第2話 瓶詰地獄
コロニー側面の開口部がゆっくりと広がり、船体はその喉奥へ吸い込まれていった。
ガタガタと揺れる船内で、隣に座るミアさんはやれやれと肩をすくめる。
「ああ、遂に着いてしまったね。飛車角香桂まで抜いたのに……」
「そもそも僕そらでボードゲームなんてやったことないから! 駒の配置を覚えるだけで精いっぱいなの! 負けっぱなしでも仕方ないでしょ!?」
「おや、言い訳かい?」
「うううぅぅ……」再戦を頼み続けていたのは僕の方。「次は勝つから……!」
「楽しみにしているよ」
オートパイロットが無数の細かい補正を行いながら降下角度を微調整する。やがて船底が接地し、鈍重な音が響いた。
ハッチを開けば灰色の無骨な発着場。急なステップは踏まず飛び降りる。一メートル半はあったと思うけど、足への衝撃はほとんどなかった。
「体が軽いね」振り返って言う。「今ならオリンピック選手になれるかも」
ふわふわする、とまではいかないけど、実感を伴う動きやすさだ。力を入れれば二メートルくらいは跳べそう。楽しい。
続いて飛び降りてきたミアさんも、割と高めのヒールだというのに支障なく着地した。緋色の袴がふわりと膨らみ、ゆるりと落ちる。
「ダイエットしなきゃと思っていたんだけれど、こんなに軽いなら必要なさそうだね」
「体重は変わってないよう」
「0.3Gくらいかな。七割引きだね。閉店間近の総菜みたいだ」
「ミアさんって総菜を買ったりするんだ……」
発着場には照明はあるが、僕らの他には誰も居なかった。
「そういえば、ここの食事はどんなだろう。レーションはやだなぁ」
「やはり評価は『星一つ』なのかな?」
「うるさいなあ。カップ麺くらいは出るといいんだけど」
「ちなみにカップ麺は未開封なら千年持つよ。希望が持てるね」
通路を進み表に出れば、コロニーの内景が広がっている。駆け出していって仰ぎ見た。
内壁全体が作り出す上下反転した世界。どこまでも続く平面のように見えて、空を見上げると霞の向こうにも建物や緑地が張り付いている。竹の内側のように定期的に区分けされており、そのうちには森や水辺などにあたる自然環境もあった。光源として機能するだけの区画もぽつぽつとあって、あれはおそらく二十四時間周期で明滅するのだろう。今は昼時らしい。
なんらか感慨のような心境になっていた僕に、ミアさんはゆっくり追いついてきた。
道中で拾って来たのだろうか、二十センチくらいの千切れたパイプ管を持っていた。前方に持っておもむろに手放す。カラン。それは僕には真っ直ぐ落ちたように見えたのだけど……。
「曲がったね」ミアさん曰く曲がっていたらしい。「ズレている。数センチ足らずだけれど」
「よく分かるね。目が良いんだ」
「歩いていても回転方向に引っ張られている感じがするだろう?」
「正直言うとかなり歩きづらいね」
それはまるで足元の地面がズレていくような感覚。まるでというか、実際のところそう。
パイプを蹴り避けつつ尋ねる。
「ミアさんには直径と長さはどれくらいに見える?」
ミアさんは何も聞き返さず、左手はコートのポケットに入れたまま、右の掌底を伸ばすとともに真上を見た。
「直径は5キロくらいに見える。地平線は見えないけれども」ミアさんは薄く微笑んでいる。「外から見たときの比に倣えば、長さは30キロくらいかな」
「となるとえっと……」と考え始めた僕よりも早く、ミアさんがさらりと言う。
「471平方キロメートル」緩く目を瞑って一人頷いている。「香港の1.6倍、琵琶湖の1/6の大きさだ。10万人いかないくらいは収容できそうかな?」
「ミアさんって計算もできるんだね……というか琵琶湖でっか……」
僕たちは地下から這い出て来たわけだけど、そこは内壁の「下地」に近いのだろう、彩の無いコンクリートの大地だった。無骨な建物がいくつかあって、空軍基地みたいなイメージを受ける。
ほどなく車のエンジン音が聞こえてきた。遠くから……近付いてきているようだ。音の方向に目をやる。
「誰か来るみたいだね……」警戒心からついつい声が強張った。
「お迎えかな? 看守役がいるんだろうか」ミアさんはずっと左手をポケットに入れている。対して右手はたらりとまっすぐ下ろしていた。「誰かが観察する必要はあるだろうけれど」
すぐに車高の高いジープがやってきた。物々しい扉を開けて降りてきたのは四人。一様に分厚いつなぎの制服で、軍人のそれに近いイメージだった。妙に分厚く見えるのは、プレートでも入っているのだろう。とはいえ迷彩柄というわけではなく、むしろ目立つ藍色である。腰には拳銃だけでなくサーベルも。
僕は身体に力を込めて、「歓迎」に備えていたのだけど、前に出てきた男性は、存外に落ち着いた様子だった。カシャリと腰の装備を鳴らしつつ、型にハマったような背筋で頭を下げる。
「歓迎いたします、ご客人様方」訛りがあったけど共用語だ。
「こ……こんにちは」僕は困惑しながら返す。対してミアさんはというと、返事も何もせず微笑んだまま見返していた。気持ちは分かるけどちょっと失礼だと思う。
僕らに声をかけたのは、痩せた体に深い皺の刻まれた、壮年の男性だった。灰色の頭髪は短く刈られ、日焼けした肌が目立つ。
一見すると任務に忠実な軍人という印象だけど、底の見えない井戸のような眼からは、なんらか彼個人の執念のようなものも読み取れる。僕のこういう勘はあまり外れない。
燻りも消えかけた燃えクズのような声が言う。
「わたくしはバジェ・アダマイトと申します。国王陛下の元へ案内するよう仰せつかって参りました」
「案内を……王様から?」と聞けばバジェさんはただゆっくりと頷く。
バジェさんの後ろに並んだ兵士たちは訓練が甘いようで、僕らの格好にちらちらと目をやっていた。感情は……物珍しさと好奇心、かな。
「それに従わない場合はどうなるんだい?」ミアさんは目を閉じ微笑んで尋ねる。
「王国の保護を受けることが叶わなくなります」
僕はバジェさんの奥——遥か三十キロのコロニーを見やった。
「あなたたちの王国って言うのは、どれくらいの規模のものなの?」
「人間が居住しているエリアは星の五割ほどとなり、そのうちの八割以上を占めています」
つまり香港より少し小さいくらいか……と考えた。
「ワタシは素直に従うことにしよう」ミアさんは頷いて言った。「キミはどうする?」
このミアとかいう人は、話しかける相手の顔を見るという常識以前に本能的な所作をしないから、僕は毎回「あ、今のは僕に向けての言葉か」と気付いてから返事をしなくてはならなかった。
「ぼ、僕も従うよ」きょどきょどとしつつも頷いて答える。
バジェさんたちを全面的に信頼するわけではないけど、付いていかない理由もないように思えた。逆らうには早いかな。
「ご協力感謝いたします。では、車内へどうぞ」
市街にはノスタルジック超えてファンタジーな風景が広がっていた。石畳を挟むのは中世ヨーロッパ風の建物群。年季の入った木の梁が幾何学模様を描く。ピンク、黄色、水色……自由な色使いのペンキが目に楽しい。子どもが絵に描くような街並みだ。定期的に人間の銅像がある。偉人かなにかの像であろう。
住人たちの格好は十九世紀くらいのそれだ。シャツにベスト、ブラウスにリボン。ハットとステッキ、カチューシャに編み籠……。バジェさんたちの装備に見える近代的な設えとは、いささかギャップがある。
「す、すごく繁栄してるね」揺れる車内から窓の外を眺める。「ちょっと古いけど」
ミアさんの方を見たけど返事がない。反対側の窓から外を見て何か考え込んでいる様子。僕はちょっと悲しい気持ちになった。
環宇宙政府のマザーAIは、死刑を廃止した代わりに、莫大な懲役年数が受刑者の子孫にまで引き継がれるよう制度を整えた。AIらしいズレた発想で反吐が出る。ゆえに僕らは男女で送り込まれたのだろう。過去の犯罪者も男女で送り込まれたはず。
つまり、ここで暮らす全ての人間は、かつてここに投獄された者たちの子孫である。
シートの肩に手を着いて「少し停めてもらっても良いですか?」と前の席に呼びかけた。
「なにか?」助手席のバジェさんが振り返って言う。
「停めては貰えませんか?」ともう一度言えば、バジェさんは眉間にしわを寄せて、運転手に停車するよう指示した。
ミアさんはというと、わざわざ左手まで出して肩をすくめていた。
広場には露店が出て市場のようになっていた。店先には果物や衣服、雑貨などが並んでいる。色とりどりのフラッグが覆う通り。人々は馬車を避けたり値下げの交渉をしたり、せわしく賑やかな様子で行き交っていた。
紳士貴婦人たちはそれぞれ荷物持ちを一人連れていた。彼らはみな自我を殺したようにして黙りこくっている。見るからに奴隷である。
ああいうのを見ると奴隷解放思想を広めたくなってくるのだけど……流石に監視下でやるのはマズいだろう。我慢。
僕たち二人にバジェさんと部下が二人着いていた。
人々は僕らの到来を受けて、ぎゅうぎゅう詰まるのも構わず大きく道を開き、通り過ぎるまでペコリと頭を下げた。まさか僕とミアさんに向けてのものではないと思うので、バジェさんたち軍人の立場がかなり高いらしい。実際のところ、「騎士様だ」「騎士団長様よ」とささやく声も聞こえてくる。
僕らに関心の目を向ける子供が母親に頭を下げるよう窘められていた。子どもは駄々をこねたものの「良い子にしていないと魔女に攫われるよ」と脅されて連れていかれてしまった。微笑ましい。
「まるで絵本にでも入ったみたいだね」先行して露店を覗き込みつつ振り返って言う。「けど人がちゃんと暮らしてるみたい」
「おっと」ミアさんは緩く目を瞑って微笑む。「何か意図があって降りたわけじゃあないのかい?」
「無くは無いけど……」すぐ後ろに着いてくるバジェさんたちを気にしつつ、囁いた。「あのね、実は、ミアさんが何に悩んでいるのかを聞いてみたかったんだ」
『ワタシと二人で話したかったけれど、彼らが付いてきたから断念したのか』ミアさんは僕の隣に並ぶと流暢なフランス語で言った。『気になるならば、堂々と聞いてくれて構わないよ』
ミアさんがどこか得意げに見えるのは気のせいではないだろう。となると——。
『う、うそでしょ……。まさか共用語の訛りから母語を見抜いたっていうの……?』
こういう言葉が気持ちいいはずだ。
『まあね。そして、ここでこれが分かるのはワタシとキミだけのようだ』
ちらりとだけ後ろを覗けば、バジェさんの眉間の皺は一層深まっていた。密談されるのは愉快な事じゃないらしい。
『確かに、そうみたい』
ふと、横切った露店の一つに檻が積まれているのが目に付いた。中にいるのは、片腕の失われた男、顔色の悪い女、無表情の子ども……。みな服未満の布のみを纏っている。
——?
奴隷売買……以外にありえないんだけど。何か違和感が……。
「考えるべきこととして一つ」ミアさんは僕の母語——仏語で言う。「文明力が低いのはなぜか? キミはどう思う?」
「低いの? 僕らを乗せている車はまだ地球で使われてるのと同じくらいのものだよ」
「基本的なことを忘れているようだね。この星は——」
ミアさんは途中で言葉を切って足を止めた。何かに目が留まってそちらに注意が向いたようだ。
「グレロくん、アレ」
ミアさんが指差すのは一列向こうの露店だった。肉屋らしい。ソーセージなんかの加工肉を鉄板で焼いているようなのだけど、それとは別に丸焼きの肉が二つだけ吊られていた。一つは鶏だろう。しかしもう一つが分からなかった。豚か何かの下半身に見える。
あれがどうかしたのかと目線で問えば、ミアさんは意地悪そうに口角を上げて答えてくれた。いっそ馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、しかし声色自体は愉快そうに。
「ヒトだ。ヒトが丸焼きにされている」
そうと聞けばなるほど理解できた。あれは膝から上、腰から下の人体である。シルエットからして間違いない。
ミアさんが僕の肩に手を置き——ビクリと肩が跳ねて、初めて、自分が酷く緊張していることを認識した。心臓が逸っている。
「考えるまでもないことさ。資源の限定されている環境において奴隷の行く末は食用の他にない」
市場を歩いていけば、小さな四角い檻に詰められた人間たちを何度だって見かけることができた。みな無気力。掲げられた共用語に従えば、彼らは食用なり臓器移植用なりで役割が分けられているようだ。
人間が陳列された檻の前で、子供たちが駆け回っている。
一度目を閉じた。間をもってからもう一度開く。しかし事実は非情にも残酷で、現実は現実であり、地獄は地獄のままだった。
これまで革命を指揮してきた自分だけど、この光景ほどに明確な『敵』を感じたことはかつてない。
――壊さなければ。
気付けば足が出ていた。しかしすぐに発された「待ちたまえ」の声を受けて立ち止まる。
「差し出がましいとは承知の上だが、それはあまりオススメしない」ミアさんは笑みを横に流しながら口にした。
「……分かってる」胸に手を当てて深呼吸する。心頭滅却。「ごめん、ありがとう。ちょっと頭に血が上ってたみたい」
それに意味もない。壊すなら目の前の檻でなく目に見えない構造の方でないと。
「ちなみにそれはこの星の脱出に必須の行動ではないけれど?」
それは、そうだけど……。
僕は再び檻の方に目をやってから、嘲るようにして鼻で笑った。
「僕の仲間たちなら、これを放置して帰るだなんてことは許さないよ」
子供たちはジャム瓶にそれぞれの持ち寄った虫を入れた。狭いビンの中で対面したカマキリとムカデは初め、お互いを攻撃しなかった。逃げ場を探していた。しかし逃げ場はない。ならば殺し合うしかない。そうでなければ、横になって眠る場所すらも無いのだから。
壊すべきものは明白である。
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