第14話 私を信じて

「はあ……」


 酒場のカウンターで僕はため息を吐いた。背後のフロア席ではセララさんを中心としてリゼンさん追悼会が行われている。どんちゃん騒ぎで盛り上がる会である。ダルフォネさんからリゼンさんのエピソードが語られる度にどっと笑いが起こった。


「なんでこんな楽し気な雰囲気やのにため息なんてついてんねん。まったく、困った兄さんやなあ」グラスを洗うトロくんが上目遣いで僕を見た。まつ毛が長い……。


 今日は店主すら飲みに参加しているので、今カウンターに立っているのはトロくんだけだった。寒色を大胆に使ったメイク、今日も髪を二つにまとめているが低い位置から下ろしたおさげだ。唇は細いが艶やか。相変わらず可愛い。


「原因はアレだよ、アレ」僕は肩越しに親指で差した。賑やかな追悼会にはなぜかサロスも参加している。目隠しはきつく縛られたまま、しかし無尽蔵の宴会芸を披露して場を盛り上げていた。ジャグリング、火吹き、託宣、ボイパ、剣飲み、変面……。


「盛り上げてくれてるやん。というか〝環境活動家〟様なんやろ? 仲間に着けるなんて凄いやんか。こっちが勝ち馬って感じしてきたわ。流石のグレロ様ちゃうん? なあヴァリエはん?」


 トロくんをジトッと見るも、ヴァリエさんの方に目をやってしまっていて反応が無い。


 オレンジのショートパーマに灰色の瞳。スカートが長めの質素なワンピースに身を包んだ女性——ヴァリエさん。彼女は僕のすぐ隣に座っていた。カウンターに肘をかけて、僕とは真逆に向く形。サロスが何かしでかしやしないか見張ってくれているのかもしれない。


「多少は凄くあってくれなければ、困るところだな」ヴァリエさんは横目に僕を見る。

「ヴァリエさんに誇らしく思ってもらえてるなら、それに越したことはないよ」

「相変わらず謙虚なものだな。その物腰を疎ましく思う仲間はいなかったのか?」


 僕は無言で目線を流して自虐的に口角を上げた。


「いたのか」ヴァリエさんはまた鼻で笑う。「その人間の気持ちはよく分かる」

「あの子の気持ちがわかるの……? うそお……」

「ヴァリエはんみたいな仲間がおったん? 女か?」


「ヴァリエさんとはまた違うタイプの女性だったよ。でもヴァリエさんと似たようなことは言う子だった。『あなたが過剰に謙遜すると私まで一緒に貶められるんだけど。ねえ分かってる? 私はあなたに人生捧げてるんだけど。自覚ある? 忘れてるなら思い出させてあげようか?』——って」

「なんか距離が近ない?」

「で」ヴァリエさんは声に不機嫌さを露骨にして言う。「その女はいま?」


 えっ……な、なんで今ので不機嫌になるの? そんなのまるで、ヴァリエさんがあの子に嫉妬したみたいなんだけど……。僕のこと好きなの? いや……まあ恋愛感情じゃなくても嫉妬はするか。友情とかでも嫉妬はあるよね。


「あの子が今何をしてるかは知らないな……」おどおどとご機嫌を伺いつつ答える。「この星に来る直前までは一緒に居たんだけど」あっと気付いて慌てて付け足した。「別に何もないよ!? 何もない関係だった! たくさんいた仲間の一人にすぎなくって!」


「わたしもたくさんいる仲間の一人にすぎないしな」言ってフッと自虐的に笑う。


 うわうわ。


「ああ……ヴァリエはんがめんどくさモードに入ってもうたやないか。グレロ様の責任やで。ご機嫌取りいや」

「わざわざそんなこと言ったら絶対もっとめんどうなことになるよう」

「おいトロとかいうお前、初対面の割に妙に図々しくないか?」

「ほら」


 デコピンを喰らう。痛い……涙出る……。

 半身だけ振り返ってギロリと睨むヴァリエさんに対して、トロくんは唇に指を当て、きゅるんとかわい子ぶった。え、その仕草で合ってる?


「リゼンはんから話には聞いとったもんやから、ついつい距離感間違えてん。ごめんな?」

「……チッ」


 ヴァリエさんは舌打ち一つで許してしまった。僕はデコピンされたのに。残酷な可愛さ格差である。割と僕も可愛いと評されることが多い男子なんだけどお……お化粧できればまだ戦えたはずなのにい……!


「だが、グレロ・ド・ルゼ」ヴァリエさんは盛り上がっている方を見ながら言う。「その女の言うことにはわたしも同意する」

「というと?」

「そうだな。その前に」ヴァリエさんはポケットから小瓶を一つ取り出した。「これを貴様にやろうと思っていたんだった」


 首のところにリボンが巻かれた、黒い液体が詰まった小瓶。何かわからないままに受け取る。薬か何かかと思ってコルクを外してみればシンナーのようなにおい。


「……マニキュア!?」


 僕が顔を上げたのを見て、ヴァリエさんは得意げに鼻を鳴らした。


「そうだ」


 久しく感じていなかった気がする、暖かい感情が湧き上がった。


「えっ……嬉しい。本当に嬉しいよ」驚きの方が大きくて上手く喜べていないので、必死に言葉で主張する。

「王都のものを取り寄せてもらったんだ」


「ウチが取り寄せたんですよおお!!」向こうのセララさんが突然大声を上げて、びっくりする僕をよそにヴァリエさんとお互いに笑い合った。


 確かにこの星に来たときはマニキュアを付けてたけど、ミアさんの拷問で剥がされてしまっていた。ヴァリエさんは初見のときのことを覚えていたらしい。


「ありがとう。でもどうして?」

「どうしてだって?」ヴァリエさんはフッと一つ笑う。「癪だが、話に出た女と同じだ。貴様に思い出させてやろうと思ったんだよ。わたしはわたしを貴様に捧げているということを、な」

「……ああ。なるほど……ね」


 肩の力を抜いて微笑みかけた。


「ありがとう、本当に」


 ヴァリエさんもニヤリとした笑みを返してくれた。懐に仕舞おうとしたところ——。


「え、いや。塗らんの?」トロくんが言う。


 見れば、どこから取り出したのか、ブラシや氷水など一式用意されていた。


「わっ、ありがとう、じゃあ借りるね。におうだろうけどごめんね」


 ブラシを取ろうとしたところトロくんに手の甲をぺちっと叩かれた。


「ちゃうちゃう。アカン。分かってないわグレロ様」トロくんはおさげを揺らして大袈裟に呆れてから、ヴァリエさんに向けて目線を流した。「せっかくなら塗ってもらわななあ」


「えっ」ヴァリエさんがえっとか言ってるのを聞いたのは初めてかもしれない。「いや、わたしはやったことがないし、塗るにはブラシが要るだろうという簡単な発想すら浮かばなかった素人なんだぞ? 今回は遠慮しておこう」なんかちょっと早口だし。


「じゃあ僕がやり方を教えてあげるよ。簡単だから大丈夫。ね、ね」


 食いついた僕にヴァリエさんは観念してため息を吐いた。


「……そこまでいうなら、やってやろう」

「はい、じゃあよろしくね」


 右手を差し出せば、ヴァリエさんはじっと目を瞑って何かと葛藤した後、控え目な舌打ちを一つ溢した。割れ物を扱うように妙に慎重な様子で、冷えた小さな手に取られる。おっかなびっくりしつつ僕の爪にブラシの先を乗せて。

 過剰に慎重に、丁寧に。ブラシが僕の爪を舐めるようにして伝っていく。

 とりあえず一本だけ、右の薬指が塗りあがった。ヴァリエさんは大きな息をつく。


「いたずらに緊張したな……何をそんなに緊張しているんだわたしは……」ヴァリエさんが自分の震える手を握り見つめている。

「鬼気迫る感じだったね……」化石を掘り出しでもしているのかと疑うくらいの剣幕だった。「どうしちゃったの……?」

「なんだかこそばゆくてな……精神的に……」

「サプライズでプレゼントを用意する度胸はあるのに!? なんならあんなにクールに渡してたのに!?」


 ヴァリエさんは無言で顔を逸らした。えっとこの反応は……実はそもそもプレゼントの時点で結構緊張していた、ということだろうか。その時点で既に緊張のキャパがギリギリに近かったために、今こんなにも露骨な反応が顕れているということ?


 じゃあもっと緊張させたらどうなっちゃうんだろう。


「よし、じゃあヴァリエさんにも塗ってあげるよ!」

「は?」


 ヴァリエさんの左手を取れ肩が大きく跳ねる。


「お返しだよお返し、変じゃないでしょ? 試しに一本だけでもさ」ヴァリエさんが隙を見せるのなんて珍しいからつい調子に乗っちゃう。細い指、爪を撫でればツルツルと。「爪綺麗だね。お揃いにする? 小指だけとかでも変じゃな——」

「——おい」不機嫌な雰囲気で言葉を遮られた。


「あっ、その……」


 ごめんなさい、は喉元で止まる。

 ヴァリエさんの頬は熱を帯びていた。怒りとも羞恥とも分からない表情でぎゅっと唇を噛み締めて俯いている。


「任せる」ヴァリエさんはぼそりと言って、その手の重さを僕に預けた。

「あ……うん」僕はポカンとしたまま返す。


 ヴァリエさんって赤面とかするんだ……。


 ともかくヴァリエさんの左の薬指にマニキュアを塗っていった。賑やかな空間で僕らだけ微妙な空気に包まれ、お互い一言も交わさず。

 乾いたネイルを電球に照らせば黒曜石のように光沢が滑る。ひとしきり眺めたヴァリエさんは「なんてことないな」と苦笑した。微笑みかけて手を並べる。写真に残せないのを惜しく感じた。





 きっと見るだろうと覚悟していた悪夢。

 僕が環宇宙政府に捕まる原因となったあの日。

 僕にオシャレを教えてくれたあの子の夢だ。


 背景は真っ白で、床一面に倒れた仲間たちの死体と、赤い鮮血だけが際立って浮かび上がっている。

 左手にナイフ、右手に光線銃を持つ女性のみが、空間の中央で蠢いていた。僕と特に旧い仲だった一人の上に跨り、その胸にしつこく刃を下ろし続けている。


「お前のせいで、お前のせいで、お前のせいで、お前のせいで……」


 茫然としたまま立ち尽くしていれば、女性の方が僕の存在に気付いて振り返った。


「あ、グレロ。お帰り。早かったね?」


 何をしていたのかと尋ねれば、頭からバケツで浴びたのかと疑うほどに血まみれな身体で、揺れるようにして立ち上がる。ぬめった血を引くナイフは、未だその切っ先を足元の人間に向けていた。


「殺したけど? 見ればわかるでしょ。グレロには過ぎた人たちだったからね」


 訳が分からないと狼狽えれば、女性は顔に着いた血を裾で拭って、仕方ないなあ、と呆れて笑った。


「だって、グレロはただの凡人だよね。何も特別なことはできない普通の人なんだよ。ちょっと優しくてかなり不器用な普通に普通の男の子なんだよ。なんでそんなただの小市民が、この、星紀の発明家だとか、星紀のハッカーだとかの、ちゃんと才能と環境に恵まれた人の責任まで背負わなきゃいけないの? 武器も知識もない人たちならまだ分かるよ、誰かを頼らなきゃいけないんだろうからね。それでも許せないけどねアイツらも同罪だよ。でもさ、ここに無様に転がってる能無しどもは自分の行いの責任くらい自分で取れるじゃん。みんなグレロなんかよりよっぽど優秀なんだからさ。なんでグレロの指揮を仰いだりするわけ? なんでグレロを担ぎ上げるわけ? なんでグレロに託しちゃうわけ? グレロにできるのは旗を振ることだけなのに。こんなの詐欺だよ。闇金を貸し付けられてるだけだよ。グレロのそれって実は返済不可能な金利なんだよ。自分はトップの器じゃないとか、グレロこそついていくにふさわしいとか、適当ばっかりこいてさ。グレロにリーダーを任せた奴はみんな同罪なんだ。私には分かってるよ、グレロは器なんかじゃないって。必死に誤魔化してるだけだって。何もかも演技で疲れ切ってるって。なのにみんなに命だとか大義だかの御大層なものを押し付けられちゃってるせいで、どこにも逃げ場がないんだもんね。可哀想。惨めで滑稽。見てらんないな。イライラしてたまんないんだよ! なんでみんな平然とこんな非情なことができるのか理解に苦しむよ。よってたかって男の子一人を虐めてるんだよ。どこまで耐えられるのかテストしてるんだよ。研究者ぶって、それか、自虐心でもって。実のところグレロは大した人じゃないっていうのにさ。ただの田舎者のお上りさん。勘違い。思い上がり。弱虫。ろくでなし。グレロは大層な存在じゃないんだよ。なんなら下の方だよ。こんな崇高なメンバーと目的に釣り合う存在じゃないんだよ。身の程弁えなきゃダメだよ。だってそうじゃなきゃ、こんなにグレロが苦しんでるわけないじゃん。早く死にたいその一心でだけ生きるだなんて支離滅裂な前後不覚に陥ってるはずがないじゃん。なんで誰も気付かないんだろうね、グレロがただ目下の問題を誤魔化すのが得意なだけの、ビジョンも計画性もない馬鹿だって。気付かないふりをしてるだけだったのかな? ならみんな本当に酷い奴らだね、いたぶって何が楽しかったのかな。だってグレロだよ? ありえないよ。この子には本当はやりたいこともやりたくないこともないんだよ。空っぽなんだよ。人間じゃないんだよ。人間じゃなくなっちゃったんだよ。お前らのせいで——」


 女性は息をつく。


「——あなたのせいで。私、あなたが可哀想で仕方ないわ。あなたに操縦されているあなたが不憫でならないわ。その献身的な自己犠牲が痛々しくって、見てるこっちまで痛くて苦しいわ。もう我慢できない。あなたを放ってはおけなかった。見て見ぬふりする自分が許せなかった。あなたを救わずにはいられなかった。でもグレロは優しいからね。とっくの昔に死んだ、もういない人たちの鎖にも縛られているんだよね。私にそれは断てないや。出来る限り引きちぎったつもりだけど、そればっかりはダメだね。私じゃああなたの檻を壊すことはできない。ああ、でも──」


 銃口が向けられる。


「檻から出してあげることはできる」


 甘えたい気持ちが無かったと言えば噓になる。

 だからそれは、意地のようなものだった。


 『環帯Calm Rim』は星紀における人類文明圏を意味する言葉だ。しかしそれは同時に円状に広がった力場一帯も指す言葉でもある。氷星に埋まる一機の量子コンピュータがその意識でもって掌握している範囲。この領域においては、その存在を強く意識して名前を呼ぶだけで、座標を探知される。


「〝環帯の中心リバーサル・キャット〟、僕はここにいるよ」


 人体を容易に貫くレーザーは、しかし、虚空から浮かび上がった黒猫の毛並みに弾かれ霧散した。僕の目前で、まるでそこに見えない階段があるかのようにして宙に足を着く、細身の猫。どこにでもいて、どこにもいない。

 すぐにSFGSの予兆が僕を包む。


「大丈夫。私を信じて。どこに逃げたって、絶対に殺してあげる」


 彼女の最後の微笑みは、これまで見てきた彼女の微笑みと、まったく変わらないものだった。


「だって私は〝星紀の──〟」





 最悪の目覚め。意識が起きてもしばらく、目を開けたくなかったし、動きたくもなかった。


「嫌な夢見た……」

「そなた、うなされていない夜などないではないか」サロスだ。先に起きていたらしい。

「なんで僕の寝姿を知ってるんだよ……」横になったまま額に腕を当てて尋ねる。「えっ、もしかして過去に僕と付き合ってたことがあったりする?」

「さあ、どうかの」サロスは悪趣味に笑った。


 ベッドに腰かけて見れば、窓際に座るサロスが漏れ込む紫の光に滲んでいた。手足と目元を縛られたままなのに、しかし不思議と優雅な雰囲気で。


「しかしわらわがもぞもぞ動いておっても起きぬときた。これではわらわが脱走しようとしても気付けぬではないか」


 サロスは僕の部屋で寝かせていた。手足を縛った女性を僕の部屋に置くことのインモラルさを気にしていられる状況ではない。

 まるで寝起きのなんとなくといった風を装って尋ねる。


「サロスが協力してくれるのはなんで?」

「ミアたんはわらわにとっても敵だからじゃ」

「でもミアさんを倒した後の僕も敵なんじゃないの?」

「ゆえに、一時的な共同戦線と言えるのう」

「やっぱりそうなんだ。この星から脱出しようとする僕はサロスの敵なんだね」

「むむっ……」サロスは眉を潜める。


「つまりサロスにとって、監獄は監獄として機能している必要があるんだ。それはこの星の『真の機能』に——そんなものがあると仮定するなら——関わることなんじゃないかな。『Voyger11』と『監獄惑星』の二つの役割は相互に補完し合うものってことだね? 観測機が監獄に転用されたわけじゃない。監獄としても使える観測機ってわけでもない。観測機であって、監獄である……。サロスはどうしてこの星にやってきたの?」


「それがミアたんを倒すのに関係あるのかの?」


「それはできることをやらない理由にならないね。知れることは知れるときに、考えられることは考えられるときに、出来る限り取り組む。そうやって稼いだほんの少しのへそくりで、僕は何度も命拾いしてきたんだから」


 サロスはぷいっとそっぽを向いている。


「もう一度聞くよ。サロスの真の目的は何? それはこれから達成されるの? 既に達成されているの? これを聞かせてくれたらサロスを今回の仲間に数えてあげる。拘束も解くし、背中も預ける。その方が、ミアさんを倒すには都合がいいんじゃない?」


 僕がじっと見つめるのに、サロスは不満げな態度を崩すと、今度は逆に、不敵に笑った。


「場所を変えるぞよ。分かりやすく説明できる場所があるゆえな」

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