第5話 風呂場からこんにちは
ひとまず扉に鍵を掛けて脱力する。
洗面所の中は比較的綺麗だった。
だが比較的、というだけで実のところは例に漏れず散らかっている。
床には何日前に取り込んだか不明のシーツや衣類が転がり、注意しないと足を引っかけそうだ。何ならたった今、魔王が枕カバーに足を取られて転びかけている。
洗面台には何かのポーション瓶やら歯磨き粉らしきものが転がっていて、排水溝には魔王の黒い体毛が渦になって乾いていた。
蛇口を捻ったところ、取り敢えず水は出てくる。
この調子なら、恐らくお風呂に湯も張れるだろう。
「とりあえず、段ボールは俺がなんとかしておく。だからその間に風呂入ってこい」
「それは無理だ」
「うるさい」
そう言いながら俺は浴場の扉を開けた、その瞬間だった。
扉の向こうに、おぞましいものが居座っているのを目の当たりにする。
「……魔王、最後に風呂を使ったのはいつだ?」
「半年前だな」
人間が20人は入れる、長方形の大きな浴槽。
その中で、巨大なヘビがこちらを睨むように顔を覗かせていた。
「うっ……!」
その臭いはゴブリンの吐瀉物ほど酷く、溜まり続けた汚水と、水垢と、魔王の体毛とが混ざって汚らわしい茶黒色をしていた。
魔王が俺の肩越しに浴槽を覗いて「だから無理だと言ったろう」と呟く。
相変わらず他人事な態度にキレかけていると、魔王がまた余計なことを口走り始めた。
「我が名付けるとすれば、
「だから名付けるなって!!」
止める間もなく魔王が名前を口にした途端、そのヘビ――魔枯藻は呼応するようにとぐろを巻いて、飛沫と共に水面から顔を出す。
そして牙をひけらかすと『ブシャアアァァ!』と唾を飛ばしながら俺たちに向かって飛びかかってきた!
「くッ!」
間一髪。反射的に浴場の扉を閉めると同時に、半透明の扉の全面に『ビシャン!』と例の茶黒色で埋め尽くされた。
突進の勢いで扉の一部が出っ張り、上の方からズルズルゥ…と気味悪い速度で液体がずり落ちていく。
そのグロテスクな光景に気分が悪くなり、思わず顔を覆ってしまった。
「どうすりゃいいんだ……」
「戦わぬのか? 貴様は勇者だろう」
魔王が何気なく発した言葉は、俺にとって耳が痛いものだった。
魔王の言う通り、もし俺が勇者らしい勇者であれば、魔枯藻とも段ゴーレムとも正面切って戦っていただろう。
だが、俺は戦闘を得意とする人間ではない。
勇者として魔王討伐に向かっていた時、魔物との戦闘は基本的に避けていた。
魔王と平和条約を結べた要因も、決して俺が強かったからではない。
俺がひたすら魔王の攻撃に耐え続けて、口から出まかせに説得していたら、いつの間にか魔王が俺の和平交渉に乗っただけだった。
『コシャアア! キルィシャアアァ!』
痰が絡まったような鳴き声と共に、ミシッと扉にヒビが入り始める。
魔枯藻の水圧に耐えるのも限界そうだった。
『グルゥオオゥゥーー……』
そしてホールへ続く扉の向こうからも、俺たちを追った段ゴーレムの唸り声が聞こえてくる。
2匹の馬鹿デカいゴミ魔物に挟まれて、俺はパニック状態になっていた。
「クソッ……考えろ、考えろ……!」
俺はコイツらと、どう戦えばいい?
最悪炎を使えば段ゴーレムも燃やせるが、水でできた魔枯藻には効かない。
恐らく魔王はどうでもいいと思って、俺に協力する気がない。
やはり、俺が1匹ずつ戦って消すしかないのか?
「くはは、ヤツらを戦わせれば愉快な終焉が見届けられそうだな」
「うるさい! そうなったら、城中が滅茶苦茶————」
いや、待てよ。
そうさせればいいのでは?
「段ボールと、汚水と……」
大量の段ボールを捨てる時、水で濡らすと小さくなって潰しやすくなる。
なら、この方法をヤツらで行えばどうなる?
俺が太刀打ちできるほどには、弱らせられるのでは?
『シヒャアアァァ!!』
ミシ、ミシ、と遂に風呂場の扉に亀裂が走り、そして割れる。
その稲妻のような裂け目から、魔枯藻の汚水が流れ始めた。
「試すか!」
俺はホールへの扉を開けると、段ゴーレムの前へ飛び出した。
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