Scene2 輪廻解脱の傭兵

第4話 スタート地点は檻の中

 それはコロニー地下構造の一室だった。ベッドとトイレだけがある三畳くらいのキャビン。壁は鉄灰色で冷たく、窓はない。空調のパイプは手のひらすら入らない狭さ。妙に明るい照明は四六時中光量が変わらない。扉は分厚く、外の音は全く入ってこなかった。空調から滴る水音が五秒に一度ずつ響くだけ。

 この空間に放置されるだけで狂う人が結構いると思う。


「うええええええん……」


 そんな部屋でベッドに縋りついて泣いている男性が一人。


「はい当然僕でーす! わあああーい!」


 やけくそみたいなテンションで誰かに向かって自己紹介をしたのが、僕こと〝星紀の革命家〟、グレロ・ド・ルゼである。白黒の髪をもった華奢な体格の青年。ガチ泣きしながら笑っている。情緒とはかくも容易く崩壊するものである。

 大理石みたいに硬いベッドに泣きつきながらレーションプレートを舐めた。後ろ手に錠をされているので舐めとるしかない。


「味がしないぃ……涙の塩気が美味しく感じるレベルだよぉ……」


 ドン……ドン……と頭を壁に打ち付ける。


「あー辛い。辛いなー。辛い辛い辛い。辛いー! うわああああああ!! 空調は温めなのに! なんで心はこんなに冷たいんだろうねー!」


 何が辛いって寝れない。暗いのには慣れているのだけど明るすぎるのには慣れていない。


「うぇぇん……」


 ちなみに全部監視カメラに映っている。泣きべそかいてるところは筒抜けだし、なんならあらゆるプライバシーがここには存在しなかった。ミアさんには極上のエンタメが提供されていることだろう。まあそうと考えれば僕も誰かの役に立っているということだ。あれ? ミアさんの役に立って嬉しいなら、そもそも反抗している理由が無いような——。


「あっ……」ハッと正気に戻る。「危ない……」


 もう少しで何かが壊れるところだった。


 ミアさんは僕を屈服させることにしたらしく、僕にはミアさん謹製屈服フルコースがあますところなく提供され続けていた。かれこれ二週間になる。そろそろ限界なのだけど、出ていこうと思ったってほいと出ていける部屋ではない。

 ただでさえ深い地下の一室。扉は潜水艦のハッチかというくらいに分厚く、錠前も電子制御で小細工の余地が無い。通路に出れたとしても監視カメラに死角はなく、通路は定期的に区分けされており、資格情報無しに押し通ろうとしたならば催眠ガスが出る。いたれりつくせりにもほどがあろう。

 こんな環境でできることはほとんどない。フォークを削って刃物にするみたいな古典的なことはできるけど……これも見られてるわけだし……。というかなんでフォークついてんだよ使えないってんだよう。


 ふと、扉の内部からウイーンウイーンと機械音がした。恐怖が背筋を駆け上り、ミアさんの愉悦の(笑)が聞こえてくる(幻聴)。

 扉の開錠は拷問の合図だった。





 無影灯の光が弱まった。鉛のように重い瞼を開く。

 無菌ゆえ籠った空気。メトロノームのように規則正しい電子音。背中には金属の冷たい感触。耳元でカチャリと器具が直される。


「起きたかね?」尋ねてきたのは隣に座る男性だ。

「おはよう……」手足を縛り付けられているので、首だけ彼に向けた。


 いっそ邪魔そうな長すぎる足を組んで座っているのが僕の執刀医だ。見た目の年齢は五十くらいだろうか。190センチ以上あるのだけど、身体から指先まで薄く骨ばっていて、大男と言う感じはあまりしなかった。もやしみたいな。

 銀に近い灰色の髪を後ろでまとめていて、迫力のあるまんまるの瞳はメタリックな琥珀色だ。肌は病的なほどに白い。白衣の下から黒いタートルネックとシンプルなパンツが覗いている。

 〝星紀の闇医者〟エルネスト・カイザー、その人である。懲役は三万と数千年。気持ちよくコールドスリープしていたところをミアさんに叩き起こされたらしい。


「全く、勘弁してほしいものだよ」エルネストさんは全く勘弁してほしそうに吐き溢した。「吾輩の専門はあくまで整形外科である。実質死んでるぐらいグチャグチャなところから蘇生するだなんて、片手間では不可能だ……!」

「へえ……」麻酔が効いていて僕の話し方は舌ったらずな感じになっていた。目元もたらんとしたままに。「何時間かかったの?」

「六時間!!」エルネストさんは両手を握って突然に叫ぶ。「吾輩の貴重な貴重な六時間がああ!!」

「うん。蘇生するどころかあらゆる傷痕までまるで無かったみたいに元通りみたいになってるしね」僕が彼の手術を受けるのは初めてではない。「どんな縫合をしてどんな処理をしたら痣一つ残さず戻せるんだろう。それがたった六時間だなんて。魔法みたいだよ」


 ミアさんの拷問は、爪は剥ぐし皮も剥ぐしなんなら角膜まで剝ぐ(自分は拷問に耐性があると思っていたのだけど、流石に皮を剥がれて神経を剥き出しにされると辛かった)。そんな、一見すると治療不可能、治療できたにしても必ず酷い痕が遺るはずの傷を——このエルネストという人には完璧に治すことができた。肩書きは伊達じゃない。


「お、おほっ」エルネストさんは僕の誉め言葉を真に受けてくれたようだ。零れる笑みがお嬢様みたいになっている。「おほほ。まあ、吾輩はこれでも星紀の闇医者であるからな。不名誉な肩書きだが、一定の評価を受けた証左でもある」

「うん。エルネストを追放した人たちは本当に損なことをしたと思う」

「君もそう思うかね!」


 気をよくしたエルネストさんはそれから彼の貴重な一時間を割いて当時彼が所属していた星間医学会がどれだけクソだったかということを語り尽くしてくれた。残業代が出なかったらしい。宇宙進出を果たしてしばらく経つというのに、未だ人間の悩みは残業代だなんて世知辛いなあと思った。ちなみに数日前にも全く同じ話を聞いた。一言一句まで同じで怖い。

 エルネストさんが興奮すると彼の両目のピント調節もしきりと早くなる。この距離で覗き込まなければ分からないのだけど、非常に精巧な機械眼である。

 エルネストさんが興奮しきった瞬間を見計らって尋ねる。


「そういえばその眼、カッコいいよね。よく見えそう。僕も欲しいな~」

「えっ? ああ! この眼か! これは同僚の開発品を謹んで譲り受けたものでな! 吾輩には作れんのだ!」

「そっか」僕の真っ白な右目は失明している。その代わりになりやしないかと思って聞いたのだけど、作ってもらうことはできないらしい。残念だ。

「それよりもさっきの話だ。どこまで話したか——」





 エルネストさんはワゴンに乗せた僕を押し運び、別の女性に受け渡した。


「では吾輩は寝る。二度と起こすなよ」エルネストさんが女性に上からモノを言う。あくまで態度の話だけど、もちろん、物理的にも見下ろしていた。

「陛下のご意思に背くというのか?」女性は青筋を立てて睨み返す。


 彼女はちょっと小さいのでかなり見上げている。ちなみに僕は二人のやり取りを更に下から眺めていた。一番下だった。


「文句があるなら神になれ、貴様如きになれるものならばな。試してみるか? 陛下の手を煩わせるまでもない」

「吾輩はそんな器じゃない」エルネストさんはあくびをして背を向けた。間の抜けた声で言う。「グレロくん、吾輩のためにも、サッサと折れてくれたまえよ~」

「またお話聞かせてくださいね~」僕も抜けた声で返した。


 残った女性がエルネストさんの背中に向けている視線は蛇蝎の如く。その眼はそのまま僕にも向けられる。

 オレンジ色のショートパーマに灰色の瞳。眉間にはいつも不機嫌そうな皺が刻まれている。紫のアイシャドウがちょっと派手。重りの入ったつなぎではなく、もう常に動きやすそうな制服でいた。装備はピストルとサーベル。

 彼女は〝星紀の傭兵の末裔〟アダマイト家の一人娘、ヴァリエ・アダマイトだ。以前僕が謁見の間で斬り捨てた、バジェさん隊の一人である。エルネストさんの手術によって蘇生された(エルネストさんは死にたてほやほやくらいなら簡単に蘇生できる)。

 今は僕の看守役を務めている。


「こんな無責任な奴らがなぜ……」ヴァリエさんは極寒の視線でもって見下してくる。

「あ……あなたを助けてくれたのも、エルネストさんなんでしょ?」目を逸らしつつ。「あんまり悪く言うことないんじゃない……?」

「助けてくれた、だと!?」ヴァリエさんはワゴンの持ち手をガンと殴った。「あんな生き汚い下衆に命を救われるなど、ありえべからざることだ……!」


 なんだか一人で盛り上がっている。こういうときは何か新情報が出るかもしれない。ビビらず頑張れ僕! めげずに話しかけろ!


「ヴァリエさんは星紀の犯罪者がみんな嫌いなんだね?」

「おい」ヴァリエさんの拳の震えがピタリと止まった。僕を見下ろす視線が極寒越えて絶対零度に。「貴様、我らが始祖を愚弄したのか?」

「ひっごめんなしゃい……」


 怖すぎる。涙出そう。出た。頬を流れていく。


「チッ!」


 かなり心のこもった舌打ち一つの後、ヴァリエさんは再びワゴンを押し出した。


「クソ……なぜこんな奴に、父上もろとも……」

「え、なんて?」

「——!? なっ……」ヴァリエさんはまさか僕に聞こえていないつもりだったようだ。震えを押さえるような怒声を浴びせてきた。「貴様に……言ったのではない!」


 怒られてしまったし、しばらく黙ることにした。たまには利口なところも見せておくべきだろう。決してもう精神的に参ったとかじゃないんだから。

 その間はこの二週間で行ってきたプロファイリングを振り返ることとしよう。


 ヴァリエさんの興味を引ける言葉は何だろうか?


 エルネストさんほど簡単ではない。しかし立場と言葉の端々から推測できるはずだ。

 ヴァリエさんは神たる国王を守る近衛兵だった。この国で最も優れた四人の兵士のうちの一人だったのだ。自分が生きているうちに来る可能性などほとんどあり得ない敵に備えて訓練してきた。訓練というか、多分生まれてからずっと重りを背負って生きてきた。ゆえに彼女の身体はこの星で最も強靭で、僕らに対抗できる可能性もあったわけだ。

 アダマイト家のこのやり方は「異常」と言って差し支えないだろう。というのも、そもそも星紀の犯罪者が敵対すること自体が相当なレアケースに思える。普通に「悪い人」なら、ミアさんのように独裁を快く受け入れるはずだから。それでも僕のような、現状維持を許せない人間に備えて——過去にもいたのかもしれない——鍛え続けていた。

 目的意識を保つには絶望的な時間の中で、しかしアダマイト家はそれを守り続けてきた。となると、遂に訪れた僕たちの降臨は、ヴァリエさんにどんな感情を与えただろうか?


 興奮、に違いない。


 西南戦争に身を投じた武士。初期の十字軍に参加した騎士。WW1で従軍した貴族。

 戦士職は自身のアイデンティティを証明できる機会があるならば、喜び勇んで飛び込んでいくものだ。それが忘れられかけていたアイデンティティならなおさらに。ましてやアダマイト家のやり方は異常極まる。異常な訓練が報われる機会ともなれば、全霊を賭して成し遂げようとするだろう。

 しかし実際に起こったのは、あの呆気ない結果だった。僕とミアさんの足元にも及ばなかった。

 彼らの異常な生き方は、数千年の歴史は、全くもって無意味だったのだ。

 屈辱的だっただろう。死んだ方がマシだとすら思っただろう。しかし蘇生されてしまった。生き恥だ。となれば彼女は今、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを、行き場もなく抱えていることになる。


 ここまでは推理できていたし、ちょこちょこ探ってきた結果、概ね間違いない。だけどまだ決め手にかける。あと一つくらいは材料が欲しいと思っていたところ——遂に手に入れた。


『なぜこんな奴に、お父様もろとも……』


 これこそが最後のピースだ。父親への尊敬は家名への強い帰属意識を意味するのではなかろうか?


「体を起こせ」


 牢屋の前まで来た。僕に抵抗の隙を与えないよう慎重に、しかし確実に、ヴァリエさんは作業を進める。ワゴンから下ろされた僕は、後ろに手錠をかけられ、両足も満足に開けないよう繋がれていた。指示された通り部屋に戻れば扉もゴゴゴと閉じていく。


「そっか」


 閉まる直前を見計らって言う。


「誇りがあったんだね」


 最後に一瞬見えたヴァリエさんは、いつにも増して眉間にしわを寄せていた。

 ダメ押しにもう一言。


「僕もそうだよ」





 つまり驚くべきことに、ヴァリエさんはあくまで「誇り」のために職務を全うしているというのである。独裁のための実在的圧力という自覚はなく、本気で「正しい行い」だと信じて仕事をしているわけだ。


 こんなに脆く崩れやすいものはない。





 ある日の昼、あるいは夜。

 複雑そうな音を立てて扉の内部機構が駆動し始める。

 ミアさんが僕で遊ぶタイミングにはある程度のインターバルがある。神懸かりのミアさんとて身体は人なので寝る時は寝る。つまりその間は僕を拷問できないのだ(ミアさん以外の拷問は僕にはあまり効かない)。つまり僕は、そろそろ拷問だな、と予見することができるし、これから半日くらい拷問はないな、と考えることもできた。今のところミアさんがこの予想を外してきたことはない。

 だからこそ、その日そのタイミングの開錠にミアさんが関与していないことは、すぐに理解できたのだった。


「来た」


 小声でつぶやきベッドから体を起こす。

 できることをやらない理由はない。そして僕はできることをやった。

 ベッドに腰かけて、開いていく扉の方をじっと見つめる。

 どっちが来たかな?


「おい」


 不機嫌そうな声と共に現れたのはオレンジ髪の女性——ヴァリエさんだ。ずかずかと立ち入ってきた彼女は、すかさず僕の胸ぐらを掴み上げる。


「えっ……な、なに……?」


 ヴァリエさんは僕をじっと睨みつけて——一度はぐっと我慢するようなそぶりをした気がしたのだけど——結局壁に思い切り打ち付けた。背骨に鈍痛。うっと声が漏れる。

 ヴァリエさんは倒れた僕の頭を掴み上げ、眼球が当たらんばかりの距離でもって凄んできた。


「貴様に話がある。ただ質問にだけ答えろ。それ以外の発言は一切許可しない」


 衝撃に頭がくらくらする。本音で恐ろしい。つい歯を鳴らしてしまう。

 しかし同時に、内心で握られる拳もあった。


「貴様は一体、何者だ?」


 よし。

 脱獄できそうだ。

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