第16話 身勝手な決着
「物陰に隠れて待ち伏せだなんて、らしくないことをしたんじゃない?」僕は額に汗を浮かべながら言った。
辺りを見る。この小屋には低い位置の窓が無い。他に外と繋がっているのはミアさんとバジェさんの背後の扉だけ。僕らとミアさんたちの間の距離は五メートルもない。銃を抜く前にミアさんどころかバジェさんですらその腕を切り落とせるほどの近さ。つまりセララさんは戦力に数えられない。ダルフォネさんの狙撃も使えない。まあそもそも狙撃と言う選択肢が僕にあることをミアさんに見せたくはない。
だなんて、ここを生き延びなきゃあ意味のないことだけど。
「ワタシにとっても寄生虫はあまり手を抜ける相手ではなくてね」ミアさんは目を閉じたまま右手だけで肩をすくめる。「こういう泥臭いやり方をせざるを得なかった。少し悔しいくらいさ」
ミアさんの足元のサロスはもう絶命してしまっている。もっと早く信用して目枷を解いておくべきだっただろうか。いや、今の死に方じゃああんまり意味もなかったかな。
ヴァリエさんが一歩僕の傍に寄ってきた。どうするのか、と暗に聞かれている。
——降参するのか、抵抗するのか?
これについて僕はほんのわずかにだけ頷いた。言外にこう返したつもりだ。
——様子を見よう。
様子を見たのでいい。僕のプロファイリングが正しければ、ミアさんは僕をここで殺さない。僕らが降参するまでもなく、抵抗するまでもなく、ミアさんは退く。
ミアさんは自分の優位性に応じた手段を取る。今さっき確認したように、「物陰に隠れる」みたいな手間のかかる手段は、不利でなければ取らないタイプなのだ。有利不利の状況に合致した最小限の手間を選択することに拘っている。それはある種の潔癖性、美意識のようなもの。一歩も動かず倒せるなら一歩も動かず倒したくなる人間。片手で済んでいるうちは片手で済ませるのだ。頑として左手を抜かないことから、彼女にとってこの傾向は傾向を越えた絶対のルールであることが分かる。
つまりミアさんはここで焦って僕を殺そうとしない。
そもそも僕は既にミアさんとの決戦が「玉座の間」になるよう誘導している。ミアさんなら、僕が「玉座から引きずり下ろす」と言った以上、玉座で待ち構えるはずなのである。このセリフに乗るだけの余裕がミアさんにはあり、そうであるならばそうしてしまうのがミアさんだ。
「こんなところで会うだなんて、お互いに予想外だったね」
「まったくもって」ミアさんは緩く目を瞑って頷く。
ミアさんもサロスが僕を連れてくるのは予想外だったらしい——ここでの遭遇は本当に偶然。
「ちょっと気まずいね。バジェくんが見ている手前、ワタシもキミにあんまり甘くはできないんだけれど。腕の一本くらいは貰っていこうかな?」
「じゃあ僕らでバジェさんを倒してあげようか」
「それもいいね」
「……ん?」
「バジェくんを殺してくれるなら、それがいい」
僕は本気で言っていたわけではない。軽口ぶって探れるだけ探ってやろうという魂胆だった。しかしミアさんの雰囲気は割合と真面目。
「よくよく考えてみれば今が良い機会だ。ワタシの想定とは違ったけれど、今でも支障ない。むしろ良いな、その方が早い。流石に星紀一の旗手じゃないか、幸運の星の元にあるらしい」
バジェさんが何事かと目線を送るのも知らず、ミアさんは一人得心顔で頷いている。
「ほらバジェくん、ワタシから機会を上げよう。リベンジのチャンスを」
「は……? 陛下、何を仰って——」
「キミも悔しく思っていただろう? ほら、グレロくんに勝って証明して見せたまえ。騎士団長としての矜持を」
「——」
バジェさんは信じ難いとミアさんのことを見つめていたけど、いつまで経ってもミアさんは撤回しなかった。手指を震わせ、多少の時間をかけ、しかし遂には決心して僕の方を向く。僅かに腰を下ろして身構えた。
「捕縛が目的でよろしかったか」
ミアさんは嗤いつつ返す。
「キミ如きにそれができるものなら」
訳の分からない展開だった。状況がまるきり僕の理解の外に行った。
ミアさんは僕一人で戦うようにすら要求しなかった。なら、バジェさんが戦うのは「僕たち」である。
バジェさんは絶対に勝てない。
玉砕だ。
ならばミアさんの目的は、バジェさんを殺すことにこそある。
「お父様」
皆がその言葉の主を見た。ミアさんすら目をやった。
「一つお尋ねしたいことがあります」
ヴァリエさんがその灰色の瞳をバジェさんに向ける。
「お父様が体内に飼っておられる、猫についての話です」
——え?
「それは代々、アダマイト家に宿る守護霊だと聞いて育ってまいりました」
ヴァリエさんは拳銃を抜いた。銃口をバジェさんの額に合わせる。
「もしもこの場でお父様が亡くなった場合、その猫は次に、誰に憑りつくのですか?」
バジェさんは辛そうに目を逸らした。背筋を伸ばして、一つ息を吐く。
「ヴァリエ、お前だ」どこか申し訳なさそうな様子で。「適合する血統の者ならば、誰でもいい」
「ありがとうございました、お父様、わたしをここまで育ててくださって」
引き金が引かれた。バジェさんは抵抗しない。倒れる額から細い血が噴き出る。同時に黒い影がバジェさんから飛び出た。
猫のシルエットが。
一瞬のうちにヴァリエさんの身体と同化してしまう。
「お父様……」ヴァリエさんは両手でぎゅっと拳銃を握ったまま。呼吸を震わせていた。
ミアさんの足元には、これで死体が二つ。
「よし、これであと二人」ミアさんは確かに愉快そうな調子で言った。「アダマイトの血を引く者はあと二人だ」
ヴァリエさんは平坦な熱の無い——まるでバジェさんと同じ様な——声で尋ねる。
「どうして陛下がその手でお父様を殺さなかったのですか?」
「この星においては、騎士団長もそれなりの崇拝対象だ。この星の神は王だけれど、直接神意を国民に伝えるのは騎士団長の役割だったらしいからね。ずっとそうだったらしいよ」今の言葉は僕に向けられたものだろう。「本質と偶像は表裏一体ってところかな。さて、となると、ワタシがこの星の『脳』なら、騎士団長は『首』という風に捉えることができる。こういう役割に嵌め込まれた以上、ワタシの手で騎士団長を殺すことはどうやらできないらしい。脳は自分の首を斬れない。殺意を持つことすらかなり難しく、直接手を下そうとしても意に反して身体が抵抗する。まさに魔法だね」
「……ミアさん、一つ確認していい?」
「どうぞ?」
「もしかしてミアさんって」僕は自分でもそれが信じられないままに尋ねた。「最初からそれが目的だったの?」
「そうだね」ミアさんは薄く微笑んで頷く。「言っただろう?」
今なら分かる。だってすべて思い出したから。ミアさんの目的は——。
『お迎えかな? 看守役がいるんだろうか。誰かが観察する必要はあるだろうけれど』
「ワタシの目的は、ワタシとグレロくんを観察している何かを特定することにあった。ワタシたちは〝
だとすると、ミアさんと僕は最初から——。
「さて、とはいえ、あの猫でも環帯の外まで直接の影響は及ぼせないらしい。できて部分的かつ単純な形。今回は『特定の血筋に憑りつく意識体』という形を取っていた。ワタシの方の調査によると、遺伝子から何かが仕込まれているようだね、アダマイトの遺伝子を持つ者が意識体を継承する——通常は騎士団長が。ワタシがグレロくんで遊んでいるうちに、エルネストくんにアダマイトの者を蘇生されてしまったのは失点として認めよう。しかもその二人は、いつの間にかワタシの手の届かないところに連れ出されてしまっていた」
自分でも何に衝撃を受けて、愕然としているのか分からない。
「ミアさんの目的は──『星外脱出』なの? 最初からずっと?」
僕の驚く顔を見て、ミアさんはにわかに口角を上げた。
「ワタシは考えるべきことを考えた。キミはできることをやった。そうだろう?」
とはいえ、と一拍置く。
「いまご覧いただいたように、アダマイトの血筋がいる限り猫の分体は不死身だ。そして継承に足る濃い血はあと二人残っている。意識体は〝
ミアさんはその微笑みをヴァリエさんの方に向ける。
「アダマイトが全員死んで、意識体が行き場を失った場合。このときだけ、監獄惑星のコントロールは神王の手に渡る」
ミアさんは着物のようなコートの裾を翻した。
「さて、じゃあ今日はもう失礼しよう。ワタシには『騎士』すらも殺せないからさ」
背中越しに手を挙げて去っていく。
「この星さえ起動できるなら、ワタシは勝利できるんだ。よろしく頼むよグレロくん、三日以内にまた会おう」
ミアさんは言うだけ言って消えてしまった。
もうミアさんと戦う必要はないらしい。
良い報せだったはずだ。
それがなんだ?
なんだって?
「じゃ、じゃあ、なんですか……?」
セララさんが言ってしまう。
「ヴァリエさんには死んでもらわなきゃいけないってことですか……?」
僕は何も考えられないまま、ヴァリエさんにただただ振り返った。ヴァリエさんはずっと目を瞑って深く息をしている。右手には拳銃を握ったまま。その様子は落ち込んでいるわけではなく、まるで何かの覚悟を決めているかのよう。
「ま、待って!?」
ヴァリエさんが右手に握る拳銃を上から握った。手に汗が滲んでいる。
「ちょっと……待とう」
おかしい。そんなおかしなことがありえるわけがない。
「グレロ・ド・ルゼ」僕を見上げる灰色の瞳には黒い影が差している。目の奥に宿るのは、哀しみでも、諦めでも、怒りでもない、名前のつけようがない何か。
「ミアさんが言ったことが正しいかどうかもまだ確認してないんだよ?」
「陛下が仰ったことは正しい」ミアさんは切なく微笑んだ。滅多に見せない微笑みを。「わたしには分かる」
「たっ——正しいから何なの!?」
ヴァリエさんはフッと笑って拳銃を上げようとするけど、僕はまだ上から力を加えている。指先の震えはヴァリエさんに伝わってしまっているだろう。
「そんな……そんなこと……」
言い訳が出てこない。息が上がって頭が回らない。
「じ、時間をくれない……?」
ヴァリエさんはそんな僕の様子を見て、まるで愛おしむように微笑んだ。
「そうか」
扉を引いて、外の白い光を背に振り返る。
「なら、戻ろう」
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