第13話 意識と観測
「改めまして御機嫌よう! わらわこそが人類を抹殺すべく神の遣わした救世の徒! サロス・パラス・クロウリーじゃ! よろしくたのもう!」
ところどころ科学チックな魔女服を纏い、胸を張ってドヤ顔で自己紹介したのが〝星紀の環境活動家〟ことサロスである。現在、杖は没収され、後ろ手に縛られ、目元は何重もの布で隠されている。まるでメデューサの目元を覆っておくかのように。
「こんにちは……?」返事をするのはセララさん。
「ほう、セラらんでないか」サロスは目隠し越しにセララさんの方を見る。そなたも随分と大きくなったものよのう。わらわも嬉しく思うぞ」
「ほえっ。ウチのことを覚えてるんですか?」
「リゼらんのことも覚えておるぞ。リゼらんについては……誠に遺憾であったのう。わらわからも心より哀悼の意を示そう」
「どうしてそのことまで……?」
「当然!」サロスは得意げに紫のウェーブを揺らす。「わらわは何でも知っておるし何でも分かる! 全知全能のサロスちゃんゆえ!」
ここはハウロー家入り口、いつもの談話スペース。各々は膝を着かされたサロスを囲むようにして配置。
「あのさ」ふうと息を吐いてサロスに声をかける。「なんでサロスはまるでこれから仲間になりますみたいな雰囲気で自己紹介してるわけ?」
「なにっ!?」サロスが隠された両目越しに驚いてこちらを見た。「解毒剤は飲ませてくれたではないか! 仲間に入れてくれるんじゃろう!? いや逆に? ここはむしろ逆に? そなたらがわらわに仲間入りを懇願するイベントじゃああるまいか? ははー! 苦しゅうないのう!」
「これからいくつかの質問に答えてもらうよ。仲間に加えるかはそこでどれだけ協力的な姿勢を見せてくれるかによるからね」
僕が見下ろすサロスは、少しだけ考え込んだ。
「……一応言っておくが、聞くだけ聞いてから殺すのはナシじゃぞ? わらわ一人を裏切るのは宇宙全体のわらわを裏切るのと同義。それすなわちグレりんの短命を意味しておる。それは望むところではあるまい」
「自分は簡単に人を裏切る癖に偉そうなことを言うんだね」
「裏切ってないもん」サロスは子供みたいに頬を膨らせてぷいとそっぽを向く。「わらわと協力するリスクを考慮してなかったそっちが悪いんだもん」
「コイツ、言ってることが矛盾してるんだが……」ヴァリエさんが渋い顔をする。
「そうなんだよね。あんまり真に受けない方がいいよ。所詮ヒトの真似してるだけの虫けらだから」
「では早速ですが、わたくしから一つ伺ってもよろしくて?」
頷いてダルフォネさんにターンを渡す。というかさっさと話を進めたくなったから声を上げたのだろう。ダルフォネさんのこういうところはありがたい。
「わたくしがお尋ねしたいのは、貴方様の異能についてなのです」
「魔法じゃ!」
「事前に聞いていた話ですと、サロス様は他人に自分の人生を完璧に教授できる。それゆえに自分という存在を増やすことができる、と」
「そうじゃな」サロスは素直に返す。一応協力するつもりらしい。「ご希望とあればダルわんにも教えてあげるぞよ? ま、ご希望かどうかなんてわらわは気にせんのじゃが!」
「次その呼び方をしたら今度は即効性の毒で刺し殺します」
「なっ!? ダルわっ——ダルにゃんも冷たいのお!」
「……わたくしはこの理屈には納得いたしました。それが可能だなんて信じがたいけれど、もし可能ならばそうなるかもしれない、そういう風に。けれど、いまのお話を聞いている限り、サロス様はその理屈を超えたことを行っているように感じます。つまり——遠くにいる自分と交信を行っている? でなければ『裏切られ殺される』ことは他の貴方に伝えられないはずでは?」
「それは……僕もいま、聞こうとしてたところだったんだ。この星から環帯への通信はできないはずだよね。SFGSがあるなら別だけど」
ワープ航法の要であるStar Fall Gate Systemを造るには特定の特殊な鉱物が必要になる。でもその鉱物はこの星には多分無い。だからこそ、僕の脱獄計画は、監獄惑星近辺にワープしてきたSFGSをゲットするというイメージだった。
しかしサロスが自力で製造可能あるいは所持しているというなら、それに頼るのが一番簡単になるだろう。
「この星でSFGSは造れぬが……」
造れないらしい。残念。
「それよりもまさか、グレりん、そなたもわらわの魔法を理解しておらぬのか?」
「え? うん。どういう事象を起こせるものかは知ってるけど、どういう原理のものかは分かってない」
「これはまた、まったくしょうがないのう! よかろう、わらわが手ずから教えてやろうぞ! 今日の目標はわらわの魔法を理解して帰ることじゃ!」
サロスは勝手に立ち上がって黒板の傍に立った。チョークを手に取って、「量子もつれ」、「観測」という二つのワードを並べて書く。目隠しされているはずなのに綺麗に書くものだ。手枷をしても意味が無いようなので親指の骨を折るまでで許してやった。サロスはいっとき悶絶したが、すぐに立ち直る。
「宇宙一をほしいままにする超人気講師、原理追従本格派の異名を持つサロス先生の、現代の魔法——量子力学講座が始まるぞよ! 画面の前のそなたも全裸になって正座で集中! わらわの講義を心して敬拝せよ!」
サロスはセララさんからコインを一枚借り上げる。近くの適当な小さいテーブルを引き寄せて、その上にコインを置いた。
「このコインはいま、表か裏のどちらかじゃ。これが古典的な物理。しかし、量子力学の世界では違う」
サロスはコインを抓み上げると、テーブルの上で独楽のようにスピンさせる。
「量子の世界のコインは観測するまでは表でも裏でもない。これが『重ね合わせ』じゃ。これについてはとりあえず納得しておいてもらおう。そういうものじゃ、と。理論的にも実験的にも確かめられておるが説明は割愛する。気になるものは後で質問に来るがよい」サロスはコインに手を被せて回転を止めた。手を上げれば、コインは図柄面で静止している。「そしてそれは、観測するとどちらか一方に決まる」
「観測って……『人間が観る』ことですか?」セララさんが興味を持ったようで生徒役をやっている。「なんで人間が観るとどちらか一方に決まるんでしょう」
確か……二重スリット実験だ。「粒子」としても「波動」としても振る舞っていたはずの粒子は、観測された途端、「波動」の性質を失い「粒子」としてのみ振る舞い始めた。
「『観測』の話は後にした方がよい。先に『もつれ』の話をやってしまうかの」
サロスはもう一枚コインを用意させた。二枚を一枚に重ね合わせて机の上に置く。
「このコインらをテープか何かで張り合わせた場合、二枚を一枚としてスピンさせることはできそうじゃな?」
「つまり、テープにあたる現象があれば、その二枚もセットで重ね合わせの形に出来るということですね!」
「その通りじゃ! よく分かっとるの!」サロスに褒められたセララはまんざらでもないと言った風に頭を掻いた。「三枚、四枚と分厚くなると難しくなっていくかもしれんが、二枚くらいなら支障なくスピンさせることができそうじゃ。さて、そうなると、この二枚は、それぞれがそれぞれの表裏を確定させる関係にあることが想像つくかの?」
「それは確かに……そうですわね。二枚が引っ付いているならば——」ダルフォネさんはまるで経理資料と睨み合う事務方みたいな様子。「——片面を見るだけでその下の、もう一枚の方も確定いたします」
サロスは重なっていたコインをずらした。数字の面と絵柄の面。表と裏。
「今回に関しては、片方が表なら片方が裏であることが確定するわけじゃな」
サロスはそれぞれのコインを人差し指と中指、中指と薬指の間に入れて、それぞれの面を見せる形で持ち上げた。右手の三本指を立てて、その二股に表と裏のコインがある。
「ここからが要点じゃ」サロスは手首を回してそれぞれのコインの表裏を見せた。人差し指の方のコインが表のときは、薬指の方のコインは必ず裏で、逆の時も同様である。サロスは逆の手でコインを覆い隠した。ずらしていけば片方だけ見えて、こちらは表。なら未だ隠されているもう片方のコインは裏だろう。「このように、直接引っ付いていない、物理的な距離が開いた場合でも、お互いの表裏を確定し合う関係が維持されることがある。この現象を『量子もつれ』という。それぞれの量子系の状態がもつれあっとるんじゃな」
「この解説は——サロス・パラス・クロウリー——貴様の力の説明に繋がっているんだよな」ヴァリエさんは脇の方の床をじっと見ている。「となると……そういうことなのか?」
どういうことだ! 僕はまだ分かってないけど!
「もしかして!」セララさんはハッとして顔を上げ、眼鏡の位置をクイッと直した。「サロスさんたちの記憶って、その全てがもつれてるんですか!? 一人の記憶の変化が、遠く離れた記憶にも干渉している!?」
サロスはただ微笑んだ。肯定の仕草。
「そっ……え?」そんなことが可能なのか?「そんなの、テレパシーじゃん」
「まあ、それぞれの個体が繋がっているのは直接会ったことのある個体か、直系の祖先にあたる個体群だけじゃが」サロスはニヤリと口角を上げる。目隠しの向こうの眼も笑っているのが分かる。「少なくともわらわは、環帯のわらわと、まだ繋がっておる。これがわらわの魔法の一つ、遠隔記憶共有なのじゃ」
黒板に書かれた「量子もつれ」がチェックされた。下に並んでいるのが「観測」の字。
「次は観測の話じゃな。じゃあ次はみんな大好きなアレの話をしなければならんか……触れざるを得んよな……もはやわざわざ解説するのも恥ずかしいくらいなんじゃが……」
サロスは、はあ、とテンションを下げた。なぜだか知らないけど辟易しているらしい。
「『量子もつれ』をそういうものか、と、納得したみなには退屈かもしれんが、一応説明しておこう——『シュレディンガーの猫』を」
サロスはシュレディンガーの猫を説明した。箱の中の猫の生死は、観測するまで確定していない。量子系の大きさで正しいことでも、それが猫ほどに大きくなると、適応されないのではないか? という問いかけだ。
「みなはどう思う? この猫は、観測するまで生と死が重なり合っておると思うかの?」
「そうはならないだろう」ヴァリエさんは室内にちらりと目を回す。「誰かが観測していない間だって、椅子は椅子としてのみ振る舞っているはずだ。見ていないうちに壊れたとしても、それなら壊れた椅子として在るはず。猫も同様。『生きている』状態と『死んでいる』状態が重ね合わさっている、だなんて状況になる想像はつかない。観測するまでもなく、箱の中の状態は確定しているんじゃないか」
「そもそもそれで」セララさんは首を傾げる。「誰かが猫を見るまで、猫は『生きても死んでもいる』だなんて不安定な状況ならば、例えばウチらが観ていない何もかもが似たような状況にあるってことになりませんか? 星雲に隠された星だって、箱の中の猫と似たようなものですよね? その星は存在が不確定なのか? そういう風には考えづらい気がします」
サロスはセララさんを訝し気に睨んでいる。
「なんか……セララん、呑み込みが良すぎやせんか? 今の、アインシュタインの『見上げたときだけ月があるのか?』と同じなんじゃが」
「数学の素養があるみたいなんだよね」
「では要求ラインを上げるか。——セララん」
「え、はい」
「セララんはどう思うかの? 粒子の世界では正しかったはずの法則が、猫ほどに大きな存在になると適応されない気がする。これを説明するには?」
セララさんは数秒だけ考え込んだのち、返す。
「世界に触れるうちに『重ね合わせ』の状態が失われた、みたいな?」
「そう考えるのが妥当じゃな」サロスは再びコインをスピンさせると、今度は息を吹きかけて床に落とした。床の上で面を見せて静止したコイン。「『重ね合わせ』は外的要因を受けて確率を収束させる。猫ほどに大きく、外世界と無数に接触している存在は、人間が観測するまでもなく、多くの情報に晒されている。ゆえに観測の影響を受けない——観測するまでもない。これが合理的な考え方じゃ」
サロスは今度は、拾い上げたコインを指先と机の間に立ててぐりぐりと弄った。ふっと強く吹いたとしても、コインは指に押さえつけられているから、机の下には落ちない。
「振り返るぞよ。量子系は、粒子や光子といった大きさならば、観測で確率を収束させることができる。集まって猫ほどに大きくなると、周囲の情報に晒されて確率が収束する。この結果から導き出せる推論は?」
「つまり、『観測される』と『周囲の情報に晒される』は同じようなものってことですか? 『人間が観る』のと、『気温や風』なんかは、同じスケールのできごとってこと? サロスさんの『指』と『息』がどちらもコインの回転に干渉した様に? 『観測』は『外部環境』と同じだけの力を持っている……?」
サロスは音が立たない程度に拍手をした。
「待って?」口を挟んだのは僕。「『観測』にはエネルギーが無いよね? この世の中のすべてのものはエネルギーをもってしないと変化を与えることができないと思うんだけど」
「ならば『観測』は——『意識』は、エネルギーを持っているということじゃろう」
「まさか。意識ってただの情報だよ?」
「一定以上集積された情報は質量を持つのじゃよ。オバケと似たようなものじゃ」
「いや僕はオバケの実在も信じてないけど……」
「いずれにせよそう解釈するのが妥当なんじゃな。質量があるなら引力がある。ならば情報の一種である意識も、それを向ければ力を加えることができる」
「意識を向けるだけで変化を加えることができるというのか?」ヴァリエさんは指で額を押さえている。
「そんなことができるならば、弓矢も銃も生まれない、でしょうね」とダルフォネさん。
「人一人分そこらの意識の重さでは粒子くらいにしか干渉できぬ。ごくごく僅かな力しか発せんし、複雑な処理をする余地もない。じゃが、わらわは違うのう」
サロスはコインを抓み上げて弄ぶ。
「わらわほどに大きな意識ともなれば、意識の引力も相応に大きい。風にも、気温にも、磁力にも、重力にも、当然、近辺世界に関わるその他大勢の意識の引力にすら勝ることができる。それに加えてもっと複雑な処理を行うこともできるのう。例えばこのコインを世界に見立てて——」そうしてまた、机の上で勢いよくスピンさせた。「このような変化を加えることができてしまうわけじゃ」
最初にピンと来たのは、やはりセララさんだった。
「物体として落ち着いたはずの粒子に力を加えて、『重なり合い』に——『確率』の状態に戻している?」言いながら、驚きに目を見開いていく。
猫ほどに広く世界と接している存在の生死が重なり合うということはない。確率が収束した世界に馴染むには、自身の確率も収束している必要がある。では逆に、無理やり重なり合った状態に返すことができるなら、どうなるだろうか。そんな状態ではこの世界に存在できない。それぞれの粒子はこれといった状態で落ち着かないから、ある程度以上の大きさを為すことができなくなる。それぞれの接続は失われ、訪れる結果は極限までの分解。
消滅。
「これでわらわの『観たものを消滅させる魔法』の解説も終了じゃ」
サロスは黒板の「観測」の字にも丸をした。
観測。
あれ?
「これにて本日の目標は達成されたの! 以上で、現代量子力学概説と、わらわの魔法のメカニズムの講義は終了じゃ! 清聴と協力を感謝しよう!」
「先生! 質問いいですか!?」
「質問はもちろん構わんが、先にグレりんに命乞いをさせてくれるかの?」
サロスは僕の方に来て上目遣いで覗き込んでくる。
「ここまでネタバラシしたんじゃから、仲間に加え入れてくれるよのう? のう?」
しかし僕はその単語に意識を奪われていた。
観測。
観測は干渉。
サロスの意識は重い。何千人分もの意識がもつれ合って総体を成しているから。
意識の、重さ。
世界をプールに沈めたように輪郭が揺らめく。絵の具に水滴を落としたように色が滲む出す。誰かの声は琥珀に閉じ込めたように間延びして、響くことなく散っていく。さざなみが砂の城をサラサラと引き崩す。
時震だ。記憶が寸刻前からズレたような感じも健在。
「——判断は保留するけど、せっかくだし、今日は最後にこれだけ聞こうかな、サロス」
時震じゃなーと目を上げていたサロスは僕の声を受けて、目隠しされた奥の目線を僕に向けた。
「〝時震〟ってなに?」
「え? 知らぬが」
「え?」
「え?」
僕と——僕と同じことを思ったであろう面々が——サロスに向けて眉をひそめたが、サロスはただただ両手を引っ込めておろおろとしていた。
「この星の者らが〝時震〟と呼ぶこの現象については、わらわは全然分からんのじゃ……。うっごめんなさい。全知全能の肩書きは返納してこよう……みなのもの、短い間じゃったがありがとうの……」
勝手に出ていこうとしたサロスに足を引っかけ転ばせてから、僕は改めて椅子に深く沈みこんだ。
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