2話
「さてと、スケジュールなんだけど」
アリサはそう前置きしてから一枚のくたびれた紙を取り出した。覗き込んでみたが、でたらめな文字が並んでいて俺にはさっぱりだった。
「……すまん、読めないんだが」
「勇者のクセに文字読めないの? 本当にあんたで大丈夫ぅ?」
可愛らしい眉毛がしわを作る。心底申し訳ない気持ちになりつつ、俺は解説を頼んだ。
「はーっ、仕方ないわね。説明してあげるわ。まずここから小型竜に乗って、聖剣があるらしい森に向かう。近くに村があるみたいだから、そこを経由しましょう。聖剣を手に入れたらその足でパパのお城に殴り込みよ」
簡単でしょ、とアリサは締めくくる。到底簡単には思えない旅程だが、俺にはやる以外の選択肢はない。
「よし、やろう。その小型竜ってのはどこにいるんだい」
聞くが早いか、鳥の鳴き声のような、高く澄み渡る音が響いた。アリサの指笛だ。すると、たちまちどこからか二匹の竜が舞い降りてきた。
「あたしのお友達よ。無礼な真似しないでね、振り落とされるから」
さらっと恐ろしいことを言いつつ、アリサは竜に飛び乗った。そして俺にも早く乗れ、と急かす。
「お、俺高いところ苦手なんだよ。あんまり高く飛ばないでくれるかい」
竜に穏やかに語りかけ、背に乗る。だが、俺の願いが聞き届けられることはなかった。乗るや否や、竜は天高く飛び上がり、俺はあまりにも情けない悲鳴をあげ続けるしかなかった。
飛び始めてからどれだけの時間が経っただろうか。俺は少しだけ恐怖に慣れ、眼下の景色を楽しむだけの余裕が生まれていた。
俺の視界には、限りなく広がる田畑と、小川と、畑仕事に勤しむ人々が映っていた。
「のどかだなぁ……。日本の原風景って感じだ」
「ニッポン? それがあんたの住む世界? どんなところなの」
アリサの問いかけに、俺は知りうる限りの故郷の魅力を伝えた。島国で文化が独特なこと、海も山もあり、食べ物が美味しいこと。俺の話を彼女は瞳を輝かせて聴き入っていた。
(ああ、もっと色んなことを知っていれば、もっともっとアリサに沢山のことを話してやれたのに)
行ってみたいな。アリサの小さな呟きを聞いた時、俺は初めて、重ねた時間の無意味さを悔いた。
その時、竜が突然落ち着きをなくし飛行が乱れた。
「どうしたの、何かいた? こんなこと今までになかったのに」
アリサも俺も必死に竜をなだめようとするが、まるで効果がない。やがて、しがみつくのがやっとな程暴れるようになってしまった。
「アリサ、どうする!? これじゃ振り落とされるのも時間の問題だ!」
「今考えてるぅ! この子達がこんなに怯えるなんて、もしかして」
不意に視界が暗くなる。ちょうど太陽を雲が隠したかのような、あんな感じで。反射的に顔を上げると、そこに雲はなかった。
——それは、あまりにも雄大で、あまりにも神々しく、あまりにも現実感がなかった。
「星竜……? なんで、ここに」
アリサの声が遥か遠く聞こえる。俺は完全に魅入られてしまい、声ひとつあげることができなかった。
やがて、眼前の影が揺れ、大地をゆるがすような咆哮をあげた。内臓の奥まで痺れる雄叫びに俺はようやく正気に戻る。
「アリサ! 俺たち獲物だと思われてるんじゃないか!?」
星竜は俺たちを目掛けて爪を振り下ろす。竜がすんでのところでかわしてくれているが、いつ限界を迎えてもおかしくない。
「そんな、星竜は人を襲わないはずよ! ……でも様子がおかしいのは確かだわ。どうしよう、このままじゃこの子たちが危ない!」
ふと、遠くにわらが積み上がっているのが見えた。乱れて飛ぶ内にだいぶ高度が下がっていたようだ。
「この子たちは俺たちがいなければ逃げ切れるか?」
「……たぶん。賢い子だから」
その言葉を聞き、俺は覚悟を決める。
「よし、アリサ、あのわらに飛び降りよう。このままじゃいずれやられる」
「はぁ!? 何言ってんの、死ぬわよ!」
「大丈夫だ! 俺が大丈夫にする! 君の大事な友達を傷つけるわけにはいかない」
アリサは何事か言おうとして、むぐむぐと口元を動かし、ようやく出たのはため息だった。
「とんでもない勇者を召喚しちゃったわね。分かった、飛ぶわよ。合図して」
目と目を合わせて、頷いた。自分が文字通り命をかける日が来るなんて、少し前まで考えたこともなかったのに、不思議と恐怖はなかった。
「行くぞ、3」
眼下を見る。十分飛べる距離だ。
「2」
竜を見る。俺たちの様子を察したのか、冷静さを取り戻し極力安定した飛行をしてくれている。
「1」
アリサを見る。怯えながらも意志の宿った力強い瞳で俺を見る。
「飛べ! 俺は勇者だああぁああ!」
自分を奮い立たせるためにあげたこともない雄叫びをあげながら俺は飛び降りた。浮遊感に意識を飛ばしそうになり、短い俺の人生が脳裏を駆け巡った。
そうか、これが走馬灯ってやつか、なんてことを思いながら俺は目を閉じた。
刹那、激しい衝撃に襲われ現実に戻される。ゆっくりとまぶたを開くと、青空に小さく星竜が見えた。どうやら助かったらしい。
「いったあ……。ねぇ、タイチ。タイチってば、生きてる?」
アリサの声だ。彼女もどうやら無事なようだ。小さく手を上げて無事なことを伝える。
「あっそ。あの子たちも平気だといいけど。……それにしても、なんてことさせるのよ!」
高所から落下したというのに、相も変わらず元気な調子でアリサは飛び起きた。まったく頼もしい相棒だった。
「あんたら、星竜様に追われて落ちてきたんか?」
声のした方に顔を向けると、ここの持ち主であろう老人が立っていた。
「ああ、お騒がせしてどうもすみません。なんか突然襲われちゃって」
老人は、やはりか……、とため息をついた。話を聞くと、最近になっていきなり星竜が暴れ出したという。
「星竜様はこの村の守り神だったんじゃが、今じゃ暴れて田畑や家畜にも被害を出しておる。我ら村の者みんな困り果ててしまっての」
そこまで言ってから、彼は無理に笑顔を作った。
「君らに話すようなことじゃなかったな。怪我はないかの? 家で休んでおいき」
ちらとアリサを見る。考え込んでいるような様子だった。
「おじいさん、俺たちがなんとかして見せますよ」
「なんと、まことか?」
無意識に口をついて出た言葉に俺が一番驚いていた。アリサも口をあんぐりと開けている。
「おお、空から来た救世主じゃ。村の者に知らせてこなければ!」
老人はそう言い残し、足早に姿を消してしまった。とんでもないことを言ってしまったと悔いても、時すでに遅し。アリサの視線が痛かった。
「ちょっと、タイチ! あんた何考えてんの!? さっき死にかけたばっかじゃない! ていうか、あたしたちには時間もないんだから」
早口に詰め寄られ思わずたじろぐ。彼女の言うことはもっともだ。だが、それでも、俺は自分の無意識を信じたかった。
「時間ないのは分かってるよ。でも、ここであの人たちを見捨てたら、俺はきっと君のパパを救えなくなる」
アリサはすっと目を逸らした。彼女もきっと、困ってる人を見捨てられない心優しい人なんだろう。有り余る葛藤が表情に溢れていた。
「分かった、分かったわよ。助ければいいんでしょ。策はあるんでしょうね!」
ひとしきり頭を抱えてから、アリサはそう言い放つ。
「策、って程のものではないんだが。さっき星竜の頭に何か刺さってるのが見えたんだ。もしかしたらそれが原因かも」
俺の言葉を受けてアリサは再び考えこんだ。
「何か、か。可能性高いわね。星竜は神経質な生き物だから、違和感に敏感なの。そのせいで興奮してるのかもしれないわね」
「なるほど。少し光明が見えたな。アリサ、俺に協力してくれるかい」
アリサは俺をまっすぐに見据えて、笑った。ちょっとふてぶてしく、でも、なによりもまばゆい笑顔で。
「こうなったらあたしとあんたは一蓮托生よ。作戦を考えるわよ、相棒」
そうして俺たちは村人の元へ向かい、策を練ることにしたのだった。
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