Interlude1——Machina Retinas
リーディ・アダマイトはアダマイト家の次男だった。ヴァリエと同じく蘇生された近衛兵の一人。
燃えるような赤い短髪と燻る灰色の瞳を持つ男で、顎のラインに髭が細く張り付いていた。歳は三十ちょうど。本人は望んでいなかったのだが、この頃バジェに似て皺が出てきた。
剣の腕だけなら王国一なのだが、喧嘩以外に頓着が無く、肌が荒れがちだったり部屋が汚かったり……私生活のだらしなさから騎士には相応しくないと評されている。規律を守らず、風紀を軽視し、下世話を焼く。彼が世間へ譲歩する心を捨てていなければ素晴らしい騎士団長になっただろうに、と多くの人間は嘆いた。
そんなリーディはいま、グレロ・ド・ルゼが乗せられたワゴンを運んでいる。いつも通り、軍服のジャケットを大きく気崩していて、ベルトの位置も低い。リーディが見下ろすグレロは、ちょうど手術終わりの麻酔が切れて来たタイミングらしく、リーディに焦点を合わせると、むむ、と唇を尖らせた。
「今日はヴァリエさんじゃないんだね。ヴァリエさんはどうかしたの?」
「熱出しただけだ。アレで体が弱くてよ」
「そっかよかった。じゃあえっと……初めましてじゃない? かな?」
「そうだな。二週間前に一度会ってる」
「じゃあ改めまして、こんにちは。僕はグレロ・ド・ルゼ。君は何て言うの?」
リーディは素直に答えようかと思ったが、しかし舌先を覗かせながら目をぐるりと回して逡巡すると、こう言った。
「テメェさんに敗北した負け犬の名前なんて覚えなくていい」
「じゃあ負け犬さんって呼んじゃうけど……」
「それは嫌だな……」観念のため息を吐く。「リーディ・アダマイトだ」
「リードって呼ばれてる?」
「呼ばれてるからなんだ?」
「じゃあ僕もリードさんって呼ぶね」言ってグレロは微笑んだ。
リーディは好感と寒気を同時に覚えた。
どうしてこんなに絶望的な状況で他人に微笑みかけることができる? こんな微笑みを浮かべられる人間が弾丸の痛みを無視するだなんて離れ業を覚えるほどの歴戦の戦士? ミア陛下の何倍もの懲役年数を課されている人間が、人並みの微笑みを浮かべられるものなのか?
そういった色々な不気味さの集合としての、寒気だった。
彼はこういった感情をそのまま抱え込むタイプではない。
「どうして笑ってられるんだ? こんな状況で。オレなら無理だ」
「えっ、うーん」グレロは少しだけ考えてから言う。「笑ってないとやってられないからかな……こんなに絶望的な状況だとさ。形からでも元気にやらなくちゃ」
リーディはこれに納得した。それどころか「すげえな」と感心する。
「オレだったらとっくの昔に折れてる。へぇ、形からか」
「あ、あはは……僕自身は大した人間じゃないんだけどね……」グレロは苦笑する。
リーディは次に気になったことも遠慮せず聞く。
「そんだけすげぇお人だってのに、なんで捕まっちまったんだ?」
オレよりもはるかに強い、それはもう分かった、いい。問題はどうしてそんな人間がここに送られるような事態になってしまったかだ。それがグレロよりも強い人間だったなら、そちらの方が気になる。
「なんで……か」グレロは渋る様子を見せる。「気になる?」
「気になる。オレがグレロ様と会話する機会はもうあまりねぇかもしれないから、できれば今のうちに聞いておきてぇな」
「そっか、そういえばそういう事情だったか。ならまあ、正直に話すよ」
リーディは、ここまでのグレロの言葉に脚色がかかっていたことに気付くのと同時に、今このセリフからその脚色が消えたことにも気付いた。グレロ側から仮面を脱ごうとしなければ、リーディにはずっと気付けなかっただろう。
リーディはそこにグレロの強さの秘訣を見出した。
「僕はね、仲間に裏切られたんだ」
「裏切り……か。なるほどな」
リーディはまた納得した。どれだけ強い人間であっても、気を許したはずの背中を刺されてはたまらないだろう。
「まあ、妥当な結末なんだけどね」
「自業自得ってことか? 何か恨みを買うようなことをしちまった?」
グレロはただ微笑んだ。
ヴァリエ・アダマイトの裏切りを受けて、リーディは感心するばかりだった。
——グレロ様の持ちうる最も大きな力は「裏切らせる言葉の力」らしい。えげつない。この力をもってすればいかなる偉業であっても成し遂げられるように見える。だが、これを繰り返していては、いつしかグレロ様の周りに「根っからの裏切り者」も紛れ込むだろう。ソイツはグレロ様すらも裏切る。
「少なくともグレロ様はそう思ってたってわけだな」
うんうんなるほどなあと納得しつつ、待ち構えるのは白いリノリウムの廊下の果て。シャッターの解放された地上の暗闇を背にして。
果たしてグレロ・ド・ルゼは現れた。白黒の髪を持つ華奢な体格の青年が。
「リードさん……」精根尽き果て憔悴した、といった様子。
だからといって手を抜くつもりはもちろんない。
「増援は呼んでねえ。オレさえ倒せばしばらくの間は逃げる猶予が生まれる。つまりテメェさんは、オレを殺さなきゃあいけねぇわけだ」
左手に銃を、右手に剣を持って。逸る鼓動に身体を昂らせ、肉食動物が牙を剥くようにして笑いかける。
「〝星紀の傭兵の末裔〟が直系アダマイト家、1564代当主バジェが次男、リーディ・アダマイト。いざ参るぜ」
グレロは剣を後ろに低く構えた。
「託す想いか恨み言を」
「勝つのは俺だ」
「はあ……」
グレロはまるで間合いではない位置で剣を振り上げた。振り抜かれると同時に飛来する。投擲。
リーディは咄嗟に弾き上げたが、その隙にグレロは懐に潜り込んでいた。無防備な胸元にナイフが突き刺さる。メスのように短く小さな——それどころか数センチ足らずの、フォークを削っただけの——刀身だったが、グレロの狙いは確かだった。
「託す想いか恨み言を」
それを聞くために、わざわざ胸に突き刺したのだとしたら——首を狙ったら話す余裕も無くなってしまう——小癪なやつだとリーディは思った。
崩れ落ちてなお、歯を見せて強がりながら見上げる。
「テメェの……完全勝利だ」
本心だった。尊敬の念でもって、リーディはグレロを讃えた。
「『完全勝利』だなんて言葉、僕には使えないんだ。でもありがとう。君の賞賛にも報いるから、安心して死んでね」
グレロの足音を背中で聴きながら、リーディは倒れ込んだ。
リーディが目を覚ますと手術台だった。気だるい身体を起こして、道具を片付けているエルネストに目を向ける。
「どうしてオレを蘇生した? オレはただの負け犬だ」
「吾輩はミアくんに糾弾されるだろう。グレロくんの脱走を見逃したのだからな」エルネストは背中を向けたままに話す。「ゆえに吾輩はグレロくんを殺しに行く。その雁首でもってミアくんを納得させる」
「はあ?」リーディは思わず鼻で笑った。「テメェさんはグレロ様の脱走に協力したってのに、グレロ様を殺しに行くってのか?」
「それが吾輩にとっての筋だからな。多少の恩があったから多少の礼をした。それ以降はまた別だ」
「理解できねえな」リーディは舌まで出して両手を挙げた。「それで? オレに協力してほしいってのか? どうしてオレなんだ?」
「君は一昨年、妻を失っているな」
「……何の話だ」
予想外のところから、不躾な話が持ち出されたことに、リーディは不快感を露わにした。
エルネストは遂に振り返る。まん丸の黄色い瞳だけで表情が読み取りにくいのに、このときのエルネストはいっそう無表情に近かった。
「吾輩にも将来を約束したパートナーがいる」
「いる? この星の外にか?」尋ねればエルネストは頷く。
リーディは思い返した。エルネストの懲役は三万と数千年と聞いている。これは外の時間に対応させれば三十年と少しらしい。なるほど確かに、刑期満了を成し遂げれば再会が望める時間間隔。
エルネストはふうと腰かけると自分の肩を揉んだ。
「吾輩はこの星でもう二万年を過ごした。活動時間の積み重ねで歳も三十近く取ってしまった。今さら盤面をひっくり返されるわけにはいかん。この星は『脱獄不可能』なまま『完璧な監獄』として運営されていなければならない。そうでなければ吾輩の刑期満了が認められなくなるやもしれんだろう」
「そこまでの想いがあるなら、逆におかしいだろ。それでもグレロ様を見逃したのか?」
「そうだが?」
「道理のために? 筋を通すために? ハッ、ハハッ」
手術台に腰かけるリーディはお腹を抱えて笑った。
「生きづらすぎるだろ、エルネスト様よお。オレにはそんなん無理だ」
「君の境遇ならば、吾輩に理解を示し協力してくれると思ったのだが、どうだ?」
「ああ、ハハ。そりゃあなあ、当然!」
リーディはエルネストの手を無理やり取り上げた。リーディの想像と違い、エルネストの顔には依然として驚きの気配はないものの、それでもやはり気分よく声を上げる。
「心配は要らねぇ! オレが殺してやる!」
「交渉成立だな」
リーディは犬歯を見せて笑い、想像のグレロを見上げた。
「オレが殺すまで、死なないでくれよ、グレロ様!」
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