Scene7 星紀の脱獄劇
第18話 革命の専門家
開放的な広さ。石造りの壁には文様の織り込まれたタペストリー。高座の玉座から伸びる形で赤い絨毯が敷かれていた。昼の光が差し込み、磨き上げられた床が眩しく照らされている。
僕はたった一人、この謁見の間に訪れた。
玉座から見下ろすのは巫女服に着物風のコートを羽織る女性。ミアさんだ。
これはいい、当然の想定内。けどその前に立ちはだかっている一人が大問題。
「なっ……なんで?」
短く刈られた赤髪は、汗か風に撫でられたのか、ところどころ跳ねている。顎をなぞる細い髭も、ただ剃るのが面倒だから残っているだけらしい。艶のくすんだ漆黒のジャケットはボタンを留めず、皺の付いたシャツを露わにしている。粗野で野性的な印象の男性。
今もくすぶり続けている灰色の右の瞳と、
まるで獣のように黄色く覗き見る左の瞳。
「おう、久しぶりじゃねえか、グレロ様よ」
リーディ・アダマイト。
完全に予想外だった。僕は素で狼狽える。
「リードさん? 殺したはずじゃ……」
言いながらミアさんの以前のセリフが思い出されてきた。聞き流してしまっていたけど、確か「あと二人」と言っていたはずだ。ヴァリエさんの他にもう一人、となると……。
「オレがここに立つことになったのは偶然じゃあねえ、必然ってやつを感じてんだぜ、グレロ様」
どうしようか……組み立てを変える必要がある。
「そっか。じゃあ、僕も剣を振らなくちゃあいけないみたいだね……」
「陛下」リードさんは振り返らずにミアさんを呼ぶ。「手を出さねえのはありがてえが、別に頼んじゃねえぞ。オレとエルネストがやったみてえに、グレロ様の盾になりゃあいい」
「盾になる? 騎士は王様を殺せないってこと? へえ……」僕はリードさん越しにミアさんを見上げた。「僕がリードさんに負けるとミアさんも困るんじゃない? 手伝ってほしいな……だってほら」続けてリードさんの左眼に視線をやる。アレはエルネストさんの機械眼。「僕が勝てる相手じゃなさそうだし」
「クックッ」ミアさんは背中を丸めて笑い出した。
「な、何が面白いの……?」
「ああいや、ちょっと露骨だったんじゃないかと思ってね」
「露骨?」
「今さら誤魔化したって無駄だよ? だって今のキミの発言はまるで、ワタシに背中を預けてほしいと言っているみたいじゃあないか」
これ自体は図星。でも次の反応は演技。
「じゃあ……」僕はため息を吐いた。上手くいかなかった苛立ちから——と言った雰囲気で。「ミアさんは、僕がミアさんを攻撃するかもしれないって分かってたの?」
「今のキミの反応で確信に変わった」ミアさんはニヤニヤと楽しそうだ。「悪いね、カマをかけさせてもらったよ」
今のミアさんの反応が嘘には見えない。いつかの僕がした誘導をやり返したことに満足している。上手く嵌めたのはミアさんの方なのだから、僕の苛立ちを疑いなどするわけがない。なら一つ分かることがある。
騙し合いのフィールドにおいては、僕の方がミアさんより一枚上手だ。
「へえ?」リードさんは歯を見せて笑う。「そりゃあ分かりやすくなったじゃねえか」
ミアさんは巧みに立ち回ってここで僕にリードさんをぶつけた。
これ自体は確かに予想外だった。一手後れを取ったことを認めよう。そして、ミアさんから一手の遅れを取り戻すのは不可能だ。
盤上だけの勝負ならば。
「うん……そうだね、ミアさん」
僕に出来ることは多くない。
「決着を着けようか」
でも——盤外での勝負こそが僕の得意分野だ。
「よし、まずはリードさんからだね」剣の柄に手をかける。「悪いけど、恨み言の方を準備しておいて」
「準備の必要はねえ」
「相変わらずだね。今度は手加減する余裕もないけど?」
リードさんはギラリと歯を見せて笑った。
以前と同様、左手に銃を、右手に剣を握って。声を張り上げる。
「オレは〝星紀の傭兵の末裔〟が直系アダマイト家、1565代当主、リーディ・アダマイト!! 監獄惑星の騎士団長が!! この星を代表して、神に挑戦を申し込もう!!」
「敬意を表して。僕はグレロ・ド・ルゼ。人呼んで〝星紀の革命家〟」僕も腰の拳銃に手を当てる。「押し通るよ」
「この星をどうこうしてえならオレを通すのが筋ってもんだよなあ!? できるもんなら!! やってみろ——やってみろよ!! グレロ・ド・ルゼ!!」
僕が先手を撃って引き金を引いた。けれどリードさんはその左眼でもって余裕で回避し距離を詰め——狩り殺した確信の笑みで——剣を振り抜いてくる。僕も咄嗟に剣を抜いたけれど、膂力の違いで剣は弾き飛ばされてしまった。手元を離れて床を滑っていく。
「うっ……」
なんなら腰まで落としてしまった。リードさんの振り上げた剣で陰になる。玉座の間の天井に大きく開いた、円い天窓から照らす光が。
「じゃあなあ!」
「恨まないでよ」
剣が降り下ろされる直前、リードさんの頭蓋から顎までを一発の弾丸が貫いた。
「……あ?」リードさんの眼球がぐるりとひっくり返る。
「これが僕の武器なんだから」
倒れ来る身体。身を引いて躱す。ぐしゃりと倒れ込んだ身体にはもう命の気配がない。
「それにしても」出血は頭蓋のてっぺんからだ。笑みが漏れたのは圧倒されたから。「まさかヘッドショットとはね」
「なに?」とミアさん。見上げているのは円形の巨大な天窓。
その眼に映っただろうか、僕の自慢のスナイパーが。
**
「命中!! 命中です!!」
ダルフォネと抱き合って望遠鏡を覗いていたセララが喜びを露わに叫ぶ。対してダルフォネはむしろ白けた様子で、ただボルトを引き薬莢を弾き出した。次の弾をチャンバーに滑り込ませる。
「はあ……思っていたより下らないターゲットを、撃たせてくれたものですね」
狙撃の反作用に対してセララが行った逆方向への射撃も完璧に計算通りだった。二人の座標はほとんど移動していない。
「次の大物に期待しておきますわ、グレロ様」
**
「これは流石に驚いたな」ミアさんが鏡杖を握って立ち上がる。「頭上からのスナイプは考えなかったわけじゃない。けれどこのコロニーの対岸は五キロ先。並のスナイパーライフルでも届かない。だからって——」
次の射撃が撃ち落ろされた。頭上の大窓から侵入した弾道は、まるでミアさんに吸い込まれるかのようにカーブを描く。しかし弾丸は弾道だけを残して消滅する。ミアさんは鏡杖を掲げると、先端に着いている大きなレンズ越しに天窓の奥を見やった。
おそらく今、ミアさんはダルフォネさんとセララさんを「観」た。二人は消滅しただろう。もうこの世界にはいない。無に帰した。
でも、まだ想定内。こういうことになるかもしれないとは二人に確認済みだ。その覚悟でもって二人は僕に賭けてくれた。
「——無重力状態からのスナイプだなんて」ミアさんは依然として玉座の前に立っている。とはいえ感慨深げに天窓を見上げ続けていた。「それなら確かに距離は2.5キロだ。でも身体が安定されていないだろう。狙撃手の身体が固定されていないのに狙撃が当たる道理は無い……はずなんだけれど」
「そうだね。ダルフォネさんは本当に凄い」
「そして」ミアさんは薄い笑みを浮かべて僕を見下ろす。「そのカードはもう失われた」
もうこの場には、二人だけ。
みんな死んでしまった。
神を掲げる玉座と、それに挑まんとする革命家。
「一応確認しておこう。ワタシが何をするつもりなのか、キミは分かっているのかな?」
「当然……と言っても、僕が解明したわけじゃないんだけどね。時震が何なのかを分かって、やっと、この星の使い方を理解したよ」
セララさんが興奮して早口で解説してくれたのを思い出す。
ポイントは二つ。
一つに、僕の身体が透けないこと。おそらくミアさんとエルネストさんの身体も透けない。
ならば逆だ。僕たちだけに何も起こっていない。何かが起こるのは「監獄惑星」の方。僕たちには関係のないことが監獄惑星に起こる。
もう一つは、記憶の齟齬が起こっていたのが、僕と、ミアさんと、エルネストさんの三人だけだということ。僕ら三人だけが、お互いに関する記憶が薄れていった。
監獄惑星に何かが起こり、僕たちがそれぞれに出会ったという記憶が無くなる。
監獄惑星は過去を消す兵器だ。
僕たちが出会った事実を無くすことができる。
過去が変われば現在も変わる。
だけど、その変化は一瞬で一気に訪れるものではないのだろう。なにせ歴史が大きく変わるのだ。
プレートが大きく揺れる前には必ず前兆があるように。
僕たちは少しずつ、段階的に、僕たちが出会わないifの歴史に、近付いていっていた。
僕たちがこの星へやって来ない世界線へ。
「ミアさんは、この星を、最初から存在しなかったことにするつもりだね」
世界がきらめいた。ガラスを落としたように視界が砕け散って、万華鏡のように輪郭が崩れ、僕とミアさんの間に星色の眩い光線が走り伸びていく。まるで肉体を離れた魂がどこか死後の世界に一直線に吸い込まれていくように。
監獄惑星を構成していた全てが透き通って存在が不確定になる。在る状態と無い状態が重なっている。リードさんの死体も透けている。
でも、僕とミアさんだけは、まったく光を通していない。この星に生まれた一切合切が時空の狭間に削り流されていく中で、この場では僕ら二人だけが確実に存在している。
夢に見るように幻想的な、儚くも美しい、監獄惑星の散り際。
「その通り」
ミアさんは自分の手元を走る光の糸を一つ手に取った。糸はすぐに千切れ解けて、元あった場所に集まり、再び光線を描く。
「ワタシは過去の——この場所へ転送される前の『Voyger11』を観測して消滅させようとしている」
「自分殺しのパラドクスになると思うんだけど……」
「ワタシもそれは考えたけれど、事実として時震は起こっている——この星が消滅する予兆が。本震に対する初期微動が。ならば消せるはずだ。いや、ワタシはそうすることになる。ワタシたちが踏んでいる地面を、この星を、消せる。無かったことに出来る。ワタシたちがこの星に来るという、事実そのものを無かったことにできてしまう」
ミアさんは相変わらずわざとらしい微笑みを讃えている。
「この星の歴史は残虐そのものだ。想像するのも憚られる非道の行いだ。一体どれだけの人間が人権という言葉も知らずに殺されたんだろう。逃げようのない檻に閉じ込められて、そうと意識することすらできず同族殺しを続けてきた。文明の発展も許されず、原始的な思想のままに、何万年にも渡って管理されてきた。地獄だ。地獄だよグレロくん。鬼畜だなんて言葉では足りない、唾棄すべき悪鬼の所業。人類という種への冒涜だ。こんな星の存在が許されるわけないだろう。許せるわけがないだろう。キミもそう思うんだろう? ならワタシが叶えてあげようじゃあないか。過去の犠牲を何もかも救ってみせよう。無かったことにするんだ、最初から、全て、何もかも。そうすれば全ての苦しんだ人間はいなかった。〝
ミアさんの表情は貼り付けたように変わらない。語気もまったくいつも通りだ。でも、その語り口に潜む熱を見逃すことはありえない。
人間としての誇りと、静かに煮えたぎる敵意。
「こうやってやるんだよ、グレロくん。これがワタシの——『完全勝利』」
次第に地面は硬さを取り戻した。けれどもはや時震は完全な収束を見せはしない。
足場は見る見る間に崩れ落ちて深淵に飲み込まれていった。あるいは頭上に無数に泡立って、過去の事象を映した末に破裂した。誰かが、誰もが、せめて愛そうとしてきたこの星の、歴史という名の積層が、一層また一層と剥がれ落ち、この崩れかけた浮島の縁で、その存在を抽象に還していく。
色彩の洪水が玉座の向こうに吸い込まれて渦を巻いている。未練も願いも何もかも、ただ一辺の無に均されて、星の海に姿を消していく。まるで排水口に飲み込まれるように。
物質と意味が透ける、遥かな、あまりにも遥かな黒い海に、そこに揺蕩う幾千の星々に、まるで押しつぶされるかのような。
狂おしいほどの幻想。
渦を背にするミアさんは、緩く目を瞑りつつも、確かに僕の存在を意識している。
「こんなにも完璧な脱獄を、キミはぶち壊そうと言うんだね」
「うん。太陽を見せなくちゃいけない人がいて」
「情に流されて目的を見失うのかい? キミの目的はこの監獄の破壊だったはずだろう?」
「目的……そうだね」
思い出す。僕は誰のために戦っているのか。
自分の腕を見た。そこに巻き付く鎖を見た。
僕を形作ったのは——
『貴様は貴様の地獄を行け』
——この憎むべくも愛すべき無数の鎖たちだ。
僕なんかに賭けてくれた、馬鹿だけど立派な、誇れる仲間たちだ。
「お生憎様だね、ミアさん」笑いかける。「実は僕って大義のために戦ってるんじゃなくてさ。死んでいった仲間との約束を果たそうとしてるだけなんだ」
不思議と胸がすいた。
「革命家失格だよ、最低だ、自分勝手だね、心底幻滅した」ミアさんは字面に反して楽しそうに言う。「でもどうするつもりだい? この望遠鏡をどう使う?」
「一応確認しておくけど、氷星は消せないんだね?」
「焦点が合わない、ロックがかかっているらしい」
「なら、過去に情報を送って、この星から帰還するための宇宙船を用意させておく、みたいなイメージでいるかな」
「この星はそんなに器用な兵器ではないよ。干渉できる対象は大雑把だ。最少単位でも『星』。星を消す。そういうスケールでしか運用できない」
「ならいくつかの星を消して暗号にして送るよ、過去にね」
「暗号だって?」失笑を貰う。「星を消すのは分かる。できるだろうね。でもそれを過去のキミが理解できるとでも?」
「僕には分からないよ? 夜空の星の配置に違和感を抱くだなんて、一歩間違えれば狂人でしょ。その上で、もしも万が一、夜空の星の配置に人為を感じたとしても、まさかそれが本当に人為だと確信して、それどころか自分へのメッセージを見出そうとするだなんて……僕みたいな平凡な人間が試そうともするわけないじゃん。よっぽどの天才じゃなきゃさあ」
ピンときていない様子のミアさんに、僕は申し訳なさを浮かべつつ、しかししっかりと笑いかけた。
「だから、よろしくね、ミアさん」
ミアさんは鼻で笑う。
「保証しよう、星は見ている方だ」
ミアさんは僕のやり方でも自分が生還できることを認めた。それはミアさんからしたら耐え難い手段、実質的には敗北なのかもしれない。でも妥協点ではある。この作戦でもいい。
ならミアさんは喧嘩に乗ってくれるだろう。僕との勝負を楽しんでいくだろう。
後は実力次第。
「よくぞここまで持ち込んでくれたね、グレロ・ド・ルゼ」
白地に朱の巫女装束。羽織った着物は純白に桜の紋。全身の紅白に黒髪が印象的に浮かび上がる。
顔立ち自体は幼い方だ。けどその流すような赤い眼差しには妖艶な引力がある。
左手はずっとポケットに入れて余裕を誇示しつつ、右手に持った背丈大の杖を着いて上から見下ろす。
ミアさんはいつになく楽しそうだ。態度には見えないけどなんとなく分かる。
「託す思いか恨み言はあるかな?」
「……そ、それ、僕のセリフなんだけど」
「だってワタシはいずれにせよ死なないし」
「人に言われるのは初めてだなあ……うーん……」
少し悩んでから、そうだ、と目を上げる。
「じゃあ、もし僕が死んだら、革命家としての僕の後を継いでくれない?」
「はあ?」ミアさんは怪訝に眉をひそめた「嫌に決まってるんだけど」
新発見だ。ミアさんも嫌な事には嫌な表情をするらしい。ちょっと想像以上に面白い反応だったので、ついツボに入ってしまう。
「そ、そっか、そんなに嫌かあ」
「真面目にやってくれたまえ」
「それをミアさんが言う……?」
ミアさんはコートの裾を杖で払った。
彼女の背後の彼方へ向かって、色という色が、光という光が、時間という時間が、それぞれがそれぞれを巻き込みながら、無秩序に波打って、流し去られていく。
「ワタシはミア・ワタナベ。人呼んで〝星紀のテロリスト〟。課された懲役は十二万年」
僕は腰を曲げて拾い上げた。託すように伸ばされていたリードさんの手から。アダマイト家伝統の装備、緩やかな曲線を描く長身の剣——サーベルを。
「僕はグレロ・ド・ルゼ。人呼んで〝星紀の革命家〟。課された懲役は四十九万年」
監獄惑星の運命をかけて。
「キミ如きにワタシを止められるかな?」
「何か勘違いしてるみたいだね、ミアさん」
あのときと、同じ距離だ。
「革命家が王様に負けるわけ、ないんだよね!」
剣を振り上げつつひゅんと跳ね飛び、数メートル頭上からミアさんを見下ろした。頂点付近で、隠し持った水晶——スタングレネードを弾く。閃光とつんざく高音。
これでミアさんの視覚と聴覚は奪われた。もう魔法は使えない。これこそが僕の奥の手だ。
と、ミアさんは思っている。
ミアさんにはまだきっと視えている。魔法が使える。魔法で対処できる。
ならば僕のこの攻撃は避けるまでもない。
避けるまでもないなら、ミアさんは避けない。
今度は外さなかった。
瞬間、周囲の何もかもを渦巻いていた崩壊が、まるで刃の軌跡に飲み込まれるようかのようにして、止まった。崩れゆく足場も、溶けゆく壁も、破裂する天井も、その全てが凍りついたかのように静止する。
「なっ——」
降り下ろされた斬撃はミアさんの胸に深い傷跡を刻み込んでいた。
ミアさんは驚いた様子で、咄嗟に杖に体重を預けつつ、しかしすぐに耐えられなくなって、遂には玉座に倒れ込んだ。次第に腕から力が抜けて杖も落とす。
僕は見下ろした。玉座に崩れ沈む神王の姿を。捨てられた人形のように脱力して、もう死にゆくだけの、ただの一人の人間を。
「何も……見えない」ミアさんは血を吐き溢しつつ呟く。「懐かしい……」
周辺世界がその実在を取り戻していく中で、僕は隠し持っていたもう一つの水晶を持ち上げた。
「EMP——電磁パルスグレネード。周辺の機械製品をスタンさせる兵器だよ。ミアさんに説明は要らないかな」
「いつから……」ミアさんは流れる血に意識を薄れさせつつも、平静ぶって喋ろうとし続けている。「一体いつから……ワタシの両眼が機械眼だと、気付いていたんだい……?」
「いつから? それを言うなら、最初から疑ってたかな」
——ミアさんは顔を前方モニターの方に向けたまま喋っているので、僕は、横を見て返事をすべきか、自分も前を見たままに返事をすべきか迷った——
「ミアさんは話し相手の方を見ないよね。常識以前に本能的な仕草のはずなのに。ならミアさんは僕らと本能が違う。生まれつきの機能が違う。つまり僕は最初、ミアさんは『盲目』なのかと思ったんだ。でも——」
『ミアさんには直径と長さはどれくらいに見える?』
『直径は5キロくらいに見える』
「ミアさんには確かに目が見えているみたいだった。だから、先天的には失明していたけど、後から視覚を手に入れたのかな、と推測した。星紀においては機械眼で簡単に治せるし。白兵戦に異常に強かったのもこれなら理解できる」
「あれは……君が隻眼だから、距離を測れないの、かと……」
「もちろんそれもあったけどね。さて、となるとミアさんが普段から『目を瞑っている』ことが多い理由がよく分からなくなった。もちろん、ただそういう仕草が癖になっているだけかもしれなかったけど、考えるだけ考えておいたよ。もしも何か狙いがあると考えるなら……うっすーく見てるだけで、機械眼には十分だから、みたいなのはあるかもしれない。あるいは他にあるとしたら、自分が機械眼であることを極力隠したいのかもしれない。切り札として隠しておくために。実際のところ効果的な偽装だったんじゃないかな。僕が用意したのがスタングレネードだけだったら結果は違っていたわけだから」
ミアさんは赤い瞳を伏せつつ、しかしずっと微笑みを讃えている。
「なら、どうして……」
ミアさんの声はもう儚く途切れて続かない。今のは「どうして確信できたのか?」という疑問だろうか。
「それについては……ごめん。実はカンニングしちゃってるんだ。ミアさんは僕に至近距離で瞳を見せちゃってるんだよ。もしかしたら覚えてないかもしれないけど」
『じゃあ、Voyager 11、だよ』
『……なに?』女性は少しだけ目を見開いて聞き返す。
「スチールエッジの路地裏で偶然出くわした、あのときにね。もちろん今どきの機械眼は覗きこまなきゃ分からないくらいに精巧だから、それだけで確信できたわけじゃない。でもあれがミアさんだと分かったなら、これまでの疑念と合わせて、賭けるに値する可能性になる」
ミアさんは下らないといった風に鼻で笑った。まさか自分からヒントを提供していただなんて、そんな可能性にはとんと思考が及ばなかったのだろう。あるいは、「可能性」如きに仲間全員の命を賭けた僕が、ただただ滑稽に思えたのかもしれない。
でも勝ったのは、僕だ。
「託す想いか恨み言はある?」
ミアさんは最期ばかりは素直に、悔しそうに笑った。
「ク……ソ……」
**
ミアは暗闇を受け入れていった。
何も見えない。
聞こえもしなくなる。
味覚も、嗅覚も、触覚も、機能しなくなっていった。
怖くはない。
ただ、元に戻るだけだ。
「無限の箱舟」では、〝
彼女は、そんな実験によって生み出された、無数の失敗作のうちの一つだった。生まれながらに五感の全てを持たない不完全児。見た目にも、人間と数えて良いのかすら迷われるほどの肉塊でしかない。
けれど彼女には自分が生きている確信があった。自分が確かに世界に存在していることを知っていた。
だって、瞼の裏にずっと星が見えていたから。
『どうして負けたんだろうな。負ける相手じゃなかったのに』
独り。一番星に語り掛ける。
『ワタシは金一枚で飛車を受けきった。アドバンテージを取っていたはず。どこで間違えた……?』
星の光は初め、たった一つだけだった。
『あの狙撃はグレロ君にとって渾身の一手だった。隠し持っていた切り札だった。ワタシはそれを事前に吐かせた。だからグレロくんは窮していた。追い詰めていたのはワタシだったはずだ。そう思って——』
暗闇に浮かぶ光は二つ、三つと増えていく。
『そう思わされた? グレロくんの切り札がもう無い、と思わされた……。アレがグレロくんの持ち込めた最大の武器だと、誤認させられた……』
星の数は段々と増えていく。視界全体に広がっていく。
『駆け引きでの戦いはグレロくんに分があったか……分の悪いステージにでしゃばったのはワタシの方……』
ああ、クソ。
『悔しい』
本気でやれば絶対負けないのに。
悔しい悔しい悔しい。
次は最初から本気でぶっ潰してやる。
両手を使って絞め殺す。
ワタシって負けず嫌いなんだよ。
勝ち逃げは許さない。
逃がしはしない。
やっと会えたキミを……。
やっと会えたキミを?
増えゆく星は遂に夜空に追いついた。
何かが自分を見下ろしている。寝かされた自分を不安そうに覗き込んでいる。自分よりも大きな、たぶん自分と同じような造りのもの。
漆黒の天幕が波打っていた。その絹に、無数の宝石がひとつひとつ丁寧に縫い込まれている。それぞれが微細な煌めきを放ち、引っ込んだり飛び出たりするようにして呼吸している。
銀砂を流したような川が滑らかに広がり、視界を二つに割っている。
まだ風を感じる機能は無い。音を感じる機能もない。
ただ、星空。
いずれミア・ワタナべになるものは、僅かに身をよじった。彼女を覗き込む何かが喜んでいる。
彼女には見えていた。
絹に縫い付けられていたボタンを、無理やり引き抜いた跡が。
意図的に星空から抜き出された、自分への遥かなるメッセージが。
こんな自分を知っている人がいる。
こんな自分を頼ろうという人がいる。
嬉しい。
生きたい。
死にたくない。
貴方に会いたい。
一目だけでもいいから、逢ってみたい。
そして──。
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