Scene5 人類史の寄生虫
第12話 星紀の環境活動家
「じゃあ今後の方針を考えていくね」
拠点のロビーに集まって作戦会議を行う。セララさんとダルフォネさんは椅子に腰かけて。ヴァリエさんは壁に背を預けて腕を組んでいる。
猫のパッチワークが点在するパーカーを着た男性──僕ことグレロ・ド・ルゼは備え付けの黒板にチョークを走らせた。
「最終目標は星外脱出だけど、それについては一旦考えなくていい。なぜかっていうと、そもそもミアさんを倒さないと話にならないから。これだけ考えよう」
「ミアさんとは対立しなければならないんですね?」セララさんが小さく挙手する。
数日ぶりに見るセララさんなのだけど、あまり引きずっているようには見えない。膝の上の猫も落ち着いているし。まあ、僕への恨み言くらいは引き出しておいた方がいいかもしれないけど……。
「陛下はこの星のシステムを維持する方向性だからな」答えたのはヴァリエさん。「星外脱出を目指すならこの星の人間を束ねる必要があり、それは、星のシステムに手を加える必要性に繋がる。具体的に言うなら身分制——奴隷制人畜制の段階的な廃止だ。この点で我々と陛下は明確な対立軸にある」
「なるほど。けど、どうやって倒すんですか?」セララさんはうーんと首をひねった。「すっごく強い人なんですよね?」
「そうだね。ミアさんに白兵戦で勝つのは難しそうだから、意識外からの狙撃で不意を突くことになる」
一応それ以外に一つ、勝ち筋になりそうなヒントはあるけど……ピースが足りないな。
僕の視線を受けてダルフォネさんは「大役ですわ」と言ってクスクス笑った。
聞くところによればダルフォネさんはリゼンさんと旧知の仲だったらしく、リゼンさんの死に対して彼女もそれなりに凹んでいた。けど翌日にはこの調子に戻っていた。良くも悪くもマイペースで心強い。
「狙撃銃の製造はトロくんに頼んでる。でもまだちょっとかかるらしい。こないだ目立つことをやっちゃったから巡回兵が増えてるし、いずれにせよしばらく潜伏して様子を見ようかなと思う」
「潜伏って……」ヴァリエさんは黒板の空白に目をやった。「その割にはスペースを残したんじゃないか?」
「さすがヴァリエさん、勘が良いね!」
僕はヴァリエさんに向けて親指を上げた。「あぁ?」という険しい目線が返ってくる。厳しい~。
「決戦の前に一つ、野暮用を済ませるよ。——〝星紀の環境活動家〟と接触しようか」
〝星紀の環境活動家〟の多くは教職として地位を築いている。なにせ彼女はモノを教えるのが異様に上手い。対個人なら一時間で一週間ほどの記憶と経験をそっくりそのまま伝えることができる。言葉のままに、そっくり、そのまま、感情の機微から五感まで。そうして被教授者が彼女の経験や記憶を追体験していくにつれ、いつしか、被教授者が被教授者として生きてきた全ての記憶よりも、彼女として過ごしてきた記憶の方が多くなる。こうなってしまったが最後、彼女の人格が、被教授者の人格に対して優位に立つ。
子どもなら三百時間ほど、大人ならその二、三倍の時間で完全に寄生される。
一対一で話すとなると少々長く見える時間だ。しかし彼女は既に広がりすぎた。今日も誰かと交際し、結婚し、子供を育てている。
彼女の思想はただ一つ。それこそが彼女の代名詞、〝環境保護〟——〝人類の駆逐〟である。しかしそれは物理的な駆逐という形を取らず、こうやって、彼女一人格への統一という形を取る。なんならこちらの方が厄介だ。いくら殺したって殺しきれないのだから。
ネズミ算式で増えていく人類駆逐機構。
僕を支援してくれていた星の一つも気付けば住人のうちの数人が彼女になってしまっていた。その星に関しては、寄生されている可能性を排除できないその他大勢ごと、せめて薬で安らかに殺すほかなかった。
彼女は〝
「ともかく。彼女がここにいるのはおそらく〝
「猫……?」とヴァリエさん。
「あ、ああ。えっと、〝
「猫!」セララさんはおっと驚いたのち、しかし頭を捻る。「なぜ猫?」
「猫フェチらしくて……」
「ええっ……ヤな人と共感を覚えちゃいました……」
「黒猫……か」ヴァリエさんが神妙に呟いている。
「どうかした?」みんな食いつくじゃん。
「ん? ああ、いや、なんでもない。続けてくれ」
「なら話を戻すね。この〝星紀の環境活動家〟は、いつかの犯罪者に寄生して紛れ込んだんだと思う。『無期懲役』はウソ。ともかくいずれにせよ危険人物なんだ。この星のシステムが変容しようというとき、僕とミアさん、どちら側に着くのか分からない。だから事前に接触しておきたい。敵対しかねないと判断されるなら可能な限り殺しておく。ミアさんが接触してるかどうかも確認したいな」
「敵の敵だから味方と言えるので、は?」ダルフォネさんが首をかしげる。
「三百時間までならそうだな」またヴァリエさんが答えてくれた。
「直接エピソードを語られない限りはかなり遅くなるらしいけど……それでもずっと一緒にはいられないね」
「確かに」とセララさん。「あの診察医の先生は、他の人とは何か違う感じがしてた気がします……。ただ、みなさん。疑問点が一つ浮かびませんか?」視線を集めてから、眼鏡をくいと上げる。「つまり、ウチらがみんな〝環境活動家〟の人格になっていないのはどうしてか。自分が環境活動家さんになっちゃったら、そうだっていう実感はあるんですよね?」
「自覚症状はあるはずだけど……自覚する頃には自覚することもできなくなっている、みたいな……難しいね」
「なら、少なくともウチは生まれてからずっとウチです。一旦信じてもらいます。でもそれってこの星の歴史に照らすとおかしな話じゃないですか? 一日何時間かな……5時間教えれるとしたら、最低の300時間には60日で達する」
セララさんは独り言のようにしてぶつぶつと呟いていく。
「2を何回かけたら100,000になるかな……えっと……17回。60×17で1020日。いや、それより少ないくらい。たったの千日でこの星の十万人弱はみんな〝環境活動家〟さんになってしまうはずです」
「うん、ちょっと待ってねセララさん」
手を立てて一旦待ってもらった。謎の汗を浮かべつつヴァリエさんに目をやる。
「え、この星って一般市民が対数の計算をマスターしてるの?」
「してるわけがないだろ……ましてやその女は六歳で脱走するまで教育というものに触れたことのない人畜だったんだぞ」腕を組むヴァリエさんは眉をひそめている。「というか今のは暗算したんじゃないか?」
「えっ……暗算? 雰囲気一秒ちょっとの間に二の倍々算で十万まで? まさかあ……」
「そ……それ以外の方法があるんですか?」
ウチ何かやっちゃいましたか? と不安げな表情のセララさんを前にして、僕は慄き、うろたえた。椅子を倒してしまい、壁に背中もぶつけてしまう。ビビりながらも口にする。
「天才が降ってきた……」
「とんだ拾い物だな」ほらヴァリエさんも驚いてる。
「これはもう、スポッターはセララさん以外にあり得ない」
「スポッター?」
狙撃の半分以上はスポッターの仕事だ。距離を測り標的の動きを予測するのはもちろんのこと、重力、空気抵抗、風、気温、自転、ライフリングを全て計算しなければならない。狙撃手がするのはスポッターの指示を経験で修正することだけ。優れたスポッターがいなければ、いくら腕のいいスナイパーでも成功しない。
「——ということで」僕は黒板にいくつかのモデルを書き切った。「こういう微分方程式を使うと弾丸の運動が計算できるんだけど……」
雑談に興じているヴァリエさんとダルフォネさんを背に、セララさんはむむっと口を結んで腕を組んでいる。
「ちょっと……お時間をいただけますか」
「そ、そうだよね。一か月くらいは」
「三日くらい……」
「三日で……?」
「グレロ・ド・ルゼ」ひと段落するのを待っていたらしいヴァリエさんが呼ぶ。「それで、さっきのセララ・ハウローの疑問についてはどう思うんだ?」
なぜこの星の人間が全て〝星紀の環境活動家〟になっていないのか? それに十分な時間はあったというのに。
「それは考えても仕方ない気がするな。実際そうなってないなら、そうできない事情があったんだろうし。余裕があれば本人に聞いてみようか」
「ちなみに活動家様には、どうやって接触するつもりなので? ヴァリエ様がご存知だったり?」
「それこそ私が知っている〝環境活動家〟は、人畜舎で働いている医者の一人だけだ。世代に一人ずつと聞いていたしな。だが人畜舎は王都の裏、警戒も厚い」
「〝環境活動家〟が世代ごと一人って言うのは自分の危険性を隠すための嘘に違いないね。僕らの近くにも〝環境活動家〟はいるはずなんだ。首都にも、この街にも、森にも川にも地下にもいる」
「川の中にまで……!?」とセララさん。
「ご、ごめん、川の中は言いすぎたかも……」
「ともかくどこにでもいる、と」ヴァリエさんがため息を吐く。
「そして——出会うこと自体は簡単なんだ」
スチールエッジの街外れ、森の入り口の辺り、轍に泥が固まった道端に、四歳の子供が一人うずくまっている。僕らはその少年を隠れて見る位置に張っていた。
「ダイジョウブかな……」と不安そうなのは少年のお母さん。リゼンさん宅に部屋を借りている、脱走してきた人畜のお一人である。
「大丈夫……いきなり襲われるみたいなことはないから……」
この方にお子さんをお借りさせていただいた。非常に心苦しいやり方だけど、これが一番簡単で確実な方法である。
『——来ました』
離れた位置で望遠鏡を覗いていたセララさんからトランシーバー。『了解』と返して、対岸の茂みのヴァリエさん、傍のダルフォネさんと視線を交わしておく。
果たして森の奥から、女性が一人現れた。歳は三十と少しくらいだろうか。
ベールのように長く流れた髪は星雲のように滲む紫。真っ赤に燃えるルビーの瞳。
布地のしっかりした漆黒のドレスは縁取りに淡いブルーの光が走る。影を纏うようにして揺れるローブの裾。被るのは先端の捻じれた大きすぎる魔女帽。
帽子側面、つばの先端、ピアス、首筋、ベルト、スカート側面、ガーターベルト……全身のあらゆる部分になんらかの細長い、または小柄で丸い、デバイスがぶら下がっていた。水晶のような物体をコアにしたものが多い。
彼女が一歩歩くたびにそれらがみな一様に揺れる。あるいはそれらを揺らすのを楽しむようにして歩いている。
魔女風の女性は少年の前に来ると、膝を曲げて声をかけた。
「おやおや、これはまたどうしたことかの」
女性は人丈の異様な杖を持ち歩いていた。持ち手以外のほとんど全体に、無秩序な方向へ向けられた細かな鏡が張り付いており、どの角度から見てもいずれかの鏡が光を向けてきて眩しい。上側の先端にはひときわ大きな丸いレンズが嵌まっていて、これは天球儀のような機構で色々な方向に向かせることができるようだった。
「そなたは何ゆえこのような場所におるのじゃ?」
少年は怯えた様子で顔を上げる。
「ニげて……キて……」これは用意してきたセリフ。名演技。というか目の前の魔女に実際のところ怯えているのか。
「おうおう。それはそれは——」
女性は少年の頭にポンと手を置いた。柔和な表情で微笑みかける。
「よく頑張ったのう。見事じゃ」
「エッ……」少年の表情が恐怖から困惑に変わる。
「もし行くあてがないのなら、わらわの居城に来るがよい。歓迎しよう。わらわの側におれば、何も心配はいらぬ。安心するがよい」
少年が困惑しているところに女性はたたみかける。
「ほれわらわの眼を見るのじゃ。着いて来たくなる~。わらわに着いて来たくなる~。ほらだんだん着いて来たくなってきたじゃろ——」
『二人とも、撃って』
ダルフォネさんの矢が放たれるのと同時にヴァリエさんも発砲する。
女性は「え?」と疑問の音を上げながら銃声の方に振り向いた。間に合わないはずのその振り抜きは、しかし確かに間に合っている。つまり女性の姿勢が一瞬にして変わった。まるで最初からそちら側に向いていたかのように。
そして、弾丸は消滅した。けれど代わりに矢が女性の背中に刺さる。
「なっ——」女性の口から洩れたのは不意を打たれたときの声。
よし、上手くいった。
女性は杖の鏡面でもって自分の背中を「観」て、突き刺さっている矢を消滅させた。
逃げ来る少年に感謝を告げつつ、僕は姿を現しにいった。
「無駄だよ。その矢の毒は遅効性だけど、確かに死に至らしめる。解毒しなければね」
「その声はグレロ様……?」杖を着く女性は恨めしそうな表情をして僕に振り返った。大きすぎるつばの下からギリリと歯を鳴らしつつ睨んでくる。「わらわの恩をかような形で返すとは……覚えておくがよい。二十代先まで付きまとって毎晩ホラー映画のネタバレをしてやるわ……」
僕は心底見下した目でしれっとして女性を見る。
「いま、グレロ様って言った?」
「あっ」
女性はギクリとして目を逸らした。そのまま目を泳がせる。
「グ、グレロ様。そう、そう呼んでいたんじゃなかろうか? そうじゃ。ずっと前からグレロ様って呼んどった。そうだった気がするのお~」
「『グレりん』だよね。どこで遭遇してもグレりんってあだ名で呼んできたよね?」
「いやあー! 気のせいではないか!?」女性は頭を抱えてから一転、潜り込むようにして一歩近づいてきた。迫真の表情で声をそばだてる。「やはりそなたの気のせいではないか?」
「恩ってのは?」
女性はまた一転うわーっと煩い仕草でもってうろつくと、今度は目をぐるぐるさせたまま、手と杖をわたわたと慌てさせながら弁明した。
「ほ、ほれ、あの猫の包囲からの脱出にも協力したではないか! その恩よ!」
自分の発言に自分で納得すると、なんなら得意げにビシリと指差してきた。全身に吊るしている結晶類がシャラリと揺れる。
「ほれ見晒せ! そなた、わらわに恩があるではないか! だというのにこのような狼藉を働くとは、許すまじ! わらわを誰と心得るか!」
舌打ちをしてつま先を鳴らせば、女性の肩がビクリと跳ねる。
「それは元はと言えばサロスのせいだよね。サロスが出しゃばって供給路を爆破したから猫に見つかったんじゃん。協力したのもそれ以外に手段が無かったから仕方なくだし」
「ありゃ? そんなんだったかのお~……少々記憶が曖昧じゃのお~……」
「というかあのとき僕の仲間に紛れ込んだよね? あのときしか無いもんね。そのせいで僕、五十万人の同志を星ごと失ったんだけど。それでどの口が何を恩っていうわけ?」
「う、あああー……」
女性は僕の前で膝を着いた。そのままズズズと頭を下げていく。
「ご慈悲をおお……」
「なんというか」追って出てきたヴァリエさんが浮かべているのは困惑の表情。「情けないな……」
「靴でもアソコでも何でも舐めます」とヘラヘラ笑い、犬みたいに這って恥も外聞も投げ捨て生にしがみつく、見るに堪えない汚らしい女性。軽蔑と言う言葉で収まりきらない空虚な感情が心を支配する。ため息を吐くつもりにもならない。
「間違いないよ。コレが〝人類史の寄生虫〟にして人類唯一の〝現実改変能力者〟。またの名を〝現代の魔法使い〟、あるいは〝星紀の環境活動家〟──サロス・パラス・クロウリー」
サロスは帽子を放り投げて泣いていた。
「もうみんなミアたんに殺されちゃって一人しか残っておらんのじゃ……殺すのだけは勘弁しておくれ……なんでもするゆえ……」
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