で良かったわ」

「おう、早く街に戻るぞ。オレたちは近くの冒険者ギルドに用があるんだが……おまえ、どうするんだ?」


 ガーランの問いに、守は軽く肩をすくめる。


「どうするって言われても……ここがどこかもわからないし、このまま釣りなんかしてても危険なんだろ? だったらまずは街に行って、情報を集めたいかな」

「そうだよな。行き先がないなら、一緒に来るといい。あとでギルドの面々に挨拶しときな」


 呆れ半分とはいえ、ガーランは案外面倒見がいい。リーリアも「大歓迎よ」と微笑む。守は釣竿とタックルボックスをしっかり握りしめ、二人に続いて森の奥へと歩き始めた。


  森の中は薄暗く、ところどころに奇妙な鳴き声が響く。見たことのない木々や植物、どこか神秘的な空気が漂っていた。日本の山林とは明らかに違い、守は軽い緊張を覚える。


「こっちの森は魔物が多いの。だから普通の人は滅多に近寄らないわ。でも、私とガーランが通る道なら比較的安全よ。何かあっても対処できるから安心して」


 とリーリアが前を歩きながら説明する。一方、ガーランは後方警戒のように剣に手をかけている。


「それにしても、おまえの釣竿……さっきは短めだったと思ったが、今は少し長くなってやがる。手品か?」

「いや、それがよくわからないんだ。俺だって普通はこんな変化するなんて思わないし……」


 守がロッドを振ってみるが、柔らかなしなりを保ちつつ、ほんの少し先端が長い。自分の記憶にある渓流ロッドとはまるで別物のようだ。


「形が変わるなんて、魔法の道具って感じだね。でも、あなたが言う“ただの釣竿”っていうのが何かの拍子に魔力を帯びたのかも。異世界からの転移なら、そんなこともあるのかもしれない……」

「異世界、かぁ。やっぱり、ここって日本じゃないんだな……」


 言いながらも現実味が湧かない。だが、溺れかけた時の記憶と、今いる場所の違和感から考えれば、否定しようがなかった。


「ま、落ち込むなよ。オレはあんたみたいな変わった奴には慣れてる方だ。冒険者やってりゃ、いろんな“珍事”にも遭遇する。それが異世界人だろうが構いやしねぇさ」

「珍事って……。いや、俺はただのサラリーマンで、釣りが好きなだけなんだけどな……」


 ガーランが笑い声を上げ、リーリアもくすっと笑う。二人と話していると、守の緊張した心も少しずつ解けていく。


  そんなやりとりを続けながらしばらく歩いていると、不意にガーランが立ち止まった。鼻をひくつかせ、周囲を警戒する。


「……こりゃ、面倒なのが近くにいるかもな」

「どうしたの?」

「茂みの奥から、嫌な臭いがする。魔物の血か、それとも餌食ったあとの臭いか……」


 ガーランは剣を抜き、リーリアも弓を構えた。守はその様子に息を呑み、思わずロッドを握りしめる。


「たぶん小物だとは思うが、油断はできねぇ。おい、釣りバカ、後ろに下がってろ。マジで危なくなるかもしれん」

「え、釣りバカって……まぁいいけど。俺にできることは?」


 守は慌てながらも、チラリと竿先を見る。まさかとは思うが、釣り竿で魔物を相手にするなんて……。だが、不意に閃くものがあった。


(――そういえば、タックルボックスが変化してるなら、中のルアーや仕掛けはどうなってるんだろう? 何か使えるものがあるかも……)


 恐る恐るタックルボックスを開けてみる。すると、渓流釣り用のスプーンやミノーだけでなく、見たことのない光沢や紋様を持つルアーがいくつか混じっている。まるで魔力を帯びているような不思議な輝きがあった。


「へえ……何それ、綺麗ね」

「リーリア、今は見とれてる場合じゃ……」


 ガーランが遮ろうとしたそのとき。茂みの奥から、どす黒い体毛をまとった獣のような魔物が姿を現した。四つ足で素早く走り回るが、目つきが鋭く、低く唸り声を上げている。


「グルルル……」


「ウルフ系の魔物か。しかも一匹じゃないな……」

「やれやれ、これだから森の中は嫌なんだ。おい、リーリア、囲まれないように動くぞ。後ろの釣りバカ、おまえは……って、おい!」


 ガーランが振り返ると、守は少し離れた場所でロッドを構えていた。ただの棒きれにしか見えない釣竿だが、先端がふわりと揺れている。その目は真剣だ。


「何やってんだ! 魔物は釣れないぞ!」

「いや、だって俺、武器らしい武器はこれしかないし……それに、もしかして……釣れるかも……」


 そう言ってニヤリと笑う守。その表情には、いつもの“釣りバカ”の興奮が戻っていた。リーリアとガーランは目を見合わせて、思わず唖然とする。


「え……嘘でしょう? 魔物を……釣るの?」


 守はタックルボックスから先ほどの不思議なルアーを取り出すと、手際よくラインに結んだ。キラリと虹色に光るルアーを一瞬だけ見つめ、意を決するようにうなずく。


「よし……いっちょ、やってみるか。たとえ相手が魔物だろうと、俺が相手にしたいのは“大物”だからな!」


 そう言った瞬間、魔物のウルフが一斉に駆けだした。リーリアが弓を引き絞り、ガーランが刀身を振り上げる。だが同時に、守はそれよりも先にキャスト動作に入った。

 風を切る鋭い音――そして放たれた虹色のルアーが、するすると空を描き、魔物の群れの手前へ落ちる。


 次の瞬間。

 ――ルアーがまばゆい閃光を放ち、魔物たちが一斉にそれへ反応した。


「何だ、あれ……」


 ガーランが思わず視線を奪われる中、守は口元に笑みを浮かべていた。釣り糸を巧みに操作し、ルアーを揺らし、魔物を引きつける。まるで猛獣を誘い込むかのような動きに、リーリアが目を見張る。


「嘘……どうしてそんなにうまく操れるの?」

「ふふん、魚と魔物の違いはあれど、捕食行動を誘うのは基本同じ……ってか、すげぇ手応えだ!」


 ルアーにウルフが勢いよく噛みついた瞬間、守はそれを待っていたかのようにロッドを大きくあおり、強引に糸を張る。普段なら到底ありえないほどの強度がロッドに伝わっているはずなのに、まるで折れそうにない。むしろ、ギシリと唸りながらも柔軟に耐えているのがわかる。


「ちょ、お前、怪我すんぞ!」

「ふっ……こいつ、バラさねぇ……!」


 魔物のウルフは予想外の出来事に混乱し、必死に抵抗するが、ロッドのパワーと守のテクニックにじわじわと引き寄せられる。


 その横で、仲間のウルフたちが残りの二人に襲いかかるが、ガーランの剣捌きとリーリアの正確な射撃によって次々と倒されていく。


「くっ……だいぶ数は減ったけど、そっちはどう……?」とリーリアが声をかけると、守は汗をかきながらも笑顔だった。

「あとちょっと……!」


 最後の力を振り絞るようにロッドをあおる守。ピンと糸が張り、あれほど暴れ回っていたウルフを完全に制圧する形で宙へと引っこ抜いた。尻尾を振り乱しながら狼狽する魔物が宙を舞う。


「……ったく、信じられねえ。釣り竿で魔物を“抜き上げ”るなんて……」


 ガーランが呆然と見つめる中、守は華麗にウルフを地面に落とし、そのまま蹴りを入れて気絶させる。


「ふぅ……なんとかやった……けど、息が上がるな……」


 大きく息を吐く守。その背中を、リーリアがぽんぽんと叩く。


「すごい……本当に釣っちゃったわね。こんなの初めて見た」

「いやぁ、俺も初めてだよ。魚を釣るのとは勝手が違うけど、何とかなった……」


 なぜかロッドも折れず、ラインも切れず、ルアーも無傷。さすがに現実の釣りではあり得ない光景だが、ここは異世界。しかもチートじみた力を持った釣り道具だ。

 守は少しだけ興奮を抑えながら、釣り竿を再度眺める。


「やっぱり……この竿、何か変だよ。前よりまたほんの少し太くなってる気がする」

「まさか、今のファイトでさらに性能が上がったとか……? いや、そんな馬鹿な」とガーラン。

「何にせよ、あなたの釣竿、ただものじゃないわね。今後の戦闘で大いに役立ちそう!」とリーリアは目を輝かせている。


 こうして守は、初の“魔物釣り”を成功させてしまった。衝撃と興奮の余韻が冷めないまま、三人は再び森の道へと足を進める。


 彼らはまだ知らない。この出来事をきっかけに、守の“釣りバカ魂”とチート釣具が、次々に大事件を引き寄せることになることを――。


 だがそれは、彼の“釣り人生”をさらに面白くする一歩となるのかもしれない。ひょっとしたら、ここは日本なんかよりずっと多彩な“大物”が潜む、夢のような釣り場なのだから。


──冒険者たちの世界に投げ込まれた一本のロッド。それが今、想像を超えた物語を始動させようとしている。

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