第5話 贖罪

 夕日に波打つ湖面のように、無造作にカールのかかったオレンジのショートカット。瞳は陰のかかった灰色。少々感情の乗りすぎている険しい表情。

 漆黒のコートは襟と袖口に金の刺繍、肩のエポレットには猫がモチーフの文様が刻まれている。こげ茶のパンツを引き締めるような膝丈のブーツ。

 ヴァリエさんは独房のベッドに座り足を組んだ。続けてベッドをコンコンと叩く。


「……硬すぎる」

「おかげさまで……」

「発言を許可した覚えはないっ……!」ギリリと歯を見せられた。原始的な威嚇の仕草だ。僕は依然として原始的な人間なのでごく単純に怯えた。


 僕は後ろ手に錠をかけられたまま、ヴァリエさんのすぐ前で正座させられていた。ブーツの先端が鼻先を掠める。


「もう一度言う必要があるか? 貴様の記憶力は鳥ほども無いのか?」

「お、覚えてるよ」


 ヴァリエさんは僕に『貴様は一体、何者だ?』と尋ねた。その心は「自分たちが倒された理由を確かめたい」だろう。

 ヴァリエさんはきっと、あの日の一件——僕一人に四人がかりで敗北した事件——に納得したいのだ。例えば僕が、ヴァリエさんが認めざるを得ないほどに凄い経歴の持ち主だったなら、ヴァリエさんは納得できる。敗北の責任が僕にあるならば、仕方なかったと諦められる。対して僕が大した経歴の持ち主で無いのなら、自分たちの訓練が不十分だったということになり、これはこれで納得できる。そこに原因があると分かったなら、解決の方向に向かうことができる。


「僕は——〝星紀の革命家〟、グレロ・ド・ルゼだけど——そういうことを聞きたいんじゃないよね」


 真面目な人である。つまりだ。素直な人をたぶらかすのが忍びないだなんて感情は僕にはもう無い。あんまり。


「僕が何のために戦ったのか。それは……そうだね。うーん、強いて言うなら『自由』のためかな……?」

「自由?」ヴァリエさんが怪訝な様子で拾ってくる。

「うん、自由じゃなかったから、自由になりたかったんだ」

「もっと具体的に話せ」ヴァリエさんは、今は閉じている扉の方に目をやった。「チッ。わたしの気は長くない」


 ヴァリエさん以外にもこの独房層を行き来する兵士は何人かいるし、ヴァリエさんの交代の時間なんかもあるだろう。それほど長く話せはしないらしい。


「大丈夫。そんなに長い話じゃないよ。なんなら一言で済んじゃう。僕たちは鉱山労働者だった。一方的に使い潰される立場だった。それが嫌だったから、偉そうな人たちを殺した。それだけ。あとはトントン拍子かな。僕たちを捕まえよう、抑えようとする人たちを倒し続けていたら、いつの間にか大事になってたんだよ」

「フン。なんだ、奴隷か。どこも変わらないのだな」


 ここでも奴隷の反乱はあるらしい。そりゃあそうだろう。しかし鎮圧できている。それはきっと彼らアダマイト家の尽力によるところだ。


「しかし」ヴァリエさんは鼻で笑った。「こうしてここに送られてきてしまったわけだ。奴隷が起こす反乱などたかが知れている」

「けど、それは何度だって起こり得る。たとえ僕がいなくてもね。人は人をいつまでも使うことができない」

「愚かなことだ」


 僕は当初の質問の回答とは異なる発言をしているはずだ。


「奴隷が奴隷をやめたところで、所詮は奴隷。自力で何ができようはずもない」


 しかしヴァリエさんは咎めず乗ってくる。多少ご機嫌な様子。


「じゃあなんで貴方は鍛えてるの?」

「わたしが肉体的な側面を言及したと思うのか?」小馬鹿にして鼻を鳴らす。「やはり貴様も愚かだな。奴隷の域を出ず、救いようがない」

「ねえこれ……『でもヴァリエさんは僕にこっぴどく負けたよね』って言っていい感じ……?」

「貴様のその言葉には、『しかしお前は陛下にこっぴどく負けただろう』と返そう。相対的なものじゃないか。我々に反省が必要なのは事実だが、それは酷く深刻に捉えるものではないようだ」

「そ、そっか。やっぱり自由なんて目指すべきじゃなかったのかな……」


 多少無理をして話を戻しているので譲歩する形で誤魔化す。露骨すぎてミアさん相手ならバレかねないけど。


「理解が遅きに失したな」


 ヴァリエさんは乗ってきてくれるってわけ。よしよし偉いね。


「結局、誰かが律さねば秩序は保てまい。奴隷が解放されたところで混乱と争いが増えるのみ。自由など与えたところで、人間は怠け堕落するだけだろう。誰かが手綱を握るのが道理だ。支配と奴隷こそがあるべき姿で、守るべき構造である」


 自由が堕落に繋がるだなんてのはとても封建的で、宗教に酷く依存した考え方だ。それに甘んじている限り人間は哲学を発展させることができないのだけど、思想は目に見えるものではないので説得に使うのは難しい。実際のところ、それは後からついてくるものである。


「うーん、でも、結局奴隷にはできることしかできないよ? ヴァリエさんが腰に提げてるそのオートマチックだって、奴隷には作れないし」

「これら高度な機器は我ら軍人だけが持っていればよい。ならば少数でいいだろう。そして少数ならば、少数の技術者が作れば済む話だ。奴隷には畑でも耕させればいい」

「外の世界ではほとんどの農地が自動化されてるよ。機械で耕して機械で水を撒くんだ。人の手でやるよりずっと効率的に」

「ん?」ヴァリエさんは眉を顰める。「その機械は誰が作るというんだ」

「当然、教養と経験のある技術者が」

「……?」ヴァリエさんは顎に手をやって脇を睨んだ。「それはつまり——」


 折にジジッと鳴ったのはヴァリエさんのトランシーバー。


『ヴァリエ、交代の時間だ。それと、監視カメラの調子が悪いみたいでな、見てくれるか? オーバー』

「……戻る」


 ヴァリエさんはそそくさとして去っていった。

 僕はポカンとしたままその背中を見送る。

 あくまでヴァリエさんの気を引けさえすればいいと思っていた。ヴァリエさんが僕の部屋に足を運ぶようなことになってくれたならば、どこかで隙が生まれるだろうと考えていたのだ。施錠を忘れるとか、資格証を置いていってしまうとか。油断が生まれてきたなら背後から襲い掛かってもいい——と。

 だけどあのヴァリエさんの様子は?


「まさかね……」





「つまり」ヴァリエさんは依然として僕を正座させたまま足を組み、ブーツのつま先を僕の鼻先に垂らしていた。「我々は貴様らの『侵略』を受けているということか? 我々が信じている正義は貴様らに都合のいいよう歪曲されたものである、と?」


 顎に手をやって脇を睨むのは彼女が物事を考えている時の仕草である。


「う、うん。奴隷を使って安定した社会でいるうちは技術が発展しないから……外との文明格差は広がっていくよね。だから、奴隷で買った安定は借金みたいなもので、長期的に見て損って感じで……」

「なるほどな。奴隷が人なら神も人。そもそも神を戴く必要が無い。人は人が統べればよい。絶対的な真実があるだなんて認識は幻想なのか」


 僕はニーチェの話はしていないはずなのだけど、なんか勝手に神を殺してニヒリズムに辿り着いてしまった。この人怖い。


「我がアダマイト家は——その誇りは——売国の建前だったという訳だな。フッ。フフ」

「そこまでは言ってないよ……?」


 ヴァリエさんは当初の厳しい目線をいくらか和らげていた。なんならたまに笑うようになった。笑うと言っても嘲るような笑いだけど。

 はてさて、まさかどころか、ヴァリエさんはおもいっきり僕に感化されていた。

 とはいえ「啓蒙した」とは言い辛い。啓蒙するまでもなく勝手に理解した、という印象である。彼女は元から相当の疑念を抱えていたようだ。


「貴様の言い分は筋が通っているが」ヴァリエさんは真っ直ぐ僕を見下ろした。彼女からすれば僕を足蹴にするような形。「この星では流行らないな。なにせ貴様以外の誰も現状に疑問を抱いていないからだ。市民も、奴隷も、人畜まで。反抗勢力もいるにはいるが取るに足らない雑魚でしかない」

「その点は、啓蒙が必要ということになるね」


 しかしこの狭い世界でミアさんに感知されず市民を啓蒙するのは不可能だろう。できても僅か。ミアさんを倒すのが先になる。


「わたしも啓蒙されたということか。フッ」

「そうだね……騙した形になってごめんね」


 既に僕は、脱獄のためヴァリエさんを釣ったことを吐いてしまっていた。そうしないとヴァリエさんの聡明さに失礼な気がしたし、そうでなくとも看破されるのは時間の問題だと思ったからだ。

 ヴァリエさんはふと、じっと無言で見つめてきた。陰のある灰色の瞳。


「な、なに?」直視されると恥ずかしいので目を逸らす。


 ヴァリエさんはため息をついて足を組み替えた。


「我々が敗北した理由は理解した。その点は感謝しよう、グレロ・ド・ルゼ。よく分かった。しかし結局、表向きの疑問の回答は得られていない」

「……なんのことだっけ?」

「貴様は最後まで理詰めだった。一旦引く、一旦認めるといった姿勢も話術だな、勉強になった。しかし感情を表に出すことは一度たりともなかった。貴様は努めて理性的で、他人の言葉しか使わなかった」僕を見下ろす目を細める。「だからわたしには貴様の『誇り』が分からない」


「僕の……誇り?」


「そうだ。わたしには誇りがあった。わたしは自分の家系とその義務を誇りに思っていた。誇りがあったからこそ、訓練に身を捧げることも苦でなかった。対して貴様はどうだ?」


 返す言葉がすっと出てこない。悩んでしまう。

 誇り……僕が、誇れるもの……。


「それは、その……うーん、なんだろう……」


 ヴァリエさんはふむと鼻を鳴らす。


「確かにわたしはこの部屋に何度か通ってきた。それは貴様の語る外の歴史と思想が興味深かったのもあるが、一番気になっていたのはそこじゃない。わたしは貴様の誇りが気になっていたんだ。貴様にとっては釣り餌に過ぎない、なんてことない言葉だったのだろうが、しかしわたしはそれがずっと知りたかった。だが──いくら観察しても貴様の『誇り』は見えてこなかった」

「な、なんで……?」

「貴様はわたしの誇りを打ち崩しただろう。だからわたしも貴様の誇りを引き裂いてやりたかったんだよ」


「なるほど……」あっと思いついた。「そうだ。ほら、僕には大義があるよ」天井を見上げて考えながら言う。「立派なことをやってるのは、誇れることなんじゃない……?」

「なぜ?」

「え」

「どうしてその大義に身を捧げるんだ?」

「えええ……困らせないでよ」


「いいや。わたしは決して的はずれな質問はしていないはずだ」ヴァリエさんはずっと真面目な様子である——いつも通りに。「なるほど貴様は大義を掲げている。だがその大義に身を捧げるのはなぜか? それこそが『哲学』だ。『行動原理』だ。『人間性』だ。もう一度聞こう。貴様は、どうして、その大義を──革命を誇りに思って、身を捧げるのか?」


 革命を、誇りに──。


「貴様は奴隷だったのだろう? 使い潰される同類を見て、怒りを感じたんじゃないのか? あるいは、悲しんだんじゃないのか? そういった、きっかけが、ないのか?」


 僕はどうして、革命を志したのか?


 返事に窮した僕を前にして、ヴァリエさんはふうと息をついた。


「そうか。残念だ」


 言って、胸元のポケットからカードを一枚取り出して脇に置く。


「とはいえもう、その表情で理解できたがな。まさか貴様に憐憫を抱く日が来るとは」


 続けて僕の背後に回ると、手枷と足枷の錠を外し——。


「わたしに貴様の檻を壊すことは適わないらしい」


 扉を開け放して去って行った。


「先に行く」





 目もくらむ真っ白な迷路を一人で歩いていく。足取りはおぼつかない。

 出口までの道中で出会った巡回の兵士は三人。一人は首を深く斬られ、一人は胸元が真っ赤に染まっている。

 最後の一人も彼らと同様に絶命していた。壁に背を預ける形。側頭部の一点から流れ出た血が輪郭をなぞって顎から滴り制服に染みていく。

 未だ拳銃を握ったまま、だらんと脱力していたのは、見慣れたオレンジ髪の女性。


 つい自嘲の笑いが出てしまう。


「僕はそこまで頼んでないんだけどな」


 いいや、想像できたはずだ。

 彼女は僕と同じだから。責任に生きる人間だから。

 拳銃に焦点が合って離れない。


「あーあ」


 仲間の死に慣れ切った自分が大嫌いだ。

 意を決して天井を仰ぎ見た。可笑しさに声を上げれば涙が頬を伝っていく。

 誇りなんてない。

 誇れるものなんて、なにもない。

 ただ僕には、まだ死ぬ権利が無いだけだ。





 夢に見る。

 あの地下室が。油を流し込まれて逃げ場のない灼熱の閉じた箱が。

 一人分しかない壁の奥の空間に押し込まれながら、煙を吸わないよう口にハンカチを押し当てられて、悲鳴も懇願も許されない目の前で。


『あなただけでも生きて』


 ママ。やだ、いやだ。そんなのいやだ。一人でなんて——。


『グレロ。最期に一つ、お願い、聞いてくれる?』


 何もかもが崩れて潰れるあの光景が。


『私たちの死を無駄にしないでね』


 脳裏に焼き付いている。





 鳥のさえずりに目を覚ました。泣き腫らした目を擦る。


「鳥……いるんだ……」


 僕は一心不乱に、しかし冷静だった。


 夜闇の中、兵舎内をスニーキングして装甲車のカギを掠め取り、車を奪い取ってからもすぐには走り出さず、追跡されかねない機器をすべて破壊か投棄してから脱出した。どことも知れない方向にともかくまっすぐ進む。すぐにコロニー内を区分けする障壁にぶち当たったが、市民が行き来できないこともないだろうと壁に沿って移動すれば解放されたゲートを見つけた。

 そこから先には森林が広がっていた。車を捨てて林間に足を進め、泉を見つけて水を一口飲んだ瞬間に意識が途切れた。とはいえそのときすでに空——じゃなくて、コロニー壁面の大照明——は白んでいたから、気を失っていたのは一時間か二時間そこらだと思う。


 朝露の冷たさを感じつつ、土に手を着いて体を起こす。


「ん……」

「起きたか」


 背後からの声にギョッとして飛び退いた。見れば橙髪の女性が胡坐をかいて座っている。


「起きたなら急いで移動するぞ」遠くを見るように首を伸ばす。「このエリアはまだ王都のコントロール下だ。すぐに捕捉される」

「えっ……いや……」


 目を擦ってみたが景色は変わらなかった。静かな冷たさの満ちた朝焼けの泉、そのほとりにヴァリエさんが座っている。


「……僕もしかして地獄にいる? それにしては綺麗なところなんだけど」

「貴様はともかくわたしは……いや、フッ、わたしも地獄行きか。一緒だな」

「ふええ?」頭を抱えた。「なんで生きてるの?」

「は?」ヴァリエさんは眉間にしわを寄せる。「貴様がエルネストに頼んだんだろう。わたしの蘇生をな。おかげさまで第三の生だ。そろそろ死ぬのにも慣れてきたよ。なあ」

「えっ……」


 やっと頭が働き始めて、にわかに記憶が浮かび上がってくる。そういえば……そう。そうだった。





「……仕事か。そろそろミアくんは死んだか……?」


 頭を掻きながら体を起こしたエルネストさんの首に刃を突きつける。


「仕事だけど、ごめん、僕が払えるものはないんだ」


 赤い目元に息も絶え絶えな僕に対して、エルネストさんはずっと冷静だった。僕の姿と剣の切っ先を見ても動揺する様子は無く。


「ふむ……」


 開け放たれたポッドルームの扉と、僕の手に握られた資格証に順に目をやると、最後に伸びを一つして棺から這い出てきた。蜘蛛のように長い手足。


「話に付き合ってくれた礼くらいはしよう、片手間だがな」


 ロッカーから白衣を取り出して、裾を翻して勢い良く袖を通す。


「患者を運べ」





「そういやそんなんだった気がする!」僕は頭を抱えたままに声を上げた。続けてそのまま首を傾げる。「あれ、そうだとしてもなんでここに?」


 ヴァリエさんは組んだ足に肘をつき頬を置いた。


「術後に貴様を追ってきたんだよ。わたしが同僚を殺した証拠はしっかり残っているからな。映像を差し替える余裕もなかったし、できたとしてもするつもりはなかった。自分の殺人を貴様に擦り付けるだなんてことがわたしにできると思うか?」

「思わない……」

「だろう?」ヴァリエさんは言って、微笑んだ。「他に行き場も無いんだから、今回の生は貴様に捧げてやる」


 不意に実感が湧いてきた。ヴァリエさんが生きている。


「ヴァリエさんが生きてる……?」ぎゅっと胸が締め付けられる。「ひっく……」

「ん?」ヴァリエさんが片眉を上げて訝しむ。


 僕は涙を振りまいてヴァリエさんに飛びついた。


「なんだなんだなんだ!?」


 驚きの声に構わず抱き倒し、しゃっくりするまま泣きつく。

 生きてくれてる。死なないでくれた。

 それは、僕の人生において、本当に、滅多にないことだったのだ。

 ヴァリエさんは呆れるような息を一つついてから、僕の背中を緩く抱いてくれた。

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