第11話 Bon voyage

「おお……」と感嘆符をこぼしたのはセララさん。「強いですね……」


 ヴァリエさんが刃に着いた血を払う。


「わたしとグレロ・ド・ルゼがいるんだ。こんなものだな」


 僕は今ちょうど斬り殺したばかりの職員たちを踏み越えて、大型モニターが並ぶ制御端末へと足を進めた。壁一面のディスプレイには当オペレーションルームの支配下にあるセクションの稼働状況が映し出されている。ヴァリエさんのIDがまだ使えたので侵入自体は容易だった。瞬く間にプログラム中枢に潜り込める。


「何をしてるんだ?」


 カタカタ操作し始めた隣から覗き込んできたのはリゼンさん。


「プログラムを直接書き換えてる。うん……よし」


 上下左右から重低音がした。一旦隔壁を全てシャッターした音だ。続けて廊下の全域に催眠ガスが噴出される。監視映像で確認した限りは残存兵の全ては意識を失って倒れた。既にかなりのカメラを破壊してしまったので完全ではないけど。たぶん大丈夫……たぶん……。


「よく分からんが凄いな」

「多少勉強すれば誰でもできるよ。そんなに才能が必要な事じゃない」

「だが俺様たちの中じゃあグレロにしかできないことだ」言ってリゼンさんは僕の背中をバシンと叩いた。嬉しいけどちょっと痛い。


 最後に影響下の全ての隔壁を上げて、置き土産にプログラムをフォークでかき混ぜてから(比喩表現)、部屋を出た。一応急ぎつつ、最寄りの出口を目指す。来た時と同様に並んで走るだけ。今度は五分もかからない。

 明るくなった廊下。先導して階段を上りつつ隣のリゼンさんに小声で尋ねる。


「ねえ、リゼンさんとセララさんってどういう関係なの?」

「ん? ああ、そうだな……一言で言うとなると、どうなるかな……」


 リゼンさんは目を落として言う。


「セララとその兄貴のリゼンは、臓器移植用の人畜でな。で、俺は心臓の病気にかかっちまったから、兄貴の方のリゼンから臓器移植を受けた。心臓だったから、つまりリゼンはそれで死んじまったわけだ。そんな流れでセララが復讐にってんで俺を殺しにきた。ん、だが——」

「——そっか。リゼンさんには、リゼンさんの記憶も引き継がれてたんだね」

「そうだ」リゼンさんは寂しげに微笑む。「それで、俺はセララに見逃された」


 特に心臓に関する臓器移植において、ドナーの趣味嗜好などが引き継がれること自体は古くからあった。長きに渡って単なるプラシーボだと思われていたのだけど、星紀になった今、心臓にも——細胞にも——記憶が宿ることは科学的に証明されている。リゼンさんほど鮮明に覚えている人は滅多にいないと思うけど。


「とはいえ俺はセララを見過ごせなくてな。付いていって、色々あって、今はこんな感じだ」

「色々でまとめるにはきっと多すぎる出来事があったんだろうね……」

「セララはスチールエッジに受け入れられたし、言葉を覚えて店も構えた。これでもう十分に罪を贖ったと思ったんだけどなあ……。てっきり死ねるもんだと思ってたのに、まったく、世の中上手くいかないもんだ」


 ——あれ?


「ちょっと待って」


 贖罪の先に。

 死が、無い?

 まさか。そんなわけが——。


「おいグレロ、グレロ!」


 じゃあ、僕も。


「グレロ!? 敵だ!!」


 考え込んだ僕の思考は予想外の言葉で叩き起こされた。

 見上げれば、廊下を折れたばかりの二十メートル先、出口階段の目前に男性が一人立っている。白衣を羽織ったひょろ長な男性だ。化学職の人だろうか、ならば催眠ガスにもいち早く気付いて口を塞いだりできたのかもしれない。意識を保っているのはそれゆえだろう。

 僕たちの足音に気付いてぎょろりと大きな目をこちらに向ける。


「大丈夫。斬り捨てるよ」

「ああ、援護する」


 リゼンさんがリボルバーを抜き、僕は剣を抜いて足に力を入れた。僕が本気で踏み込んだならこの星の人間の何倍もの距離を詰めることができる。

 瞬く間に近づいた低姿勢の僕を、白衣で医者風の男性のまんまるの眼が見下ろしている。


 既視感。


 ともかく振り抜いた。この星の人間なら躱せない。回避不可能な速度の斬撃を——。


「え……?」


 男性は易々と躱した。まるでこの星の重力など軽すぎると嘲笑うかのように。


「吾輩には視えている」その黄色い両目が、キュインとピントを調節する。「君が誰かもこの眼には分かる」


 続けて銃声。リゼンさんの放った二発の銃弾も、男性は最小限の動きで躱しきった。男性は僕を蹴り飛ばしながらオートマチックを抜いてすかさず射撃。

 転がる僕の眼に、胸を撃ち抜かれるリゼンさんの姿が映る。その後ろから慌てて追ってくるヴァリエさんたちの姿も——。


「来ちゃだめ!!」


 咄嗟に叫びつつ身体を起こす。眼前に現れた銃口を見た頃になってやっと、ぐるぐると頭が働き始めた。エンジンをかけたように心臓も激しく唸っている。

 背後でリゼンさんが倒れた。無事だろうか。いやそれよりも、この頭痛は。滲んで表出してくるような、記憶を逆撫でられるようなざわつく感覚は。


 ほんの数瞬前までその名前は僕の脳から全くもって消えていた。

 190センチ以上の長身。病的なほどに白い肌。黒いタートルネックの上から白衣を羽織る。

 僕が床に手を着きつつ見上げている相手の名前は。


「エルネスト……先生!?」

「そうとも。吾輩こそが〝星紀の闇医者〟エルネスト・カイザー」


 琥珀色をしたまんまるの機械眼は、まるで二つの月のよう。


「吾輩も丁度思い出したところだよ。再会を祝うには早すぎるな? 〝星紀の革命家〟、グレロ・ド・ルゼ」


 エルネストさんは僕に銃口を突きつけつつ、ふむと鼻を鳴らす。


「君の敗因は吾輩が誰かを判じるのが遅きに失したことだ。その点について吾輩にはアドバンテージがある。この眼は吾輩が思い出すよりも前に君が君であることを判別してくれる」


 剣を振る隙も銃を抜く隙も無い。


「書き換えが可能なほどに高度なプログラミングの知識を持ちうるのは、脱走した〝星紀の革命家〟の他に居なかった。ヴァリエくんと共に脱走した君にしか、な。脱出経路を推測するのは簡単だ。吾輩が近くにいたのは偶然だが」


 なんだ? 何から聞けばいい? どうすればいい? 時震と記憶のこと? それは今はどうでもいい。僕がエルネストさんに銃口を向けられている。そのせいで背後、廊下の向こうのヴァリエさんたちが釘付けにされてしまっている。この地下構造から脱出できない。いや……違う。先に考えなくちゃいけないのはリゼンさんの容体だ。リゼンさんは依然として生死不明。あるいは死んでいる? ならもうエルネストさんの蘇生に頼るしかない。この状況からエルネストさんを言いくるめてこちら側に着ければ蘇生できる。……そんなことができる? 実益に訴えて交渉を? カードが無い。心理に訴えて同情を? それが通じる相手じゃない。


 カードをでっち上げるしかない……!


「何か! 僕に、出来ることはある!?」決死の思い、といった様子で尋ねた。

「できること……?」エルネストさんは首を傾げる。

「な、なんでも! 何でも聞いて!? 僕に答えられることならなんでも答えるから!」

「なら……そうだな」エルネストさんは僕を見下ろして言う。「ミアくんの真意はなんだ?」

「——ミアさんの真意、か。なるほどね」答えが無いことは悟られないよう注意して復唱。


「ああ。吾輩はミアくんにこの星の運営とは別の何らかの意志があるのではないかと疑っている。無理を言って王宮から出かけたり、バジェくんを撒こうとしたり、君の捜索に本気を出さなかったり……ただ無軌道な性格と納得するには少々勝手が過ぎる」


 それに関しては同意見だ。ミアさんが僕の味方、とまでは思わないけど、何かもっと別の目的があるのではないかとは僕も疑っている。僕を泳がせた、意図がある。

 でもそれがなんなのかはまだ分かっていない。


「君の返答次第では、ミアくんも吾輩の敵になる」

「分かった。いいよ。教えてあげる。じゃあ先に蘇生手術をしてもらおっか。それでいいよね?」


 エルネストさんが素早く引き金を引いた。僕の耳元を掠めた弾丸は、ドッと人の肉体に入る音を立てる。角度からして撃たれたのはリゼンさん以外にあり得ない。


「——知らない!!」僕は必死に頭を下げた。「ごめん!! 僕はミアさんの真意は知らない! 何かの企みがあるってことは想像がついてるんだけど、それが何かまでは分かってない!!」

「そうか」


 まるで蜘蛛の糸を掴むように、一縷の希望に縋るようにして目を上げる。

 けど、エルネストさんの僕を見下ろす表情は、無感情な、いっそつまらないといったもの。


「もう君に用は無い」


 エルネストさんの指が引き金にかかる。マズい僕が死ぬ。

 とはいえそれは。僕が生存できる手はある。それ自体はある。いつだって切れるカードだった。僕がエルネストさんに殺されることは十中八九無い。


 けど、これを言っていいの? エルネストさんに? 多少は恩がある相手に?


 それにこれは、エルネストさんにリゼンさんを蘇生してもらうという最善の結果に直接は繋がらない。


「話せて楽しかったよ、グレロくん」


 とはいえもうどうしようもない。


「先生——」


 真っ直ぐ見据えて。


「——『無限の箱舟』はもう存在しない」


 エルネストさんの腕はピクリと強張った。確かに、揺れた。


「何の話だ? 『無限の箱舟』? そんな話を君にした覚えは——」

「『無限の箱舟』は消滅したんだよ、先生」


 全ては推測だ。


 エルネストさんは刑期満了を目指している。それは、外に「未練」がある人の行動だ。未練とはなんだ? 資産か? 地位か? それはすべてこの星にある。大義があるというわけではなさそう。名声を求める野心家にも見えない。ならもうこの星に無いのは「人」のみ。エルネストさんにとって未練足り得るのは「個人」だけだ。エルネストさんは「誰か」との再会を約束して刑期満了を目指している。

 ならば、待ち人が「外」で待っているならば、彼あるいは彼女はどこで待つだろうか? 人を三十年も待たせようというのだ。エルネストさんはどこに人を待たせている?

 人類が知る限り最も時の流れが遅い星——「無限の箱舟」において他にない。

 かの星はこの監獄惑星と真逆の存在だ。時の流れが非常に遅い竜宮城。外界における三十年など瞬く間に過ぎる。全てが上手くいけば二人はほとんど全く老化しないままに再会できる。


 全てが上手くいったならば。


「落とされたんだ、ブラックホールに」

「まさか、そんなわけがあるまい」エルネストさんは鼻で笑う。「『箱舟』は〝環帯の中心リバーサル・キャット〟にもその価値を評価されて監視下に収まったはずだ。あの猫を欺くことなどできるわけがない。誰にだって——」

「——ミアさんにならできた」

「……ミア?」


 次第にエルネストさんの表情が歪んでいく。強がって笑っていたのが、そのまま不細工に固まってしまう。眉と口角がピクピクと細かに震える。


「まさ、か……」


 僕は唇を噛んで躊躇してから、しかし言った。


「エルネスト先生、あなたを待っている人は、もうこの世にいない」


 エルネストさんは歪な笑顔を張り付けたままによろめいた。

 その隙にオートマチックを取り上げて銃口を向ける。拍子にエルネストさんは腰を落としてしまった。呆けてしまって無気力な崩れ方だった。


「ちなみに今のは全部嘘っぱちだよ。ごめんね酷いこと言っちゃって。いずれにせよこれで形勢逆転。撃たれたくなかったら僕の後ろの人を治療してくれる?」


 心音が早い。一言一句が重い。理想的な逆転劇だったはずなのに、緊張が収まらない。

 何が正解だった? これ以上の話運びができたか?

 エルネストさんはその透き通る琥珀色の眼でもって僕を見上げている。

 涙の流れない瞳で。


「吾輩には、心拍数と発汗量、身体のこわばり、光彩の痙攣まで視えている」


 まさか嘘を見抜け——。


「君が語った内容は真実だな」


 エルネストさんは手を着いて立ち上がると、揺れる蝋燭のような背中を僕に向けた。


「撃つなら、撃ちたまえ。それは筋が通っている」


 廊下の向こう、どこかへ折れてその背中が見えるまで、僕はただサイト越しにエルネストさんの背中を狙い続けた。いなくなってもしばらく動けなかった。

 背後から数人が駆け寄ってくる音と、セララさんが涙交じりに「お兄ちゃん」と呼ぶ声が聞こえる。


 失敗した。


 僕のせいで──。


「息はある、が……」というヴァリエさんの言葉を聞いて、意識が現実に帰ってきた。


 慌てて振り返り、リゼンさんの傍に寄って膝を着く。腹部から湧き出た血がセララさんのスカートを染めていく。リゼンさんの眼は虚ろで、もう光はほとんど失われていた。

 抱き上げたセララさんの頬を、リゼンさんの震える手が撫でる。微かな声で笑うように。


「おい……誰がこんな……」

「おにい……ちゃん……!」


 手を取るセララさんの頬には大粒の涙が伝っている。リゼンさんの撫でた血に赤く滲み込む。


「悪いな……」リゼンさんは咳をするように血を吐いた。「心臓は、返せそうに、ない……」

「そ、そんな。ウチは……」


 ぽつりぽつりと一言ずつ、命を削り落とすように口にしていく。


「所詮、俺は……運び屋の……末裔。少し、理想が高すぎた、な……」

「ち、違う。違います!」セララさんは嗚咽のままに、駄々をこねる子供のようにして訴えた。「お兄ちゃんはウチと同じ〝星紀の冒険家の末裔〟でしょう!?」

「そうだ。お前は……〝星紀の冒険家……」


 リゼンさんは大儀そうに瞬きをした。虚ろに天井を見上げる。


「グレロ」


 名前を呼ばれたことに驚きつつ僕も覗き込んだ。


「目に入れたって……痛くない、自慢の妹だ……」


 リゼンさんは、笑って言う。


「見せて……やってくれ。青空を、雲を……」


 慣れた感覚に頭がふっと冷める。


「太陽を」


 ダメだ。いつまでもしょげていちゃあダメだ。


「俺たちの……妹に」


 一つ、いや、二つ。

 僕が背負っていかなければならない。


「うん」


 リゼンさんの手を両手で強く握った。

 一切の後悔は残させない。包み込むような安心感で送り出す。

 神でなければならない。絶対の心服を受けるには絶対的な存在でなくてはならない。僕になら任せて安心だと思わせなければならない。

 神域の聖人を。

 あるいは救国の聖女をこの身に下ろして。


「〝星紀の革命家〟グレロ・ド・ルゼが、貴方の想いを聞き届けた。陽が昇るところも、陽が落ちるところも、見せよう」


 リゼンさんはほんの微かに笑ったのを最後に、目を瞑って脱力した。セララさんは喉を震わせて、悲鳴と絶叫を飲み込む。恨みつらみまでこもった愛情でもって、笑いかけた。


「ウチがお兄ちゃんの分まで……冒険してきますから……!」


 僕たちは偉大な冒険家の遥かな旅立ちを見送った。





**





「はあ、まったく。幼馴染には一言も言葉を遺さないだなんて、バカもここに極まれり、ですね」


 ダルフォネが肩をすくめて息をつく隣で、ヴァリエは顔をしかめてグレロの背中を見つめていた。

 こうして、グレロの囚われた檻はその格子をまた一つ増やしてしまった。

 ヴァリエ・アダマイトはずっと考えている。

 この檻は壊せない。ならば、どうすればいいのか。

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