Interlude3——Machina Retinases

「エルネスト様? おい」


 催眠ガスの影響から目を覚ましたリーディは、電灯の明るい地下構造をしばらく彷徨った末、遂にエルネストを発見した。白い廊下の一角、壁際に小さく座り込んでいる。小さくと言っても長身なので、それなりの大きさで。

 子どもと話すように膝を曲げて覗き込んだ。


「どうしたんだよ、腑抜けたツラしてよ。オレが眠っちまった後、どうなったんだ? グレロ様とは会えたのか? まさか殺しちまったか? それなら残念だが……そんな感じじゃあないな?」

「吾輩は……」


 エルネストは説明を渋ったが、リーディは構わず無理やり聞き出した。

 エルネストの待ち人はもうこの世界に存在しない。


「なるほど……」壁際に腰を下ろすリーディは感嘆のため息を漏らした。「えげつねえな、グレロ様。すげぇぜ」

「気落ちしている人間からその理由をしつこく聞き出しておいて、最初に出てくる言葉がそれなのか……?」リーディに並んで壁にもたれるエルネストは、長すぎる足を立てて、その膝にこれまた長すぎる腕をかけている。「無神経にもほどがあるだろう……」


「お? 軽口叩ける程度には元気が出て来たじゃねぇか」

「苦言を呈さずにはいられなかっただけだ」エルネストはフンと鼻を鳴らす。

「そうこなくちゃな。おっさんがおセンチに落ち込んでたって、誰も慰めちゃくれねえもんだ。自分以外にはよ」

「生意気な。小童風情が」


 鼻で笑うエルネストに、リーディもニヤリとして笑い返した。

 壁に体重を預けて天井を見上げる。


「で、どうするよ。エルネスト様が戦う理由は無くなっちまったわけだが」

「そうだな。生きている意味もない。死ぬか」

「おいおい簡単に言うなよ。俺を困らせたいのか?」


 エルネストは眉をひそめて隣を見る。


「君には分かるのではないか? 大切な人間が死んだ世界に、生きている価値などない。だからこそ世を捨てたのだろう? かつては次期騎士団長として誰もが認めるところだった、リーディ・アダマイトよ」


「だからって死んじゃいねぇだろうが……」リーディはやれやれとかぶりを振る。「早く死んでも遅く死んでも死は死だ。なら長く生きるのが妥当だろ、確率に照らしてよ。新しくやりたいことが見つかるかもしれねぇし、少し前の自分は視野が狭くなってたって思い直すことだってあるかもしれねぇわけだ。それなのに自殺するだなんてのは、もったいねえことじゃねぇか?」


「驚いた。君はいま、希死念慮に踊らされた理系人間に対して最も適切な言葉かけを行った」エルネストはほほうと学術的な関心を浮かべている。「君は妙に落ち着いて、冷静に見えるな。なんなら活き活きとしてすら見える」


「あぁ? オレが?」リーディは自分を見下ろした。「それは……そうかもな。自分でも不思議だ」


 リーディは確かに以前まで世を捨てていた。騎士団長になる理由も見出せず、しかし自殺するのは先述の理由で躊躇われたので、ただダラダラと生きていた。積極的に自殺する気はないにしても、いつ死に招かれたとしても、あまり抵抗はしないだろうとも確信していた。

 それが、今は他人に——ましてや神祖に——生きる意味を説こうとしている。

 リーディは自分の感覚を分析した。少し前から輪郭は掴んでいたので、いざこの場で手間取るということはなかった。


「そうだなオレは、前世と切り離された感覚でいんだよ」

「前世? 生まれ変わってはいないだろう?」


「死んで生き返ったら、似たようなもんじゃねぇか? ましてや二度ともなればな。前のオレは死んだ。今のオレは別人。というか、なんというか——自由だ。血脈にも、しがらみにも、過去にも、責任を感じてない。無責任かもしれねぇし、十年くらいは悲しみやがれって言って死んだアイツと、一生悲しんでやるつもりだった以前のオレに、申し訳ねぇとも思うけども。それはそれとして気分が良い。強いて言うならグレロ様の強さに惹かれているところはあるが、それもまあ、届かないなら届かない、叶わないなら叶わないで構わない。本当のところ、そうなんだよ。でも死を希む空虚さとは違うな。満ち足りてるってわけでもないが。腹七分目の——いや、逆に三分目くらいか……? ——どうでもいいか。ともかく、そんな気分だ」


「一歩引いたような、気分か?」

「……? 一歩引いた……というよりは、あるいは、一段上? の方が感覚には近い」


 エルネストはそのまん丸の瞳を真円に近いところまで明らかにする。


「解脱したのだな」

「解脱?」リーディには聞き覚えの無い言葉だった。

「煩悩も執着も超越して、肉体と精神の檻を破ることだ。そうか、たったの二回でいいのか。ハッ」エルネストはニヒルな笑いをこぼした。「君のそれを、『悟り』と言う」

「そんな大それたモンじゃあねぇと思うが……テメェさんがおもしれぇならなんでもいい」


「ああそうだな。見届けたい気分になってきた」エルネストは立ち上がる。「そうだ。やるべきことも見つかったぞ」

「お? 良かったぜ。正直言うとオレ一人じゃあもう一度グレロ様に会えるかどうかも怪しかったからよ」


 エルネストはにわかにだけ握った手をじっと見つめた。


「ミアくんを殺してしまうか」

「おうそりゃあ……敵討ちってことか?」リーディも立ち上がってほこりを払う。

「あるいは敵討ち以上のことすらできるやもしれん。吾輩と君がいるならば」

「……?」


 エルネストはその長身でもって、肩越しにリーディに振り返る。その人外染みた眼差しにリーディが背筋を伸ばした次の瞬間、エルネストは自分の指を左の眼球に突き立てた。

 エルネストの背中越しに、指が頭上に持ち上がっていく。体液が糸を引いて滑り落ちる。親指と人差し指の間につままれたその影は、ネックレスの金具のようだった。細くしなる指先に繋がれた、まん丸の真珠。

 振り返ったエルネストの左眼には空洞が空いている。


「覚悟を決めてもらおう」


 彼が差し出す右手には黄色い真球が乗っている。背面から透明な糸のようなものをいくつか伸ばした、キュインキュインと音を立てる——機械眼。


「おいおい……」リーディは額に汗を浮かべつつも面白がって返した。自身の左目に親指をかける。「最初からそのつもりだ」

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