第15話 魔女の家

 ステンレスの造りで意外に近代的な印象のキッチン。随分古いタイプのものだけどIHもある。技術レベルが歪である。

 サロスが何事も朝ごはんを食べてからだと駄々をこねたので勝手に食品を拝借していたところ……。

 誰かにポンポンと肩を叩かれた。振り返れば伸びた指が頬に柔らかく刺さる。

 こういうことをするのはセララさんだ。ししっといたずらっぽく笑っている。


「おー……はよう、セララさん」ローテンションのまま挨拶した。

「反応が薄くないですか!!? 『うわっ、どうしたのセララさんっ』くらいは期待していたんですが!?」

「朝は血圧がね……」まだ外は暗い。「セララさんは元気だね~……」

「はい! 元気にやってますよ!」


 水色の髪は、いつもは三つ編みで二房に分けているのだけど、今は一つのテールにだけまとめている。フレームの大きな丸眼鏡。肩に編み物のケープを羽織る。見た目だけならかなりインドア系。

 セララさんは棚から皿を十枚くらい取ってテーブルに並べていった。薄いパン──パンではなくてトルティーヤとかいうものかな──をささっと並べていく。慣れた手つき。

 ここは脱走してきた人畜の駆け込み寺のようなことをやっているので、相応に朝ごはんの用意も多い。


「あ……ごめん、二人分しか作ってないや」

「ですねえ。卵まで使ってるのに〜」


 スクランブルエッグを皿に盛るところの肩をえいえいと軽く突かれた。

 空元気には見えない……。


「朝のこんな時間にこんなことを言うのもどうかと思うんだけどさ……」

「ん? なんですか? ちなみにお兄ちゃんのことでしたら気にしてません」

「ううっ……」


 先手を打たれた。セララさんは支度を続けつつハキハキとして言う。


「グレロさんのせいだとも思ってませんよ! ご安心ください!」

「いや……そういうことを言ってほしかったわけじゃないんだけど……」目を逸らす。「ごめん……」

「お兄ちゃんのことは恨んでますけどね……」セララさんは一転ジトッと目元を暗くしてぶつぶつ呟き始めた。「ウチとの約束を破りやがって……次会ったら今度こそザクザクにしてやる……」


 リゼンさん……もし蘇生の機会があっても蹴った方がいいかも……。


「あっ、えっと、ともかく!」


 僕の頬をつついて、セララさんはまたいたずらっぽく笑った。


「申し訳なく思うなら、ちゃんとウチを連れてってくださいよね! 頼りにしてますよ、グレロさん!」

「……そうだね!」セララさんがこんなにも気丈なのに、僕がクヨクヨしている訳にはいかないだろう。「この僕に任せて! 絶対、一緒に地球に行こう!」

「その意気ですよ! うおおお!」

「うおおおー!」


 サロスがちょいと覗きに来た。


「なんじゃ? 盛り上がっておるのう」

「サロス先生!」セララさんが声を上げた。「おはようございます! 早速なんですけど、ウチの質問を聞いてもらっていいですか!?」

「おやおや。ふっふっふ。こういう生徒がいると嬉しいのう。もちろん構わんぞ?」


 セララさんはジェスチャー混じりに尋ねる。


「まずですね、サロス先生の在り方から考えるに、人格を形成するのは記憶なんですよね?」

「そうじゃな。人格あるいは自意識とは、記憶という途方もなく長い式の解じゃ」

「でも、記憶は頭だけじゃなくて心臓にも宿ったりしますよね?」

「記憶が細胞にも宿るのは星紀の常識じゃな」

「やっぱりそうですよね。だとしたら変です」

「というと?」

「人間の意識は一つじゃないですか」


 サロスは驚いた様子。


「つまり」セララさんは続ける。「無数の記憶の集積として、意識が形成されるってことですか?」

「セララんはどう思うかの?」サロスはニヤリとして聞き返す。

「実際そうなっているのでそうだと思います。でもそれだけじゃ、おかしい」

「何がおかしいの?」と僕。


「どこからどこまでの記憶が一つとみなされるか分からないんですよ」

「えっとつまり——どこからどこまでの記憶が一括りとなって意識を為すか——の基準が分からないってこと? それは……『一つの身体』なんじゃ?」

「それにはわらわの存在がノイズになるのう。わらわは身体という単位には囚われておらぬ」

「そもそも『身体』っていう単位は不確定すぎます。例えばお兄ちゃんの心臓が、体内では無く体外に繋がれるような形だったとします。これでも、心臓の記憶はお兄ちゃんの人格に影響するはずです。つまり身体の内側、外側は関係ない」


「物理的に繋がってる必要はあるんじゃないの……?」言ってから、ああ、と気付く。「それもまたサロスがノイズになるのね……」

「となるともうこれは、『基準は無い』とするほかありません」

「頭がこんがらがってきた……つまりどういうことお……?」

「それぞれの記憶がそれぞれの意識を持っているってことです!」セララさんはビシリと指を立てる。「それと同時に、それぞれの記憶の集合としての意識も存在しています!」


 続けてテーブルに並べた皿に目をやった。


「このプレートの一枚一枚が意識を持っています。でも、並べられた複数のプレート全体としての意識もあります。何枚かのプレートと、それを支える机の集合としての意識もあります。この厨房にあるもの全ての集合として、この厨房の意識というものもある。この家の全ての部屋の意識の集合として、この家の意識というものも在る……そういう風に考えるのが合理的じゃないでしょうか」


「ならば、もっと大きな意識も存在するんじゃろうな。『この街全体の意識』もあるし——」

「『この星全体の意識』もある」

「では聞こう。セララんの予想を」


「この星の王様はこの星の意識の代表として振る舞えるんじゃないかなって。あくまで人間の王様ですから、人間十万人分の意識の代表、ですけど」


「だとすると?」

「だから、サロス先生はミアさんに勝てない」

「左様」サロスはなんてことなく言った。


 聞いていた限り、サロスはミアさんに勝とうと思えば如何様にでも勝てたはずだ。もしサロスの一個体がミアさんに殺されたとしても、それは他の個体全員が認識できる。一度の不意打ちを許そうとも、次は複数体で待ち構えればいいだけのはず。なにせサロスは「観るだけで相手を消せる」のだ。ミアさんがいくら格闘戦に長けていたとしても視界を躱し続けるのは不可能である。だというのにサロスは僕に助力を乞うほどミアさんに押されていた。


「もちろん『普通』の『王様』ではこうはいかぬのじゃが」先ほどまでの教師面から一転、サロスは不服そうにぶつくさと言う。「この星のようにきちんと王権崇拝が行き届いているならば、それも可能じゃ。ミアたんがいるところでは、わらわは魔法を使えなくなる。ミアたんの『周辺世界の確率を引っ張る力』が強すぎての。身体を代表して脳が意識を操るように、ミアたんはこの星の人間の代表としてより巨大な意識の所持者として振る舞える」


「まさか」僕は汗を浮かべつつ尋ねた。「ミアさんも『観るだけで消せる』っていうの?」

「いいや、それは安心すると良い。わらわがいる限り、ミアたんも同じような状況に陥る。お互いに魔法は使えぬ。それに、わらわのような複雑な操作を可能とするには世紀単位の練習が必要じゃ。さしものミアたんとて数週間程度では不可能じゃろう……たぶん……」

「うかうかしている暇はないってことですね!」


 もしも間に合っていたらどうなってしまうだろうか。ミアさんが魔法を使えるようになっていたら。鬼に金棒だ。金棒だけのサロスとは次元が違う。

 サロスを守り通せなければ負けるだろう。





 コロニー内部のなんてことはない森の奥、木々がまるで門のように開けた先に、サロスの隠れ家はあった。

 苔むした屋根、曲がりくねった煙突、三角屋根は枝に埋もれていき、壁は木と石が混じり合う。落ち葉の山に沈むように、しかし陽の光にスポットライトを受ける……。


「ずいぶんと……それらしいものを作ったね……」


 魔女の家らしい魔女の家である。


「っぽいじゃろう? っぽいじゃろう!」


 魔女らしい漆黒のドレスを纏ったサロスが、自慢気に胸を張って言った。目枷手枷はまだ付けている。


「っぽくする理由は何かあるんですか?」魔女帽を被ったセララさんがにぶら下がった水晶群をプラプラ揺らしつつ尋ねる。


 ギラギラと眩しい鏡杖の方は僕が持ち運び中。


「趣味じゃ!」

「趣味でこんなものを……?」ヴァリエさんが戦慄している。「というかまとこしやかに囁かれてきた子供を攫う魔女の存在も……」

「わらわなのじゃ!」


 本日のメンバーは以上の四名……とサロスは思っているけど、ダルフォネさんにも遠巻きに後を追ってきてもらっている。サロスに何か企みがある場合を警戒した伏兵である。

 サクサクと落ち葉を踏み分け、ギシリと重い扉を押し開けば、僕らが入った途端に明かりが付き、空調が効き始める。内装も外装同様魔女の家モチーフの設えだ。大鍋があったり、謎の草が干されていたり。

 セララさんが棚に並んだ水晶の一つを手に取った。青く透き通った水晶。


「この水晶は何なんですか?」

「スタングレネードじゃ」

「「スタングレネード!?」」


 僕とヴァリエさんの声が被った。被っちゃったねというニタッとした視線を送ればただただ睨み返される。


「じゃあこっちは?」セララさんは別の水晶を手に取る。

「EMPグレネードじゃ」

「EMPグレネード!?」今度は僕だけ。

「それもまた兵器か? EMPとは?」

「Enjoy! Majic Playingじゃぞ!」

「違うよ!!」


 僕からヴァリエさんに説明した。

 Electro Magnetic Pulse grenade──電磁パルスグレネード。近辺の電子機器をスタンさせる兵器だ。

 聞けばサロスの最近のトレンドは、近代兵器の機能をいかに近代兵器らしくない見た目で再現できるか、だったという。ゆえに彼女が身にまとっている水晶はどれも兵器である、と。眼前で楽しく揺らしていた水晶が少し欠けるだけで爆ぜる手榴弾だと聞いて、セララさんは途端に固まってカチコチとしか動けなくなってしまった。


「では本題に入ろうかの」


 部屋の中央、骨董品風のテーブルにサロスが何か専門的な言葉で指示をすると、室内が暗くなってホログラムが浮かび上がった。本当に骨董品風なだけだった。

 机の上に浮かんでいる立体のビジョンは、縦横比1:6の筒である。

 察するにこの星──ボイジャー11のモデルらしい。


「これはこの星だな?」

「こうして見ると望遠鏡みたいですね」

「そうじゃ」


 ──そうじゃ?


 筒の一方の先の方に、星型のマークが浮かび上がった。立体の筒と、その上部に平面の星。透けて見える筒の底面に、星の形が映し出されている。


「このコロニーの上面はレンズになっておる。それを通して光が入ると、底面にビジョンが浮かび上がる。つまりボイジャー11とは、望遠鏡をそのまま巨大化して打ち上げたものなんじゃな。ふつうの望遠鏡と違うのは、観測者が望遠鏡の中から観測する、という点。だから底面にあるのは『レンズ』ではなく『スクリーン』じゃ」


 観測装置であること自体は見当がついていたけど、いざロジックを耳にするとあまりにも原始的なシステムである。


「もちろん超最新鋭の望遠技術が使われておる。太陽の明るさに負けず地球を見分けることすらできるぞよ。わらわがこの星にやってきたのは、この『兵器』を手に入れるためだったわけじゃ」満を持して、と言った感じでサロスは鼻を鳴らす。「さて、では結論といこうかの。この星の真なる性能とは──」


「──待って」





 体感では一分以上。実際にも五秒以上。


 かつてなく長い時震が起こった。輪郭が弾けて火花のように拡散する。これほどに長くなって初めて分かったのだけど、時震の際に透けて見える宇宙では、全ての星がまるで一方に走るようにその軌跡を伸ばしていた。まるで長めに露光して夜のバイパスを撮ったかのように。弾けて溶けるこの星の色を透かし、僕の背面から前面に向けて、無数の黄、青、紫、白の光が眩く貫いていく。


 この星はあまりにも巨大な望遠鏡。

 観測機器。

 巨大な意識で持って観測すれば、対象に変化を加えることができる。

 消滅させることができる。

 この星が観測したものは消せる——巨大な意識さえあれば。

 この星は何千、何万年前も過去の光を観測している。

 過去の光を、観測?

 光年を観測するとき、過去の光景を観るとき、「観測」はどのように振る舞うんだ?

 まさか、消せるのか?

 過去を。





「おい、グレロ・ド・ルゼ」


 ヴァリエさんの言葉で意識が戻ってきた。しかしその声は、驚愕に強張っている。


「貴様、どうして透けないんだ」


 ガシャンと物が落ちる音がした。音の方を見ればサロスが腰を机にぶつけている。


「な、なぜじゃ……」その口の端からツーッと赤い液体が流れ出てきていた。「先ほどまで気配は……」その胸からは手刀がそのまま突き出している。


「ワタシはここまでアンブッシュしかしていないのに、キミはいつまでも学ばないね」言葉の主はサロスの背後に。手刀を抜けば、サロスはガクリと崩れ落ちる。「ああ、失礼? 学ぶだなんて高尚なこと、寄生虫如きには無理な相談だった」


 巫女服に分厚い着物のようなコートを羽織る黒髪の女性。


『——グレロ様、グレロ様』無線からダルフォネさんの静かに焦った声が聞こえる。『今すぐにそこから離脱なさって——』


 女性の後方の扉が押し開かれる。一人の男性が入室してきた。この星の軍服に身を包む、灰色髪の老け込んだ男性——バジェさんだ。バジェさんは女性の隣に並び立つ。

 テーブルを挟んだだけの、すぐそこに。


「ちなみに今の時震を起こしたのはキミじゃないよ、グレロくん。ワタシだ」


 名前を呼ばれた。

 状況からして、彼女こそが──。


「ん、反応が無いな。ええっと、キミがグレロくんで合っているね? そう呼ばれていたし」女性は前方に——僕の方に顔を向けたままでいる。

「はい」答えたのはバジェさんだ。声に感情は見せず業務的に。「あの方こそが〝星紀の革命家〟。グレロ・ド・ルゼです」

「ミア陛下」ヴァリエさんが呆然として呟いた。それを聞いてセララさんも狼狽える。


 次第に記憶が鮮明になってきた。

 紅白の和装を纏い、花柄の着物を纏う、黒髪を長く伸ばした、監獄惑星の神王。

 拷問のトラウマが寒気となって全身の鳥肌を立てる。

 目の前に立っている女性が——。


「ミアさん……なんだね」


「奇遇じゃあないか、グレロくん」ミアさんは右腕を前方にゆったりと伸ばした。左手はコートのポケットに入れたまま。緩く目を閉じて薄く微笑む。「宿題の進捗はどうかな?」

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