Scene6 三日間の出来事
第17話 誇りを胸に
スチールエッジの昼下がり、まだ客の入っていない酒場にて。
僕はトロくんの姿を見つけるなり、その眼前に刃を突きつけた。
「最初から全部知ってたの!?」つい声を荒げてしまう。
トロくんは驚いた様子で手を挙げた。
「けったいな。何があってん、グレロ様」
「アダマイト家のこと!」
「ああ……」トロくんは一転、ため息を吐いて目を逸らした。「ちゅうことは、ミアたんの目的はホンマに星外脱出なんか……そらわしのことも殺そうとするわなあ」
「知ってたんだね」
目の前の切っ先など見えなくなったかのように、余裕でおさげの片方を弄り始める。
「あのなあグレりん、状況ちゃんと見た方がええで。今のグレりんのセリフと態度で、わしが殺された後、あの場でどんな会話が行われたか、大体想像ついてもうたわ。つまり最初からグレりんとミアたんはグルやったっちゅうことやろ? グレりんにその自覚が無かったとしてもな。となるとわしがグレりんに協力するセンが無くなってまう。優先順位とか無しで、わしがグレりんを殺すってことになってまうやないか。アカンなあ頭に血ぃのぼせたら」
「できるものならやってみなよ」
「できてまうけど?」
トロくんが嘲笑を浮かべた隙に、僕は左手に隠し持った水晶の一つを指で弾いた。眩い閃光が空間を埋め尽くす。
スタングレネード。
トロくんの眼にはいま何も映っていない。僕も視界を失ったけど、既に突きつけている剣を振ってトロくんの両目を斬るくらいは訳ない。
「ッ——」
「ごめん僕いま結構苛立ってて、当たっちゃったところがあるのは認めるよ」
視界は次第に戻ってくる。でもトロくんに視界が返ってくることはもうない。
「でも正当防衛だよね? 先に殺意を見せたのは君の方だったもんね?」
「そもそも……」トロくんはぺたんと床に崩れ落ち、閉じた両目から血を流しつつ、声を低く震わせた。「なんでわしが〝星紀の環境活動家〟やって確信を持ってんねん……」
「実は僕ってこの星に来てからあんまり人と話してなくてさ。僕のことを『グレロ様』って呼ぶ人は数えるほどしかいないんだよ」
「今回ばかりは恩を仇で返してくれたやないか……」
僕は怒りをため息に吐き出してから、カウンターに着き、組んだ腕に額を付けた。
「お酒ちょうだい。何でもいいから」もごもごとして言う。
「嘘やろお前……」
トロくんはしばらく苦しんでいたけど、立ち直ってから一杯入れてくれた。一息に飲む。氷だけ残ったグラスの音を聞いてトロくんはドン引きし、新たに水のグラスを出してくれた。寄生虫がたまに優しいのはただの懐柔術だけど、そうと分かっていても効く。
お酒が回ったのもあって、涙ぐみ、声も潤んでしまう。
「なんでヴァリエさんが死ななきゃいけないの?」
「もう死んどるやん? なんなら二回も」トロくんは自分も椅子を持ってきて、カウンターの向こうでちょこんと座っている。「もう一回くらい誤差やろ」
「どうにかならない?」
「グレりんが星外脱出を諦めればええで」
もう額を腕に着けてはいたんだけど、更に頭を抱き込んだ。ぼそりと呟く。
「それは無理」
トロくんが降り下ろしてきた包丁は気配だけで手首を掴める。
「折られたい? 砕かれたい?」
「ど……どっちもごめんに……決まっとるやろ……」トロくんの言葉が詰まっているのは僕が強く握りすぎたせいだろう。
力を緩めれば包丁はカラリとカウンターを跳ねて、僕の足元まで落ちていった。トロくんはクッソとぼやいて手をぶらぶら振っている様子。
「サロスが寄生したらどうにかなったりしない?」
「わしが言うのもアレやけど、それ本末が転倒しとるで」
「ホントだ……」頭を抱える。
「まあ、それはいずれにせよ無理や。アダマイトに寄生した猫は定期的に〝環帯の中心〟と同期しとるってのは聞いたか? わしが乗り移ろうとしたら察知されてまう、いっぺんバレかけた。ちなみにこの望遠鏡を使おうとしても、寄生猫は環帯猫と通信するみたいやで。やからわしはまだこの星の機能を使ったことがない。アダマイトを全滅させてもよかったけどネストんの妨害がウザくてな……ネストんの刑期満了を待っとるうちに君らが来たって感じや」
「監禁するってのはどうかな。ヴァリエさんにここからの脱獄計画を何も見せないとか」
「それはもう叶わん」トロくんは確信の語気で言う。「バジェっとんが殺された時点で環帯猫は異常を察知した。もう視察隊が送り出されとるはずや」
「なっ……はあ?」ミアさんの発言が思い出される。ハッとして目を見張った。「いや、そうか。だから『三日』だったんだ……!」
環帯の外へのワープに関して、SFGSは自由自在ではない。Star Fall Gate Systemというだけあって、設置したGate間のみを移動するのが元来の機能である。このGateを開くのにはそこそこのコストがかかり、環宇宙政府とて気軽にポンポン設置できるものではない。だからどうしても、三日はかかる。
「せやな。最寄りのGateからこの星までかかる日数が、三日」
「……え? 三日……だけ!?」衝撃のあまり呆然としてしまった。「それじゃあ僕のプランは使えない……」
僕の考えていた脱獄法だとかかる期間は十年。いや、僕とセララさんがいれば五年かからないだろう。五年かければ……こちらを選ぶならば、ヴァリエさんたちを殺さないで済む可能性があった。
「そ、そういうこと……か……」
ミアさんの意図がやっと理解できた。おそらくミアさんは僕なんかよりもよっぽどスマートな脱獄方法を思いついた。それはこの星の機能を使うやり方らしい。だから、アダマイト家が邪魔だった。
ミアさんは僕がヴァリエさんやこの星の人間に絆されていることを懸念していたのだ。僕とヴァリエさんの様子を直接見た一瞬のうちに、その可能性を考慮した。でもアダマイト家を殺しうる人間は僕だけである。このジレンマを解消するための解決策が、あの場でさっさとタイムリミットを始めてしまうことだった。天才的な思い切りの良さである。
だって僕はもう、ミアさんのプランに乗るほかなくなってしまったのだから。
「いや……え?」ふと冷静になる。
「せやな」トロくんも同じ疑問を抱いたらしい。
「で、三日で? ミアさんは脱獄するつもりってこと?」
「せやなあ……」トロくんにも、少なくとも見た目には、思い当たっていないようだ。
ミアさんならできるんだろう。
でも、どうやって?
「おい起きろ」
「うっ……うん……?」
寝起きの頭で、頭も体も痛いなあとか思いながら目を開けると、目の前に裸足のつま先があった。
床に倒れているのが僕で、僕のベッドに腰掛けて足を組んでいるのがヴァリエさんである。窓の外は暗いので時間帯は夜らしい。
「あのなあ……」ヴァリエさんは青筋を浮かべて冷たい目で僕を見下ろしていた。「わたしは酔い潰れた貴様を介抱するために着いてきたわけじゃないぞ」
ぼーっとして言葉を反芻する。
「おい」ヴァリエさんは僕の肩をちょっとつつく。「聞いてるのか?」
「聞いてる……けど……」
手をついて体を起こした。一脚だけある椅子を引いて、ヴァリエさんに対して半身になる形で座る。頭痛から指で額を押さえる。
「死んでもらうために着いてきてもらったわけでもないよ……」
ヴァリエさんは呆れたため息をついた。
「貴様を助けるため、だろう?」
僕はどうしたいんだろう。
ヴァリエさんには死んで欲しくない。でも僕がヴァリエさんを庇うとなると、今度はミアさんの計画が破綻する気がする。そうすると、この星からの脱獄は絶望的になるのではなかろうか。
天秤だ。
ヴァリエさん一人の命と、僕の背負ってきた想いの、天秤。
吐き気がする。
「フッ」
また鼻で笑われた。ジトっと見返す。
「なにい……?」
「嬉しく感じる側面もあると思ってな。貴様はわたし一人のために、これまでの貴様の人生全てを無かったことにしようかと悩んでいるんだから」
「無かったことに……」
「捨てられるのか? 忘れられるのか?」
僕はこれまで仲間も敵も含めて一千万人単位、下手したら億以上の人を殺してきた。
そんな人殺しに、ここで隠居するだなんて逃避は許されない。
僕だったら許さない。死んだ自分の無念を晴らしてほしい。
僕が殺した人たちのためにも、僕はまだ苦しむ必要がある。
「はあ」僕の表情から内心を察したのか、ヴァリエさんはやれやれと苦笑した。「相変わらず、難儀だな」
「そうだね」
「疲れないか?」
「疲れる……疲れる、か。そうだなあ……」
椅子の背にもたれて天井を仰ぐ。腕はぶらりと。
「肉体的に疲れる、は分かるけど。精神的に疲れる、は幻想じゃない?」
「心の疲労は存在しないだと?」
「精神は減るものじゃないでしょ?」
「まさか」
「悩んだことを忘れればいいよ」
「忘れられるならば貴様はどれだけ楽だったろうな」
苦笑を返せばヴァリエさんも静かに笑っている。
「その生き方をやめても構わないとすら思える、添い遂げたいと思う人間はいなかったのか? 数週間そこらのわたしにすらこんなに入れ込むんだ。いたんじゃないか?」
「……す、凄いことを聞くね」
僕はもうずっと苦笑しっぱなしだ。対してヴァリエさんは愉しそう。
「例の女だな」
「あの子かあ……あの子はなあ。ちょっと重かったからなあ……」
「重い、だと?」ヴァリエさんはフフッと笑い出した。「そんな、そんな言葉が出てくるのか」なんなら結構ツボっている。
「いや大事なんだよ真面目な話……僕はみんなの僕だからね。独り占めさせるわけにはいかないの!」
アイドルみたいなこと言っちゃった。いや
「その女とは寝たのか?」
「なんてことを聞くの……? あ、あんまり他人とのデリケートなことは、言いたくないんだけど」
「どうせわたしは明日か明後日には死んでいる身なんだから。聞かせてくれたっていいじゃないか」
「うう……」そう言われると弱い。「寝てない。その子は別に僕のことを恋愛的に好きだったわけじゃなかったからね。理解者というか、親友、ではあったけど」
「貴様は? 好きじゃなかったのか?」
「好きみたいな気持ちもあんまり意識しないようにしてる」
「最悪だ」ヴァリエさんはお腹を抱えて笑った。「最悪だな」
「さ、最悪? どういう風に……?」
「貴様を落とそうという女がいたとしたら、最悪だろう?」
「……うわあ」
「そうか。わたしだけのグレロ・ド・ルゼにはならないか」
「そうだね」目を落とす。「なれないなあ」
「たまにはプレゼントなんかも送ろうと思うんだが」
「あれはありがとうね」
「二人でこの星を統べることもできた」
「できたかも」
「結論は出たか?」
「出た」
「よし。それならもう遅いし寝るか」
ヴァリエさんは両腕をぐっと伸ばしたかと思うと、パタンとベッドに倒れてしまった。かなり珍しい仕草だ。いや、もちろんヴァリエさんも人間だからそういう風に伸びをしたりするんだろうけど、少なくともこれまで僕の前で見せたことはない。
僕は少し身構えつつ、そうとバレないように、まるでただ困惑しているかのようにして言う。
「寝るよ。寝るけどさ。ヴァリエさんは自分の部屋のベッドで寝なよ」
「んん……」ヴァリエさんはゴロンと寝返りを打ち、天井を見上げた。横になって実際のところ眠気が出てきている様子。「貴様の言葉は信用ならないからな。本当に寝るかどうか見届けてやろう」
「二人で横になるには狭いんですけど?」
ヴァリエさんが仰向けになっただけで八割埋まってるし。
「じゃあ床で寝たらどうだ?」
「それが許されるならそうしようかなあ」
「となるとわたしも床で寝る羽目になるな」
僕は観念のため息をついた。電灯を消せば真っ暗に。とはいえ外は真っ暗と言う訳ではなかったようで、窓から差し込んだ仄かな灰色が、床の一箇所だけを仄かに照らしている。
ベッドに腰掛けてから僕も横になった。ヴァリエさんには背中を向けたままだ。パーカーのまま横になっているので多少ゴワつく。足はベッドから少しはみ出している。
心音が早い。
僕とヴァリエさんの距離は数十センチ、いや、十センチも無い。気配が肌に触れていた。たまに首筋にヴァリエさんの吐く息が当たる。息を呑んだ音が聞こえたんじゃないかと思うたび気持ちが焦ってしまう。まったく、なんでこんなに緊張してるんだろう。
静かすぎるほど静かで、衣擦れがやけに響く。
ヴァリエさんは何を考えているんだろうか。いまいちどういう狙いがあるのか分からない。手を出して欲しい……んだろうか。せっかくなら死ぬ前にってこと? そんな動機で動く人だろうか。でももしもそうなら抱いてあげるべきだ。けどこれでただ添い寝したいだけだったらどうしよう。そんなこと十中八九無いけど。それで手を出そうとしたら殺されちゃうかも。
「一つ聞きたいんだが」
吐息に紛れるような小さな声で囁かれた。
「なに?」僕も同じくらいの声量で返す。
「もしも、ここで、わたしが貴様に身体を預けたとして。貴様の中のわたしの位置は変わるか?」
「……変わらない。少なくとも」なるほどつまりヴァリエさんの狙いは。「僕の結論が変わるほどの、変化はない」
「なら、わたしから強く求める理由も無い……な」
ヴァリエさんは決して保身のためにやっているわけではない。
「ヴァリエさんは僕にこの生き方を止めさせたいんだね」
「だが、わたしでは貴様の檻は壊せない」
ヴァリエさんはおもむろに身体を起こすと、僕の肩を引いて仰向けにし、お腹にまたがる形で腰を下ろした。マウントポジション。暗がりにヴァリエさんのシルエットが暗く浮かんでいる。天然でカールのかかった髪。初めに比べればかなり和らいだ表情。
僕の首にはヴァリエさんの両手がかけられていた。
僕の左腕は顔の側に、右腕はヴァリエさんの膝の下にある。すぐ抵抗に使えるのは片腕だけ。
今回ばかりは、どうしようもないかも。
「本当に僕のことを想うなら、それは間違いなんじゃないかな」
口では一応考え直してもらえそうな方向に持っていきつつ、本音のところで少し期待もしていた。できれば僕の口八丁に騙されず、その行為を貫徹してほしい。それもまたいい。
言い訳は立つ。僕はヴァリエさんに気を許しすぎた。そうなってもおかしくない状況と流れだった。そして僕は身の振り方を間違えた。
しょうがない。
「フッ、フフ」ヴァリエさんは突然また違う笑い方をした。
「え、なに。不気味なんだけど……」
「ああいや悪い。だが仕方ないだろう。相変わらずよくもまあそんな、捨てられた子犬みたいな表情ができるものだ」
「捨てっ……子犬ぅ? なんのことお……?」
ヴァリエさんはハハッと軽く笑って、僕の隣にパタリと倒れてしまった。頭を上げろと言われたので上げたら、頭の下に右手を通される。
えっ腕枕……。
いま僕の眼前にはヴァリエさんの胸元がある。上目遣いで顔の方を伺えば、ヴァリエさんは嬉しそうに目を細めていた。
「ど、どういう——」
ヴァリエさんは僕を抱き寄せた。薄く柔らかい感触にほのかな甘い香り。
反射的に肩がこわばった。でも最初だけ。その腕は強くもなく、弱くもなく、ただ優しく、僕を包んでいた。否応なく力が抜け身を委ねてしまう。
体の奥の何かが暖かく解きほぐされ、補修されていく。
「えっ……」
僕が驚いたのは自分の目元に浮かんだ涙に対して。
こんな程度のことで涙なんてものが出てしまう自分のちょろさに嫌悪感すら覚える。
ヴァリエさんの右手が僕の頭に当てられた。よしよしと撫でられる。
「は……? な、なんなの……?」そんなことをされたら、止まる涙も止まらない。「撫でないでよ……」
「やっぱり疲れてるんじゃないか」
余裕綽々といった様子のヴァリエさん。なぜだか悔しい気分になってしまう……。
「悪いな。わたしは貴様を檻から出してやることすらできない」
口振りもゆっくりと柔らかく。
「だからわたしは貴様にこう言うしかない」
まるで、寝かしつけるかのように。
「貴様は貴様の地獄を行け。前にしか伸びていない茨の道を行け。誰も手を引いてはくれないかもしれない。祈ったところで奇跡が降ってくることもないだろう。進むたびに血が流れるはずだ。だが、お前が一歩を踏み出さなければ、歩き続けなければ、何も変わらない。無様でも、遅くても、歯を食いしばってでも進み続けるんだ。そうすればいつか貴様も、自分を誇れるようになる」
縋るようにして見上げるも、ヴァリエさんは困ったように眉をひそめるだけ。
「仕方ないな。それまで耐えられないというなら、最後にもう一つだけ、贈り物をしよう」
ヴァリエさんは僕の背中をポンポンと軽く叩いて、
「貴様は、わたしが命を賭けるに値する男だった」
再び僕を緩く抱きしめた。
「誇れ、グレロ・ド・ルゼ」
その日は珍しく悪夢を見なかった。
銃声に目を覚ました。しかしかなり遠くからの銃声だ。気付ける人間はほとんどいないだろう遠方、数キロメートル以上は離れている。
ベッドには自分一人しかいない。部屋を出て、階段を上がり屋上に出ると、既にビシッと着替え終わったダルフォネさんが先にいた。
アイボリーのブラウスは胸元にフリル。くびれに沿ったベスト。ショートパンツに太いレザーベルトを通す。細いシルエットに対してごついウエスタンブーツが目を引く。
ふわふわと膨らむもこもこの白髪を高い位置で一つに結んでいた。波打つポニーテールが振り返る仕草を追って軽く流れていく。
「グレロ様」
「おはようダルフォネさん」
「今の銃声は」
「カッコよく死なれちゃったみたいだね」
ヴァリエさんは姿を見せない場所での自殺を選んだらしい。断じて気負わせまいという意図だろう。最期までカッコいい人だった。
「格好の良い、死に方ですって?」ダルフォネさんはクスクスと上品に笑う。「まさか」
「え……、どういうこと……?」
「貴方様と顔を合わせるのが、恥ずかしかっただけでしょう」
「……なるほどね。それはあるかも」僕もクスリと笑った。
ダルフォネさんはいつもより柔らかく微笑んで僕を見た。ん……どうやら慰められていたらしい。ありがたいけど分かりづらすぎる……。
折に、屋上の扉が突然に激しい音を立てて開かれる。
「カッコいい死に方だなんて!!」飛び出てきたのは水色髪に暖かそうな見た目の女性。「あるわけがありません!!」
セララさんである。眼鏡の下にクマができている。
「セララさん、おはよう」と挨拶するもセララさんは無視。
「許しませんよヴァリエさん……」さっきの大声から一点、今度はぶつぶつと陰気に呟き始めた。「カッコよく満足に死んではい終わりだなんて許しません……挨拶もせず置き手紙も無く……そんなんで残された方が納得できるわけないでしょう」頭を抱える。「あぁあぁ! どいつも、こいつも! 覚悟しろ……後悔させてやる……」
「なんか自分の世界に入っちゃってるね」
「徹夜だったのかしら」
「フッフッフ! いいえ!? はい!」セララさんは妙にハイなテンションで自問自答した。「ウチはウチを置いて死んでいったみなさんを絶対に許してはやりません!」眼鏡を煌めかせてこちらを見る。「そうですよね!? グレロさん!! 一回くらいは殴ってやりたくないですか!?」
「そ、それは……そりゃあ。文句の一つくらいは言ってやりたくはあるけど……」
なにか引っかかる。
なんだ?
セララさんは何を言おうとしている?
「ウチには分かりましたよ!? だってウチは、〝星紀の冒険家〟! 〝星紀の冒険家〟!! ウチに解けない謎はありません!!」
「冒険家と謎解きに関係ありまして?」
「謎って——」僕は少し身構えながら尋ねた。「何についての、謎?」
だって、なんだか、驚くようなことを聞くことになる気がしたから。
「ウチらに分かってなかったことは、もうあと一つだけですよね!!?」
セララさんは眼鏡を中指でクイと持ち上げた。勝ち誇った様子で。
「──『時震』について」
時震の頻度は一時間に一度ほどまでに増えていた。一回の時震も長くなりつつある。
カウンターの裏からアタッシュケースを引きずり出しつつ、トロくんがホールの方に出てきた。ケースをテーブルにどさっと置く。
開けばスナイパーライフルのパーツがクッションにはめ込まれていた。覗き込んだダルフォネさんが目をキラキラと輝かせている。
「有効射程は?」とダルフォネさん。
「二キロ」トロくんが素っ気なく返す。
「むむむ。せめて四キロは欲しかったのですけれど」
「いうてここで造れるもんには限界あるからな、容赦してや」
目元に包帯を巻いたトロくんは、目が見えていないことに不自由する様子なく、その辺りの椅子にほいっと飛び乗った。
「まさか入り用になるとはな。ミアたんとは結局敵対するんか? ヴァリエはんに絆された? それならわしの両目が斬られ損なんやけど」
「そういうわけではないんですけどねえ〜」セララさんは口をすぼめて目を泳がせている。
じゃあどういうことやねんと訝しむトロくん。
「あのさ、最後にトロくんに──サロスに聞いておきたいことがあるんだけど」
「ん? なに?」
「あ、それはウチが聞きます」
セララさんはなんてことない様子でリボルバーを抜いてサロスに向けた。そこまでするとは聞いていなかったのでちょっと焦ったけど……まあ遅かれ早かれだ。
「どうしてお兄ちゃんに外の世界のことを吹き込んだんですか?」
「……はあ?」サロスは本気で困惑している様子、「今、それ?」
「大事なことなんです」
「そんなもん……」
サロスはため息を吐くと一転、馬鹿にするような笑みを浮かべて、肩をすくめた。
「暇つぶしに決まっとるやろ。なんせこの星は退屈すぎるし」
「暇つぶしだからこそ、ここにいたってことですね? 死ぬように誘導して、その死に様をいい位置で観覧して、楽しんだってことですね?」
「なあ、もしかしてわし、ここでその件を断罪されるんか? そこに突っ立っとる思想啓蒙扇動家を差し置いて? おいおい、ありえんなあ」
「だってそのせいでお兄ちゃんは死んだんですから」
「そのおかげでセララんはここに生きとるんやけど」
「もしかしたら心臓移植の手術を行ったのもサロス先生だったりするんじゃないですか? 先生なら意図して記憶を残すことだってできたかもしれません」
「暇つぶしにわざわざそこまですることはないんちゃう?」
「先生はお兄ちゃんに命懸けの作戦を提案することができる立場でもありました」
「妄想に過ぎんなあ」
「先生は人のことを何だと思ってるんですか……?」セララさんは歯を軋ませる。
「人のこと?」対してサロスはクックッと笑った。「そりゃあ当然、ヒト、やろ」
「了解です」セララさんは落ち着くように息をしている。「ウチが気にしてたのは、ウチだけが殺しをしない、してないってことなんです。今まで全部お兄ちゃんに被ってもらってきました。だからこれは、これからウチがお兄ちゃんの元を離れて生きていくための区切りなんです。なんなら歓迎しちゃいますよ? 躊躇の要らない相手として、ここにいてくれたことを!」
サロスは僕の方に首を向ける。
「つまり君らは……ミアたんとは敵対するけど、脱獄は果たすっていうんやな」
「ミアさんがまだ玉座にいるかは分からないけどね」
僕らを待ち構えているのが他の人間の可能性もある。
「なあ、わしってそんな悪いことしたんかなあ。人を唆して自ずから死ぬよう仕向けた、なるほどこれはやったかもしれん。でもそんなんグレりんと変わらんやろ? 適当を吹聴して人を炎に向かわせてなあ。なんならそっちの方が酷いんちゃう? 人の死期を早めとるんやから」
その通りだ。
「わしなんかよりよっぽど酷い人殺しやで」
だけど。
『殺す、だなんて自罰的な言い方は止めろ』
「僕は殺してないよ、サロス。君と違って」
彼らは彼らの意思で選択した。
それを僕が殺しただなんて——おこがましいことを言っていたのかもしれない。
彼らには彼らの人格があるのだから。
「あっそう」サロスはフンと鼻を鳴らす。「だる……」
セララさんは両手で拳銃を構えて、呼吸に銃口を上下させていた。
「もう言いたいことはありませんね」
サロスは最後、セララさんに向けて、嘲りの笑みを浮かべた。
「人間風情が」
「人間……?」
セララさんの照準が定まったのは、皮肉にもサロスの言葉を受けてからだった。
「はい、ありがとうございました、サロス先生。ウチを人間にしてくれて」
動悸にふらついたセララさんを座らせ水を勧めつつ、ダルフォネさんに目を向ける。
「ということで、練習の時間は一日くらいしかないんだけど、できる……?」
「まあ、まあ!?」
目の前で撃ち殺された死体に興奮していたダルフォネさんは、僕の言葉を受けて、頬を赤らめたまま楽し気に回って見せた。
「わたくしを誰と心得て!? 当然、わたくしは〝星紀のスナイパーの末裔〟!! 動物であろうとも、人間であろうとも! モノでも虫でも、何であろうが!!」
ピタリと足を止めると、手を腰に当てて僕を見る。上品に——とはいえない笑みを、かざす手で気持ちばかり隠しながら。
「全ての標的に当てましょう。全ての踏み台を撃ち殺しましょう。わたくしが宇宙一のスナイパーになるための、尊い犠牲を捧げましょう。さあ、記念すべき——一人目を!」
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