第10話 星羅の端っこ

 入り口は地下鉄の出口を思わせる。交代直後のタイミングを見計らい、僕とヴァリエさんがタイミングを合わせて闇討ちした。倒れた見張り兵を脇に引きつつ合図すれば、リゼンさん、セララさん、ダルフォネさんが茂みから現れた。お互いに頷いて階段を駆け下りてゆく。


 非常灯だけが灯るリノリウムの廊下。無機的な静寂が支配する暗闇に五人分の足音だけが響く。


「次は左だ」リゼンさんが小声で指示すればそれに従って五人続けて曲がり角を折れた。スピードは落ちない。


「……」


 僕はリゼンさんの横顔を盗み見た。非常灯の青い光に水色の瞳が浮かび上がる。真っ直ぐ伸びるその視線は、見えないはずの壁と床を脳内で追っていた。淡々と。


「十メートル先、右に折り返して階段」


 正直言って真面目にやってるリゼンさんの横顔はカッコよかった。普段の馬鹿さ加減が不思議に思えるくらいのスマートぶりである。


「っと……。行き止まりだね」壁に手をついてリゼンさんに振り返る。「袋小路だ」

「どうする、お兄ちゃん?」セララさんが心細そうに見るものの──。

「隔壁パターンの変更は想定内だ」リゼンさんに動揺の気配は一切無い。「次はポイント4cを目指す。ヴァリエはどう思う?」

「異存ない」

「よし、引き返そう。行くぞ、遅れるなよ、グレロ」


 僕がしんがりの形になった。隣にいるダルフォネさんに目線を送って、走りながら囁きかける。


「リゼンさん、場慣れしてるね」

「無茶をするのは初めての、経験ではありませんから」ダルフォネさんはどこかしら得意気だ。


 前方、階段下方で衝撃音。

 急いで降りれば、転がった電気ランタンの側で、ヴァリエさんが敵兵士に馬乗りになっている。傍らにリゼンさんとセララさん。

 刃を首筋に押し付けられ、口元も抑え込まれた敵兵は、怯えきった目で、あちらこちらに視線を移している。


「気絶させるか?」ヴァリエさんが強く力みながら誰かに尋ねる。「それとも──」


 僕が何か言う前にリゼンさんが刃の先端の方を踏み潰した。ブシュッと瑞々しい出血音。兵士は必死の恐怖を相貌に刻み絶命した。


「殺さない選択肢があるのか? 顔を見られてるんだぞ?」


 リゼンさんは血まみれのブーツをゆっくりと剣先から外す。足元に転がったランタンがリゼンさんの顔に鋭い影を映していた。


「この兵士を逃がせば俺たちとグレロの繋がりが神王にバレるだろ。そうなるとグレロの──いや、『俺たち』の──長期的な作戦は成功率を大きく下げる。そのはずだ」


 セララさんは拳を握って目を逸らしている。ヴァリエさんは僕に視線を向けて是非の判断を委ねてきた。


「僕でもそうした……けど、思い切りの良さには驚かされたかな」


 この星の人たちが特に殺しに慣れている、だなんてことは当然、無いだろう。セララさんの反応を見れば明らかだ。

 だというのにリゼンさんは迷いなく殺した。それが合理的とはいえ……元はと言えば「星を見るため」だ。星を見るために人を殺せるのか? それならそれで、正直言うと危険人物なんじゃないかな。何か個人的な恨み——敵兵はともかく全員敵だと思う事情がある——とか理由があってくれた方が嬉しいくらい。


 リゼンさんは腕を振る合図をしてまた走り出した。もう一キロは走っている。目的の最下五層までもう少し。廊下両脇に点在する非常灯が、夜の滑走路に並ぶ誘導灯のように見えた。

 隣を走るリゼンさんが僕の肩をポンッと軽く叩く。


「な、聞いてくれ。今のみたいな兵士職は──つまり貴族はよ──人畜をオーブンで焼いて喰って、人畜からの臓器移植で大抵の病気を治してる奴らだ。人殺しだ。殺すことに躊躇はいらねえんだよ。そういうことだ」


 リゼンさんは苦笑しながら語った。分かってくれたら嬉しい、みたいな温度感である。


「へえ……」


 なかなか珍しい、面白い人だ、と思った。二面性を使いこなしている。


「リゼンさんってなんで普段から真面目にやらないの? カモフラージュ?」

「ん? おいおい」リゼンさんは僕にだけ聞こえるよう声を更に小さくする。「普段からこんな辛気臭いとセララがしょげちまうだろ?」

「なるほどね」微笑んで返す。

「もちろん普段の俺様も、当然、素ではある。普段から気を張り詰めてたら疲れやしないか? 俺はもうおっさんだからな、気合も根性も使いどころを選ばなきゃいけねえんだよ。グレロもすぐこうなる、気を付けろ?」


 ニヤリとして言うリゼンさんに苦笑を返していたところ、一際大きな下り階段に辿り着いた。目的地だ。何事もなく掛け降りて──。





 息を呑んだ。





 全員が全員、もれなく景色に取り込まれる。


 天井から壁、床までを一面覆い尽くす巨大なスクリーン。そこに映し出されているのは、無限に広がる満点の星々。

 コロニーの地下だというのに、この空間だけはまるで宇宙そのものが入り込んでいるようだった。天井には青白い星の光がまたたき、足元には銀河の帯が伸びている。まるで無重力空間を漂っているかのような錯覚さえ覚える。

 無限の奥行きを持った、無音の世界。

 僕たちはその中心に立っていた。


「すごい……」


 一言目を発したのはセララさん。恍惚のままに手を伸ばして星屑を掴もうとする。

 僕は膝を曲げて床を撫でた。ツルツルとした感覚。


「スクリーンじゃない……アクリル? へえ……」


 コロニーにはパノラマウインドウがあるものだろうとついつい想像しがちだけど、実際のところ一気圧に耐える強化透明素材を嵌めるコストは、カメラとモニターを設置するコストに大きく勝る。それどころか、スペースデブリに弱くなるからなんらか電磁バリアとかを外側に貼る必要まで生まれてしまう。

 つまり、この手の大窓は目的が無ければ作られないはずなのだ。最頻にしてほとんど唯一の理由は住人のストレス軽減のはず。ならこの星は地下構造に居住する人間も想定されていたのかな。


「正真正銘の星空だ」ヴァリエさんが僕の隣に来て、感嘆の息をこぼした。「美しい」


 足元一帯を覆う、幅50メートルはあろうガラス板。足元に夜空だなんて、流石に珍しい体験である。


「凄い……」セララさんがまるで少女のように夢見心地な声を漏らす。


 その隣にリゼンさんが立ち、セララさんの肩を抱いた。

 星屑に見惚れる二人の後ろ姿が目に焼き付く。邪魔しがたい雰囲気。


「まったく」ヴァリエさんがやれやれとかぶりを振る。「誰かが見張り役をやらないとな」

「あ、僕も行くよ」


 振り返ればヴァリエさんは力を抜いて微笑んだ。


 ヴァリエさんと二人で大階段の方に戻れば、暗がりの中、壁に背を預けるダルフォネさんがひらひらと手を振っている。


「ダルフォネさんは見なくてもいいの? 凄く綺麗だよ」

「ここからでも見えますわよ」ダルフォネさんはクスクスと微笑んでから、ヴァリエさんの方に視線をやると、今度は意地悪そうに口角を上げた。「それに、わたくしはお邪魔かと思って」

「は?」ヴァリエさんの声がズンと低くなる。「別に邪魔じゃないが?」

「あらあらまあまあ」


 ダルフォネさんの微笑みとヴァリエさんの睨みが交錯している。


 ん、んん? 今のやり取りは、「ヴァリエさんに気を遣ってダルフォネさんが席を外した」っていう風に受け取られるんだけど……。「お邪魔」は「二人きりにしてあげたい」の意……。え? ヴァリエさんが? いや、いやいや。あり得ないでしょ。好かれるようなことをした覚えがないし、そもそもそんな気配も全く感じないし。もし僕のことが好きなら踏みつけたりしないよねえ……。


「それにしてもロマンチックですわね、遥か星の明かりだなんて」

「……まあ、雰囲気はあるな」ヴァリエさんはムッとして返す。

「ああ、いいえ。そうじゃなくって」


 ダルフォネさんは奥の天窓を見やる。


「何千何万年も前の光なのでしょう? それが観測できるだなんて、ロマンを感じませんこと?」


 ──え?


「ごめん、今なんて?」

「え? ええと──こちらのアダマイトさんったら、実のところはグレロ様から、雰囲気のあるお言葉を一つや二つ頂きたかったのに、恥ずかしがってしまって、それを言い出せずにいるのですわ」

「え? ヴァリエさんそうなの!? ごめん! 僕もう星なんかよりヴァリエさんに見惚れちゃうからね!」


 渾身の腹パンを喰らった。静かにうずくまる。キャッキャと楽しそうにしていたダルフォネさんもデコピンを食らってひっくり返った。アレ、大丈夫だろうか。僕とヴァリエさんからしたらこの星の重力下で育った人間の骨は容易く壊せるものなんだけど。頭蓋が陥没とかしてるかもしれない。うーん。でもまあいっか、ダルフォネさんだし。


 思い出した。「観測」だ。


「この『船』の名前は……ボイジャー十一号」


 ボイジャー一号と二号は、はるか昔、1977年に打ち上げられた。その目的は人類未踏の地を観測するため。事実として彼ら二機は何者よりも早く太陽圏を脱し、地球から最も離れた人工物として、僕たちの目指すべき道標であり続けた。行方は知れないけど、今も宇宙を旅しているならば、たまに写真を撮ったりしているのかもしれない。

 ともかく、ボイジャーは「観測」するものだ。

 ならばこの星は──十一号は──何を観測しようとしている?


「足音」大階段に耳をつくダルフォネさんが小声で言った。


 僕とヴァリエさんは剣を抜いた。なるほど確かに足音とランタンの光が一人分こっちに来ている。階段に対して横に伸びた廊下、その右手から。既に一人殺しちゃってるから方針は分かりやすい。階段側面に張り付きつつ、僕がやるよとヴァリエさんにアイコンタクト。了解の頷きをもらう。

 相手はもうあと十歩でこちらの射程に入る。八、六、四──。


 ふと、アイデアが降ってきた。

 この星が位置するのは宇宙の果ての深宇宙。これは人類文明圏から最も離れた観測器だ。

 ならば、観測史上の最も古い光を──。

 過去の地球すらも観測できるのではないか?


「──えっ」


 横身を晒した敵兵に剣を振り下ろした瞬間。

 瞬間のはずの時間がギュンと勢いをもって引き伸ばされた。

 輪郭が解けて緩み、色は溶かしたように浮かび上がり、拡散して発散して透き通る。

 剣の切っ先がカーンと金属質な音を立てて床を叩いた。

 時震。


「時震っ……!?」ダルフォネさんが声を上げる。「昨日あったばかりだというのに!?」


 時震はいい。それ自体は今はいい。

 ただタイミングが悪すぎた。

 振り下ろした僕の剣が敵兵をしまっている。


「なっ、何者だっ!?」僕らに気付いた敵兵は声を上げて後退り、手元の端末を叩いた。


 すぐに追って切り捨てるも、間もなく廊下全体の照明が点灯し、ジリリと耳障りな警告音が鳴り始める。


「ッ……」


 廊下の上下左右から重低音がする。おそらく隔壁パターンが変わった音だ。来た道を引き返すだけというわけにいかなくなった。


「クソ……こんな不運な……」ヴァリエさんは苦い表情をしてサーベルの柄を握り直す。

「……ダルフォネさん、目に見える範囲の監視カメラを撃ち抜いて。あの端っこの丸いの」

「あ、はい」


 一旦の指示は出る、けど大局が見えない。

 よりにもよってこんな最奥で?

 出口は一キロ以上先、かつ、四フロア上。立体迷路と化した敵の巣のど真ん中から。


「こんなの……」


 無理だ。

 誰かが、もしくは全員が死ぬ。


「何があった?」


 リゼンさんとセララさんが慌てた様子で上がってきた。ヴァリエさんが言葉を選んでいるうちに僕が言う。


「僕がしくじった。どうしよう、リゼンさん」平静ぶってなお、額に汗を浮かべた早口で。「何か策があったりしないかな」

「よし分かった」リゼンさんは焦る様子を一切見せずに頷いた。「じゃあ指示する、聞いてくれ」


 まさかこの詰みの状況に活路が?


「二班に分かれて探索することでいち早く隔壁パターンを確定させることにする」リゼンさんはダルフォネさんを腕で招く。「ダルフォネは俺と来い。セララはグレロ、ヴァリエと行け」

「……え?」セララさんが困惑をこぼした。


「話し合いをしてる暇はない。行くぞ、グレロたちが左手、俺たちが右手だ。無線の範囲から出ないようにして情報を──」

「──いやそれはおかしいよね?」割って入る。「二班に分けるなら僕とヴァリエさんを分けたほうがいいと思うけど」

「俺とダルフォネの二人が慣れた形でな、一番身軽なんだよ」リゼンさんは僕の方を見ない。

「違う」僕は歯噛みしながら食い下がった。「この廊下を右手に進んだなら、そっちの方面にあるのは隔壁のオペレーションルームでしょ?」


 オペレーションルームは地下構造の奥地、真の袋小路。向かったが最後、リゼンさんとダルフォネさんでは生きて帰れないだろう──注目を集め、時間を稼ぐことはできるだろうけど。


「おいおいグレロ」リゼンさんは肩をすくめて苦笑する。「ちんたらしてたら全員死ぬんだぞ? 気を遣ってくれないか?」

「まさかリゼンさんからそんな言葉を聞く日が来るなんてね。勝手に死なれる方の気持ちも考えてくれるかな。自己犠牲で解決するつもりならセララさんに話を通してからにしてもらおうか」


 セララさんが声にならない声を上げて後退る。


「はあ……」リゼンさんはやれやれと額に指をあてた。「悪いなセララ。行くぞダルフォネ。こいつらは置いていく」


「ウチ、そこまで……」誰の返事も待たずセララさんが潤み声を漏らす。「そこまで頼んでない……」続けて、拳を震わせ叫んだ。「ウチは! ジンさんにそこまで頼んでません!!」


「『ジンさん』?」呟いて顔をしかめたのはヴァリエさん。

「セララ……」リゼンさんが苦い顔をして呟く。


 僕は息切れするセララさんの背中に手を置いた。セララさんは僕が頷くのを見て、嗚咽に上下する胸に手を当て、深呼吸一つの後、リゼンさんに向けて声を振り絞った。


「ウチは……ジンさんにこう言ったはずです! その心臓にかけて死ぬのは許さない! 絶対に、許しませんって!!」溢れる涙を拭い、みっともなく必死に訴える。「約束したじゃないですか!! ただ殺されるか、その心臓の分だけ生きるか! ジンさんは生きるって答えました!!」


 リゼンさんは苦い顔をして目を逸らした。対してセララさんは詰め寄っていく。


「それなのになんですか!? カッコつけて死ぬつもりなんですか! それなら心臓置いてってください!!」胸ぐらを両手でつかみあげる。「その心臓を置いていけ!! できるものなら!! お前の——ウチのお兄ちゃんの心臓を置いていけ!!」


 溢れる涙に溺れながら、セララさんはリゼンさんの胸を優しく頭突いた。


「それができないなら……ウチのために死ぬだなんて、もう言わないでください……」


 リゼンさんの落ち込んだ目元は、ひどく憔悴しているように見えた。愛情と現実の狭間で擦り切れていた。

 ダルフォネさんは特に疑問に思うところもなさそう。ヴァリエさんも「ああ〜なるほどね〜」みたいな得心顔をしている。


 あ、あれ。乗り切れてないの僕だけ? 背中を押したのは僕だけど、正直言うとあんまり話が分かんなかったな。今のやりとりってどういうこと? とか聞けない雰囲気だ……。いや、なんとなくは、なんとなくは分かるんだけど……。


「よ、よし。ともかく、セララさんがそう言うなら作戦は変更せざるを得ないね。全員生存を目指そう」

「そんな作戦があるのか?」リゼンさんが視線を上げて、セララさんも何かと振り返る。

「うん、リゼンさんからヒントを貰ったから」


 ヴァリエさんにウインクすれば、溜息が返ってきた。


「目立つなんてもんじゃないな……」

「じゃあ、この星に四つあるオペレーションルームのうちの一つを制圧しにいこっか!」

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