Interlude4——Out of our league
静謐の夜。
ミア・ワタナベは一人、玉座に座っていた。
見上げるのは謁見の間の直上、天井に設けられた円形の天窓である。昼間、光源を取り込むことを目的として開かれているものだ。
星が見えるならもっといい玉座だったろう、とミアは思う。せっかく電灯も月明かりもない暗闇なのだから、よほどたくさんの星が見えたことだろう。
「無限の箱舟」の星空はまるで真砂。絶景の夜空だった。重力レンズで星空は圧縮され、光は眩く輝き積層する……。
ここに座った者たちはみな思いを馳せたのだろうか。この星を為す人類史以上の屍の山を。耐え難い責任の重さに苦しんだのだろうか。彼らにとってはこの星こそが世界だったのだ。その運命を担う、重責を。
経てきた歴史は重さだ。この望遠鏡は人類史を遥かに凌駕する歴史を経た。ましてや彼らは自らの背負う歴史を強く、強く意識している。何千代にも渡る血脈の先端に自分が位置することを、異常なまでの執念でもって把握している。なにせ自分の懲役年数を正確に把握していなければ、釈放が認められない。
ゆえにこの望遠鏡は、相応に重く——相応の引力を持っていた。
星を消せるほどの。
だからこそサロス・パラス・クロウリーは手をこまねいていた。彼女はあくまで彼女であり、記憶はあくまで記憶である。血脈を自分ごととして意識することはできない。望遠鏡の機能維持には住人が不可欠だ。結果、サロスは最低限の人数しか増えることはできなかった。
こういった事情が無ければ駆逐だなんて叶わなかっただろう。
魔法使いは星紀において最強の称号の一つなのだから。
「……」
暗闇に潜む人の気配に、ミアは杖を握った。玉座に立て掛けていた——しれっと魔女の家に戻って拾ってきた——鏡杖である。
サロスは空間内の瞬間移動を可能としていた。とはいえサロスではその場限り、方向転換する程度の瞬間移動しかできなかったものの。
「瞬間移動の魔法のロジックは」暗闇からの声は言う。「鏡で自身を観て消滅させ、視界内に自身を再構築する、というものだ。結局のところ、あらゆる魔法はこれと似た説明ができる」
ミアは焦げ付くような臭さを嗅ぎ取った。煙がたかれているようだ。勢いからして計画的に巻かれた煙幕。これはすぐにこの空間を埋め尽くすだろう。否、既に薄くは広がっている。どんどんと濃くなりつつある。
「人間である以上、主たる感覚器官は『目』だ。『視覚』だ。つまり、魔法使いも同様に、『光』に依存している」
——わざわざ喋るのはそちらへ意識を向けるよう誘導するため。
ミアは声と真逆の方向——玉座の側面後方に振り返りながら鏡杖を振った。確かにそこには強襲者がいたしミアに襲い掛かろうとしていた。しかし互いの攻撃が止まる。ピタッと、ではなく、ゆるりと止まる。お互いの武器は勢いを持って衝突すべきところ、まるで添えるようにして触れ合った。
強襲者はすぐに大きく退いて煙の中に隠れていく。
「おい」この声は強襲者の方。素早く回り込んでいる。「やっぱりオレから攻撃はできねえみてえだ」
「そうか、だがそれは双方向なものだろう?」ともう一人の声。
「それも、そうらしい」
「ならば計画通りだ。君が吾輩を庇い、吾輩が攻撃する」
煙の向こうから銃弾が飛んできた。ミアは紙一重で躱しつつマズルフラッシュの方向へ突っ込む。再び杖を振りかぶって、攻撃者の頭を叩き潰さんとした。
その攻撃もまた、意に反して身体が脱力し、減速してしまう。
ミアは状況を把握した。
いまワタシの目前には二人の人間がいる。一人は銃撃者。ワタシはこの人間には攻撃できるはずだ。だというのにワタシは攻撃できなかった。それは、銃撃者の前に「騎士」が立ちはだかっているからだろう。ワタシこと神王はこの望遠鏡の「脳」。騎士はこの望遠鏡の「首」。「脳」と「首」はお互いに攻撃できない。
次の銃声がした。ミアは杖を捨ててまで回避行動をとったが、それでも右肩に直撃してしまう。
もう煙は満ち満ちていた、元より暗闇、光は一寸も通らなくなっている。ミアは煙に身を撒こうと距離を取った。しかし銃弾は確実に彼女を追尾してくる。君をこの空間から出してはやるまいという意思を持った射線。
ミアが反撃しようと銃を構えても引き金が引けない。彼女と銃撃者の射線上には常に騎士がいる。騎士を殺すような行動は身体が取ってくれない。
——向こうには視えている。この煙の中でもワタシの居場所が視えている。それどころか彼らはお互いの居場所すらも視えている。そうでなければ誤射するはずだ……なるほど普通の眼ではないのか。熱を始めとした生体反応まで追える、高性能の機械眼。
右肩から流れる血は着実にミアの体力を削っていく。
「なるほど……」
ミアは玉座の前に戻ってきていた。数段下、見下ろす位置に、敵対者が二人いる。前衛に騎士、後衛に銃撃者。
痛みをこらえて右手で握っていた拳銃も、遂に手の平を滑り落ちてしまった。段差を転がり落ちていく。
「ミアくん、無駄な抵抗はよせ」
「流石の陛下、オレたち相手によくもここまで抵抗したもんだぜ」
「まるで勝ったかのような口ぶりじゃあないか……」ミアは煙の向こうの声に軽口を返した。軽口のつもりだったが、傷の痛みと出血は確かで、消耗は声に乗ってしまっている。
「元より陛下はオレとエルネストの二人がかりなら負ける相手じゃねえ」
「魔法さえなければな。そして魔法は完全に封じさせてもらった。分かるだろう? 吾輩たちの勝ちだ」
「はあ……まったく」
ミアはため息を吐いた。右手奥の方に放ってきた鏡杖に目をやる。
「つまらないな」
瞬間、煙の向こうで放水のような音が起こった。血が吹き出る音。
「……は?」
ミアが鏡の中に視る、エルネストの右腕が、拳銃ごと吹き飛んでいた。否、消滅していた。リーディは驚いて振り返る。しかし何事か全く理解が及んでいない。
「なっ……な!? おい、おい!! エルネスト!!?」
「ワタシはさあ、手加減してあげたんだよ?」
ミアは鏡杖の鏡の一つに映っている自分の右肩の辺りに注目した。ミアは既に魔法の運用を応用までマスターしている。
星紀の量子力学に照らせば、相応の重さの意識でもって観測したならば、そのものの状態を自在に操作することができる。右腕を構成する量子系の状態を自在に操作できるならば、当然、傷が無い状態に変化させることも可能だ。「治療した」という表現は相応しくない。傷がある状態から、無い状態に、現実を改変した。
「キミたちはこの星において上位に数えられる脅威だった。だから多少は付き合ってあげたんだ。どんな策があるんだろう。もしかしたらワタシを困らせる策があるのかもしれないってね。それが、アレで終わり? はあ、がっかり。期待しすぎたよ」
ミアは、ここまで全く使っていなかった左手をポケットから出してまで、肩をすくめた。
「だ、だから……」エルネストの様子を見つつ、リーディが苛立つような声を上げる。「そもそも、視えてなきゃあ魔法は使えないって話だろうが!? まだ煙は濃いだろ! オレだって機械眼の方じゃなきゃあ何も視えねえ!」
「じゃあワタシの眼には視えてたんじゃない? 最初から今までずっと、全部」
「はあ!? なんで——」
「さて、そんなことはもうどうでもいい」ミアは玉座に腰を下ろして足を組み、肘置きに頬杖を立てる。「エルネストくん抜きでキミはワタシに勝てない。ワタシもキミを殺せはしない。千日手だね、どうする?」
「なっ……」
リーディは、自分の足元に倒れたエルネストに目をやった。夥しい量の出血。
「死っ……ぬのか。エルネスト……」
「リード……くん……」エルネストの意識は既に虚ろになっている。
リーディは自分の左眼に触れた。つるりとした機械の眼球。食いしばった歯の隙間から熱い息が漏れ出て、顔が歪んでしまう。
「ハッ……あっけねえもんだな。ちくしょう」リーディはまるで笑いかけるような調子ではあったが、友人を失うショックに混乱し、敗北に対する怒りもあって、冷静と呼べる状態ではなかった。
「吾輩は」対してエルネストは息を抜くようにして微かに微笑む。「清々しい」
「ああん……?」
「君も……本懐を……」
エルネストはすぐに意識を失った。リーディはしばらくエルネストの死に顔を見つめたのち、ミアに振り返った。このときにはもう煙のほとんどは天窓から流れ出てしまっていた。
「まあ、しょうがねえな。癪ではあるが……どうしようもねえ。ここで待ってたらグレロ様は来るんだな?」
「そうだね。グレロくんはやってくる。キミを殺すために」
ワタシは今日はもう寝るけど、と言ってミアはあくびを残し去って行った。
リーディはエルネストの死体を運んで弔ってから、玉座を見上げる広間にて横になった。
暗闇で、天窓を見上げ、考える。
エルネストから聞いた話じゃあ、最後に生き残ったアダマイト──オレが死なねえ限り、誰も望遠鏡を使えねえらしい。そしてこの望遠鏡は使い方次第で何だってできる。とんだ重大な役割が与えられちまったもんだ。
オレが世界への興味を失おうが、世界はオレに役割を強いてくる。
解脱だなんてエルネストは言ったが、そんなものはあり得ないのかもしれない。
というか、「脱する」という認識が間違ってるんじゃねえか?
脱することはできない。身体でもって世界と繋がっているならば、世界が存在の意味を要求してくる。脱したところで、捨てたところで、またすぐに付いてくる。檻の外に出たり、道から外れようとしたり、そんなことをしたって新たな檻か道に捕まるだけなのかもしれない。
俗世に生きて解脱を目指そうとするならば、捨てるんじゃなくて——
「受け入れる必要があるのか……?」
不幸を受け入れる、あるがままの寛容さ。
オレは妻を失った。だが今は気にしていない。でも忘れたわけじゃあない。自分の中に受け入れることができた、ただそれだけだ。
何にも縛られず、不幸もなく、生きるだなんてことは、できはしない。
ならばせめて、自分たちにできることは、それらを受け入れることだけだ。
そうできたならば。
檻の中にあって。
囚われない。
「だから笑って死ねたのか……」
リーディは誰かに一つ笑いかけると、腕を枕に寝息を立て始めた。
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